4月24~ 25日   安心して悩める場を提供する 産業カウンセリング JAICO 2月号より   中田貴晃氏執筆

 

   4月24~25日    安心して悩める場を提供する 産業カウンセリング JAICO 2月号より

         東京支部 中田貴晃氏執筆

        並木P1010016  自宅の近くの桜.jpg

        時々私が散歩する桜並木です

   筆者は、産業カウンセラ-に加え、臨床心理士、精神保健福祉士、キャリアコンサル等

   の資格をもち、企業のメンタルヘルス分野のプロフェショナルが集う会社に所属し

   筆者の所属するキュ-ブ・インテグレ-ション((株))は現在約20名からなるプロ集団として

   企業のメンタルヘルスの支援、障害者雇用支援を主軸とした事業を展開しているそうで

   筆者がプロとして大切にしている姿勢は、『目の前の問題解決の支援をすること」

   そのためには、「共に悩み、共に考え、共に協働していく」ことで、その中でも「

   「共に悩む」プロセスが大切だという。

   「人の心や人間関係に関わる問題は複雑で解決困難なことが多いのですが、企業や、

    クライエントと一緒に悩むことで信頼関係が生み出され、相互理解と合意形成に向かう

    ことも少なくありません」と筆者は様々な経験を通じて得た成功体験があるから

    このようなさらりとした口調で語っておられる感じもしますが、クライエントが

    自分に今関わっていてくれるカウンセラ-は「自分と悩みを共有している」と実感

    してもらえるのは、この筆者と同類の立場の人々にとっても、状況によってはかなり

    ハ-ドルが高いと私自身感じています。公共事業現場などパトロ-ルして時々作業を

    手伝う場合などは、心が通じ合うのを実感しましたが。

      しかし、熟読している中に、事例のカウンセリングでは、ベテランのメンタルの専門家

    でも、相当の愛、使命感、忍耐力等を持ち合わせた人間力が不可欠と痛感しました。

    私は、かって産業カウンセリングの先輩でコ-チAとも関わりのある故光山徹先生から

    指導して頂いた際、「動物、人間に共通するコミュニケーションは、刺激に対する

    反応であるが、動物は好ましい刺激は避ける。でも人によっては、今は好ましくない

    逆境でもそれを克服できるカがある。」とのこと。

    今回の筆者の例示されたのは、この例に当てはまると感じました。

     あるケ-スでは、真面目で有能な社員が上司と大げんかしてしまい、メンタル不調

    になり、休職してしまったとのこと。双方の話を聴くと、当人は上司のせいだと

    怒りを感じ、上司は、融通が利かず扱いにくい部下と感じていたという。定期的に

    当人と面談を重ねていく中で、完璧主義で自他に高い要求をしてきたことがストレスを

    貯めていった要因であることに気づいて少しずつストイックな(偏りのある)思考

    スタイルがほぐれ、次第に会社や上司への感謝の気持ちを吐露するようになる。

    そうした変化を上司に伝えていくことで上司の部下の見方もほぐれていく。

     その後、上司と当人との直接話し合う場をセッティングしたところ、相互理解が

    ぐっと深まったという。(貴重なパイプ役が効果を発揮した)

            このケ-スでは、最終的に復職に至るまで一年半を要したが、それでも根気よく共に

    悩み続け、解決策を模索していったことで再発をくり返さないコンディションを

    整えることことが出来たという。(企業の担当者にとって役に立つ事例です)

           そして次の事例も貴重な参考事例です。

    関係者が丁寧に聴く中で、互いの要求が相反することも少なくない。その溝を

    どのように埋めていくかが問われてくる。時に事情を詳しく聴くことで、より大きな

    溝を発見してしまうこともある。それでも相互理解を目指した介入を粘り強く続けて

    いく中で信頼関係が生まれ、それが問題解決の原動力になると筆者は教えてくれた

    そうです。(溝が大きければ大きいほど、解決へ向かう気力がしぼんでしまいそうに

    なりますが、カウンセリングと共にコ-チングの促し、承認、エンパワメントスキル

    など用いて支援することで活路を見出す、そんなことを想像します)

     また、筆者は社会福祉系の大学を卒業後、精神障害者の医療、福祉関連現場の仕事も

    兼務されたとのこと。当時は精神保健福祉法が制定され、「社会的入院」といって長期間

    入院していた患者を地域生活への移行施策が進められていた時代。

    しかし、その障害者の現実は厳しく、生活保護を受け、社会生活に向けたリハビリの場

    となるディケアに通う日々。ディケアでの食費さえ工面するのが困難な患者も少なくない。

    「ディケアのグル-プセッションをしている中で"自分はこの障害を持ってよかった"という

     話しをされた方がいました.。"病気にならなければ、ディケアの良きメンバ-やスタッフ

     との出会いがなかったから"と。筆者には、過酷と思える環境の中で、自分は、自分で

     いいんだと思える強さを教わりました。この声に出会うためにこの仕事をしていたんだ

     なあと思いました」(この言葉に筆者の強い使命感を感じます)---------

        障害者の能力についての筆者の見解「障害があるからできないでなく、それでも成長

     できるのびしろにフォ-カスを当てたいです。もちろん厳しすぎる企業の要求とは

     妥協点を探ります。障害者と企業が一緒に成長していく中で、両者が歩み寄れる

     ようブリッジをかけていくのが私の使命です。」------次の筆者の告白

              「大事な自分のミッションは、支援に関わった人に安心して悩める場を提供すること

     です。悩みがその人なり、企業なりを成長させると信じていますので」

     この言葉は、障害者の自立支援に関わる障害者の方々はもちろんのこと

     企業の関係者、外部の支援者にとっても心底から胆に銘じておくべきと痛感します。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月7~8 日 新学期の児童生徒の不安に気づく その1 大阪教育大 水野活久教授執筆

 

  4月7~8日 新学期の児童生徒の不安に気づく 「児童生徒の助けを求める力を育むには」

                                                            その1

     大阪教育大 水野活久教授執筆 「教育と医学」2018年 4月号より抜粋

  筆者は上記の「児童生徒の助けを求める力を育むには」に沿って学校環境に起因する

  不安については、彼らの問題行動に焦点を当てて述べています。

  「この力を育む」に沿って筆者は、学校環境に起因する不安について、児童生徒の問題

  行動に焦点を当てて述べています。

                  組み合わせP1010082 菊とバラとアルストルメリアの.jpg

                    バラと菊とアルストルメリアの組み合わせ、菊でなくスカッシュユリで

       よかったのに、色あせたユリの代わりの菊では不調和な感じです


 ◎問題行動を通して彼等は教師に何を訴えたいのでしょうか?

 

  筆者は「彼らの助けを求める力を育む」については、前半では彼らの対人関係に関する

  不安については、いじめを取り上げ、いじめ被害児童生徒が援助の要請出来るようになる

  ためには、彼等が教師、SC(スク-ルカウンセラ-)など大人のを援助的であると感じる

  信頼関係の構築の必要性について述べ、さらに教師同志(クラス担任、教科担当者、クラブ

  担当者、養護教諭等を含めていじめ問題に対処すべきことにも言及しています。

   そしてその続きとして後半では、「彼等の助けを求める行動として」の問題行動に焦点を

  当てています。

  筆者は、今の4月こそが問題行動を予防し、彼らの適応を促進する学級つくりが大切と力説

  しています。でもことが起きてしまってからの問題行動と援助要請はどのような関係がある

  のか、筆者は、子供は問題行動をすることで助けを求めているのではないかという仮説を

  持ち、学校現場を支援しているとの説明があります。その2つの事例が紹介されています。

 

         1  小学生の事例

   [小学校4年のA君が教室の中で立ち歩き困っています」。

   こんな相談が、新学期も落ち着いてきたころ、管理職から筆者にあったそうです。

   筆者が教室に着くと丁度算数の時間。A君は椅子に座っていなかった。

   時々立ち歩き、友人のノ-トを覗き込んでいたとのことでした。

   少し長い休み時間になったので、担任の教師とA君のことで振り返る時間を持ったそうで、

   担任はA君に発達の課題があることを気づいていたとのこと。A君は朗読が苦手。

   また、自分の考え方も整理して伝えることが出来ないとのことです。

   担任は、A君は読むことが苦手で、どうも問題文を正確に読めていないようだと

   筆者に教えてくれたそうです。

   筆者は、A君の立ち歩き行動は、「助けを求める行動だと取れないか」と担任に提案

   したそうです。そしてその担任は、A君の立ち歩きが特に目立つ国語と算数について、

   A君の立ち歩いた回数と授業の様子を記録することにしたとのこと。

   翌週担任は算数と国語の立ち歩き回数をメモし、法則を発見したと報告したそうです。

   やはり問題文を読むときに、立ち歩きの可能性が高いことが分かったとのこと。

   このことについても、保護者と相談していると。

   次に担任が取り組んだのは、A君自身が分からないことを受け入れ、助けを求められる

   ようになることです。担任は、新しいル-ルをゴ-ルデンウィ-ク明けからこの学級に導入

   したとのこと。分からない時には手をグ-にして挙手するル-ルを徹底させたとのこと。

   幸い大学生のボランティアが配置され、挙手する子供に対応できる時間帯も増えたと。

   A君は時折、手をグ-にして挙手するとのこと。やはり筆者の予想どおり、手をグ-にして

   挙手したときは、立ち歩いたり、他の子供のノ-トをのぞき込んだりしないいとのことです。

   担任は、この取り組みを続けながら特別支援教育コ-ディネ-タ-とも相談しつつ、A君の

   学習支援に取り組んでいるとのことです。

4月8~9 日 新学期の児童生徒の不安に気づく 「児童生徒の助けを求める力を育むには」その2

 

        4月8~9 日 新学期の児童生徒の不安に気づく「児童生徒の助けを求める力を育むには」

                              その2

        その1で筆者の担任教諭に指摘したことの検証がなされ、そのことが実証されたことは

   それなりに評価されますが、そのことが問題児や本人の周りの児童にどう受け止められて

   いるのか、つまり一人の生徒の行動の変化が周囲にどんなインパクトを与え

   クラス全体の主体的なモチベーションを高めていったのか、その辺ことも課題ではないかと

   私は思いました。少し児童の分からない時の表示の仕方が出ていましたが---

   そのようなことは、実際に生徒側の受け止めた印象を聞いてみる必要ありと痛感しました。

 

             2  中学校の事例

   中学3年生のB君は、昨年2学期から荒れ始めているいるとのことです。彼の荒れの行動とは

   授業中大声でふざける、注意した教師に暴言を吐く、授業中にふらっと教室から出ていき

   保健室、校長室に行くということです。週末には深夜徘徊や喫煙などの問題行動も認められる

   とのことです。彼は今年度は、新学期から教室に入っていますが、未だに暴言を吐いて暴れる

   ことが多く、暴れると職員室横の小さな会議室で自習する日々とのこと。自習する彼に

   教師は静かに語りかけるとのこと。しかし彼は、聞く耳をもたないとのこと。

   学校支援の一環でその中学校を訪問していた筆者もその指導に同席してみたとのこと。

   彼は得体の知れない怒りを抱えているように筆者に映るとのことです。 

   その後、会議室で彼の対応を生徒指導担当、養護教諭と話し合ったそうです。

   養護教諭によると、彼は保健室にいる時に漢字のワ-クをやっていたことがあるとのこと。

   さらに養護教諭は、彼の家庭の状況は安定していないので、養護教諭や校長との関係を

   自ら求めているのではないかと言うとのこと。つまり彼は、問題行動で助けを求めていると

   筆者は言うのです。ここまで通読していてふと私が想起したのは、カウンセリングを

   学んでいた時、講師がロジャースのカウンセリングで「クライアントは怒っているが、

   心の中は悲しい」と。このクライアントの空白をどう埋めるのかがポインがトになると

   感じました。

   だからといってこの生徒の周りの教師がスク-ルカウンセラ-に繋げようとしても、真に

   彼と信頼関係が築かれていない中では「おれは友達もいて不登校でも

   ないからカウンセラ-のところには行かないと」と言っています。

        そこで校長、担任、生徒指導主事、養護教諭、SC、 筆者の参加したケ-ス会議では

   校長、養護教諭との関わりを大切にしながら会議室にいるときに技術、美術など

   彼が得意とする教材を紹介することになったとのことです。この案も一策かと思いますが

   それで十分でしょうか?

   本人が美術を得意としているならば、心理療法の一つ「描画法」を使用して専門家と

   対話しながら本人方向性を探ってみては思います。

   もう一つは、彼のクラスの中での居場所のこと。

   クラスの室内環境の整備でクラス仲間の理解と協力を得て、仲間と一緒になって、彼の

   特技を活かして工夫し活動すれば何かが生まれると直感しました。私が中一の担任して

   いた時、このことを経験しました。

   彼のクラス内の自己肯定感が根を下ろすことで、彼の従来の素行の変化が出て来るのでは

   と期待します。彼の存在価値が級友に認められることへの期待感です。

   もう一つは家庭との連携。担任と保護者の良好な関係も必要と思います。

   そうすれば彼の成育歴に関わる問題点も彼の解決の糸口なり得るかも知れないとも

   感じました。

 

 





3月2日効果的な内省を促すために、気にしておきたい1つのこと 栗本渉先生執筆 その1 コ-チAより配信

 

   3月2日 効果的な内省を促すために、気にしておきたい1つのこと

        栗本渉先生執筆  その1                      コ-チAより配信

        メリアP1010082.JPG

                         少し鈍臭さを脱した感じもしますが、写真、生け花共いまいちです。

     コ-チングを少しでも習われた方ですと、open question(開かれた質問)と

     closed (閉ざされた質問)のことはご存知かと思います。

     例えば、上司に指示された仕事で失敗した場合、why:「何故君は失敗したか」

     what: 「君は失敗から何を学んだか」

     前者の質問では、上司に責められている思いがして、下手に答えれば叱責されて

     益々落ち込みます。どうしても口が重くなります。

     後者の質問では、答え方次第では、前者と同様に叱責されることも あり得ますが

     特に信頼関係の崩れのない限りは、部下は、思いつくままに自分のまずかった点を

     伝え、れを聞いた上司は感じたままをフィ−バックしつつ部下の反省を促して

     部下の再起を目指してモチベーションを上げるきっかけをつくることもできます。

     

     ▲    栗本渉先生の記事

     企業では今は期末面談の季節です。一年間の自分を振り返り、現在地を把握し

     次に向かってもろう、そんな面談ができると効果的ですとのご指摘。

     相手の内省をどう効果的に促進できるのか、それが今回のテ−マです。

     「相手により深く内省して欲しいとき、どのような質問をなげかけますか」

     例えば次のような問を通じて相手に考えさせ、内省を促そうとすることは、珍しく

     ないことかも知れません。 

     〇 なぜこの評価になったと思う?

              〇 なぜあの行動を取ったのか?

              〇 なぜそう考えるのか?

              これでは、まるで「上司に呼び出されて詰問される」みたいです。(私の印象)

     ハ−バ−ドの研究チ-ムはこれらの質問は内省を促す上で非常に「非効率的」

     であることを発見したとのことです。

     要因は、「なぜ」という質問にあったとのこと。

     「なぜ」が非効率的な理由

     実際に、深い内省に到達した人達の問いかけのパタ-ンを調べたところ、「なぜ」の

     問が150回程度に対して「何」の問は1000回以上使っていたことが分かった

     とのこと。

     そして「なぜ」の弊害については以下のことでした。

    「勤務評定」が振るわなかった従業員が"なぜ評価が低かったのだろう"と自問する。

     すると自分の強み、弱みに対する理性的な評価でなく、自分の恐れ、欠点

     不安感に支配された釈明に終始しがちになる。

     (なぜの質問によって)いくら探し求めても、私たちは無意識の思考、感情

     動機の大部分にはアクセスできない」と指摘しているとのことです。  

            「なぜ」と問われたとき、何かドキ々した経験はないでしょうかとの筆者の

     問いかけ。もしかすると、私たちが「なぜ」の質問とどう向き合ってきたのか

     その歴史、経験が影響しているのかも知れないとの筆者の見解。

     それらの自己防衛が以下に例示されています。 

     「なぜ、言うことを聞けないの」と親から問われ

     「なぜそんなこともできないの」と友人に笑われ

     「なぜ結果がでないの」上司に詰められる。

     いつしか、「なぜ」の質問はこれから始まる否定を予告するサインになって

     きました。人は否定に対して反応する。そのようなメカニズムについて

       筆者は次のように説明する。否定のサインは、大脳辺縁系が目敏く察知し

     闘争、逃走の反応を何よりも優先させる。そしてそれは、他の脳の機能を停止

     させてまでも自らを守ることを優先にする程強力とのことです。

     具体的には想像的思考を司る大脳新皮質の機能も止め、自由に発想する前に

     身を守らせる、というように。

             ◎この後 その2でも「なぜ」の質問例に触れて後

     この「なぜ」の質問に工夫をした開かれた質問「なに」に焦点を当てて締め括りを

     します。

 3月2~3日 効果的な内省を促すために、気にしておきたい1つのこと その2

 

        3月2~3日 効果的な内省を促すために、気にしておきたい1つのこと   その2

     

     ▲ コ-チの「なぜ」の使い方

   筆者のクライアントが以下のような面白いことを言っていたそうです。

   彼はエンジニア出身の経営幹部の人であった。「なぜを5回問う。それが自分の成功原則

   だった。"なぜ"を課題やものに問い続けた。すると解決や品質が手にはいった。"なぜ"を

   人や組織にも問い続けた。すると沢山の言い訳が手に入った。」

   "なぜ"の問いかけがセオリー通り大脳辺縁系を刺激し、人や組織の防衛機能を起動させた

   のかも知れない。「なぜ」という問自体が問題でなく、感情を宿す対象には、注意して

   使用した方が良さそうだ、ということなのであろうとの筆者の見解です。

    また、私としても、後でsccの研修会で、何故を使って質問したいときに一瞬相手の

   緊張をほぐす枕言葉について竹内先生から学んだことに関して述べたいと思います。

   筆者らコ-チも経験上「なぜ」は慎重に使うとのことです。

   例えば下記のようにあえて変換して使う工夫をするそうで、a~cを例示しています。

   a なぜ、沿う決断したの?→決断の基準はなに?

         b なぜ君はそう考えたの?→なにがきっかけでそう考えるようになったの?

         c なぜ顧客は不満だと思う?→顧客の不満はなにを教えてくれた?

         「次の面談で、より深い内省を促してみたいとき、このわずかな違いを創って

    みては如何でしょうなか?」と締めくくっています。

    コ-チングの基礎的なこととは言え貴重な提言と痛感しました。

    私のコメント aからcまでの質問は相手の反省を促しながら

    気づきへと導きテニスのような両者間の心地よいラリ-(双方向の対話が進展する)

           によりクライアントの「気づき」が生まれ、クライアントのモチベーションを

    高めていく効果が期待出来ます。

    それから前述の「枕言」、つい上司として叱責したくなりそうな時など有効

    ではないかと思います。

    例えば「転んでもただでは起きない」ただ思いつきでいうのでなく、愛情をこめて

    期待感をもっていうのが相手にも伝わることを前提にしています。

    相手によっては、「一緒にがんばろうよ」の言葉も活きてきます。

    確か「こころの科学」で自殺未遂の青年に叱責の後このようなことをいっていた

    のを想起しました。人間のみが逆境を克服する能力がありますが、どのような

    言葉が相手の心に響くかがその人の経験を通して培われた人間力によります。

 

 

 

 

 

 

 

1月10日 長生きの秘訣   粟津恭一郎先生執筆   コ-チAより配信 その1

  1月10日 長生きの秘訣 粟津恭一郎先生執筆  コ-チAより配信 その1

          

        

        葉牡丹P1010001色バラと.jpg

          バラと葉牡丹の組み合わせです     

   今回粟津先生の記事は、色んな人々を取り巻く環境の人間関係の修復に力点が

   置かれ、その関係の修復対策として、二つのことに言及しています。

   一つは、相手ばかりに注目しているのでなく、自分自身に気づくこと。

   もう一つは、双方向の良好なコミュニケーションを構築すること。

   このような努力により長生きの土台を築いていくことを目指いるすのが記事の骨子です。

    とかく、福祉国家のあり方を問う場合には、衣食住のこと、医療保険制度のことなど

   物質的なことが問題視されますが、今回が提言していることは、人間が本来の

   人間として他者と共に生きる不可欠な問題を共有し合う原点を問いかけている印象が

   しました。 

      人生100年の時代という言葉を聞く機会が増えました。筆者は、丁度50歳、老眼鏡が

   必要となり、50肩になったりしている自分に気づくと「100歳までどう生きるのか」

   よりも、「どうすれば100歳まで生きられるか」という問の方が先に頭に浮かんで

   しまうとのことです。

   長生きに関する研究は、いくつもあって、おそらく最も長く詳細に研究されているのは

   ハ−バ−ド大学の成人発達研究ではないかとのこと。この研究は、1938年に開始され

   80年近く経った今でも追跡調査が続いているそうで、ロバ-ト・ウォ-ルディガ-教授は

   この研究の4代目の研究責任者で、教授らは調査対象者に仕事、家庭生活、健康状態など

   についてのインタビュ-を定期的にやり、血液検査、脳検査、などのデ-タも取り続けて

   いるとのことです。

   「この調査研究で明らかになった、私たちを最も健康かつ幸福にするものは

    何だったと思いますか」と筆者は読者に問います。

    それは「良い人間関係」でした。


1月11~12日 長生きの秘訣 粟津先生執筆 その2

 

         1月11~12 日 長生きの秘訣 粟津先生執筆  その2

  

         身近な人達との良好な人間関係は、肉体的な健康を維持するだけでなく、脳機能の

   減退を抑えることができ、

   長生きにつながることが、この研究によって明らかになったとのことです。

   一方友人の数の多さはこれらに関係がなかったとのこと。

   身近な人達との人間関係が私たちの日常にどのような影響を及ぼすかについては、皆さんの

   多くが体験されたことがあるのではないでしょうか」と。

   例えば、両親、配偶者、子供、親友、恋人、職場の同僚、上司、部下先輩といった身近な

   人々との関係が何かをきっかけに悪化してしまったとき、そのことに気になり仕事が手に

   つかないなくなったような経験は誰もが少なからずあるはず。

         エグゼクティブ・コ-チングでも、身近な人との人間関係の悪化がビジネスの

   パフォーマンス低下につながった例を沢山見てきたそうです。良好な人間関係の重要性は

   年齢や役職に関わらず誰にでも共通するものとのことです。もしかすると皆さんの中には

   今までに身近な人との人間関係に悩んでいる方がみえるかも知れません。

   人間関係の問題を解決するのは厄介で難しいものですが、関係悪化が続くと「仕事をする

   能力が奪われる」危険性があります。免疫システムが弱くなり、血圧が上がり

   ストレスを感じやすくなり、記憶障害や学習障害などにつながるからですと、筆者は

   述べています。(私の場合ですと身体的影響はありませんが、あれだけクライアントは

   私を信頼していたのに、断交になって自信喪失になりました)

         では、人間関係を修復するにはどんな方法がありますかと筆者は問いかけます。

       ▲ 人間関係の修復に有効な2つのポイント

    このようなテ-マをネットで検索したり、本を読んだりすると、関係を修復したい相手に

    対するアプローチとして様々な事例が出てきますが、筆者は、これまでのエグゼクティブ

    コ-チングの経験から重要なポイントは次の2つとのこと。

    一つは「自分自身が相手に与えている影響を知ること」

    「どうしてあの人はこうしてくれないだないなのだろう」とつい「相手」に目を向け

    がちなのですが、あなたが相手の影響を受けているように、相手もあなたの影響を

    受けて今の状態が生じています。

    お互いに影響を与え続けるているなら、あなたが相手に与えている影響を考えずに

    この問題を解くことはできないのです。

    人間関係の問題が常に複雑で厄介な問題だと感じられる原因もここにあるとのこと。

    自分自身が相手に与えている影響を把握することが、そもそも困難との筆者の指摘。

    自分自身が相手に与えている影響を把握することのできる人を「自己認識の高い人」と

    いうとのことです。 自己認識は、自分が周囲に与えている影響を周囲の人達から

    教えてもらうことによって高めることが可能です。信頼出来る人に自分がどの

    ような影響を周囲に与える傾向があるかを聞くのがすぐに出来る有効な方法との

    ことです。(謙遜な態度が求められます。)    

           直接不信感をもつ相手でなく、周囲の人から教えて頂くという手法は参考になります。

    こうして手に入れた自分自身の傾向から、関係を修復させたい相手に与えている

    影響について考えてみることができるからですと。

    (かってHESSOの指導者の一人として活躍された故光山徹先生が指導して頂いた

    ディソシエイト(自分とクライアントの関わりを第三者の立場からみる)を想起しました。)

    あなたが相手に与えている影響を知ろうとするプロセスで急に相手の状態を理解できる

    瞬間が訪れることがありますと。これが関係修復のための大きな前進となるのです。

    (とても心地よい励みになります)

           2つ目のポイントは、人間関係の修復は、必ず「双方向」で行われるということです。

     双方向の語源は、「inter-(相互に)+「active(自発的)」です。

    いくらあなたが相手との関係修復後に向けて自発的に働きかけても、相手が関係

    修復にreactive(受動的)であればなかなか解決に向かいませんとのこしと。

    関係修復は、あなたも相手も「この関係はよりよいものにしたい」と「ともに主体的」

    すなわち双方向で行われることで成功するものなのですと。

    筆者の言葉「こんな風に相手に切り出してみてはどうでしょうか?」

    「私たちの関係について話したい」と。

    「私」や「あなた」を主語にするよりもあなたと相手の間に「関係」というテ-マを

     置いて話そうとすることは、お互いが主体的に解決に向かう可能性を高めますと。

     筆者から紹介して頂いた2つのポイントはいずれも少し勇気のいることですが  

     やってみると十分価値があると私も感じます。

      「自己認識が高い」ことや「双方向のコミュニケーションが高い」ことは、そもそも

     優れたパフォ−マンスを発揮するリ−ダ-が共通して備えている要素でもあるからと

     筆者は指摘します。*ウォ-ルディガ-教授の研究では、「50歳で最も幸わせな人間

     関係にいた人が80歳になっても一番健康だった」ことが分かったそうです。

             *その1にも出ている精神科医でハ−バ-ト大学の教授でもあった人です。

     「今のあなたの人間関係は、将来のあなたの幸せと健康状態、そして寿命を決める

     可能性があるのです」と筆者締めくくっています。

     「自分どういう存在なのかというidentity(自己同一性)」は人によってその時期は

     異なります。 この同一性の確立している人はその時期が最も幸福かも知れません。

     その記述の前の「自己認識力」と「双方向のコミュニケーション」については

     筆者の見解に賛同します。逆に『お山の大将気取りで狭い視野でモノ言う傲慢な

     人は反発します。









2018年 1月2日 共生社会を目指した障害者との対話事例

 2018年 1月2日 共生社会を目指した障害者との対話事例

 明けましておめでとう御座います。まずは私の心の琴線に心地よく響いた障害者との

 会話事例を紹介致します。

         P1010082.JPG

         ゆりとアルストルメリアの組合わせです  



 昨年末日進市折戸町の私の家の近くの郵便局の入り口で、外勤から帰ってきたと思える

 青年に出会ったとき、瞬時に「頑張っているね」と私が声を掛けました。

 このようなタイプの人々とはしばしば仕事上お付き合いがありますので、自然に出た言葉

 です。すると、彼は、即座に「私、障害者なのです」、「私も郵政勤めの障害者の方を

 知っています」。かれが勤務時間中なのでそれ以上は話しませんでした。

 通例ですと、障害者が自ら「私は障害者です」と開示するどころか、隠したがるのが普通です。

 実際に、ADHD(注意欠陥多動性障害)の青年が母親から「障害者手帳をもっていることを

 世間の人々に隠せ」とひどく興奮して私に告げたことを鮮明に覚えています。

 こんなことを言われたら、自己の存在感が否定されて傷つきます。

 しかし、今回の「頑張っているね」は、彼の働き、「彼の存在」をそのまま承認し激励

 していることがストレ-トに伝わった故に自己開示をして頂きました。

 この例は、たまたま私が就労支援をしていて、障害者の方も瞬時に私という人物を

 洞察できたかも知れませんが、逆に私自身もこのようにきっぱりと開示されるとこちらも

 気分がよくてさらに励ましたくなります。

 このような信頼関係の中に障害者の自信が生まれ、仕事への意欲を促し「共生社会」への

 前進に繋がるものと信じます。


 11月 27~28日   臨床家にとっての「ほめる」 岡野憲一郎 先生 その1

 

  11月 27~28日 臨床家にとっての「ほめる」岡野憲一郎先生執筆  その1

          医師の適切な質問による信頼関係の回復 こころの科学 196より

     最初に筆者より「ほめる」についてガイダンスがあり、後述の治療事例で治療者と

  患者とのずれをどのようにして軌道修正して信頼関係を回復するのかについて

  コ-チング的手法を用いて患者から治療者が気づいていない視点を指摘してもらい

  それを起点にして信頼関係の回復を目指すことを私なりに直感しました。

  このこともなかなか洞察の鋭い岡野先生の治療現場に関する記事に感動したからです。

  以下に筆者の記述を紹介します。

    ▲ はじめに

 

   「ほめる」とは非常に挑戦的なテ-マである。心理療法の世界では、ある意味でタフ-視

   されているといったもいいだろう。精神分析においては、その究極の目的は患者が

   自己洞察を獲得する事と考える傾向にあり、「ほめる」ことは、それとは対照的とも

   いえるかかわりである。その背後には洞察をうることには苦痛を伴い、、一種の剥奪

   (奪い取られる)の状況に於いて達成されるという前提がある。(何か禅宗に通ずるものを

    想起させられます) 一般に学問としての心理療法には、独特の*ストイシズムが

   存在する。*禁欲的な厳格主義 

   安易な発想や介入は回避されなくてはならない。相手を「ほめる」ことは一種の

   「あまやかし」であり、刹那的で表層敵な介入でしかなく、そこに真に学問的価値は

   ないとみなす傾向すらある。

   しかし、目にみえる結果を追求する世界(スポ−ツ界など)はなかり異なる考え方が

   支配的である。---如何に選手のモチベーションを高めるかが重要視される世界では

   「ほめる」ことはそのための重要な要素の一つとみなされる。

   また、わたしたちがあることを学習したり、訓練を受けている身になったりした場合は

   そこでの努力や成果を教師や指導者からほめられたいと願うことは余りに自然であろう。 

     ▲ 純粋なる「ほめたい願望」

   次に筆者は自己の体験からある行為や作品に感動した際には、その気持ちを行為者や

   作者に伝えたくなるとのこと。ストリ−トミュ-ジシャンの演奏に感動したら

   「素晴らしかったですよ」と言いたくなる。筆者はこの素朴な気持ちを誰しも

   持つ者と想定し、純粋なる「ほめたい願望」と呼ぶことにしたいと。

   その正体は不明だが、おそらくそこには愛他生が関与している可能性があるとのこと。

   愛他性とは、他人の幸福や利益を第一の目的とた行動や考え方である。

   その*プロトタイプ (原型、手本などの意味) は母親の子供に向ける気持ちに見出せようと。

   このブログを書きながら、ここの単元でふと想起したのは、かってコ−チAと繋がりの

   深い団体の研修会でNLPで活躍していたある若手の人が、ただほめるだけでなく、

   クライエントがまだ気づいていないことを「ほめる」と本人にとってエンパワメントに

   なると言ってました。つい最近日進市のあるNPOの顔なじみのある女性スタッフから

   私が社交性のある人と言われて大変驚きました。自分は逆に人からはとっつきの悪い人

   と思われていると平素思っていますで。但し物事の考え方の似ている人とは、結構

   冗談を言いながら話がはずむこともこともありますが。(これは余談ですが)

   もっと大きな気づきは、自分には「愛がない」ことの気づきでないかと日頃痛感して

   います。一般的に言えば信教に関わることでもありますが、そうとも言えないことも

        SCCでコ-チングの訓練をうけていた時、その指導者の一人竹内先生からその告白を

   個人的にお聞きしたことがあります。彼の上司加藤澄江先生との面接で初めて気づいた

   そうで、びっくりしました。これを起点にて謙遜な気持ちで自分や他人を観察すると

   教師、医師、政治家諸氏にとって心の目が開かれると思います。

   筆者が「愛他性」と言ったことをさらに深めることにもなり得ると私は思います。

   

       ▲ 技法ないしは方便としてのほめること

   筆者が言うには、上記の純粋な「ほめたい願望は」はある種の感動より引き起こされる

        としたが、刺激の多い現代社会において私たちが心から感動する機会は少なくなってきた

   可能性がある。

   それでも私たちは、自身がかかわる生徒やクライエントをほめるとをやめないであろうと。

   彼らの自己愛を支え、モチベーションを維持しなくてはならないからだ。

   ここに教育的ないしは治療的配慮から、いわば技法として「ほめる」必要が生じて

   くるとのこと。私の関係した例でいうと、不登校ぎみの生徒が久しぶりで来てくれた

   時など、つい声をかけたくなるし、医療現場でも、受診をしなくなった患者がまた来る

   ようになれば、同様なことがある。

     

       ▲ 治療者が「ほめる」

   筆者は、臨床場面の「ほめる」について以下のように述べています。

   これまでの主張でだいたい議論の行く先は示されているとのこと。そこにもやはり

   純粋な「ほめたい」が本質部分としてなくてはならないと。

   治療者は患者との長い時間を過ごし、そこに親の子に対する同一化に似た現象が

   生じてもおかしくない。しかし、両者の関わりには特殊な要素が加わる。

   それは、治療者がそれにより報酬を得ていることであり、そこに職業的な倫理が付加

   されることである。そのために治療者は職業的な関わり以外ではドライでビジネス

   ライクな態度を要請されるな可能性がある。また、「ほめる」もここに大きく関与して

   くるであろう。患者の達成や成果に対して特に感動を覚えなくても、「治療的」な

   配慮からの「ほめる」も起きるべくして起きるとのこと。

   この臨床場面における「ほめる」について、より詳細な考察を試みたいと。


11月29日 臨床家にとっての「ほめる」岡野憲一郎先生執筆 その2

 

               11月29日 臨床家にとっての「ほめる」 岡野憲一郎先生執筆 その2

         臨床場面の「ほめる」についての詳細な考察と臨床事例

       ▲   「ほめる」ことの現代的な精神分析ついての筆者の考察


   現代的な精神分析において、治療者と患者の現実の関係性に、より重きがおかれるように

   なってきている。そこでは治療者が患者とどのような関わりをもち、それを両者がいかに

   共有するかが重要となるとのこと。そして、もちろん「ほめる」という行為もその対象と

   なるが、そこでは「ほめる」という言葉のもつ、どこか*「上から目線Patronizing」的な

   雰囲気自体も問題とされようと。patronizing=保護する、後援する等の意味

   治療者と患者は本来平等なものだからだ。医師の診断的手法がその典型的例として私も

   その上からの目線をしばしば経験します。 ついで筆者は、私たちが日常的に「ほめる」

   ことは、単回性のやりとりであるが、継続的な治療関係の中での「ほめる」は、それの

   生じた文脈や両者にとっての意味が吟味され、共有されるべきのものである。

   両者に吟味されない「ほめる」は、治療者側のアクティングアウトと呼ばれる可能性

   さえもあろうとのことです。(その意味は治療過程からずれた治療者の言行、とっさに

   出る溜息、つぶやき、的外れな応答などと推測します)

 

         ▲ 治療現場の具体例

  ある患者Bさん(30歳代女性)がここ半年は1週1回のセッションを休みがちになっていた。

  Bさんは遠方に住んでおり、時間をかけて来院するため、治療者はそのことが関係して

  いるのではないかと懸念していた。ところがここ1、2カ月はBさんは毎週来院できる

  ようになっていた。治療者はその成果をうれしく思い・「最近は毎回、よく頑張って

  いらっしゃいますね」と「ほめた」。治療者はBさんもその瞬間はそれなりに

  うれしく感じたのてある。 

         ここまで終わった場合には、ごく普通の「ほめる」という現象が治療関係で生じた

  という例になろう。ところがこの背景には別の事情があったBさんはセッション中

  治療者がいつも黙ったままで、あまり反応してくれないことに不満や寂しさを感じ、

  それをうまく治療者に伝えられないままに、治療動機を失なわれつつあり、そのため

  治療を休みがちになっていたのである。それでもBさんは、ある時点からそのような

  自分を叱咤し、毎回きちんと来ようときめたのだ。

    しかし治療者に十分にその不満を表明することができず、結局治療者のセッション

  中の反応が乏しい状況が続いた。

  治療者の「最近は毎回よく頑張っていらっしゃいますね」という言葉を聞き、

  Bさんは自分が毎回来院することが治療の進展を意味すると治療者が単純に考えて

  いるらしいことに失望の気持ちをもったのだ。    

      この関わりを考えた場合は、治療者の「ほめる」はかなり自分勝手な思い込みに基づいた

  ものとなり、「ほめる」ことの本来の役割を果たしていないことになる。

  それよりは治療者の次のような言葉の方が、より本来の意味で心理療法的ということに

  なるだろうとの筆者の見解です。 

  「あなたが最近毎回来院できていることは喜ばしいと感じますが、あなたはどのように

   体験していますか?」

  これは治療者がBさんの毎回の来院を歓迎している一方で、そのことをBさんはどのように

  考えているのか、Bさんは自分とは異なる体験をしているのでないか、という顧慮を

  もっていることを示している。

  勿論これをきっかけにBさんが治療者への複雑な思いをすぐに語れるという訳けでない

  だろうが、少なくても治療者は毎回来院イコ−ル改善という単純な考えに固執していない

  という姿勢が、この言葉により伝わるだろうとのこと。

  或は治療者は、来院イコ-ル改善と思いたい自分が一方にいても、他方にはそれとは

  全く異なる捉え方をしている可能性のある別の主観(すなわち患者)の存在を認めるという

  意思表示を示していることになる。これに対してBさんが「最近毎回来てほめられると

  複雑な気持ちがするのです---」と自分の正直な気持ちを語り出したら、そこから

  本格的な治療プロセスが始まると言っていいだろうとの筆者の見解です。

      この岡野先生の見解についての私の感じたこと

  この事例についての先生の治療者の盲点に対して、どのような質問をして治療者の

  気づかなかった視点を発見することで治療効果を発揮できる糸口を見つけ出すことが

  可能になることが理解でき、とても参考になりました。

  とは言え、患者の方々にとって、治療者との格差は明白で、NPOで私が知り合った

  年配の障害のある女性は、医師、臨床心理士の面前では、言いたいことの半分も

  言えないと言っていました。症状があるとそうであろうと、自分が心身症の時を想起して

  共感できます。先生は、その1の冒頭に患者との問題の共有とか、愛他性とか述べて

  いますが、その愛他性の背後にある治療者の人間性については、傲慢と思える医師には、

  閉口してしまうの一語に尽きます。逆の先生にもお世話になることもありますが。

  なお、自分が困っている方の相談を受けて一応話しを終えた場合には、何か言い足りない

  ことはありませんかとか、冒頭で何か氣になっているが言えないことでもあり

  ましたら、気兼ねせずお話し下さいといいます。

  こちも時として、感じたことを相手に投げかけて聴くこともあります。

  また描画法を用いて心の中を描いて頂くこともありました。 

   





   

 11月13~14日 対人関係療法を活かした臨床の現場から  水島広子先生執筆 その1

 

   11月13~14日  対人関係療法を活かした臨床の現場から 水島広子先生執筆

          

     臨床現場の「ほめる」について その1            こころの科学 196より

   今回のテ-マに入る前に、対人関係療法の基礎となる次の先生の記事を理解して置くと

   テ-マの内容の理解に若干役立つと思い、掲載します。

   ▲対人関係とストレス

   対人関係はストレスの一番のもととも言えます。この関係の例としては、家族関係や

   職場での人間関係、学校などの人間関係など。それらがうまく、いかないと「うつ」

   など心の病気になります。

   何故対人関係が心の健康に大きな影響を与えるかについては、先生は、「最も重要な

   キ-ワ−ドは「自尊心でないかと考えています」と。

   この自尊心が低いと「自分なんか生まれてこなければよかった」とか 

   自分なんか生きていくに値しない人間なのだ」というふうに思ってしまうとのこと。

        こういう人々は心の病気になりやすく、ある人は自殺したり、薬物、売春などに手を

   出したり、 事件に巻き込まれやすいとのことです。


                         

   では、どうすれば自尊心を健全に育てられるでしょうかとの先生の問いかけ。

    自尊心の うまく育つポイント(ないしはそれを回復するポイント)は色々あって、例えば

   「自己の存在を他人に認めてもらう」とか「自己の努力を他人に評価してもらう」

   ことなど。 

   このような自己の存在感、自己の存在価値を承認するのはこのIPT(対人関係療法)でよく

   出てくるのがあなたにとって「重要な他者」なのです。

   ▲ 重要な他者と本人との関係

   重要な他者としては、配偶者、恋人、親、兄弟姉妹、親友等がまず該当し、その周りでは

   友人、親戚、さらには職場の同僚が該当します。

   思春期以後になりますと、特にメンタル障害者ですと重要な他者は親など身内でなく、

   NPO、その他の集会で親しくなった親友がそれに当たると思います。

   治療者の精神科医、臨床心理士、カウンセラ-は、障害者との信頼関係次第では、重要な

   他者になっていることもありますが、それはまれであり、重要な他者を補完する役割を

   果たしている例もあると私は思います。中には、リストカットのことを言うと

   不快な顔をして、出ていけ」と言われる例もあるのことです。

           ▲ IPTの戦略と技法 (来談者の心理教育)

        水島先生は「IPTは技法でなく、戦略重視の治療である」と述べています。

   つまり、その時々の対話の内容に応じた傾聴スキルのようなものでなく、治療者の

   見立てた治療目標の成果を意図した対話の一貫したプロセスのことと直感しました。

   例えば、「患者の役割」について、IPTは、「病気は単なる状態でなく、病気をもって

   暮らすことが一つの社会的役割になるという考えである」と述べています。 

   それは、ただ頑張りなさいというのでなく、将来の回復に向かって、日々の時間を

   自分の責任において治療のために有効に活かしていくことを意味していると

   感じます。ですからある意味では、患者が治療の主体になり得ると思います。

   かって名古屋市北区の就労支援でわたしが働いていたとき、しばしば抑うつ症状に

   なるアスベルガ-の青年が「何にもしたくない時がある」と言いました。

   それに対して私は「多少なりとも、体が動かせたらどうする?」との質問に対して

   「ジムで体をほぐしたり、近くで軽いランニングする」とのこと。

   そうすると気分がほぐれるといっていました。CBTでいう選択的適応なのです。

   そのようにして気分転換できれば、自分の勉強、日記を書くこともできまとです。

   このような意識や行動の変化は、患者の周囲の人々に「患者の役割」を明確に

   するこ対人関係でも好ましい影響を与え、良い評価、励ましなど受ければ

   気分も改善されます。

   次の筆者の言葉にも注目しました。

   「仕事がうまくできない」という患者に対して筆者がよく「ほめる」のは

   「病気であるだけで、フルタイムの仕事です。」

    この言葉の意味は、「病気でありながらよく頑張っています」の筆者のタイムリ-な

    患者の心の琴線に響くエンパワ-メントと感じます。 

      (あなたは、病気なのだから力が十分発揮できない。ちっとも卑下しなくても

     いいのよ。)そんな感じがします。


11月16~17 日 対人関係療法を活かした臨床の現場から 水島広子先生執筆  その2

 

        11月16~17 日 対人関係療法を活かした臨床のから 水島広子先生執筆 その2

          臨床の現場の「ほめる」について

       

                               G!P1010066.jpg       

                                時節はずれのグラジオラスです

       その1の終わりの箇所の「筆者の「病気だけでフルタイムです」の言葉の背景には、

   有名なパスカルの「パンセ」の"人間は考える葦である"で引用しているもとは、旧約聖書

   イザヤ書にある「私の愛するしもべ、痛んだ葦を折ることもなく、灯心をけすこともない」

   その箇所を私は想起しました。(ここのしもべとは、キリストのことを指しています)

         心が折れ、消えかかるロ-ソクの炎のような障害者の希望の喪失に対する思いやりのある

   言葉です。そしてその2の冒頭に出ている「ノ-マライズ」は、北欧で生まれた福祉でよく

   使われる「ノ−マライゼ-ション」と関わっています。

   「自分はこんなこができない。」に対して「誰でも長所、短所をもっている。でも

    ある程度努力すればあなたもやれるよ。」ノ-マライズとはこのような自責の念から

    氣を楽にすることを意味します。

    「ノ−マライゼ-ション」とは元来北欧から生まれた精神遅滞者の処遇について

    主張された考え方で、障害者を特別視したり、特別扱いするのでなく、平等に

    扱う考え方です。 

  

    ▲ IPT治療者の姿勢 

    筆者がいうには、IPT全体が「ノ−マライズ」の治療法であるといえる

    「こんなふうに考えるのは、おかしいのではないか」と自虐的になっている

    (自分を責める)患者に対して「それは人間として当然の反応」(あなたのみが特別

    でなく、そんなことも考える人だっている。) 「病気なのだから、こういう症状が

    出るのは当然ということを伝え、身近な他者の力も借りて」(自分の考えの理解者)

          患者の自己肯定感を高めていく。このことが、患者の罪悪感(ないしは自責の気持ち)

          を減らし、治療的信頼関係を強め、患者にこのやり方に従えば治るのではないか」と

    いう希望を感じさせる」と。要するに本人の心に生じ易い負の感情の浄化(ガス抜き)

           ことににより治療効果を高めることになります。

    もう一つ、IPT治療者の特徴は、患者にとって「チァ-リ-ダ-」になるということ。

    これはその1のアスベルガ-の青年の抑うつ対策と例示したことと関連します。

    慢性の抑うつ症状によって自己肯定感がさがり、対人関係に一歩踏み出す勇気を

    出せない患者に対して「この自信のなさは気分変調の抑うつ状態であり

    あなたの暗い性格などでない。症状を改善していくためには、少しずつ、自分の

    希望を少しずつ相手に伝え、理解してもらえるという体験を繰り返していくことが必要」

    というこを説明し、共に作戦を練り、ロ-ルプレイをし、実際にやってみて

    「人は案外理解してくれる」という成功体験を繰りかえさせていく。

     (手法がCBTに似ています。伊藤絵美先生のCBTの講座にも治療者とクライアント

    で作戦チ-ムをつくることが出ていた記憶があります)

           この手法で少しずつ成功体験を治療者と共有する

    ことが自信とモチベ-ションアップにつながります)

           このような手法は「やればできるという希望を失わない」チァリ-ダ-の役割を

    治療者に与えるということです。

     ▲  筆者の考える「ほめる」ということの真髄

    このことについて筆者は、以下のように述べています。

    多くの人が相手をほめている。患者の中にも、ほめられてきた人は少なくない。 

    (中には、どれほどの成果を上げても満足してもらえなかった、という人も多い)

                患者がほめられてきているのは、「成果」なのである。努力してやっと出せた

    結果(良い成績など)については、ほめてもらえる。でも、これこそは、

    「条件付きの肯定」あり、精神的、安定的で健康につながる「無条件の肯定」とは

    似て非なるものである。  

    多くの患者が「確かに成績はほめられました。でもそれは成績が悪くなったら

    見捨てられる、という意味に感じられました」 「成績をどれだけほめてもらっても

    そこの部分を(その部分のみを)ほめられているとしか思えませんでした」という。

    (例えば私の結果をだすに至る苦労などもわかって下さいというような気持ち)

    実は、このような「条件付きの評価」は、患者に不安しかもたらさないことが

    多い。その点を重要な他者が理解しないと、なかなか治療が順調に進んでいかない。

    治療者としては、「成果をほめられるのはきついですよね」と患者の気持ちを

    理解しつつ、成果がどうであれ、患者が頑張ったことは事実である、というところに

    注意を向けさせる。重要な他者の理解も求める。

    IPTでは、「頑張った患者」(結果がどうであれ、結果は相手の事情も反映するので)

            をほめるのも、重要な仕事である。

    ◎ 私の感想 筆者は、成果のみにとらわれず、本人の頑張りを強調していますが

     本人の努力の過程についても洞察することが良き治療のためには不可欠と

     痛感しました。メンタルにハンディのある人々は、なかなかこころの中を

     治療者に言えない人が多いです。ましてや良い成果が出せなかったら

     さらに口が重くなります。特にそのような人についてのメンタルケアの

     配慮が求められます。状況に応じて反省文をかいて頂くことも必要です。

     失敗は失敗で、治療者は本人、重要な他者とのの面接を通してつぎのステップに

     活かせる配慮がとても大切と思います。

     

10月24~25 日 山尾志桜里議員への抗議の電話について

 

  10月24~25日 山尾志桜里議員への抗議の電話について

  

  山尾氏は、私の居住する愛知7区で出馬している議員で、将来の活躍を期待して

  いましたが、例の文春のスク-プした記事のため、離党に追い込まれ、民進党が

  崩れるきっかけになりました。確かに不倫問題は、個人のプライバシーの問題とは

  言え、政治家としてたとえ国会質問など凛々しく活躍していても

  週刊誌のネタにされるようでは、こんなことでは、政治家として失格と思われた方も

  みえます。中には、民法に抵触するような記事もネットに出ています。

    しかし、文春の記者の露骨なあら探しがまるで警察が犯人らしき者を尾行していた

  感じがして不快な印象を受けました。さらに今日ヤフ-記事には、山尾氏の事務所に

  文春のしつこい記者がきて、質問しがてら彼女の結婚指輪の有無を確認したとのこと。

  社会常識からみて礼を失するあつかましい行為と痛感しました。

  とは言え、山尾氏の心の隙間から発生した問題なら、選んでくれた選挙民の方々

  本人に期待をしている方々のためにキチンと襟を正して再出発して頂きたいと

  つよく願望します。かっての社民党の土井たか子氏のように何か悪いところ

  あれば叱って下さい、こんな謙遜な気持ちを忘れずに。

    今日日進市の隣の東郷町の山尾氏から直接支持を依頼されたことのある店主から

  本人についての政界に入ってからの色んなエピソードを聞きました。元々東京の人で

  小沢一郎氏にスカウトされて政界入りした有能な人なのですが、今回の上記のことは

  「身から出た錆」と言えそうです。ただ聞いただけの話ですが、他党筋からのあら

   探しでなくて、同じ党内の仲間が彼女の有能ぶりを妬んで、この筋の知り得た

   情報を外部に流したのではと店主は言っていました。

   この話の信憑はわかりませんが、、こういうような汚いリスクに対してもガ-ドを

   固めなければならい政治の道のきびしさに驚きました。こんな子供じみたことは、与野党共

   あり得るかも知れません。投票に際して白票を出す人がかなりいるのは、政治屋に 対して

   不信感の表明でしょう。見栄えの良いパフォ−マンスで言葉巧な弁舌で有権者の歓心を引き

   つける候補者によく遭遇します。しかし、過重労働に喘ぐ現場の実態、生活困窮者の実態

   高齢者福祉施設の実態、障害者の就労支援の現場、いじめ自殺など問題を抱える公教育

   の現場の状況把握せずしては、有効な施策を打ち出すことは困難です。現場で苦闘している

   心の痛みを聞くことが政策に関わる第一歩と痛感しています。

   政治家の資質について見かけで、有権者は良し悪しを分別するのでなく 、地域フォ-ラム

   などで問題になることを話し合うこも不可欠と思います。

   政治家のキャリヤ形成も時には失敗しながら、新しい経験から気づきが生まれ、学習しつつ

   らせん状の階段を上っていくものと思います。

    それから安部首相に対しては、勝利に有頂天にならず、森友事件、加計事件を

  きちんと解決してから憲法問題などじっくり国民の声にも傾聴する謙遜さを

  忘れないよう要望します。

  国有財産を格安の値段で買い取ったことから発したことから森友事件。

  これ一つとっても、山尾氏の事件とは比較にならないほど大事件の隠ぺいは

  とても由々しき問題です。「李下に冠を正さず」、私は大学受験の時に中国の古典の

  有名なこの言葉を知りました。この意味は、「すももの畑で冠をかぶり直そうとして

  手を上げると実を盗もうとしいると疑われる」という意味です。

  安部さんご自身が国会で述べています。この言葉も単なる思いつきの実効性の欠如した

  言葉かと思うと、まさに」孔子の「巧言令色少なし仁」の言葉に該当すると思います。

  すべての政治家諸氏にも、そういう私自身も該当しそうです。

10月20~21日 護国神社の初穂料集めの問題 (信教の自由に抵触する憲法判例あり)

 

  10月20~21日        護国神社の初穂料集めの問題(信教の自由にじの抵触する憲法違反の判例あり)


 護国神社は靖国神社の分身として全国にあり、創立は1915年、大正時代の1914年第一次世界

 大戦が始まり、日本は戦場の欧州とは関係がなくても、日英同盟を口実に参戦し、連合国の商船の

 護衛で地中海に海軍を少し派遣していました。欧州より利害関係があるのは、中国でした。

 当時の中国は、形は近代国家でも、軍閥が各地で勢力争いをしていたのに乗じて列強が侵略し、

 日本も日露戦争後はその仲間入りをして、南満州の関東州の利権を得ていました。

 ですから、大戦のどさくさに乗じて、ドイツの勢力圏にあった青島(チンタオ)を攻略し

 時の中国政府の袁世凱に対華21カ条の要求を突きつけたのです。まさに帝国主義の侵略です

 また、南洋のドイツ領の島々も支配し、戦後戦勝国としてその島々を委任統治することを

 認められました。この大戦で戦死した方々も英霊として護国神社に祀られたのです。

 勿論ご遺族の方々がこの神社に参拝して捧げものをするのは、自由ですが、公的機関がそのような

 ことに関わるのは由々しき問題と思います。

 次のドイツの元大統領のワイゼッカ−氏の名言「過去に目を閉ざす者は、現在も盲目となる」

 この護国神社の初穂料のことも該当すると思います。私の父は、2度も中国の戦場に引っ張られ

 幸い復員できました。11歳上の兄は、もう一週間戦争が続いていたら特殊潜航艇に乗せられて

 いたと母から聞きました。私の中学生のときには、クラスで20名ほどしか進学出来ない状態で

 戦争の傷跡が明白でした。ですから平和ぼけどころか、平和を侵害する者に対してはいつも強い

 関心を持っています。つい、最近米国で、夫をニジェールに兵士として派遣され戦死した婦人が

 トランプ大統領に何故夫は戦死したのか等の質問状を出したのに、つれない返事で「派遣されれば、

 戦死はあり得るのに---」と冷たい返事で怒っている記事がありました。

 米国でも、日本でも、大事なことに対しては、為政者は説明責任をきちんと果たして頂きたいと

 思います。隠し立てしてゴマカス政治家を容認する国の民主政治は崩壊することを懸念します。

 森有事件、加計事件、テロ防止と言いながら、真の立法化した目的を伏せていて、これも

 勝手の治安維持法のように、言論思想の統制、弾圧に悪用される懸念する専門家、野党議員

 から指摘されています。安部さんは、某新聞社の政府批判の報道に対して"言論テロ"と

 断言した際にも、こういう点は、XXXXのことからして言論テロと思えるなど説明責任が

 問われます。私のコ−チAからの配信内容の部下の昇進理由でのaccountabilityがまさに

 この説明責任です。10月7~9日のメンタルヘルスのブログに出ています。

9月9日  やりたいことを実現するために本当に必要な2つのこと

 

   9月9日  やりたいことを実現するために本当に必要な2つのこと

         稲川由太郎先生執筆 コ-チA より配信メ-ルマガジン

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   かって私がコ−チングのトレ-ニングを受けていた時、目標達成の際よく耳にしたのが

   「DOING」(何をしたいか)と「BEING」 (どうありたいか)でした。

   コ-チからそのような質問をタイミングよくされると心のもやもやした状況から、ふと

   出てくるものがあると、それが実現すると「どんな良いこと」がありますかと

   質問されて次第に気分がアップしてモチベーションが高まって目標へと近づいていく

   体験をしました。しかし、今回私が気づいたことは、稲川先生がご指摘されように

   人は、そんな単純に一直線に目標達成に進むのではなく、その達成前途に色々な障害が

   待ち受けていることをしっかり念頭にいれないと挫折することがあることを想起

   しました。先生の娘さんのダイエットのお話が良い例です。

   ですから、目標に向かって「らせん状の歩みをする」ということと思います。

         時として、後退しながも、また気力を回復して前進するなど紆余曲折の歩みもあり得る

   ということなのです。

   執筆者は、この目標に向かっての歩みについて、「夢や理想を具体的に描くプロセスこそ

   それを実現する近道と信じる人は少なくない」と言います。

   しかし、バレイの発表会を一カ月後に控えた先生の娘さんが「2キロの減量」を断言した

   そうで、本番で着る衣装に合わせて「絶対にやせる」との発言が崩れたのでした。

   宣言して数週間、実際彼女は、食物の節制や運動したりしても、一向に痩せる気配が

   なかったそうでした。こんなに頑張っているのに、何故かと疑問に思ったそうです。

   その理由は、夜お腹がすいて密かに冷蔵庫内の残り物に手を出していたとのこと。

   減量の成否を分けたものは何か、

   私たちは、各々成功したい姿や、達成したい目標があります。

   ビジネス界では、「マネジャ-になりたい」 「新規顧客を開拓したい」

   「売り上げ目標を達成したい」など自分が描く理想の姿は、案外人に言いやすい。

   その一方で、成功や目標の「障害になりそうなことについては、多くの人は目をつぶって

   しまいがちになる」と筆者は指摘します。 なぜなら、わたしたちは、その障害を

   「見たくない」、「気づきたくない」からとのことです。

    実に核心をついた言葉と感じます。  

 

        ▲  外国の例  「やりたいことを実現するために本当に必要なこと」

   筆者によると、心理学者ガブリエル・エッティンゲンは、人のモチベーションについて

   20年以上にわたって追求し、多くの実験や研究のデ-タを明らかにしているとのこと。

   例 減量プログラムに挑戦中の女性の中、その半分は、スリムになって外出する姿など

   成功後のポジティブな姿だけを想像してダイエットに挑戦してもらう。

   一方で、残り半分の人達には、ド-ナツの誘惑と必死で戦う姿など起こり得る障害も

   想像しながら挑戦してもらうという実験だった。

   すると1年後、障害を想像した女性のグル-プが平均して11キロも多く減量に成功

   したとのこと。人は目標達成を夢見るとき、これを阻害する「障害」には、中々考えが

   及ばないもの。でも実は、この障害を意識してこそ目標達成をしやすくなると、

   ガブリエルは、多くの実験結果から結論づけているとのことです。

   ◎ 私がこの記事を通読していて感じたこと

    かって職場のメンタルヘルスで「適度な労働者へのストレスは、それのない、単純作業

    に近い仕事よりも、job rotationで若干の負荷をかけることでモチベーションは

    向上する。(複数の仕事をやらせることで刺激してモチベ-ションを上げる)ことに

    何か共通するものを感じました。

           ダイエットの場合、只食物を減らすだけでなく、ネットで各食物のカロリ-を調べて効率よく

    減量することへのチャレンジが可能です。そこに創意、工夫をする必要性が生じます。

    現場のjob rotationも、別の仕事の対処の仕方の要領を工夫する必要も生じます。 


9月10日 やりたいことを実現するために本当に必要な2つのこと その2

        9月10日     やりたいことを実現するために本当に必要な2つのこと その2

                                                      稲川由太郎先生執筆

   その1で例示しました心理学者ガブリエル・エッティンゲンは、ダイエットに於いて

   理想の未来の実現に近づくのに何が必要なのか? 

   それについて彼は、「人を立ち上がらせ、前進させる最善の方法は、ポジティブに夢を

   見た後すぐに夢へと続く道に立ちはだかる現実との対決させることだ」と述べているとの

   ことです。    それについて稲川先生の見解は以下の通りです。

   周囲に宣言している夢や理想を実現するときに、自分一人で起こり得る困難や障害に

   向き合うことは難しいもの。そこで先生は、上司と部下との日頃の対話の中で

   「何をやりたいのか」「将来はどうなりたいか」など成功したい姿や達成したい目標を

   具体的に聞くだけでなく、「実現する上での障害」についても一緒に考えてみては

   どうでしょうかと提言されています。

         その提言に関して先生から以下の質問があります。

   @ やりたいことを実現するために我慢していることはなんですか

   A うまくいくために環境を変えなければいけないことがあるとすれば何でしょうか

   B 障害があるとしたら、どんなことが想定できますか

   以上の3点について、一寸自分自身の気にかかる課題について、考えてみたところ

   頭に浮かんだことが何とか克服の見通しがたつような気がしますと、モチベーションが

   上がるような気分になりました。例え思いつきの方策が思いどおりにかなくても

   「つぎの策でいけばいいじゃん」そんな気分になりました。ましてや、信頼できる

   人が問題を一緒になって考え共有して頂けるなら更なる前進も期待できる気になりました。

   稲川先生の提言は色々と活かせると思います。私のようなどちらかというと、臆病で

   警戒心の強い性格の者にっては、信頼できる人にポンと肩を叩かれるような感じで

   言われると動き出す感じすらしました。

   ◎ 最後の先生の励ましの言葉、胆に銘じます

   人がモチベーションを維持しながらやりたいことを実現するには、「夢や理想を具体的に

   思い描く」と共に、そこに立ちはだかる障害をはっきりさせ、いま目の前にあることを

   コツコツこなしていく。

   ここの二つのことが大事なのですと断言されています。

   夢や理想を具体的に思い描くのを描画法で描くこによるビジュアル化、とか

   障害についても、今目の前にあることをコツコツとどう対処し何が自分の課題なのかも

   認知行動療法を使用して日記を書きながらカウンセリングを受けると未来に向けて

   道が開けると痛感しました。









 8月27~ 28 日 星野源 新曲 Family Song

 

           8月27~28 日 星野源  新曲 Family Song

   

      私がTVで初めて源さんを見たのは、一昨年の紅白歌合戦の少し前のインタビューを

   受けていた時でした。その時一番印象に残った彼の言葉は、「自分は弱いようで強い」

   この一言でした。その言葉の背景となったのは、くも膜下出血で入院して生死の間を

   さまよう大変な苦しみを綴った二回にわたるその手術の体験でした。

   「よみがえる変態」を読んでいてそのことが克明に理解できました。 

   二回目の手術の時主治医の先生が「あなたは、助かります」の言葉を信じ切って

   「たとえ手術が失敗して殺されてもいい」と覚悟したとの記述が源さんらしさが

   よく描かれています。

   それともう一つのこの苦難を克服する際の背後には家族愛が大きな支えになって

   いました。このような体験を土台にして「Family Song」が生まれました。

   この歌の歌詞で特に印象に残ったのは、「幸わせが一日でも多く、(あなたの)側に

   ありますように」、「悲しみは(尽きない)次のあなたへの架け橋になりますように」

   以上の箇所です。この新曲の軸になるのは、家族愛ですが、その愛があってこそ

   どんなに悲しくつらくても、それが次の新しいあなたに成長に向かうかけ橋になる

   ことを願う気持ちが込められています。

   くも膜下出血の手術の場合も、ここでいう悲しみの克服にしても、単なる精神主義

   でなく、何か他者で代用できない 自分に脱皮する成長のことを源さんは意識している

   のではと私は感じました。(実存主義の生き方に通じます)

   精神分析の権威米国のE・Dエリクソンは、成熟した大人とは、自分の長所、短所を

   オ-プンにできる人と説いています。そのようなことのできる信頼できる友人、

   カウンセラ-がいると人間してせいちょうの道が開けます。


   すでにブログでこのくも膜下出血の労働者のことは

   述べました。53歳の一家の主人が植物人間になれば、その家は、すべてを失うと

   言っても過言ではありません。

   しかし、企業側はいくらでも補充できますので、

   痛みは感じなく、この人が故郷へ護送させるとき、会社は何とたった1万円の餞別を

   で済ませたという冷ややかな扱いでした。

   これに対して、ホットな話があります。ある大企業の若い男性社員が自殺未遂事件を

   起こし、会社のベテラン保健師が父親を病院に案内して本人と面会しました。

   父親は怒った態度でしたが、この保健師がその社員に向かって「あなたは、もう一人で

   悩まなくてもいいのよ」と告げた途端本人は泣き出したそうで、それをみてた父親の

   態度は一変してほぐれたそうです。(この話は心理相談員の研修でこの保健師から

   聴いて大変感銘を受けました)

          悲しくどうにもならない時でも「次のあなたにつながる架け橋」が色んな機会

   色んな人々を介して解決への道へとつながることもあるということを想起させて

   源さんの力作の歌です。いろいろと対人関係でつまづき、欠点の多い人であっても

   自己がステップアップできるチャンスがあることを心に留めて下さい。

  

 



   

   


 7月20〜21日 障害者の方々の気持ちに沿う「合理的配慮」についての私見 その1

  7月20〜21日 障害者の方々の気持ちに沿う「合理的配慮」についての私見 その1

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      ゆりとグラジオラス、アルストルメリアの組み合わせ

    私は、現在日進市の障害者の自立支援協議会の委員として参加し、また専門部会では

    障害者の権利擁護部会にも参加させて頂いています。

    しかしながら、私が一番問題視していることは、肝心の障害者自身の意向を活かした

    「障害者の自立支援」という大前提が抜け落ちている感じがして歯がゆさを痛感

    します。例えば、隣接するみよし市の特別支援学校を訪問して現場の教師のお話を

    伺ったり、障害者の父兄同士の会合を持ったりして相互の親睦と啓発をはかること

    また、権利擁護の専門家を講師にした日進市内のセミナ−で障害者の父兄、一般市民

    障害者の雇用に関わる事業所の関係者等を招いて啓発等をするのも有益な方法なの

    ですが、思春期以後の障害者に対しては、上からの目線で啓発したり、障害者に対して

    ああせよ、こうせよと注文してみても、肝心の彼らの日頃抱いている気持ちや思いとの

    対話なくしては、彼らの抱えている問題の根本的な問題の解決の糸口は把握できないと

    思います。今後市内で障害者の支援を目指すセミナ−を開催する可能性あらば

    彼らの意向もくみ取ったものを目指していくべきと私は昨年以降強く切望しています。

    その2では、「障害者への合理的配慮」の原点である障害者への差別解消の

    国連の条約で提唱されているreasonable accomodationについて

    資料をもとに述べさせて頂きます。


7月23~25 日 障害者の方々の気持ちに沿う「合理的配慮」 について その2

  7月23~25  日 「合理的配慮」の原点について


     合理的配慮の原点は、2006年2月国連総会本会議で採択された「障害者の権利に関する条約

  (略称 障害者権利条約)であると思います。この条約については、「教育と医学」2015年

  4月号の奈良教育大教授 玉村公二彦先生の執筆された「国連・障害者権利条約における

  合理的配慮規定より抜粋要約致します。

  2006年12月、第61回国連総会において今世紀初めての人権条約となる「障害のある人の

  権利に関する条約」(障害者権利条約)が採択され、2008年5月に国際的に発効しました。

  しかし、日本政府は、関係する国内法の整備が遅れていたため、障害者基本法の改正、

  障害者差別解消法の制定などを行い、やっと2014年1月141番目にこの権利条約を

  批准しました。この権利条約の内容上の原理であり、特徴となったのが「無差別」の原理

  「平等及び無差別」条項です。この条項では、「合理的配慮の提供」、「特別の措置」をとる

   ことを想定としているとのことです。

           <障害者の権利条約を参考にして定めた合理的配慮>

      条約には「合理的配慮」の訳に当てはまる原文はなく、この日本のキイワ−ドに対応するのは

  Reasonable  Accomodationです。この二つの用語の解説につきましては、資料として

  ディスレクシア入門(加藤醇子著 日本評論社)より引用します。

  本来加藤先生は学習障害(LD)について述べて見えますが、この用語の由来とその特色について

  詳細に述べられていて参考になります。

  「合理的配慮」とは、1973年の米国のリハビリテーション法の中で初めて登場し、その後  

  1990年に制定された障害をもつアメリカ人法の「雇用上の差別の禁止」を定めた第1篇の中で

  位置づけられた概念です。

  その中で「合理的配慮」とは「障害者がその障害故に職務遂行上抱える様々な障壁を解消する

  ための措置」指し、その措置を行う雇用者にとって「過度の負担のないもの」とされたとの

  ことです。これは、「障害のある人がその障害の故に差別されず、公平に能力を評価され、

  他者と同じくアメリカでの生活を営むことができる機会を保証するものです。

  具体的に例示しますと、視覚障害や学習障害等の人は、PCの読み上げソフトを使うことで

  資料を音読化できたり、肢体不自由の人は、エレベーターが設置されたり、車椅子が通れる

  ような広さがが廊下、室内などで確保されることなどの便宜を与えることなどです。----

 

    このように、その人がもっている障害特性が、その仕事の本質的な要素を制限しないよう

  条件を整備することを「合理的配慮」とし、それが障害のある人の勤労権を守り、実質的な

  機会均等などにつながると考えたわけです。この「合理的配慮」の概念は英国の障害者

  差別禁止法にも入り入れられ、後にEU全体に拡大しました。

  そして2006年国連総会本会議で採択された障害者権利条約第2条に引き継がれ、

  労働場面のみならず教育など他の分野でも「合理的配慮」を提供しないと

  差別になるとはっきり打ち出されたのです

      同条第2条では「「合理的配慮」は「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び

  基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な調整であって

  特定の場合において必要とされるものであり、かつ均衡を失した又は過度の負担をかさない

  ものをいう」と定義されていて、1990年のアメリカ人法よりもさらに踏み込んだ

  内容になっているのがその特徴と筆者は指摘しています。後述で触れていますが

  障害観がこの間2006年で大きく変わったためと筆者は指摘しています。

     (私はその36年間における障害者の権利擁護の意識の高揚に注目します)

    筆者は、筆者はこの点に関して「合理的配慮」の概念を理解する上での重要ポイントを以下の

  ように指摘しています。

  ◎「合理的配慮」は字面のように「理に適った心配り」を示すわけでないということ

  現行の日本の障害者の差別解消に関する法律の内容をみていてそんな心境になります。

  ここで「合理的配慮」の原点に言及しています。

  そもそも障害をもつアメリカ人法や障害者権利条約に書かれている「合理的配慮」に当たる

  原語はReasonable   Accomodationと指摘しています。

      accomodationには以下のような意味があります。

  (1)宿泊、(航空機等の)座席。(くつろげる居場所言っていいのではと思います)

     (2)便宜、助け(最近の国内では、エレベータ。ー、乗物 の際の段差への対処、障害者への

  説明時に図式、絵を書いて理解しやすくする等)      

  (3) 適応、調和、調節  (4)和解   (3)と(4)は障害者との意思の疎通(かよいあう)

    以上のことは、今の国内でよく強調されている配慮とはことなります。

  それですと「思いやり」、「気遣い」、「心配り」という心情的意味になりますが、

  障害者権利条約の「合理的配慮」は条文内にあるように「必要かつ適当な変更及び調整」の

  ことであって「理に適った気配りや気遣い」のことでないと筆者は念を押しています。

  ここでいう「必要かつ適当な変更及び調整」とは、官公庁、企業、学校等で上からの目線で

  軌道修正の条件整備でなく、障害者との対話しながら彼らの意向を尊重しつつ改善して

  いく姿勢、施策を私は感じます。

  障害者の自立支援においても、彼らの意向を傾聴しつつ自立を支援することが、

  支援する側、支援される障害者双方の成長にとって不可欠と痛感しています。