カウンセラーとして話したいこと オ-プンダイアロ-グ続1

 

   12月30~31日 オ-プンダイアロ-グ(OD)   続1 その1

    <この対話の特色>

        1  対話形態の特色

   日本の各地でメンタル障害者のためグループワ−クの集会があり、専門家が

   指導して対話が進められていきますが、北欧の医師などフィンランドで始まった

   オ-プンダイアロ-グでは、あくまでも患者個人を中心にして、その親、知人

   地域の医師、メンタルのカウンセラ-<臨床心理士等の専門家が輪になって

   本人を取り囲んで対話します。これらの人々の間には、身分、地位等に

   全く関係なく自由に対話できます。

   医師など専門家がリ−ドするのでなく、患者ことは本人自身が一番よく知っている

   という信念に基づいてクライアントの自発的発言を待つという姿勢で貫きます。

   そうすることで、色々な人々の発言をじっくり傾聴していく中で今まで自分も

   知らなかった自己に気づくことだってあるのです。ですから従来家庭、その他の場所

   でも言わないことも本人の口から出てくることもあって癒されるのです。

   また、この対話のグループでは、本人のいないところで、治療に関するについて話し 

   会うことをしないとのことです。斎藤環先生は以上のような対話の形態を称して

   治療的民主主義と言っておられます。

        「薬も入院もいらない」この治療は素晴らしいですが、ただ方法論で述べるのでなく

   人間の人権をどうとらえているかの根本的なことにどの参考書もふれていませんが

   この点も大切かと私自身そう思っています。

     私が教職についていた時代、米国の独立宣言の箇所を原文をプリントで配布して

   いましたが、それには明確に人権のことが明記されています。フィンランドでも

   同じ認識をもっいることが、名曲フィンランディアから想像できます。

   一回のODではやく60分から90分とのこと。重大な危機をともなう症状では、

   10~12日観にわたって毎日ODを開くこともあるとのことです。 

      格差社会の日本では、患者とその家族が医師などの専門家と対等に話しするなんて

   想像できません。この連続的なミ-ティングの過程を安定感、安心感のあるものに

   するため、なるべく同じメンバーで関わり続けるようにするとのこと。

   それにより治癒をもたらす対話となっていくということです。

   オ-プンダイアロ-グ(OD)では精神疾患の症状は、独り言のようなモノローグ

   認識・語り掛けによって生じると考えらていると。そういう凝り固まった「しこり」の

   ようなものがODでは「多角的」な話し合いによってしこ融解し、治癒するものと

   考えられているとのことです。

    ノ‐マライゼ-ション(健常者と障害者らの差別をなくす)一つとっても日本は後進国

   の域を脱しません。

   ずっと以前にノルウェ-の人と話した時のwe  are same nationaltyの言葉が

   私の心に響いています。不快な壁を作らない国民でありたいと思います。


令和2 元旦 OD 続1 その2

   

   令和2 元旦 OD 続1      その2  ODの成果

    新年あけましておめでとうございます。今回のオ-プンダイアロ-グは、初めての

   チャレンジですので説明不十分の箇所があるかと思いますがよろしくお願いします。

                      メリアP1010082.JPG

                            アルストロメリアを中心とした生花


        その1では、オ-プンダイアロ-グ(OD)の対話形態の特性について患者の状況に即して

   思いやりをもって臨機応変に対処しているのが理解できます。

   その結果このODは、どのような効果をあげているかこの箇所で述べています。

   ODに参加した統合失調の患者と通常の治療を受けたこの症状の患者を比較すると

   再発生率の低下や入院期間の短縮など治療の成果が有意にことなるという結果が

   出ているとのこと。具体的には西ラップランド地方(ODの発祥の地)において

   統合失調の入院治療期間は平均19日間短縮されたこと、2年間の予後調査では

   再発率が71%から24%に抑えられていることなどがあげられているとのことです。




       

令和2 1月8~ 13日  OD 続1その3 ODの推進過程での問題とその克服

 

  令和2  1月8~13日 OD続1その3 ODの推進過程での問題とその克服

      この単元で参照する参考書は「対話のことば「」 井庭崇先生 長井雅史先生共著です。

                 P1010098.jpg  

 

    初めにこの書を通読していて私自身従来の一対一のカウンセリングにせよ、、障害者の

  職場復帰を目指したグル-プワ-クなどと比較するとこの対話法は、フィンランドで発祥

  したした全く異質なものと感じますが、究極の患者の治癒ということなどに関しては

  私の心にも伝わってくるものを痛切に感じました。

  特に密室内の初対面の人とのカウンセリングでは、障害者の人にとっては、かなり

  圧迫感を感じているを想起します。実際当人と打ち解けた状況にいたとき、クリニック

  でぴりぴりしていた折に臨床心理士から質問されて、彼女の心にぐきっときて、何も

  言えなくなったと。気の強そうなこの人でも。

  それに対してこのODでは、患者の家族親、親類、友人、知人、医師などの専門家が

  患者とおなじ目線で対処してくれてしてくれて、患者としても、安心して心を開いて

  話せるし、皆さんが患者を温かく気遣って支援する中で、(その1で述べましたように)

      患者の心の奥に潜んでいた本当の自分と向き合える気づきを得てこころの問題が解消されて

     いくのを想像してこちらも感動しました。

  これからODが色々な紆余曲折の時には対話が混とんとして行き詰りそうになっても

  患者の不確定状況に患者の周りの人々が忍耐して立ち向かう箇所など出てきます。

  時々拙い私のコメントを交えてODの節目について述べていきます。

     <ODに学ぶ対話の本質>、

   今回の対話のことば(オ-プンダイアロ-グに学ぶ、問題解消のための対話の心得)

        著者は、ODに取り組むミ-ティングの参加者に対して次の3つの大切な本質に関する

   実践項目があり、各項目ともそれぞれ9項目の実践項目から成り立っています。

   30の項目はフィンランドの例を挙げましたように、グル-プの集会で実践するのを

   促すよう著者は丁寧に述べています。

   1 体験している世界を内側から感じる

    〇 一人の人として  これは、その人(患者)が生きている世界がどのようなもの

      であるか、そしてそれに伴って生じる感情はどのようなものかを理解する

      ことを目指します。

     〇 じっくり聴く   

     〇 開かれた質問

     〇 言葉にする時間 言葉が生まれる余白をつくる。(聞く態度に関わること)

              〇 語りへの応答

     〇 内側から捉える

     〇 感情の通路 

     〇 これまでのへの敬意 

      ▲感情の通路  つらい体験で話が閉ざされるときには、落ち着くようになだめ

     話題を変えることもするとのこと。本人から出てきた感情は抑え込まず、それを

     頼りに話を聴くことで心の奥底に降りていく。そのもとにある体験を少しずつ

     言葉にする助けをする。患者のことばのみでなく、姿勢、表情の変化にも注目する

     すべしと。本人にとって大切そうなことは、「本人の気持ち」に聴くことが

     必要とのことです。。その結果今まで目を背けたくなる体験に対しても、向き合える

     ようになると。その結果語れなかったことが徐々に言葉となり、囚われていた

     状態から解放されていくとのことです。

     ▲ これまでの敬意  「あなたは随分と長い間このような大変な事態(試練)と

     戦ってきたわけですね。-----Serkkula&Arnkil

              (単なる本人への慰めでなく、本人の気力の回復を促すことば)

     敬意とは、本人への敬意やねぎらい、力づけの言葉と感じました。

 

   2  多様な声が生じる場にする

     〇 全員の発言

     〇 応答の早さ

     〇 気持ちの共鳴 

     〇 リフレクティング これはコ-チングのフィードバックに類似しています。

     その他5項目です。

     このリフレクティングはODの大切な手法の一つで、「相手の言葉を聞きいれ、

     それについて考えをめぐらし、それをまた相手に返す」作業とのことです。

     コ-チングのフィードバックを想起させる手法と似ています。

 

    3  新たな理解を一緒に生み出す 

     〇 発生時の立ち上げ(問題を抱えている患者救済のために本人の家族、知人、

       友人、支援する専門家等の協力を得て対話のグル-プを立ち上げる。

     〇 一貫した関わり

     〇  各々の認識

     〇   混沌とした状態(グル-プ内の各人の認識が異なる混乱)

             〇 意味の変容(新しい理解が開けるのは対話としての話し合いができてこそ。

      それができたときに、話し合いに参加している人たちの『間』という場所に

      新たな意味が生まれてくるようである。(Seikkula&Arnkil)

       目的意識を共有する仲間の意味と推測します

               〇 一緒に見出す    (理解の一致に達するのでなく、みんなの理解と理解を結び

        合わせること(Seikkula&Olson)

              〇 広がりのある文脈(患者を取り囲む仲間との理解の一致に近づく)

             〇 未来への仲間   

     ▲ この大項目 「新たな理解を一緒に生み出す」での注目点

              < 前半の対話の混沌とした状態に至る過程>

              対話のミーティングチームを立ち上げ何回もミーティングをしますが、参加者は

     患者の一面しか捉えることしかできず、その克服のためには、各人の認識の

     内容を知って対話を続けます。その結果少なからず他者の発言が自己の認識に

     影響を与え混沌とした状態になります。そこを克服する努力により各自が

     抱いていた患者に対しての問題の意味が変容します。この「「混沌状態」は

     「変容の最中」(大事なタ‐ニングポイント)です。

     様々な見解が出て新しい意味の創造過程では多義的不確定になりますが、それまで

     忍耐していた中での仲間の信頼感と安心感があるため、この不確実性に耐えれば

     新たな理解に進むことが出来ると。

     各人は自己の認識の変遷過程を振り返り、その過程の背景をほぐす努力もするとの

     印象です。しかし、チームでは一部の意見に左右されず慎重にするとのことです。

     このようにして不確定性に耐え抜くことで次第に各自のそれぞれの認識が混ざり

     合うことで意味の変容から新たな理解への道が開けてくるとのことです。

            <新たな理解を一緒に生み出すへの進展>

         各人も自己の認識の変遷過程を振り返り、その変遷の背景を解きほぐす努力も

    するからです。しかし、結論は一部の意見に左右されず慎重にするとのこと。

    このようにして上記のとおり新たな新たな理解を一緒に生み出す道が開かれ

    ていくと。但し一寸間違い易いのは、理解のコンセンサスでなく、理解と理解

    とを結んで合わせることであると。(Serkkula&Olson)

              29  広がりのある文脈

        「対話は単に合意点を探すのでなく、新たな態度を支える新たな文脈を生み出す

      こと、価値観を共有しながら協動行動をすることができるようになることを

      目指している」と。(Seikkula&Arnkil)

      〇 これまての対話の成果を包みこんで新しい物語を見出す時となっていく

      進展が見られますし、

      〇 患者の新しい自己発見とそれを認識した仲間との間に生まれる新しい物語を

       把握し合うとのことです。(両者の協働活動の成果)

                その結果患者を取り囲む仲間との新しい気づきとの関係で理解することが出来

      それによって患者の問題やそれの原因とされていてたことも新しい位置づけ

      で理解されて意味が変容し、そのその問題から解放されることになると。

      (問題の解決でなく、解消なのです)

               この新たな理解は今後の本人の心の拠り所となり、未来への希望をもたらす

     貴重な成果となり、新しい仲間と共にODからOAへと指向の方向が進展します。

     OAとはopen  anticipation(期待)のことです。

    以上の3つの大項目の27項目を含めて各ステップを経て目標に到達します。


令和2 1・25~ OD 続2 ODの日本への導入に際して懸念されること 斎藤環先生執筆

   令和2 1・25~  OD 続2  ODの日本への導入にに際して懸念されること

       斎藤環先生執筆 精神科治療学 33巻 2018  3月号 星和書店より

   筆者はこのテ-マの初めに次のことを述べています。

   日本へのODの導入に際しての懸念としてすでに「ODの推進過程での問題」に表示された

   7つの原則と12の基本要素の殆どすべての項目について、日本の臨床現場への導入に

   際しては抵抗や困難が予想されるとのことです。後で若干私見を述べますが

   それらの原則と基本要素は、一口で言えば「フィンランドでは、患者一人一人の人権が

   とても大切にされている。」と思います。

   それに対して日本では、建前は人権尊重といっても、医療現場、教育、企業現場等では

   相反することが日々発生しているからです。

   フィンランドでは、7つの原則の社会的ネットワ-クよる患者を含めたミ-ティングに

   よる対処法、治療チ-ムによる必要な支援、全体に責任を持って関わる。

   心理的連続性(患者をよく知っている同じチ-ムが最初からずっと継続して対応する)等。

   これを読んでいてふとロジャース流カウンセリングを超える忍耐強い愛と叡智の結集

   による力が「不確定性」に耐えうるものと痛感します。

   ついで筆者は、ODの思想的側面は日本の精神科の治療文化としばしば対立すると

   指摘し、最大の困難は薬物療法や入院療法を極力行わない方針に対する「不確実性

   への耐性」の獲得であろうと。

   この「不確実性への耐性」を支えるのが治療チ-ム、ネットワ-クの存在、

   「心理的連続性」、「対話主義」(様な声に傾聴し続ける)などの原則であるとの

    先生のご指摘どおりであり、このような忍耐強い愛が患者を治癒するチャンスを

   与えるものと思います。

        <OD導入に際しての筆者の強調点の確認>

   すでにODが日本の医療文化、制度とは異質のものであることが、7つの原則と12の基本

   要素をきちんと留意すれば筆者の強調点が理解しやすいと思います。薬も

   入院も不要とのOD側の主張に対して、従来の日本の医療文化からパラダイムシフト

   (日本の従来の医療の方法、制度を根底から見直すこと)を筆者は主張します。

   全く異質な医療文化故に表面的な上辺だけの技法論にとどまればODの本来の可能性は

   減殺されてしまいかねないと。

   方法論を例として挙げますと、7つの原則の中の「対話主義」の説明で「多様な声に耳を

   傾け続ける。ここに筆者の説く「治療的民主主義」がよく出ています。

   官公庁、国政、企業等もこの言葉を爪の垢を煎じて飲む位の度量が欲しいです。

   それと12の基本要素の「リフレクティング」の説明では、本人の努力を評価しつつ

   今後の方針について意見交換する。ここにも、温かい傾聴と治療的民主主義を感じます。

令和2年1月29日 ODの導入の懸念 後半 その1  斎藤環先生執筆

 

  令和2年1月29日 ODの導入懸念 後半その1 斎藤環先生執筆

  <即時対応と柔軟性>

      私の知る限りでは、知人の話によると、家族がメンタルの治療でなく、クリニックに相談

  にのって欲しいとのことで依頼しても3カ月後でないとできないとのこと。もし本人が

  性急に求めていたらどうなるのか、私が30代の頃気にかけていた生徒にこちらが話しを

  打診しても断られ3日後自殺したことがあります。このようなこともありますので

  ODのこのようなテ-マについては、関係する方々のなかには関心をお持ちになる方が

  みえると思われますが、フィンランドの例は色々と参考になりそうですが、あまりにも

  ハ-ドルが高すぎます。

  原則@即位対応とは必要に応じて直ちに対応することの意味です。そして医療関係の組織

  のレベルでは、柔軟性と機動性も同等の意味をもつとのことです。

  ODの発祥地の病院では電話で相談を受け付けてから24時間以内に治療チ-ムを組み

  患者の自宅を訪問することが可能とのこと。

  その上フィンランドでは、医療区の公立病院の精神科の受診では治療無料で原則として

  どんな相談でも対応することを考慮すると、たとえ受診可能な区域が限定されては

  いても、日本でも同類のことを実践しようとしても、困難であると。

  このように理想的にメンタルヘルスのサ-ビスが先進地域で回転している理由は以下の

  とおりです。

  〇 ODによる早期介入が有効であり、短期間で治療終結する患者が数多く存在する。

  〇 スタッフ一人当たり担当患者が少なくて、治療の質が高く、スタッフの疲弊も

    起こりにくい。

  〇 心の問題が起きたら拠点病院に電話するという治療文化が定着している。

  以上の点を考慮するなら、ODが真価を発揮するには、手法の普及とともにサ-ビス提供の

  システムとしてその地域に見合った組織が構築される必要が求められると  

  そして問題が生じた場合の援助希求の行動のとりやすさ、患者のみならずその本人を

  とりまく「ネットワ-ク」(患者の知人、専門家等が参加する)を治療に巻き込むこと。

  いきなり「診断」せず、さしあたり「困りごと」として対応するなど新しい治療文化の

  導入と啓発が並行してなされる必要があるとのことです。

    上記のBの原則の「柔軟性と機動性」はこうしたシステムが存在することが

  前提となるとのこと。これは具体的には、患者のニ-ズに専門家が合わせることを

  意味していると。

  しかし、現在の日本の臨床現場はこの逆。患者が専門家の専門性に合わせなければ

  ならない。専門家ごとに細分化されつつある日本の臨床現場がこうした柔軟な発想を

  とれるかどうかも又大きな懸念材料との筆者の指摘です。 

      この記事を入力していて、ふと現国の教科書にも出ていたパスカルの「パンセ」の

  もとになっている旧約聖書のイザヤ書に出ている

     有名な 箇所「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯(消えかかるロウソクの灯)を

  消すこともなく(これは苦しんでいる民を救済するメシアの到来を予言する箇所です。

  ODの発祥地の拠点病院のケロプダスでは、相談に対しては専門外を理由に断ることは

  ほぼないとのこと。治療よりまずケア。ケアよりは悩みの相談にしばしば近い

  ミーティングの性質がそれを可能にしていると。

  日本の病院では専門語とに細分化されていて、こういう柔軟な発想がとれるかどうかも

  また、筆者の大きな懸念材料と指摘されています。

  (治療の根源に関わる人間性に触れる問題提示と痛感しました)

 

 

 

 

令和2 1月31日 OD導入に際しての懸念後半 その2

 

       令和2 1月31~2月4日 OD導入に際しての懸念 後半 その2

    

                   <ネットワ-クと責任>

        ここでは原則B社会的ネットワ-クの視点をもつについて筆者が以下のように

   言及しています 。

   「ネットワ-ク」はすでに述べていますように患者と家族、友人、知人等の

   つながりのある人々とのワ-クを意味します。ODの源流の一つは、システム論的

   家族療法であり、本人の問題(それとほぼ似た疾患も含めて)はネットワ-ク中で

   起こると。この発想(ネットワ-クと責任)はここに由来するとのこと。

   ODと家族療法との違いは、ODなら本人の行動次第で外へ伸び、本人が同意すれば

   このネットワ−クに誰でも参加できる点にあると。

   日本の臨床現場では、家族の同席することすら受け入れられない場合も少なくないが

   近年では積極的に家族相談に応じる臨床家も増えつつあってそれほど懸念することに

   当たらないかも知れないとのこと。

   原則C責任とは最初に関わりをもった治療チ-ムが治療のすべての過程に関わりをもつ

   とのこと。身体疾患で入院にも必要あればチ-ムは病棟に赴いてミーティングを開くと。

        この原則は次の原則A心理的連続性とも深く関係している。ODの実践ための基本要素

   (11)ミーティングの継続性、連続性を保証するとの規定があります。

   これは具体的には同じチ-ムメンバーが余り間隔を空けず継続的に関わるという意味です。

   患者の状態が急性期から抜け出して症状が改善できるまで同じチ-ムの関わりは、本人

   のみならず家族に対しても続けられると。この点も日本の臨床現場とは基本的発想か

   異なっていると。

   筆者が言うには、日本に重視されるのは「治療者の互換性」の方ではないだろうかと。

   つまり担当医が交代しても同じ品質のサ-ビスが受けられるようにできるだけ特別な

   ことはしないという発想である。ともすれば医療をファ-ストフ-ド的な均等化に導かねない

   この考え方は、若い世代の臨床家に広く共有されているように筆者は思われると。

   この発想もここには日本に於いては治療期間が長期化しやすいという問題が関わって

   いると。ODの場合でも少なくても急性期への介入については2週間程度で改善が

   起きることが一般的のようとのこと。つまり責任や心理的連続性という発想は短期決戦

   型で治療を考えているという前提故に可能となっていると。

   治療を長期で考えるならば、治療者の交代を視野に入れた発想になることは避け

   られないと。(もう一つ私は、、ただ長い期間だから交代を考えるのでなく、患者と医師

   との問題も考慮に入れた人選の検討も必要と考えます)

          <不確実性の耐性>

       私は、今回のODの関係書を通読していて、ふと平井孝男先生の精神分析関係の著書の中で

  「患者が治療の主体になる」という記事に出会ってまさに「目からうろこがとれた」思いが

  したことを想起しました。このテ-マ「不確実性の耐性」を発揮する際の大事なポイントに

  なると思います。筆者はこの耐性はODの根幹をなす原則の一つであるとの指摘をしています。

  急性期の明日何が起こるのか誰にもわからない状況を如何にして支えるか。

  Seikkulaは「対話こそが迷宮を脱するための難問解決のための手引、方法である」と述べて

  いるとのこと。チ-ムによる対話の連続を通じて安心と安全をもたらす治療的文脈や場面

  づくりがなされ、どんな発言も傾聴され、応答されるという雰囲気が共有され、こういう

  雰囲気が共有される。こうした土台の上に立って初めて対話は治療的なものとなる。

  この考え方、システムはODの中核としてすでに各所で述べられています。

  しかし、クライアントは精神障害者なのですので、感情や理性の働きがぶれることがよくある

  ことなのですので、それにどういう対処をしてODを進めていくのか疑問に思います。

  筆者は、上記のODの通例のパターンに対比して日本の臨床では、異なる対応を指摘します。

  急性期の「不確実性」に対しては、多くは隔離拘束-(行動制限と身体拘束による措置)です。

    私が名古屋市内のあるNPOで問題なく、自閉症スペクトラム、アスペルガーなどの

  障害者とカウンセリングをしていましたが、その後事情があって幾人かのstaffが去り

  私もさりましたが、一昨年その後のNPOの様子を伺うと、なんとそれら二人は隔離拘束で

  面会できないと言われました。

  しかし、筆者は長期の身体拘束があるにせよ、この風潮に対抗する上で「不確実性への耐性」を

  力説しています。たとえマイナスの変化であっても、想定外の出来事ことはしばしば転機に

  なるからであると。

  でも想定外の悪化事態として自殺者でも出たら誰が、どう責任を、をとるのかと私も

  そういいたくなります。実際その例に遭遇していますので。

  筆者は、薬物治療や入院治療をできる限り行わないことで見かけ上増大する「不確実性」こそが

  OD導入に際しての最大の障壁になり得ると。

  薬物や入院を用いないことで不足の事態が生じた場合の責任はどうするのかという怖れが

  ODの導入を躊躇される最大の要因になるからであると。

  フィンランドでもODの発祥地採トルニオ市以外にODの実践が広がらない理由の一つである

  とされる。この点に関して筆者は「治療経験と実証を重ねることで乗り越えていくほかないで

  あろうと。」原則Fの対話主義は、一言でいえば対話のもたらすポジティブな変化に対する

  信頼であるとの筆者の見解。

  ODの過程とは対話を続けることを目的として多様な声に耳を傾け続けることである。

  それは「ODのゴ-ルは変化や改善、治療ではない。」それらは副産物である。

  副産物に執着すれば対話は停滞する。

  (ここで私はODからOAへの未来指向にステップアップを目指す情熱を感じました)

     それは素晴らしいです。でもその前に「多様な声に耳を傾ける」について疑問を感じます。

  元来このODは統合失調障害の方々の治療から出発していると伺っています。

  しかし、この人々は、通常のカウンセリングでは通じませんし、連合弛緩など物事の理解に

  支障が生じることなどあります。私自身も接していてそう感じたこともあります。

  ですから、そう簡単に障害の発生した人を対話のチ-ムに迎えることでうまくとは

  思えません。その前に事前のケアが必要と感じますが----。

  でも平井先生が述べてみえますように「患者が治療の主体になる」の道が開けていく

  可能性があるのはとても素晴らしいことと痛感します。

令和2・2月11~ 変わり始めた精神医療 オ-プンダイアロ-グの可能性 fd@/q

         令和2 2月11~      変わり始めた精神医療 オ-プンダイアロ-グの可能性

     令和元 6月11日 ヤフ-記者取材による資料入手

   今精神医療の現場で「オ-プンダイアロ-グ」が注目を集めています。フィンランド

   発祥のこの治療法は、患者と医師等の医療の専門家、本人の家族、知人、友人等も加わり

   対話を行っていきます。入院や薬による治療では得られなかった変化も見られる

   などその可能性に大きな期待が寄せられています。この方法の注目点の特色は以下の

   3点です。

   (a)  対話を重視するオ-プンダイアロ-グ。

   (b)   対話の"普通さ"が問題を解決に導く。

   (c)  人と人の対話がもたらす効果

   まず(a)について 

   オ-プンダイアロ-グ(OD)を実践している千葉県のクリニックの部屋では、ソファーと

   柔らかい雰囲気のある椅子が並べられ、医療者と患者が向き合う従来のような堅苦しい

   雰囲気でなく、まるで家庭のリビングのようとのことです。このクリニックで診療を

   行っている精神科医斎藤環先生はODのネットワ-クジャパン共同代表を務めています。

        このODと従来の日本の医療とはどのような違いがあるのか、ヤフ-記者が斎藤先生に

   インタビューしたとのこと。以下に先生からの説明があります。

   「非常に大きな違いがありますが、まず何と言ってもお薬とか入院はできるだけしないで

    対話を中心に治療を進めていくというところが挙げられると思います。

    それからもう一つは、患者さんが安心感と安全保障感をできるだけ強く感じられる

    ような雰囲気をつくること。この部屋もそのつもりでレイアウトされています。

    くつろいで安心できる空間でこそ良い治療ができるという発想も従来乏しかったと

    私は思いますのでオ-プンダイアロ-グ独特のものと言っていいんじゃないかと

    思います」と。従来の医療と比べて医師と患者の関係は限りなく対等に近づいて

    来ていて、フラットな関係でやるというのが原則になっています」

          (b) について   対話の普通さが問題を解決に導く

    斎藤環先生がいうこの「普通さ」とは、自然体で患者が医師をはじめとする関係者に

    対して患者が「構えてしまうことなく」、ありのままの自分で接していくことと

    感じます。このスタンスこそ対話が円滑に進み双方とも新たな気づき」がえられると

    思います。すでに私がこのような事と関係がある記事で、あるNPOで偶然顔があったとき

    一度も対話したことがなくても、わたしのことを仲間から聞いているらしく、

   あるクリニックで臨床心理士に質問されて「心にぐさっときた」といいました。

   何か厚かましそうな女子ですが、それと裏腹に意外と「かわいい」感じがしました。

   この女子も状況次第では、自然体になれば対話は進むと感じます。

          実際にこのODによる治療がどのように行われていくか、その実例が都内のある

   クリニックの様子が出てきます。このレポートは以下のとおりです。

   主人公のKさん(20歳)  統合失調症型障害と診断されている人

   10歳代のころから外出すると周囲に見られているように感じ、家にこもらざるを得ない

   ことに苦しんでいた。

   この日担当医は森川医師

   参加したのは、Kさんと母親、医師、看護士、心理士、家族、トラウマセラピスト等の

   5人の専門職、このようなチ-ムで対話が進む。

   森川医師 「今日この場において話したいなと思ったことってありますか?」

        Kさん 「例えば今日大丈夫なんですけれど、家とかで母親と一寸言い合いになっちゃったり

       、そういうのがあっては」

   大切にされるのは、患者が今話したいことを尊重すること。通常の診察とは違い、診断名

   に関わる症状以外のことも時間かけて聞いていく。本人だけでなく家族の声にも平等に

   耳を傾ける。

   森川医師「お母さまは今日特に何か話したかったなぁって(ことは)」

   母 「私か゛一寸仕事に出かけようと思ったときでして」

   Kさん 「今日俺1日何も予定がない。どうしよう」

   母「でそれを私に言ってきて。ただその話をしていると喧嘩になっちゃうんですよ」

        森川医師「言い争いになっちゃうことについて、ただ聞いているだけでも、聞かず

       ぼんやりして頂いてもいいので、一寸5人で話してみてもいいですか?」

       医師や専門職の参加者が体の体の向きを変えて話し始めました。

       通常患者の前では行わない専門職同志の意見交換を目の前で行う

       リフレクティングという手法でした。

   看護士「私が思ったのが何回でもそうやってけんかして、やり直してっていうのが

       何かそう思える安心感っていうか、何か安心してケンカできたら、いいのか

        なっていうのは思った」

   森川医師「安心してケンカする?」 

   家族療法、トラウマセラピスト 「この10年間にがどうだったのかお二人の関係性が

        がどうだったのかなんて思って。それがここまでケンカしても今日仲良く

        いらっしゃっているというふうに回復してきたっていう関係性が私は

        すごく信頼性があるなって思いました。だからケンカしているって

        おしゃってるけれど、その質っていうのが大部ちがうんじゃないかって思った

        んですよね」  

    森川医師「今話したいことってありますか?」   

    Kさん「周りが見ている、感じることを聞くとやっぱり自分で新たに「あっそうだった 

       なあ」と思うこともあって。前に比べたら本当によくなっているのはよくなって

       いるので」

    母「そうなんですよ。忘れちゃんですけれどね、結構その大変だった時期って(あって)。

      でもやっぱりもい返すと本当に遠慮して、遠慮して、もう怒らせないように

      怒らせないようにしてましたので、普通の病院の診察で先生1人と親子の3人で

      話しますと、絶対私の本音も言えないですし、最近こうしたこういう状態ですって

      いうと、先生が「ああそう、じゃあ薬どうする?」って。「それで終わりなので」

    こうして対話を繰り返す中で、親子の関係は少しずつ改善してきました。

    現在ODの実践が始まったが日本で、治療の有効性を裏付けるデ-タf集まっていませんが

    2年まえから治療を受け始めたKさんは、一人で外出する機会が増えてきたとのこと。

    薬の量も減っているなどODを受けのの始めてからの変化を実感しているとのことです。

    本人の気持ちが前向きになり、最近では自動車の教習所に通い始めたとのことです。

    私の感じたこと 今回の統合失調症のKさんの親子関係の対話の質の向上、

    外出ができるどころか自動車の教習所に通い始めるまで進んでいるとからして

    ODの対話療法の効果が発揮されているのを知って感銘を受けました。

    自分の浅学と経験不足からODの導入の困難さに触れて書いたことを反省します。

    今回のKさんと同じ症状のFさんが私の家でパスタ料理にトライしにやってきますので

    その時にこのODのことも話してみたくなりました。

    この先彼にとってOAへ進むことを念願して止みません、私自身も更なる研鑽に

    磨きをかけたいと切望します。 

令和2   2月16日 メンタルにハンディのあるXさんのパスタ料理の支援

 

         令和2  2月16日 メンタルにハンディのあるXさんのパスタ料理支援

   アフガニスタンで不慮の死の中村医師に感化されて

   あの事件直後のネットの西日本新聞の記事の中でこの医師が、九州の引きこもりの

   青年を受け入れて指導していた記事をみて驚きました。現地では目の色変えて一心に

   灌漑などの作業をしていたとのこと。かってある方から、教育とは学校で与えるのが

   すべてでなく、その外で何らかの「心に残る感動を与える」ことと教えて頂いたことが

   心に深く残っていまして、とっさに思いついたのがパスタ料理でした。 

   生け花と同様これも「鈍臭い」ですが、少し一味工夫をこらしたと自画自賛して

   いると思われても、相手が何らかの得心を得て家族や仲間と自作の料理を会食できた

   ならそれでいいと思います。てきたら本人も試食した人のアドバイスを得てさらに

   一味違うもので作れば幸いです。この料理のトライは彼の潜在する創造性を少しでも

   発揮していくものであることを願っています。

   ネットで調べると「料理療法」もあります。それは本人の自信と達成感につながり

   ます。失敗しても、また信頼回復のためにも、こちらも尽力する覚悟です。     

   かって私は、この人とNPOの二階でカウンセリングをしていた時に

   「急がば回れ」についてこの諺の由来の一つに、古代ロ-マの英雄カエサルのことばが

   ありますあります。「ゆっくり歩む者は、着実に遠くまで行く」

   メンタルにハンディのある人は進歩は遅いかもしれません。

   しかし、先々になつて遅れても自己の目標に到達することもある。

   この話をし始めたとき、東北大震災の影響で二階が揺れて話が中断しました。


 3月17^20日 ひきこもりについての二人の専門家の記事について

 

  3月17~20日 ひきこもりについてのの二人専門家の記事について

       石川良子先生と斎藤環先生の記事より

       2020年 「教育と医学」3・4月号より抜粋して

      アルストロメリアP1010099紫と赤味の.JPG    

                   アルストロメリアを中心とした生け花  

    まずは両先生の「ひきこもり」の定義とそれに関してそれぞれの見解から

  1  石川良子先生の記事 「ままならなささと共にさいとう 生きる」

  色々と斎藤先生の見解について批判されていますが、いつ頃の何を根拠にしてそう述べて

  いるのか問題と思います。両者の見解を今回の教育と医学をみていると、石川良子先生は

  斎藤先生の直近号の記事に出ているOD(オ-プンダイアロ-グ)をみていなくて述べている

  ことから違和感を覚えます。「社会参加をしない状態」の期間のことでは、斎藤先生が

  ひきこもっている目安として、このくらいという意味で私は了解していますので、

  石川先生が「治療の必要上そちらで判断して治療をする必要があるから」期間を

  6カ月とか定めていること、そしてひきこもりの定義よりも「治療の方針」ときめつけて

  いると感じがします。今回の教育と医学のひきこもりなどの「対話的支援(p25)をみても

  ODに於いては対話の目的に治療でなくて、目的は「対話を続けること」であり、

  「治癒」「変化」「改善」などは差し当たり脇に置かれますとのことです。

  議論、説得、アドバイスは禁物とされるのも対話は終わらせてしまうのを恐れがあるからと。

  逆に対話をひたすら継続していくとおまけ、副産物として改善や治癒が勝手に起きると。

  (当人の気づきによる自発性尊重が分かります)

          内面に関する記事でも決めつけている感じがします。長くなるので詳細は省きます。

  P26の上段を参照されると理解できると思います。

  例えば以下のような斎藤先生の今月号の見解があります。

  「ひきこもり」の当事者は、自分を変えようとする意図や圧力に大変敏感。

  支援者がそうした意図を全面に出しすぎると、かえって信頼されないこともあります。

  「あなたと対話がしたい、あなたが変わるかどうかはあなたに任せる」こういう姿勢なら

  相手から信頼されやすい」と。 このような「ひきこもり」の方に対しての対処の

  指針こそ今回斎藤先生の執筆記事の表題「ひきこもり支援のためのパラダイムシフト」」が

  指針の180度転換を強調しているです。

  人は、長い年月を見れば当人のものの見方も変化しつつ成長を遂げますので、過去にどんな

  立場、方針にこだわって批判するよりも、現在を見据えた未来志向のシフトが大切と

  考えます。

   ▲ 「状態としてのひきこもり」は終ったが

    ここでは筆者は「私の課題は本人にとってひきこもりがどのような経験

   なのか明らかにすることを述べています。

   これにつきましては、筆者自身がそうした人々が、斎藤先生等専門家の言説を取り入れて

   いても語り切れない部分に注目して例示しています。筆者は色んな専門家の定義に

   とらわれず、該当していると思う引きこもり者に対して次のような質問をしたとのこと。

   「今の自分のことをひきこもりと思いますか」の質問の回答の例

   「自分は外にも出るし、人間関係もあるし、自分は当事者(ひきこもり)ではない。

    かと言って完全に抜け出した人でない」と。

    一旦「ひきこもり」から就学、就労を通して脱しても、仕事を止めたり、心身の不調を

    訴え、再度同類の仲間の集会に戻ってくる人も少なくないと。

   つまり「当事者たちは、社会参加の有無だけでは捉え切れない何かに苦悩しており

   その何かをつかまえることこそが、当事者にとって「ひきこもり」かどういう経験なのか

   明らかにすることにつながるはずです」と。

   これは石川先生からの貴重なご指摘と痛感しました。

   こういう状態(また自分はもとのひきこもりに戻った)という一種の挫折感を抱きがち

   ですが、ODAでも指摘していますようにじっくり自己を見つめて、自己の長所、短所を

   冷静に見つめ、新たな人生再出発を可能にする機会にもなり得ます。

   一対一のカウンセリングとODA(オ-プンダイアロ-グ)との接点が見えてくる可能も

   出てくると思います。

       2  斎藤環先生の記事より ひきこもり支援のためのパラダイムシフト

      今回の先生の記事について、このパラダイムシフトを念頭に置いて私が注目した箇所を

  引用しながら述べます。

      この先生の表題のことを考えていて、ふと有名なニ-チェの言葉を想起しした。

  「脱皮しない蛇は死ぬ」の意味 蛇は脱皮しながら成長していきます。人も同じような

  表現として「一皮むけた人間」そこには成長があるからです。

  そして上記の「パラダイムシフト」も支援する側が従来の視点、観点から脱皮してこそ

  「ひきこもり」の脱皮が期待できると思います。

                   ▲ 定義及び精神障害との関係   

   ひきこもりとは、不登校や就労の失敗などをきっかけに、しばしば何年間も長期にわたって

   自宅閉居を続ける人を指す言葉とのこと。臨床単位や診断名ではなく、ひとつの状態を

   意味する言葉。厚労省研究班の定義では、@6カ月以上社会参加していない

   A非精神病性の現象である。B外出していても対人関係がない場合はひきこもりと考えると

   されていると。

   今回の場合では、ひきこもりについての基本的考え方におけるパラダイムシフトを重点的

   に論じたいとのことです。

   まず最初の述べておきたいことは「ひきこもりは病名でも診断名ではない」と。

   但し厚労省の研究班の報告では、ひきこもりの8割以上は精神障害者として治療の対象で

   あるとしていると。

   「精神障害として治療の対象になる人が多い」かどうか以上にひきこもり支援ないしは

    治療において重要な考え方は、彼らを病人や異常な人として扱うのではなく、「困難な

    状況にあるまともな人として対応することでしょう。

    (私自身もそうみているつもりですNP0ないしは、彼らの自助集会では「xxさん」と

    言いますし、彼らが私に対しても「先生でなく、xxさん」でいいと考えています。

    筆者は、「ひきこもりとは、ストレスに対するまともな防衛機制です。問題は、最初はも

    まともであった反応が、長期化とともにこじれていく過程にあります」

    ひきこもる個人の異常性や病理に注目する考え方を「病理モデル」と呼び、逆にその個人の

    健康さ、強味、つまり「まともさ」に注目する考え方を「ストレングス・モデル」と

    いうとのこと。筆者は、ひきこもりに対しては、ストレングス・モデルで支援すべきで

    あると考えている。と(忍耐強く愛をもって対話し続けると本人の失っていたものを

    回復できるからと痛感します。

    その失っていたものとは、かって心に秘めていた願望とか、気力、それを実現する

    潜在的能力などです。いじめなどを受けたり、愛するかけがえのない人を亡くした

    などでショックでトラウマに支配されると、今までの自分を喪失して別人に変化

    した例です。典型的な例としては、すでに時々述べました境界性パーソナリティー

     障害の女性Fさん。仲間と買い物に行ったり、雑談しているときは楽しく

    ても、いざ自部屋にもどってぼっとしていると、魔物みたいのが自分を海中にひき

    ずりこまれいくようで苦しくなるとついリストカットしまうとのこと。でもある時、

    真夜中突然ピアノを引き出すと気分が一新して切らずにすんだと。

    姉には「うるさい」と怒鳴られたそうで、詳細なことは聞きませんが、私はその時の

    対応を誉めました。認知行動療法の選択的適用の応用と直感しました。

    しかし、当時の北区のそのNPOにほぼ同年の発達障害の男性のスト-カ-行為があって

    カウンセリングは中断しました。コンビニで待ち伏せに会ってから来なくなりました。

    でも、介護ヘルパー3級とって将来父母に恩返ししたいと聞いて、この人やるじゃ

    ないかといじらしく感じました。

   ▲ 対話的支援

         厚労省の研究班のガイドラインによれば、ひきこもりの支援として@家族支援

   A個人療法 B集団治療 Cソ-シアルワ−クの段階を推奨しています。

   従って先ずは@からスタートすることが本人の治療にとって不可欠と思われます。

   @は親子との対話がうまくいかないことなどがありなどがあり、支援者側としては

   家族との相談に応じつつ基本的知識と対話法について情報提供していく段階で

   家族会への参加も勧められるとのこと。

   筆者は、近年家族と当事者双方に対する支援とケアの手法としてオ-プンダイアロ−グ

   の実践を進行しています。このODについては、私は別のサイトですでに紹介

   していますが、筆者はフィンランドで開発された精神病に対するケアの手法/システム

   /思想のことを述べています。そしてこの手法はひきこもりに対しても極めて有効との

   ことです。この対話基本スタイルは患者本人を中心として友人、知人、医師等専門家

   等が本人を囲むように座って「開かれた対話」(緊張がほぐれて話しやすい場の

   設定がなされます)

        そしてすでに石川先生と対比して私の見解を述べましたように対話の目的は、治療でなく

   「対話をし続けること」(それによって本人の日頃抱いている様々な思い、感情を

    オ-プンにし、他の参加者も同様に自由に述べていく手法をとります。)

         そして対話に於いては、合意や調和を目指す必要はなく、「違っていること」はむしろ 

   歓迎されると筆者は指摘しています。意見の違いがあっても、それを擦り合わせる

   のではなく、何故違うのか、どのように違うのかを掘り下げることこそ大切とされる

   とのことです。

   対話では、メンバ-それぞれ異なった意見がポリフェニック(多声的)に響き合う空間を

   目指すとること。それはシンフォニー、フィルハーモニーとはずいぶん異なった響き

   になるでしょうと。まさに異なった色々な意見が出てきて、時として混沌としていて

   不安等になっても忍耐強く乗り越えていくところに斎藤先生が主張される

   「治療的民主主義」の真価が試される貴重な時と痛感しました。

   「リフレクティング」では上記のような混沌とした時では、患者、家族の見ている

    前でstaff同士が意見交換し、それに対して患者や家族が述べるとのこと。

    治療方針のアイディアは、筆者によれば「お盆にのせる」ように提案されると。

    (当事者等への気配りです)

            そうすることで彼らは専門家のやりとりを観察しながら、安心して気に入った

    治療方針を選べるようになるとのことです。

    対話のすべての過程において患者の自由と権利、そして尊厳が尊重されます。

    対話の余白において「患者の主体性と自発性」が育まれていくのです。と 


3月25~ 認知症は接し方で100&変わる 吉田勝明 先生執筆

 

   3月25~ 27 日         認知症は接し方で100%変わる  吉田勝明先生執筆 IPD出版

   かってNPOで仕事をしていた時、少し年配者のディサ-ビスと関わったことがありますが

   介護のことは労災事故でありました。今回の筆者の書は、今後、年配者、その家族と

   関わる際にとても役に立つ書として注目しました。

   <はじめに> 筆者の病院の認知症患者300名からの調査より

    問1  入院していて何か楽しみがありますか?

       食事、そして音楽療法、園芸療法、絵画療法、動物介在療法などの作業療法が楽しみ

                               とのことです。

   食事を作って頂くの他、簡単な料理を患者が少しつくることも効果ありと思います。

   生け花、描画することもいいかも知れません。

   問2   たまに、員外へ、外出したいですか?  「はい、したいです。」

   問3   では自分の家に外泊したいですか? 「はい」

   問4    どれくらいの間、外泊を希望されますか?

                 「2泊3日くらいかいいです」

     問5    では退院したいですか?   「いいえ」

    問6    それはどうしてですか? 「だって叱られるから----」

       筆者「それは、つらくて悲しい答えです。」 

       患者さんは退院したくないことは、ないはず。2泊3日ならいいが、

       退院はいやだ。なぜでしょう。想像してしてみて下さいと。

     患者さんが、久しぶりに自宅に戻って、美味しい食事、お風呂に入って、排せつの

     世話をしてもらう。ところが、食べこぼしたり、食べるときに、「くしゃ、くしゃ」

     音をたてたり、お盆をひっくり返したり---。おむつを交換した後でまたすぐ排せつ

     したり---・期間が短ければ家族もうまくケアできるじょう、と。

     しかし、それ以上になると、家族から「こぼさないように食べて下さい。

     食べるときは、変な音を立てないで」「孫がみています。行儀よくして」

     「おしっこは一度にして」などと言われるたりします。

      つまり、叱れるのを恐れているのです。

     ◎ このような惨めなな気持ち、ストレスを少しでも軽減するためには、

      ディサ-ビスなどで認知症の症状がまだ軽いときの教育が必要と感じます。

      決して上からのお説教でなく、利用者が自ら話し合いながら、スタッフが

      質問しつつ気づきを促す方法が必要かと思います。(オ−プンダイアロ−グの手法

      も可能性があると思います)

              一方筆者は、高齢者の自殺率を調べたようで日本に於ける自殺者の約4割が高齢者

     とのこと。独居老人が寂しさにさいなまれて自殺するのではないかと考えがちなの

     ですが、その統計では、自殺者の何と焼く95%が家族と同居している高齢者で

     単身生活の自殺は5%以下とのことです。 

     このことから筆者は次のことを述べています。

     認知症介護に対する家族の理解、在宅介護での日常生活の過ごし方。

     そして認知症の進行を抑える術をもっと啓発すべきと思っていると。

     この書は、そのご要望に沿ったものであると痛感しています。

       第一部「心」の認知症介護とリハビリ

    1 在宅介護で、長男の嫁が抱えている問題

    筆者は、日本の家族の伝統に従ってモデルケ-スをとりあげていますが、自分として

    なかなか自己中の父や兄、姉、不倫な父のため強いストレスに苦しみ、がんで

    悲痛な最後を遂げました。特に母の死の直前、病院から電話があった時、私に行けと

    言われても拒否し、父が行きました。当時の私は、家族の誰も好きになれず

    家から出ることを考えていたときでした。でも母の葬儀では、涙をこらえ、

    一人になると一週間毎夜泣いていました。そしてある夜人魂をみてとても悔やみました。

       筆者の患者の家族を一同に集めて指導された例として他の患者さんも思いやり

    次の事例のことです。

    「あんたが盗ったではないという例を患者の身内の人々を集めて話し

    されてたときのことです。「あんたが盗ったのではないか」と言われたらどうします?

    の質問に対しての回答」、ありえないことを問われたから否定しても、(長男が)

    患者が素直になれるとは、まずありえない」と。

    ではこんな時、どうしますか」と長男の質問。

    筆者の回答「そこで家族の協力が必要なのです。息子さんが疑われているなら

    お連れ合いやお孫さんが出てきて「きっとどこかに置き忘れたのだろうから、みんなで

    探そうよ」と手わけして探したり、家族が冷静に「この人か一番〇〇さん(患者)の

    ことを一番心配し思ってあげるのですよ」といって頑張ってあげるのです」

    ついで筆者次のように特に介護の重荷を担う長男の奥さんを語る話が家族一同に

    響きわたります。

    「長男の奥さんが介護を介護なさり、このような「あんたが盗んだのではない」と

     疑われたときも一度や二度ではないでしょう。それでも奥さんは愚痴一つ

     こぼさずに献身的に介護を続けてきたのでしょう。どうか奥さんの苦労を家族の

     皆さんで共有してください。奥さんの愚痴も聞いてあげて下さい。------。

     ◎ 筆者の名スピーチで一同感動しますが、質問して自分の感情、思いを

     それぞれの方々が述べていくとさらにご家族の意識が盛り上がり、患者が

     そこにいれば感激してしまうと思います。

     ご家族はしばし、うなだれていたそうですが、息子さんが口を開いて言いました。

    「〇〇(妻の名)、お前だけに介護をまかせて悪かった。これからは家族で手分けして

     介護するから、私たちにできることがあったら言ってくれ。頼む」

     感無量と言えます。現実は正反対の過酷な例がありますので。

     古い話ですが、「エデンの東」の家族が和解していく場面をまた想起しました。

3月29日認知症の接し方 続1

 

      3月29日 認知症の接し方 続1

      2 認知症の人を理解するために一番大切なこと

  ▲認知症初期の患者本人の特色

  この時期は本人も異変が起きていることに気づいていると考えられるとのことです。

  「不安で孤独だ」自分にとって何か゛起き、この先どうなるか不安。

  「情けない、屈辱だ」なんでこんなことできないのか、バカにされた。

   以前はできたのにという(怒り、悔しさ等)

       「迷惑をかけている。役立たない」」かってできたことができない故に申し訳ないと共に

   悔しい気持ち

   ▲ 筆者のコメント

   認知症は、記憶、計算など誰もが理解しやすい認知機能のみでなく、自分の状態を把握する

   能力や、行動を監視する能力が低下しています。そのため周囲が困惑するような言動が

   増え、人間関係が悪化することがあるとのこと。この自分の状態を把握できないことが

   認知症の本質であり、そこを理解しないと正しく接したり、適切なケアができないと。

   以上のことを正しく理解していないと「何度言ったら分かる」「どうしてそんなことを

   するの」など本人を傷つけたり、怒鳴ったりしがちです。

   しかし、本人は病気の自覚(病識)がないためがないため、けんかになったり、本人を追い

   詰めてしまうだけの悪循環に陥るとのことです。場合によっては、それによって心理

   状態をひどくさせ、認知症状が悪化するとの忠告をされています。

   以上の悪循環をさけるためにには、責めるのではなく、褒めることも大事であると。

   3  認知症を隠していると症状が悪化していくのに、ちゃんと理由があった

   世間の認知症に対する誤解や偏見、本人の粗暴、徘徊して行方不明、万引き等。

   それらに対しては適切なケアで軽減できるとのことです。

   しかし、誤解、偏見が家族にあると、それを家族が隠そうとして外に出さないように

   したり、近所との付き合いを断ったりすると、人と接することが減って、刺激が乏しく

   なると認知症は進行し、さらに患者を外に出さないことになって悪循環に

   陥ってしまうとのことです。だから、認知症になっても、外へださないことはやめて、

   散歩や買い物に連れ出してくださいとの筆者の勧めです。

   4   急がせる、強制する叱る---------患者さんにしていけないこと

   認知症になれば記憶力や認知能力は衰えていきますが、残された能力も少なくないと。

   認知能力は衰えていっても古い記憶はのこっていて、感情に豊(デイサービスなどで

   音楽、ア−ト、料理、料理など個性、特技など発揮する人もいる)

        次に認知症本人に対してどのように接したらよいかについての筆者の勧め

   〇 できないことを責めず、できることを褒める。

   〇 笑顔で気持よくなることを増やす (本人の関心事、好きなこと、特技など)

        〇 なるべくポジティブな会話、声掛け 上記のことも含めて

   〇 一寸したことでも役割担当してもらうこと

   〇 失敗しないように支援する

   〇 本人の希望やぺ-ス、習慣などを大切にする。

       以上のことは、たとえ認知症と言えど、まだ本人に残存している潜在能力を

   活かす機会を支援ことの大切さを痛感します。

   ディサ-ビスにきて、いつも自分をお世話して下さるstaffのAさん等の顔を見ただけで

   ほっとする「いやし」はとても大事です。教師と生徒との関係、会社の人間関係でも同様

   です。かってテレビで、阪神の今岡内野手が当時監督の星野仙一氏の顔を見ただけで

   ホットする。」こんな人間関係は心身にハンディのある人々にとってこころにハリが

   出てきます。