2019年 5月11日 クリエィティブな料理 その1 パスタ料理

  2019年5月11日 クリエィティブな料理 その1 パスタ料理

  

   年度変わりの頃、ある知人の女性が定年退職後も就労したいと言っていて

   図書館秘書を辞めてクリエィティブな仕事がしたいけれど、職安関係の職員から

   本人の希望する仕事はないと冷淡に言われてしょげていましたが、その後幸い何とか

   就職できて、慣れない接客の仕事で、客の抱えている問題に対して

         将来どう対処すべすべきかアドバイスすると、そのことに感謝してくれてうれしかった

   とのこと。傾聴し本人の進むべき道の指針になった

   と感じました。客と喜びを共有し合える体験のようでした。

   私は仕事についてのcreativeと聞くと、つい商品開発、とか業務上の改善提案等を

   想像しますが、人によって、本人の潜在的な適性な発揮できて満足できるなら

   色々とありそうな気がしてきました。

   このことがあってから、自分にも身近なことでやりがいがありそなこともあるのではと

   考えていたとき、確かこころの科学(日本評論社)の食事をともにすることでの

   コミュニケーションの効果の記事がヒントになり、すでに人々に紹介しているゴウヤ料理

   にピッタリのバスタ料理のことを想起しました。パスタ料理はカルボナーラなどよく

   食べていましたが、この料理も自分もできるかも 知れないと思いました。

   昨年末頃、名古屋駅近くの低空飛行の集会でゴウヤ料理を皆さんと試食して関心を

   もっていただきました。会食が万能とは思っていませんが、少し工夫をこらした

   パスタ料理が加わるともっとその場の雰囲気にプラスになると感じています。

           上記のcreativeの例ですが、落合務シェフのような有名な方の手順通りに

   作ってみて、ただ「おいしい」では、人まねに過ぎません。パスタ麺をフライパンに

   移してかき混ぜて終わりでなく、その直後、トマトとアボカドを

   セットにして加えると味が引き立つことなどを知るとモチベーションアップとなり

   さらに若干量のレタス、キャベツにハムを加えてみても、麺に浸透している  

   パスタソ−スの効果が発揮されていることを味わうことで満足度が高まります。

 

5月14日 クリエィティブな料理 その2 ゴウヤ料理

   5月14日 クリエィティブな料理 その2 ゴウヤ料理

 表題とは実態は素人がやる以上、生け花の鈍臭さと似たり寄ったりと自分ではそう思いますが 

 意外と苦味を感じなくておいしいと言って言って下さる女性の方もみえます。

 しかし、はじめて挑戦して下さる方の場合、これから述べます、調理方法を書いてお渡ししても

 中々満足される味にならないのが簡単のようで難しいのが現状です。

 私自身は、この料理をそばで見ていてアドバイスしながら何とか完成して喜んで頂ける

 障害者の人々を念頭おいています。ですから一般の人々に自分の腕前を見せびらかす

 つもりはありません。彼等障害者の人々が家族の前で披露することならよろしいと思って

 います。最近時々耳にしますオ-プンダイアログ、北欧のフィンランドに始まり日本にも

 普及し始めたこの手法をよく学び、障害者の方々と食事を共にしながら対話していくと

 どんな効果が出て来るのか見守りたいという夢も持っています。

 この対話療法「開かれた対話」は、本来精神病からの回復を目指し、その最初の例が

 統合失調症者に効果があって注目されました。しかし、私は障害者の集会のみに限定せず

 まずは、家庭や、仲間同士などから会食するのもよろしいかと思います。 

 女性が新しい観点、視点からつくり家族になんらかのインパクトを与えれば、感性の異なる

 者が作った場合、会食事の会話がどうなるか興味をそそられると思いますが。

 まさに塩味の効いた会話が期待できるかも知れません。

   ところでこの種の料理に関心を私がもったきっかけは、たまたまみたテレビの料理

 でしたが、こちらはフライパンで炒めるもので、ゴウヤの苦味のあくを抜く方法は出ません。

 それに対して私の目したのは、漬物に似た手法です。最初の壁は、あの「あく」抜き

 でした。これで失敗を重ねましたが、ある友人の親しい母親が沸騰による方法を教えて

 頂き、ゴウヤ切り刻んで塩もみしてザルであらってから鍋に移し大匙一杯分(やまもり

 よりすくな目)にいれます。このさじ加減は普通のごうや一本分に対してです。

 このゴウヤを煮ていって沸騰し始めて3~4分して火を切りザルにいれて洗い流して

 冷やします。この後市販の2リットル程度のプラスチックの容器に醤油とミリンと米酢

 を注入します。この時に使用するビ-カ-型のメジャー(直径7p、高さ6p)を使用して

 醤油とミリンはメジャーの1/4プラスその高さの半分1/8追加します。(私のメド)

   米酢は、メジャーの1/4程度です。その混合液に蜂蜜大匙1杯半としょうがをすって粉に

 したものを大匙1杯分を加え、さらに私はバジルと少量の唐辛子をふりかけます。

 混合液に加える生姜(しょうが)、蜂蜜、バジルは私の手法です。

 このしょうがもゴウヤと同様抗ガン性のし健康食品であることを最近知りました。

 抗ガン性のパセリを加えてもよろしいでしょう。

 以上のものを容器に入れて2昼夜冷蔵庫にいれておくと良い味が期待できます。


 






 







 

3月25~ 今年1月発刊された精神分析治療ポイント(平井孝男先生執筆)より学んだカウンセリングに関わる貴重な指摘

   3月25~26日  31 年1月発刊された「精神分析治療ポイント」(平井孝男先生著)より

           学んだカウンセリングに関わる貴重な指摘  その1  

         私は従来カウンセリングと聞けばロジャース流の一般のカウンセリング、認知行動療法

   などが念頭にあり、フロイトの精神分析治療法 との関係については、セミナ-で多少

   学んだ程度でしたが、今回の年明け直後に平井先生の「精神分析治療ポイント」を

   拝読していて一般のロジャース流カウンセリングとの関係性や相違点などが若干なり

   とも理解できると感じています。回想法、自由連想など言葉の理解のみでなく、各々

   どんな状況、対話の流れの中で出ているのか、前額法、除反応などの初めて聞く用語と

   共に学んでいく意味をこの機会に理解したいと考えています。

   今回の筆者がとった手法は、テ−マごとに、関連した質問を想定し、筆者がそれに答え

   読者に理解しやすい解説がなされ、それに対してポイントになる箇所に質問がなされ

   さらに理解が進むという筆者の他の著書でも、医師と患者の対話に使われていて

   読みやすいです。 

   1    談話療法の始まりとフロイトの精神分析治療 

    (1) 気づき・言語化における精神分析の意義---  ヒポクラテスからの談話療法の歴史

   Q  今回の精神分析の治療のポイントで「精神分析」を選んだ理由は何か

   A  それは、心の病の治療に大きく関わるから。心の病の治癒ポイントは患者の力の

     引き出し、特に自分の心に気づくこと、言葉にすることが出発点です。

           (   Qは質問者 Aは回答者の平井先生です)

        (  言葉にすることで患者の感情の明確化がなされ、このことが自己理解に進むものと

    私は直感しました。)

   さらに筆者は、気づくためには、心の分析・探究・開明が必要で、同時に相互検討

   相互理解、統合、再構成、実践、吟味も必要とのことです。

   しかし、この自覚・言語化の営みは、治療抵抗、転移・逆転移、防衛、行動化など

   様々な現象・ドラマを生み出します。この気づき、言語化の困難さに焦点を当て

   多くの事例を使いながら探っていこうと思って精神分析を選んだと。

   (平井先生は他の著書なかで、「患者は悩む能力がある」指摘されています。

   上記の箇所を拝読していて、ふと「医師も悩む能力がある」が故に医師、患者共に

   生みの苦しみを共有しあってこそ希望の光を見れると痛感しました。

   少し先のエリザベートの治療事例にそのことが克明に出ています。)

   Q 要するに患者が話をするということが重要なんですね。でも、それって普通の営み

    では。

   A そうなんです。ただ、その普通の営みが治療となるととても難しくなるんです。

    人間は大抵、嫌なこと・不快なことは心の奥にしまってしまいます。

    ただ、その話されないことが重大である場合は、いずれ心身に影響を及ぼし病気の

    原因になります。それ故、そのしまわれているものを言葉にして自分の心(意識)に

    統合して、その病因にふりまわされなくなるのが治療なのです。

    (私自身、30代の前半に心身症で悩んでいた時がそうでした。名古屋リハビリ

    センタ-のメンタル関係の先生にあなたの言っていることは分かりますの一言が

    きっかけになり癒されました。ですから平井先生の説明はとても理解できます。)

           上記の対話の営みは、筆者によるとギリシャのヒポクラテスの時代からあるとのこと。

    この医師はうつ病にかかっているある王が抑圧していた性愛感情に気づかせ、王の

    精神分析療法(夢を使った)に成功したとのことです。

    ◎ その2以降につきましては、後日に、まとめて時間の集中できる機会に述べさせて

      頂きますので、失礼します。

 

 

 

 

2019年2月28~ 3月1日   統合失調症とのつき合い方 蟻塚亮二先生執筆より抜粋

  2019年2月28~3月1日 統合失調症とのつき合い方 蟻塚亮二先生執筆より抜粋

  PTSD(心的外傷後ストレス障害)と語ることによるトラウマの外在化

            P1010012.JPG

 

   このテ−マについて、上記の書を通読していた時、想起したのは、東北大震災の直前から

  親交のある統合失調調症のFさんでした。この人は統合失調にめげず、自分の特技の発表会

  にも参加するなど努力する30代の好青年ですが、簡単には彼の心の深いところにまでは

  自己開示が進まずどうしたらよいか戸惑っています。ですから今回の蟻塚先生のこのテ-マ

  に関心をもちました。このテ−マの内容は以下の通りです。

  Aさんは幻聴への不安が強くて毎晩のように、病棟の詰所の先生に訴えに来る人で、どうして

  ダントツに彼が幻聴に強い不安を示すのか一度聞いてみたそうで、彼は幻聴に操られて深夜

  山中をさすらい自殺を試みたそうです。幸い死ななかったが、それ以後幻聴への怖れが

  強くなったそうです。このような例は神戸淡路大震災で多発したPTSDのようなものとか。

  幻聴への怖れと同様に再発への恐れも強い人もいると思われるとのこと。

  だとするとこの統合失調の人を長いこと脅し続ける不安や妄想、幻聴の中にはPTSD的

  メカニズムによるものも多くあるものと筆者は推測しています。

  こういう幻聴や妄想など別の次元の体験を話すことのできる人はかなり高い能力の

  持ち主であるとの筆者の評価。

  筆者は逆に言えば「幻聴や妄想を語る力」をきたえることは、この統合失調の回復に

  ついて一役買うのではと。幻聴を語ることは、自己の体験に対して距離をおき、

   客観に距離を置き、(客観的に見ることで外在化が可能になり)幻覚、妄想の支配から

   自由になる道である」と。但し括弧内は、私の印象であって慎重さを欠いているかも

   知れませんが。

    ▲ 私の印象

   催眠療法と異なり、Aさん自身が、幻聴、妄想を外在化らしく感じるのは

   本人の病状からして回復する方向に進んでいるし、この体験は他のトラウマで苦しむ

   人々の癒しになり得ると感じました。私の親しいFさん以外の、自閉症スペクトラム、

   パ-ソナリティ障害等の私がかって関わった人々にも。とはいっても、

   蟻塚先生もそこに至るまでに色々とご苦労があったのではと思いました。

   統合失調の人には、打つ手は困難ですが、パ−ソナリティ障害(BP)に対しては、

   認知行動療法の選択的適応を少し話したのを契機に彼女がとっさに

   応用してリストカットをしたくなったとき、ピアノを弾くことでリスカツを止めれた 

   とのこと。(ブログで紹介しました)

   私自身も蟻塚先生の事例を今後の 統合失調 の 事例研鑚の記事を参考にさせて頂き

   たいと思いました。 

   

   






2019 1月20日 スリランカのジャヤ・ワルダナ大統領と日本との深い縁

  1月20日 スリランカのジャヤ・ワルダナ大統領と日本との深い縁

  すでに、ブログで紹介しましたように、昨年の9月頃から社員さんの労災事故を契機に

  社長のカルナ-・ラタナさんと関わりをもつようになりました。その関係でもっと

  スリランカ(セイロン)のことを調べていて大変驚いたのは、1951年、サンフランシスコ

  にて、吉田茂総理を中心とする日本と戦勝国側と講和会議のことが出ていました。

  この会議の冒頭では、戦勝国側の賠償金、日本全土の分割統治など苛酷な提案がでそうな

  気配があったそうですが、当時欧米の植民地支配で辛酸を味わい、苛酷な苦しみを体験

  したアジア諸国の中で、当時スリランカの蔵相をしていたワルダナ氏がそのような日本に

  不利な雰囲気を一掃する演説をしました。

  「憎しみに対して憎しみで対処しても、それは解消しない。憎しみは、慈愛で消える」

   これを聞いた人々は大歓声で拍手したそうです。

   傲慢で知られた吉田茂氏も鬼の目にも涙だったそうです。

   この演説で会議の雰囲気が一変し、わが国が恐れていたことまでにはいかなかったのです。

   この話は、カルナ-さんは知っていたそうですが、私は世界史を教えていたのに、最近に

   なって初めて知ったようでは、とても恥ずかしい思いがします。

   しかも、このワルダナ氏は、遺言で自分が亡き後一つの目は、祖国に、もう一つは日本に

   寄贈して欲しいと述べたそうです。このような政治家のことを何故日本の教科書に

   掲載しないのかと即座に思いました。

         その理由は、敗戦後の痛手から復興を遂げ、スリランカなど開発途上国へのODAを通じての

   支援などをしてきた優越感と対照的に途上国の慈愛(内心日本人よりずっと人間が出来て

   いるという思いからくる劣等感あり)の現れではないかと私自身としてそう思っています。

   途上国の人から良きものは、どんどん習得していく度量の広さも国際化の進む中で必要不可欠

   と思っています。








2019年1月1日~2日 涙とともに種まく者は喜びの叫びながら刈り取ろう(詩篇126篇)より

 

       2019年1月1~2日  涙とともに種まく者は、喜び叫びながら刈り取ろう(詩篇126篇)

      この詩篇は旧約聖書に記され、この時代は、イスラエルの民がバビロニアに征服されても

  よく耐えてこの捕囚から解放された時の心境を語っています。

  この詩篇にマッチする資料として、前半は昨年10月発刊された児童心理から、後半は

  女子高校生のレポ−トから引用しました。

              P1010104.JPG

 

 

 A 児童心理 佐賀大の村久保雅孝先生の執筆の記事より<言葉にならないということ>

          から引用しました。その内容は以下のとおりです。

    小学一年生になりたてのある女の子が、二年とし上ののぶ子ちゃんと一緒に登校する

    のをとても楽しみにしていたが、一緒に登校できたのは、初めの3日のみで、その後

    のぶ子ちゃん身支度が間に合わず、一人の登校が続いたとのこと。その後冬になっても

    いつものように誘いに行くとまだ身支度中で、いつものように一人で登校しようと

    するとその子の母親が「いつもごめんね」といって彼女にチョコレートを持たせた。

    持って行くのはまずいので懸命に断ったが、とうとう持たされてしまった。困った

    本人は、それを見つからないようにオ−バ-のポケットに入れて登校した。しかし、

    教室で遊んでいる時ある子がそのチョコレートを見つけた。担任の先生に呼ばれ

    「どうしてチョコレートを持ってきたの」と問われた。彼女は涙が出てきて言葉に

    ならなかった。先生は「もうお菓子はもってきてはいけませんよ」と注意して  

    その場は終わったとのこと。私も中高生の教師をしていた経験がありますので、

    私なりに状況を推測すると、仲間にチクられて皆の前で詰問されているわけです。

    その生徒の日頃の態度、性格を判断して対処すべき印象を持ちました。

    でも本人はこのようなつらい経験をしましたが、その後小学校の教師になってその

    ことを生徒の前で、その時どうべきか語ったとのこと。 

    つらい経験が後に活かされる例ですが、こんな状況なら本人の心にしまいこんでいる

    ことを無理にひき出すのでなく、冷静なれる場をつくることも必要と直感します。

    そしてそのような冷静さを回復できる中で、只ル-ル違反に触れるのでなく、その動機に

    触れることも出来ますし、この子の日頃の長所にも触れてほめることも必要と感じます。

   ◎ 教育とは只教師から一方通行に終わるのでなく、生徒とのコミュニケーションがあって

     こそ喜びを共感し合い共に成長できるのです教師も生徒ら学ぶものがあってこそ

     成長するのです。

1月2日続「涙と共に種まく者は--」後半B

 

     1月2日 続「涙と共に種まく者は---の後半 B  ある高2の女子の回心の告白

  この後半の記事は、私が倫社で青年期の特色について取り扱った後で生徒に書いて

  もらった中の一例です。

  はじめに彼女は、自分が二重人格者であったと述べています。学校では活発なのに、

  家では本当に陰気で、話しをしない子供だったそうです。

  学校ではどんなことでも平気でやれるし、どんな冗談も言える子供だったそうです。

  しかし、家では一変して家族に何も話せなくていつも下を向いてしまうとのこと。母親が

  「そこにある新聞もってきて」といっても、そっけなく「そんなこと、自分でやれば

  いいじゃない」と答えるようだったとのこと。その原因は姉へのコンプレックスにあったと。

  姉はその日にあったことを一部始終を家族に話すので当然話談の中心だった。それをみて

  母親は彼女と姉をよく比較したとのこと。そして「もっとお姉さんを見習いなさい」と。

  例えば彼女はよく物をこわすそうで、母親はそんな時「もっとお姉さんのように落ち着き

  なさい」「そんなことをするとお姉さんに怒られますよ」と。そんなことを言われて

  彼女はとても悲しくなってしまうとのことで、自分の部屋でいつも泣いていたそうです。

  やけになって「私なんかどうでもいいや」とい気持ちになったとのこと。

  「何かわたしがやると、"お姉さん""お姉さん"

     と言われて「もういゃだ」そう思っているうちにひねくれてしまうと。

  その点学校は自分にとってとても良いところ。誰かと比較されることもなく、いつも笑顔で

  迎えてくれる友達がいるから。悲しいことも、つらいことも、みんな浄化させてくれる

  友達がいるから。だから学校では、はしゃいでしまう。

  学校は楽しいことばかり、そこにいた時だけ青春を感じていたと。

  母親には何回も「素直になりなさい」と言われた。でもひねくれた彼女は素直に

  なれなかった。上記のとおり「私なんかどうでもいいや」と(開きなおっていたとのこと)

     ところがこのレポ−トを書いた少し前に、彼女のいつものひねくれがもとで、母親と

  大けんかし、初めて母親が泣くのを見たそうで、その時、母親が素直になれない頑なな

  自分のために涙を見せたと感じたが、彼女は自分がとっても大きな過ちを犯していたのに

  気づいたとのことです。

  自分の愚かさに気づいた。姉がよく話するから話題の中心になるのでなく、自分が学校で

  あったことを話さないから姉が中心になっていたことを気づいた。

  他のことことだって、たったひとつの面から見ていたからいけなかったのだと。

  (認知の偏りの修正)

     自分はすべてのことから逃げていた。何故自分は家族の者に接近しようとしなかったのか。

  今までの無知な自分がこっけいに思えて涙が留めなく流れていたと。

  その結果彼女の一つの黒い影が取り除かれて「今とっても幸せな生活を送っています」と

  告白できるに至ったのです。その結果今までと異なった青春を感じているとのことです。

  今までの彼女から見て冷淡な感じさえする母親の秘めていた愛情のこもった熱い思いが

  彼女の転機になって回心へと導かれたと痛感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 12月24 ~25日 パスカルのパンセ「172」の一考察

   12月24~25日 パスカルのパンセ「172」の一考察

 

   丁度今は街ではクリスマスで浮かれていますが、この書は、今の時をしっかり直視

   すべきことに警鐘を鳴らしています。そして類似した童話に、メ-テルリンクの

   「青い鳥」があり、貧しい家のチルチルとミチルが村のクリスマスの祭りを窓から

   眺めているところから始まり、そこに魔法の帽子をもった老婆が現れ、なんとか

   病気の娘を癒す青い鳥を入手して欲しいと頼み、それを受けて二人は冒険の旅に

   出ますが目的は達成できず帰りました。しかし、不思議なことに今まで自分たちが

   飼っていた鳩が青くなっており、それを老婆に提供すると、その娘の病が

   いやされました。

   このたわいのない童話も、解決の方法は、身近なところにあることを教えています。

    以下にパンセ 172を抜粋して紹介します。

   我々は決して現在の時に安住していない。我々は未来を、それがくるのを遅すぎる

   かのように、その流れを早めるかのように待ちわびている。あるいはまた、過去を

   それが早く過ぎるので、とどめようとして呼び返している。これは、実に無分別なこと

   であって-----我々のものであるただ一つの時について少しも考えないのである。

   これは実にむなしいことであって、我々は何ものでもない前後の時のことを考え

   存在するただ一つの時について考えないで逃がしているのである。

   というわけは、現在というものは普通、我々を傷つけるからである。それが我々を

   悲しませるので、我々はそれを我々の目から隠すのである。---------

   各々の自分の自分の考えを検討してみるがいい。そうすれば自分の考えがすべて過去と

   未来によって占められているのを見だすであろう。-------。

   過去と現在とは、我々の手段であり、ただ未来だけが目的である。

   決して現在生きているのでなく、将来生きることを希望しているのである。

   そして我々は幸福になる準備ばかりいつまでもしているので、現に幸福になることなど

   できなくなるのもいたしかたか゛ない訳である。

         ◎ 以上のパンセ172の箇所を通読された方はどんな印象を持たれたでしょうか?

         「人間は考える葦である」と彼は言います。彼のパンセ執筆の狙いは、2章にあります

    ように「神なき人間のみじめさ」にどう対処すべきかにあります。

    彼は常にキリストの救いを眼中に入れています。有名な「人間は考える葦である」の

    原点は、旧約聖書の救世主の到来を予言書の一つイザヤ書です。ここにはキリストの

    十字架の刑のこと、悩む人々の救い主として「彼は痛んだ葦を折ることもなく

    燈心を消すこともなく--」と出ています。折れた心の癒し、消えかかる灯を再度

    輝かすこと(沈んだ心に希望を与える)そんな記述があります。

    パスカルの17世紀においても宗教に反発がする人々がいましたし、現在においては

    もっとその傾向が強いです。ですからなかなか自分の今の心を直視しづらい

    メンタル不調の人々に対しては、カウンセリング、同じような悩みを抱えた人々の

    自助グル-プの集会やNPOなどのディサ-ビスなどがありますが、対話の形態が

    どうあるにせよ、単なるおしゃべりやその場出てきた問題が正しく理解されないと

    間違ったことから起因しして対立が生じたりして混乱したり、メンタル不調者への

    悪影響もでかねません。

    ですからまずは、信頼できる人のカウンセリングが土台として大切かと思います。

    とは言え、パ-ナリティ障害とかADHD(注意欠陥多動性障害)などの対応は、大変

    神経を使いますが、時としてこちらの気分も癒されることもあります。

    気分の変動が激しくて、衝動にかられてなにをやらかすか気になって不安になる

    ことがありがありますが、彼等なりにときには、リストカットしたくなっても

    一瞬のひらめきなのか真夜中にピアノ引き出し気分がほぐれた話もしてくれました。

    CBT(認知行動療法)でいう選択的適用の例で、「よくやった」とほめました。

    また、ある時NPOで介護2級の研修希望者を募ったとき、彼女も応募しました。

    曰く将来世話になった両親を介護したいと。感情が高ぶると、蹴ったり、壁を叩く等

    粗暴な振る舞いのある反面しおらしさに触れてこちらも心温まる思いか゛しました。

    障害者でも、何らかの働きかけが功を奏して良き物が引き出されると両者の

    モチベーションアップにつながります。

    また、障害者同士のグル-プワ-クでもこのような成功体験でないしても、ちょっとした

    ブラス体験を話し合う話し手、聞き手にとってプラスになると思います。

    クリスマスと言えば、飲んだり、食べたり、歌ったりして仲間と楽しく過ごすのも

    貴重な時になりますが、一年の節目のときにびストレスの発散のみならず、一年を自省

    して再出発の準備をしてみては如何ですか。

    上記の旧約聖書のイザヤ書に「あなたは高価で尊い」(43章)

           たとえ泥やほこりで汚れていてもダイヤモンドの輝きも磨けばのその輝きを再生

    出来ます。子供から老人に至るまで。外側の装いでなく、内面の輝きです。

    かってある造園会社の顧問をしていて、その会社に函館高専を出てマレイシアの

    青年開発協力隊参加して指導者の実績を上げた人をその会社に紹介して働きましたが

    社長から彼を解雇したいと言われ、現場で彼のたるんだ仕事ぶりを私が注意した時

    顔を伏せたのを見てこれはダメと思いましたが、その時このダイヤの話をしました。

    すると瞬時に変わり「自分は職長のGさんのようになりたい」彼の技術のことかと

    思いましたが、彼の現場の部下に指示命令して仕事を手ぎわよく処理するその

    マネジメントのことでした。彼のプライドを取り返したい願望でした。

    彼には人を指導する夢がありましたが、人間関係でつまずいてぼろほろになった

    そうです。でもこれを契機に変わりました。


     

    









 

 



10月8~10 日 指導より自分を分かって欲しい 神戸親和女子大教授 金山健一先生執筆


   10月8~10 日 指導より自分を分かって欲しい 神戸親和女子大 金山健一先生執筆

    児童心理 9月号 2018より

   筆者は、次のように子供の辛い心理について

   子供の自殺が止まらない辛い、苦しい心境を述べています。

   「先生に気づいて欲しい。分かって欲しい」という叫びがあるに違いない」

   しかし、大人は気づいていない。子供の発する小さなSOSに気づく、察知する力を持た

   ねばならない。このことに関しては、厚労省の2017年作成の10代から30代までの

   死因上位3項目の実態を示す資料が以下にあります。

        第一位    第2位    第3位

  10~14歳  悪性新生物  自殺    不慮の事故

  15~19歳  自殺    不慮の事故  悪性新生物

  20~24歳  自殺    不慮の事故  悪性新生物

  25~29歳  自殺    悪性新生物  不慮の事故

  30~34歳  自殺    悪性新生物  不慮の事故

  35~39歳  自殺    悪性新生物  心疾患

      上記の表からみての通り、15歳から39歳までの死因の第一位は自殺である。

  特に15歳から19歳の思春期の自殺者の実態の統計を見せつけられると、私にとっては

  高校生のある受験管理体制下のある学校での3年連続してあった痛ましい事件を想起して

  とても悲痛な心境になります。その中の一人を高2の授業で教え、本人の人間不信の心境を

  書いた作文を読んだ後、一度あなたと話したいと声をかけ、拒否されて、3日後に自殺した

  ことがあったからです。筆者の指摘されるように、「指導」によりも「自分を分かって

  欲しい」という本人の心に沿っていなかったことを悔やんでもどうしようのない心のシミ

  stain、高校時代のリ-ダ-の教科書に罪(sin)とはstainのことだと出ていたのを覚えています。

  休みがちな本人が久しぶりに出てきても、表面をみて愚かにも「元気そうね」と失言した

  ことがあったからです。

  筆者は、「誰かが繋がっていれば、誰かが自分を分かってくれれば」救えたかも知れないとの

  ことを指摘していますが、痛いほど身にしみています。

  続いて筆者は、「自分を分かって欲しい」という願いは子供たちは人一倍もっている。

  いじめ、不登校、非行などの問題行動の背後には、子供一人々が抱える様々な課題が

  背景にある。指導よりもまず先に、教師が子供に寄り添う言語的メッセージを発する

  必要があると。」

  「元気がないけれど、どうしたのかな」「辛かったね。話てくれてありがとう」

  「そのままのあなたで大丈夫だよ」「困ったことは相談してね」など。

  「あなたのこと、大切にしているよ」というメッセージが必要であるとのことです。

  子供の心をギュッとつかまないと効果は期待できない。

  「この子の指導は厄介だな」と教師が感じた瞬間から、子供は野生のように研ぎ澄ま

  された感性でこの教師は敵か味方かを鋭く見抜く。子供は教師にどんなことを望んで

  いるのだろうか?

  ▲ 非行生徒と状態のいい時に関わる 非行生徒の状態のいい時に関わる

  〇非行生徒の校舎徘徊の意味を知る 

  筆者が荒れた中学校に勤務していた時、授業に出ないで、廊下を徘徊するグル-プがいて

  手を焼いていた時期があった。授業に参加させようとするが、すぐに逃げ出し、まるで

  イタチごっこの日々だったとのこと。彼等が授業に参加せず、校内を徘徊する理由は

  何だったのか。彼等は事件を起こし、数名が少年院に入った。彼等が退院して20歳に

  なったとき、一緒に酒を飲むことになった。筆者は「中学の時、何で教室に入らないで、

  廊下を徘徊していたのか」と聞いた。彼等の答えは、「勉強したらバカばれる。だって

  99もアルファベットもわからない」と。授業は自身を喪失させる場でしかなかったのだ。

  その会話を機に、非行で手を焼いている子供も、実は勉強したいのだと痛感した。それ以後

  対応に苦慮する子供には、学習指導で人間関係づくりを試みた。現在では、「学習指導は

  極上の生徒指導」と確信しているとのことです。私は、中学生のときは、そのようなことも

  教科の先生に恵まれ、偏差値教育でなく、人間形成に寄与する指導をして頂いて感謝して

  いますが、高校時代は受験体制と管理教育の色彩が強く、人間形成に寄与する教育を受けた

  印象は殆どありません。

      ▲不登校・いじめで悩む子供の逃げ道を用意する

   〇 正論ばかりが正しいわけでない

   

   不登校、いじめで悩む子供、頑張り過ぎの子供には、「しんどかったら逃げてもいいよ。

   休んで戻っておいで」と、逃げ道をつくることも必要である。教師は、「頑張れ」

   「自分に負けるな」「応援しているよ」と叱咤激励をしようとするが、全ての子供に有効な

   わけではない。不登校の子に「明日学校で待っているよ」、いじめを受けた子に「強くなら

   ないとダメだよ」という掛け声は、子供を追い詰めてしまい、逆効果になる場合がある。

   ぎりぎりまで追い詰められている子供に対しては、敢て「今日は休んだ方がいいよ。」

   「テストは受けなくてもいいよ」と逃げ道を用意することが有効なことがある。

    いつも正論が正しいわけではない。

   子供にとって、自分から「逃げる」のと、教師に「逃げてもいいよ」と保証されるのとでは

   全く意味が違う。教師が逃げ道を保証してあげることで、張りつめた緊張がほぐれて、心と

   体を休め、自ら歩み出せることもある。

   以上の事例は、本人の張りつめた緊張をほぐす効果として大切なことと痛感します。

   その他関連して想起したことは、孤独な心に響く例として印象に残っているのは

   かって、心理相談の研修で、その会の役員を務めていた保健師の女性が、職場の自殺未遂の

   青年とその父親に同行してクリニックを訪問した時のこと。

   本人は当然しょげているし、父親も不機嫌な表情。その時保健師は、彼に「もう一人で

   悩まなくてもいいのよ」彼は泣きくずれたそうで、それをみた父の表情が一変しました。

   その一言が彼が立ち直っていく力になったようでした。












9月23~ 24日 先生のものさしだけでは測れない子供の心 その1          袰岩先生執筆  

  9月23~24日     先生のものさしだけでは測れない子供の心 その1

       ハワイインタ-ナショナルカレッジ 袰岩奈々先生 執筆

       児童心理9月号より

       子供たちがイメ-ジすること(多様性への気づきに留意する)

  筆者は子供の心の多様性について次のように述べています。

  日々の学校生活りの中で、子供たちの豊かなイマジネーションに驚くことが頻繁にあるのでは

  ないだろうか。子供子供かの詩などを読むと、その着想の広がりにびっくりしたり、子供が

  間違えて捉えた言葉むの解釈をほほえましく思ったり。大人が思いもよらないことを考えて

  いたりする。ものさしが違うということだけでなく、自分のものさしの目盛りにないスケ-ル

  でものごとを捉えているといことも起こるとのこと。

  たとえば、算数の問題で「リンゴが3つあります」と書いてある時に、中には「そのリンゴ

  どこから来たんだろう。もらったのかな、買ったのかな」のようなイマジネーションが

  ふくらみ、リンゴの物語に入ってしまう子供もいる。外からみれば、問題に取り組まず

  (授業の流れからずれて)ぼっとしているようにも見える。

  日々子供の豊かで自由で奔放なイマジネーションに触れられることことは教員の役得でも

  あり、難しさでもある。(流れからのずれ)

     教科を教えることが中心となる授業中、奔放すぎるイマジネーションは、教科内容を進める

  上で邪魔になる可能性もある。子供たちの創造性をつぶさないようにしながら、限りある

  時間のなかで要求されるタスクを調整するために、子供たちの振れを編める幅の中に収める

  ことが要求されることになるからだと。(社会科を教えていた私は、このような創造性に関係

  する想像性の必要性を感じていたので、生徒の想像性を刺激することを世界史の授業などで

  ある時代の人々の生き方、考え方等に触れながら試みた。例えばしばしばペストの流行で

  人口が激減した中世欧州では、農民の寿命は、平均して16歳程のこともあった。

  そのことは 十字軍などの信仰熱との関係を理解するのに役立つ、但し受験を意識して

  授業効率を意識するとこのようなことに触れるゆとりもなくなることさえある)

         P1010094.JPG

                      例によって鈍臭い生け花登場 私なりの創造の一部です。

        筆者は違う目盛りのものさしをもつ子供たちに対して、(彼等なりの目盛り)に

        気づくことは、彼等のサポ-トになると述べています。

        私は初めて自閉症スペクトラムの青年のひまわり畑の花がなくて茎の箇所が

        実に丁寧に描かれているあの描画を想起しました。ある臨床心理士の方に

        見て頂いたら、「彼は隠している」の一言。でも花を支える茎に彼が着眼

        しているところに私なりに希望の光らしきものを感じました。

     

                       < レッテル貼りしたくなる理由>

              一般に「先入観はよくない」「レッテル貼りを避けるように」といわれている。

     ほっておくて と、つい逆に言えば、レッテル貼りをしないでいることは、かなり

     エネルギーを  使うということでもある。ある人に対してカテゴリ-分けせず、判断を

     一時棚上げにしておくことは、新しい情報をキャッチしては、その人に対するイメ-ジを

     常に更新し続けることでもあるからだ。このことは、教師として とても大切なことと

     私の小学校から中学校にかけてそのことを痛感しています。小学4年の時の担任の男のA

     先生私のことをよく理解して頂きましたが、5年の女性のB先生にはどうも素行面での

     評価がよくなく、しかし、中学に入ると、Bのご主人の先生に1年の担任をして頂き、

     私の弱点をあえて指摘せず、私の長所を伸ばしていただき、先生の期待に答えて級友のY君

     と共に名古屋の同じ大学に進学できました。その後との2と3年の担任の男性の先生にも

     人間形成の面、進学指導面でよくしていただき感謝しています。

       筆者は、「あの人は頑固だ」とレッテル貼りすることで、その人の多くの情報を集め

     たり、違う面について注目したりする必要がなくなる。

     もし言ったことについて聞いてもらえなくても、「頑固だからしょうがい」と流しやすく

     なる。当人とっては時には柔軟なむ対応をしても気がつかれにくくなり、柔軟性を身に

     つけようにと努力していたとしても、周りに変化を認めてもらうことが困難になる。

     (特に成長過程の児童、生徒に対しては、とても留意すべきことと思います)

9月25~ 先生のものさしだけでは測れない子供の心 その2

 

         9月25~26日  先生のものさしだけでは測れない子供の心 その2  袰岩奈々先生執筆

   その1の「先入観」の続きとして、次に筆者は自分が自覚できない「先入観」について

   述べています。

     <無意識的バイアス>

   このテ-マについて、筆者は2000年代になって注目されてきた「無意識バイアス」

   ついては、男女共同参画学協会連絡会のこのことに関する啓発パンフレットによれば

   これは、誰もが潜在的にもっている偏見のことで、それまでの環境や所属する集団内で

   無意識に刻みこまれるものとされている。知らず知らずの中にそのように考えるように

   なっているので、その思い込み(偏見、差別意識)i気づくことや変えることが困難と

   言われている。筆者は男女間の偏見意識に言及しているが、私がよくこだわって

   いるのは、障害者に対する偏見、差別です。 

   私自身については、ブログの始めの方で述べていますように、中学の教師をしていた頃

   教師間の人間関係、生徒指導のことなどで悩んでいた時、偶然知り合いになった春日井の

   コロニーの職員を通して自閉症の子供と出会い、彼等の描画を通して職員の説明を受けて

   障害者を含めた人間観、教育観が土台から変わりました。

   忍耐強い愛が自分が関わる相手の人格に影響を与えることもあるという気づきです。

   でも言葉としては美辞麗句はいくらでも言えます。

   そのような愛が自分にはないことに気づいたことがスタ−トになりました。 

   教員時代は上記の例を除いて殆ど障害者と接することはありませんでしたが、

   東北大震災直前頃からNPOで障害者の方々とカウンセリングしたり、一緒に人間関係の

   学びをしたり、キャッチボールをすることもあって、障害者という意識をもたず

   自然体で交わりをさせて頂きながら色んな学びができて感謝でした。

   でも時として悲しい事件にも遭遇しました。

   つい3日前に話していたのに、自殺したとの知らせを受けた時は大変ショックでした。

   ですから、いざという時のリスク対応の心構えも強いられることもあります。

                 <ネガティブ・ケイパビリティという力>        

        表題を文字通りに捉えれば、「否定的可能性」ということですが、筆者の説明によれば

   容易に答えを出さない、容易に答えの出ないものに耐える力を"ネガティブ・ケイパ

   ビリティ"と呼ぶとのこと。レッテル貼りの対極にある力とも言えるとの指摘。

   例えば不登校にある子供に対して「本人の意志が弱い」というような見方をすると

   意志の弱さを裏付けるような行動ばかりに目が向いてしまう、というようなことが

   起こりかねないと。先入観に引っ張られていく感じがします。

   「母親の過干渉が原因だ」と決めつけるよな場合も同様で、過干渉が起こっている場面

   ばかりをピックアップし、これを変えることが目的になってしまいかねない(視野の狭さ)

        (固定観念)に縛られて子供や親の変化について気づきにくくなってしまう場合もあると。

   (問題の解決のためには)筆者は、「問題の原因や問題のあり方の特定は一時棚上げにし、

   どこにアプローチすれば、一番変化が起こりやすいか、子供の元気が戻るように 

   サポ-トするとしたら、どういったことか、などの視点で見ると、新たな関わりが

   見つかることも多いとのことです。

         子供を見る際に安易なレッテル貼りをさけ、常に変化を続ける動的なものとして子供を

   見ていく。あるいは、子供たちの友達や家族との関係などについて、変化し成長する

   ことを前提として見ていく。原因を特定して、わかったような気持ちになることを避ける

   ためにも、すぐに答えを出さず「どういうことだろう」と、時々自分のその子供への

   「まなざしのあり方」を取り出しては、外側から眺められるような力(ゆとりも)、

   ネガティブ・ケイパビリティを身につけることも役立つだろうと。 

   最後のこの太字の箇所では、かってNCRDのコ-チングで指導して頂いた光山徹先生の

   ディソシエイトのことを想起しました。カウンセリングの質を高める上でとても

   大切なご指摘と痛感しました。




 

 

 

 





 

7月15~ 17日   子供達のできることを伸ばす 困ったときにどうしたらいいかを知る その1

 

  7月15~17日      子供のできることを伸ばす 困ったときにどうしたらいいかを知る その1

         浜松医大 大隅香苗先生 中京大現代社会学部 辻井正次先生執筆

         こころの科学150記念号より  日本評論社


   私がかって名古屋市北区のあるNPOで非常勤でメンタル障害者の青年等のカウンセリング

   していた頃の自閉症スペクトラムとアスベルガ-の青年がともに再入院したことを

   現理事長からつい最近知って驚きました。両者とも家庭から離れての一人暮らし。

   とても人なつこくって好青年で、病院の医師には言えないような色々な心の中を話して

   くれました。ですから私も他のスタッフと同様にNPOを去るときが近くなった頃

   それを察知した彼等の言葉(来週も来る)を聞くと責められるような氣がしました。  

   今回こころの科学150をみてブログを書きたくなったのはこのような動機があったから

   です。

         就労移行支援のような事業所では、障害者の人々も理解していますように、彼等が保護

   されるような温室みたいなもの、彼等の中にもそう思っている人もいます。

   ある一年以上カウンセリングをしたパ−ソナリティ障害の女性もその感覚があり、気分が

   よくないと、怒りの対象者に物を投げたり、スリッパを蹴ったりの粗暴なことをしてしまい

   企業でそんなことなどすれば、すぐ叱責を受け、周りから白眼視され、新たなトラウマに

   なってしまうとのこと。この人はかなり理解力はありますが、時として感情の制御が

   効かないのです。

   今回の自閉症スペクトラムの例では、職場の上司や周辺の人々が、本人の何かを問題に

   していて、健常者なら当然気づくことも、障害者自身は、なにが問題なのか気づかず

   そんなことなどがストレスとなって居心地が悪くなることなどが例示されています。

            大隅先生の記事と思いますが、以下の記事がありました。

   多くの定型発達の子供たちは、わからないことがあると、自分から問いかけることで必要な

   サポ−トをあたかも自然なことのように得ていく。しかし、ASDのある子供たちにとって

   は、そうはいかない。はたから見て困っているように見える時、果たして子供自身が自分は

   今自分は困った状態にあるとわかっているかというと、大抵そんなことはない。

   困った状態に遭遇したときに、暴れたり、叫んだり泣いたりしてパニックになり、

   固まってしまって行動が出来なくなってしまう子供であっても、自分が今困っている

   状態にあるということ自体はわかっていない場合が多い。後で問えばその時に困っていた

   ということはわかるが、パニックの最中にあっては、そもそもどうしたらいいかが

   わからない。その子が自分自身が困っているとわかっていれば、こちらが困っている事柄

   への対応策を教えることはできる。しかし、困っているという概念すらわかって

   いなければ、困ったときはこうしょうと対処法をいくら教えても、対処法を使える

   ようにはならない。(困ったことの認知と対話力) 自分自身が困っいる位のことがわかっていて

   当然であるという誤解が、子供たちへの支援を遠ざけているのである。

   就労しているASDの成人と話していると「困ったら伝えてくれないとわからない、とよく周囲

   から言われるけれど、自分がいつ困っているかがわからない。どういうときが困っているとき

   なんでしょう」と問いかけられることすらある。(周りの空気が読めないことのつらさ、不安)

   このような自己開示は、筆者のような色んな経験、信頼関係があれば出て来るのであって

   資格があるからといって聴けるものでないことを痛感し自分ももっと研鑚を積まなければと

   痛感しました。あるNLPの専門の方が東海HESSO言っていたように「本人が気づいていないこと

   (良いこと、改善点などから指摘できる)の指摘が大切」を想起

   今回以前の連載記事で、ASDの子供たちは自分自身感情を理解することが苦手であることを

   取り上げ、彼等の身体内に湧き起きるものが、どういう感情で、それがどのような経路を

   たどって行動に繋がっていくのか内省することを苦手としている。

   感情と同様に「困っている」という感覚も自然に覚えるようではないようで、自分の感覚が

   どういうときに困っているのか、教えないとわからない。

   「教える」とは、どんな方法でなくて(マニュアル的な方法でなく)、ハンディのある人の心に

   添った愛情がこもった指導が不可欠と思います。相手の成長の喜びを仲間と共有し合うことが

   当人のストレス解消に進みます。

   ところが、ASDの人たちが、自分がわからないことを伝えても、「何でわからないの」

   そんなことは自分で考えなさい。」と言われることすらあるとのこと。こういう周囲の

   不適切な対応な(意地悪な)対応が困ったときの対処をやりにくくしてるようであると。

 

        ▲困ったときにどうすればいいのか

   よく保育園や小学校の現場の先生方と話していると

   「子供がパニックになったときどうしたらいいでしょう?」という質問を受けるとのこと。

   基本的にはパニックにならないようなわかりやすい指示や状況をつくる というのが原則

   だが、それでも集団を対象に保育や教育をしている場面で、あるこどもがパニックに

   なったり、固まって動かなくなったりしますと、保育士や教員としてはとても困るに違い

   ない。その時の相談にはのるが、こうすればよいという万能策があるわけではない。

   あくまで基本的には、まず*ク-ルダウンしてもらいましょう、という程度の内容である

   ことが多いとのことです。(*冷静になる)

        こんな時の対処法は? いざそのときに何かをするのは難しい。

   困っているときは、このような対処法をするとうまくいくことになるというひな形を

   教育的に教えておくことが必要だということになるとのこと。

             ある場面で教師自身がとっさに絶妙な対応ができるようなスキルを磨いておくことも

   大事かもしれないが、子供自身がうまくやるための対応を知っておくことが大事とのこと。

   子供としても、困ったときにどうすればいいのか、それがわからないままにうまくやれと

   言われても、ますます困るばかりなのだから。

     執筆者の方々が取り組んでいる教育的プログラムについては以下のとおりです。

   このプログラムは、自分自身が困っているということが、説明されて一応理解できる段階を

   対象としているとのこと。一般には、小学低学年から中学年以上が対象となる。

     このワ-クショップを実際にやってみて、子供は困っているということがわかって

   いなかったと判明することがあるとのこと。そうなってはじめて保護者や教師の対応が

   改善したというケ-スも多いとのことです。(貴重な実証例です)

       「 うちの子供は、そもそも自分が困っていることがわかっていなかったんですね。じゃあ

   厳しく言っても仕方ないですよね。こちらが落ち着いて、どしたらいいかを教えていった

   方がいいですね」と保護者が語ることも予想以上に多いとのこと。

   このような一番土台になることをしっかり確認された方々にとっては「まさに目から

   鱗が取れたような体験をなされたようです。

      ▲対処のためのワ−クブック 

   NPO法人アスぺ・エルデの会では、ASDの子供達を対象に、「どうすればいい こんなとき

   あんなとき」の作成を行ったとのこと。このワ-クブックは困った状況に遭遇したとき、

   とくに固まってしまうような反応を示す子供達を主に対象にしているとのこと。-----

        登場人物が困っている状況に遭遇してしている絵をみながら「この子はどうしたのだろう」

   と問いかけ、主人公が今どんな状態であるのかを考えてもらう。そして困るということは

   どういうことなのかについて、そのときの身体感覚や気持ちの変化を言葉で振り返り

   ながら、この困るということの概念的な理解を進めていく。さらに次の段階として

   困ったときは、まずどうしたらいいのかといった具体的な対処法を学んでいくとのことです。

   ●このような堅実な訓練がなされると、青年期以後の試練の時、活かされることがあると

    痛感しました。(鉄は熱いうちに打て、物事は、ことが起きて後手にまわるのでなくて

    教育すべきときにこの事例のような堅実な対処の必要性の認識です)

                       P1010080.JPG   

                      生け花としては、季節はずれかも知れませんが、中心軸がしっかりしている

        ことが上記の話に合致していると感じて、挿入しました。    

        アルストルメリアと梅です。

 

 7月18~20日  子供達のできることを伸ばす 成人期のASDの実態  その2

      7月18~20日   子供達のできることを伸ばす 成人期のASDの実態  その2

   

     筆者は、成人期を就労しているASDの人達と話す機会が多いのだが、かなりやれているように

  みえても、自分が困ったときに他者からの適切なサポ−トを得ることが難しいとのことです。

  業務がル-ティンどおりで変化が少ないときはいいのだが、何らかの変更があるような場合には

  困ってしまう場合が多いとのことです。どのタイミング、どの相手にサポ−トを求めるのかも

  大きな課題となるような状況とのこと。障害者雇用枠で働いている場合はまだ助けを求め

  やすくても、一般枠で就労している場合には、「自分で考えろ」と言われ、固まって

  しまうことも多いようである。うまくいかない、失敗してしまったというような場合が

  代表的な困っいる状況だが、そういうときにどうすればよいかというスキルのひな型がないと

  日常生活をうまくやり過ごしていくのはなかなか難しいとのこと。

   もっとも、定型発達者にとっても、日常生活で起こる困ったことは、些細いなこと

  から重大なことまで様々あると。子供も大人も、些細なことまで含めれば、そのような

  場面は日常茶飯事であろうと。定型発達者の多くは、そうした事柄すべてに完璧に対処

  することなど不可能であると知っている。時にはミスしたり、つまずいたり、失敗したり

  傷ついてしまうこともあるが、そこから新しいことを学び、次に活かしていくことが大切

  なのだとわかっているのだ。失敗は次に活かせばよいのである。

  だが、定型発達者の場合、失敗したことから色々と自然に学びとる能力を備えていることが

  前提となっている。そうした能力が備わっているなら、試行錯誤しながら新しいことに挑戦

  していくことも可能とのこと。但し問題は、そのような学習を可能にするためには、自分の

  行動をある程度客観的にみる能力が必要になる。状況を冷静に判断し、分析する力が求め

  られる。その点でASDの子供達の場合は状況に応じて予め素早く適切に判断することを

  苦手としている。彼等は失敗したとき、失敗してしまったという事実にばかり目が

  向き易くなる。自分が何故失敗してしまったのかという肝心のところまで意識を向けることが

  難しいのだ。そのため失敗を繰り返しても、そこから自然と解決法を学び取ることはなく、

  自分ではどうしようもできないという無力感ばかりが募っていくことになる。

    ここまで通読していて、一般論としてその通り私も同感します。

  しかし、時として、障害者自身の心身に起因する弱さによる失敗もあります。約束時間を

  守れず、翌日顔を合わせても、沈黙していました。NPOの理事長から通院のとき付き添って

  欲しいと言われたアスぺの青年の例です。でも彼が言わなくても、抑うつになると何も

  したくないことなど直接聞いてましたので、あえて詰問しませんでした。

  また、産業カウンセリングの研修会では、職安で障害者の求職の世話していたのに、肝心の

  会社の面接の時間に遅れたことを、公然と責めているのを観察していて、当人とどんな対話を

  したのかと思いました。健常者と異なって色々と弱さを持っている人について、配慮の欠如を

  感じました。2つの例は、只現実だけから本人を責めず、その時の本人の心中を良く傾聴しつつ

  自分の弱点にどう対処すべきか対話の時間を持ちたいと痛感しました。

  たとえ抑うつ的になっても、ある人は夜中でもピアノで弾くことでリストカットを止めれた

  そうですし、別の青年は、体を動かすことから気分転換できるとのこと。

  認知行動療法に関わる実践です。次の筆者の言葉は重みがあります。

  「失敗しても、すべてがダメになるわけでなく、何とかなると思えることが必要である。

  失敗は少ないにこしたことはないが、ゼロにすることはさけられず-----たとえ失敗しても

  解決できる見通しがもてるということである。

  そのためには、ただ一般のカウンセリングやコ-チングだけでなく、飲食を共にしたり

  キャッチボ-ル、バドミントンなどすることも、心の隔たりを縮めるために有効と実感して

  います。 

 

 


 6月27~28 日 成長期の子供から高齢者に至る人々の責任の意味

 

    6月27~28日 成長期の子供から高齢者に至る人々の責任の意味

   私は、過日小学生の双子の女児のお母さんとカウンセリングしました。その時、お母さんは

   その子たちに食事のお手伝いをさせたそうですが、言われるとやってくれるそうです。

   でも、言わないとやってくれないとのこと。「どうしたら言われなくても進んで

   やってくれるでしょうか」と言われました。そのとき私はアドバイスは何もしませんでした。

    人は子供も大人も誰かに言われるとやることには余りやる気なりません。しかし、何かの

   きっかけで、やりがい、意味を感じると進んでやるようになりす。そのきっかけは

   親からの子供への褒め言葉、感謝、一寸したねぎらい等から始まります。

   学校の勉強、活動のこと、教師が本人の努力や活動ぶりを評価したことなども、きっかけに

   なり得ます。そのようなことが食事の話題なって親子間の対話がはずむと相互の絆が強く

   なります。高校生になっても、私が担当した倫社の中の親の仕事の理解も、実際に

   アルバイトをして配管工の父の苦労を知ったことの事例を話したことを食事の時に

   話したことを作文で書いていた女子もいました。

   只親から『お手伝いして」でなく、年齢に応じて家庭、学校、職場等の人との協力、

   役割を果たす事での責任の意味をそのつと゛教育していくことが必要と感じます。

   集団、組織内に於いて一定の責任を果たせてこそ、その人の存在価値(人格)が認められ

   ます。そのことは、たとえ心身のハンディのある人でも、その人の努力に対して

   そうされるべきと感じます。そして年をとり仮に認知症になっても、本人の残っている

   健常性、長所を引き出して、本人の存在価値を尊重していくことが今後さらに高齢化が

   進行していく中でも、「共生社会」のあるべき姿として常に私自身に念頭に入れれて

   実践を試みています。




2018・6 ・1~ ある女優さんに勧めたい書

 

   6月1日~ ある女優さんに勧めたい書 加藤かずこさんへ

   つい最近、新聞に彼女が熊本の甘酒できれいになったことのインタビュー記事が出ていて

   とても懐かしい思いがしました。この人が高2の時、私は世界史を教えていました。

   その頃の私は、パチンコから脱してかなり教科の勉強に打ち込んでいましたので

   生徒を引きつけることができたと思います。例えば、社会主義者のエンゲルスの著書

   イギリス産業革命期の労働者の状況(1844)は、日本の戦前の女工哀史を想起します) 

    ですから親たちは、「そんなところで娘を若死させるよりは、売春婦にした方がましだ。」

   と言っていたことを話すと生徒は笑い出しました。

   このころの大英帝国は、インドなど世界で植民地を築く、世界の工場として発展の

   途上にありましたが、このような悲劇的な矛盾を抱えていました。歴史を複眼的な

   視点から見ていくと結構面白いと生徒も感じてくれたのではと思っています。

   彼女の授業中の態度は良く、成績も上の部類でした。その後彼女は淑徳大学に進学し

   2年生のころから演劇を目指したそうです。やがて「何となくクリスタル」などに

   女優として活躍し、有名になりました。つい最近の新聞の広告蘭に、60歳になった

   「妖艶」な感じの写真が出ていて驚きました。記者との会見では、以下のように

    語っています。「しっかりと自分の充実、キレイを大切にしたい。自分が充実して

    こそ、良い仕事ができるのだから、このように(仕事のために、キレイが必要と)

           順番を逆にすると良いと思いますよ」。筋の通った話ですが、私は、即座に

    感じたのは、「あなたにとって充実とはどんなことですか」と問いたくなります。

    かって私のカウンセリングとコ-チングを指導して頂いた光山先生は、カウンセリング

    コ-チングをしているとき、自分はクライアントとどんな接し方をしているのか、

    その様子を外から眺めたとき、どんな印象をもつかが大切と言われました。

    (前者をアソシエイト、後者をディソシエイトと言います)

          つまり、役者の場合、第三者からみてどんな演技をしているか客観視する必要ありとの

    ことです。年とともに容色は衰えますが、それをカバ-する人間性(人間力)が問われ

    ます。まさに「心の軸」(その役者の人生理念)が問われると考えます。

    そんな時の勧めたい書としては、旧約聖書の箴言31章(ここでは、化粧、服装などで

                                                            (しんげん)

           装う「麗しさ」は偽りとし、「美しさ」も空しいとしています)

          もう一つのお勧めの書は水島広子先生の「本当の自信を手に入れる9つのステップ」

    こちらの方が理解しやすいと思います。

    何かを押し付けられるのでなく、「そんな見方もあるのか」と視野を広げて頂ければ

    幸いかと思います。