8月30〜31日 不登校ゼロは本当によいことなのか 増田健太郎(九大教授)執筆

 

        8月30〜31日 不登校ゼロは本当によいことなのか 増田健太郎(九大教授)執筆

                          教育と医学 2015 9月号より

   特集1 不登校のこどもに何が必要か

   私は、日頃引きこもりの集会に関わっていますし、教職員の経験もありますので

   特にこの表題に関心をもっています。現職中には、不登校生の家庭訪問をしたことも

   ありましたし、欠席しがちながらも、私の青年心理に関わる倫理の授業には関心を

   もってくれていたと思っていた矢先自殺した生徒のこともあります。当時の30代の

   青二才の自分は無力さを露呈し、とてもつらい辛酸をなめました。 

   「人はやさしそうでいても、いざという時に裏切られる。だから人を信じていては

   いけない。」こんなつらい経験が今の私の心の中に焼き付いています。

       ですから、一般の教師の方々と同様に、当然「不登校」なくすべしと考えます。

   しかし、今回の増田先生の提言された発想も記事を読んでいく中で、視点を変えて

   考えることも意味ありと思いました。 冒頭の記事は以下のとおり。

   「子供たちの明るい声がこだまする学校は素敵である。学校での研修や調査等で、

   幼稚園から高校までいく機会が多いが、どんなに疲れていても、子供たちの澄んだ瞳

   と明るい笑顔に接すると元気が出る。日本だけでなく海外でも同じである。−−−

   フィンランドのオウル市で、小、中、高の先生の家にホ−ムステイしなから総合学校

   で授業観察や授業をさせてもらったとき、子供たちの澄んだ瞳と笑顔に何度も

   救われた。−−− 調査訪問できる学校には、日本も海外も五つの共通の要因がある。

   一つ目は、校長の理解、二つ目は、先生同士の協働性である。三つ目に先生の

   自然体である。(よいところも悪いところもオ−プン)、四つ目は先生や子供たちの気持ち

   よい挨拶、五つ目は、学校がきれいである。

   ◎ 日本、海外の学校の共通点で大切なことは、先生同士の協働性、腹を割って

     何でも話せる信頼関係のこと。職員のチ−ムワ−クの質なのです。

     管理職が安部さんのように日教組を敵視するような人だと会議で考えていることを

     言おうとしても、即座に反発されたり、日頃管理職にごまする者が同調する意見を

     述べるなど議論にならないことがよくありましたし、最初から職員の意見を聞く気など

     なく、「お願いします」でゴリ押しするところが結構ありました。

           これでは、教職員が学校での諸活動、いじめ、不登校、自殺などに対して連帯責任

     などもてる訳がなく、事件後の県教委や学校長の記者会見時の釈明も

     「命の尊さ−−}といってうそぶく(真意を隠した)演技をして責任の所在をあいまい

     にした発言が一般化しているのが実状です。

     ところで、表題の「不登校ゼロは、本当によいことなのか」について増田先生は

     「このまま少子化が進めば必然的に不登校生徒はゼロになる」と現場や行政当局に

     対して皮肉をこめて語る一方、1980年代に旧ユ−ゴスラビアのイヴァン・イリイチの

     提唱した「脱学校論」の徹底に言及しています。 彼は、カトリックの司祭でしたが、

     官僚的、専制的なバチカンに反旗をひるがえした人です。

     この著者についてウィキペディアにによると

     以下のとおりです。「学習者が内発的に動機づけられて独学するためには、

     学校という制度的な教育機関を超越することである。つまり教えてもらう制度、機構

     である学校からはなれて自分の学び、自分育てとしての学び、すなわち独学を

     とり戻すことである。」

     画一的な教育現場から解放されて「自分の学習の場」をとり戻す、何かフリ−スク−ル

     を想起させる感じがします。

             この脱学校論について増田先生は、次のようにコメントしています。

     「現代的にアレンジすると、学校という物理的建物をなくし、ITを駆使して、ネット

     環境の中で学校を構築し、家で学習させることである。その方が教育予算もかからず

     不登校もいじめも教師のうつも、保護者のクレ−ム、そして子供の自殺もなくなる

     かも知れない。」 

             「”不登校児童生徒をゼロにする”ことを目標にしたり、それを自慢する校長が

     いたりする。それは、子供たちや保護者に有形無形の圧力となっている。担任が

     不登校の子供を迎えに行く。毎日学校に来るように電話をかける。担任が電話を

     かけても学校に来ない場合には、校長が保護者に電話をかけたりする。 

     熱心であればあるほど登校刺激をする。それは、不登校の子供たちや保護者に

     とって”強いメッセージ”であり、最悪の場合、取り返しのつかない悲劇を生む。

     その最たる例がいし゛め自殺である。−−−もし、不登校になっていたら尊い

     生命は守られたはずである。大きな悲しみと強い憤りを感じざるを得ない。

     ”学校に行かない権利”があること”を強調したい。」

    ◎ 私のコメント  学校側は、上からの目線で、不登校生側に対して、ただ学校に

    来なさいでは能がなさすぎると感じます。学校内の状況の把握をしつつ、どんな

    対応をするのか、特に該当児童生徒の人間関係、それに関わる困り事、悩みなど

    大切なのですが、このようなことがおろそかになっていて、後手になってしまう

    ことがよくあります。教育を受ける権利は、基本的人権の中の社会権にふくまれ

    憲法25条の生存権(人間として生きる権利)に関わってきます。

    教育基本法でも国が教育条件の整備義務を負うことが規定されています。

    増田先生の言われる「安心して学べる場所」もこの内容に合致します。

   

    さらに続いて先生は、以下のことも言及しています。

    人間が二人以上集まるとトラブルが起きることは当然のことである。

    そのトラブルから子供たちは「何を学ぶか」、教師は「何を学ばせるか」が大切である。

    その前提としての学校は、『安心・安全な場」であり、生命が保障される必要がある。

    子供たちにとって学校に行って学ぶことは、「権利」であり、教育行政や学校・保護者は

    子供たちを学ばせる「義務」がある。その権利と義務の条件は、学校が『安心して

    学べる場所」であることである。「不登校児童生徒ゼロ」は、目標でなく、あくまでも

    「結果としてのゼロ」である。

     最後の「不登校の問題」についての先生からのご提言、問題の核心を突いていると    

     痛感しました。その時々の対症療法でなく、しっかり児童生徒に目線を据えて

      彼らの教育を受ける権利を保障する「安心して学べる」居場所づくりこそ

      急務であることを再確認しました。 


           なお上記のことに関連した朝日の記事「新学期 不安聞かせて」

      NPO 「一人で決め行動する前に」を別のサイトで掲載するつもりです。

8月3~5日 自分のうつを治した精神科医の方法 その1

 

              8月3~5 日  自分のうつを治した精神科医の方法 その1

                      宮島賢也先生 著

          この先生につきましては、すでに 「アエラ」の記事より紹介しましたが、        

          今回は、上記の著書を通読して、特にわたし注目した箇所 に焦点を当てて

          私見を述べながら要点をまとめていきます。  前回のブログの内容と少し

          重複する記述があるかも知れませんがご容赦下さい。

                           P1010009後の編.jpg

                撮影の未熟さが出てしまったお粗末な生け花です。鈍くさい域を脱していません。

               赤の菊と黄色のグラジオラスにアクセントをおきましたが冴えません。

 

         宮島先生は、精神科医でありながら、「うつ」と苦闘するというジレンマの中

          ある書との出会いが、うつ脱出の転機になったとのことです。

          その書は、ジェ-ムス・スキナ-の「成功の7ステップ」という成功哲学の書です。

          色んな内容の中で特に先生の目に留まったのは、「無限健康を手に入れる」の

          箇所だったそうで、通読して驚いたのは、「医者は健康のことについて、何も

           知らない」という箇所だったそうです。

         「医学部で8年研究し、インターンを 病院で重ね、開業医としての経験を数年

            積んだ上で、ただの一度たりとも健康という定義を聞いたことはない」と断言。

          「医師はもともと、病気の専門家。ありとあらゆる病気の定義をもっている。

           しかし、健康のこととなれば、殆どは回答不能に陥ってしまうだろう。」

           まさに宮島先生にとっては、「目から鱗がとれた」、そんな衝撃を受けたと

            思われる箇所でした。これに関して先生は、「医師は、対症療法の

            専門家(症状を抑える、治す)であっても、健康の専門家ではありません。

            ですから、一般論ですが、治療に関心をもっていても、健康の維持、増進

            病気の予防には関心がありません。」というよりも健康や病気の予防という

            ことについては、思いが至っていないとのことです。

            「こういうと一般の人は驚くかもしれませんが、医師の側にとっては不思議で

             はなく、当然のことなのです。---僕も例外でなく-----病気になったら薬で

             治すものという固定概念をもっていました。」

            ◎ 対症療法としての投薬、そしてその前の診断基準は、米国発のDSM-5に

                基づいて病として名を決定する。マニュアルに沿って患者が人というよりか、

                 ものとして扱われていくような感じがします。

                 宮島先生ご指摘のとおり、「根本から病気を治す」ことが絶対に必要と私も

                 痛感しています。

 

               ▲      精神科医は心の専門家ではない

                「一般の人は、精神科医のことを"心の専門家"と思っているでしょうが

                   それは大いなる誤解です。僕は、このことを"心の専門家幻想"と呼んで

                    います。」------「こういうと、多くの人はおかしいと思うでしょう。

                         (でも)現在の医療システムがそうなっているのです。

                 現在では、病院には臨床心理士がいて、必要に応じてカウンセリングを                 

                 します。しかし、精神科の医師かカウンセリングを行うわけではは、

                  ありません。」精神科医は患者から症状を聞き取り、DSMのような

                  基準に当てはめて診断し、症状に応じた投薬をします。このうに、臨床

                  心理士との間で分業されています。

                  (とはいえ実際には、患者がリストカットのような話をし出すと、即刻

                  カウンセリングを止めてしまうこともあると本人から聞いています)

                  医師は、患者の症状の他に仕事や家族関係のことについて聞きます

                  しかし、うつの原因となっている人間関係や考え方(認知の特性、偏り)

                   などには立ち入って聞かないとのことです。

                   ここが根本的治療にとっての致命傷であることを先生は力説しています。

 

        ▲ 根本から 病気を治すという考え方

      先生の見解「現代に多い病気や症状は、生活習慣や生活環境、それによって

      もたらされるストレスが原因で起こる病気が大半です。生活習慣やストレスが

      原因の病気は、それらを改めたり、解消しない限り治りません。

             何より重要なのは、普段から健康づくりに励むこと。そのことをスキナ-氏の本から

      教えられました。」そしてソ本のには、健康を維持、増進するための方法が

      紹介されているとのことです。その中心になっているのが食事で、「ナショナル

      ハイジ-ン」という、アメリカで考案された食事療法が紹介され、それを先生が

      実践され効果がありました。------その他、次に掲げるような魅力的な小見出しが   

      沢山あったとのこと。 (その多くは、認知をかえることで解決の糸口が見えてくる

                    認知行動療法に関わる発想です)

           「今日の自分はどうしてこうなのか」(いらつかないで、原因と結果を考える)

            「自分の連想をコントロールし、自分の人生をコントロールする

          (今の認知を別の角度から見てみると気づくことあり)

            「事実 を把握する 」(感じていることと事実との区別を丁寧にする)

             「望む結果を明確にする」

     「言葉は状態の引き金になる」(感情の制御も必要)

              「言葉は感情の増幅器である」(モチベ-ションにプラス、マイナスあり)

              「プラスの言葉、マイナスの言葉」(プラスの言葉を表現する感情の明確化の

         効果あり。逆にあの人嫌いという言葉を出すことで負の感情を強めます)

        「自分は何が欲しいか明確にせよ」

        「理想の人間関係を手に入れる」 

        「ノ-は、人生の中で学ぶべき最も大切な言葉である」

        善悪に関わる判断がこの世の色々な問題に直面するとき、これが問われます。  

        遠藤周作氏の「海と毒薬」で米軍の捕虜になった兵士の生体解剖で良心に

        苦しむ医師に対して、別の医師は、「良心なんてどうでもなるさ」

        と平然と語っています。終戦記念日に際して例の「集団的自衛権」のことが

        また色々と取沙汰されるて゜しょう。でも、単なる憲法問題だけでなく、、

        日本も、周辺国の政治家、人々も、「人間の罪」に対してしっかり向き合わないと

        悲劇の歴史は繰り返すことを懸念し、自分自身も襟を正したいと思います。

                   一寸一人よがりになってすみません。職場の上司と部下との関係で

        このようなことは、例えば、顧客との対応で良心的な社員ほど当然葛藤があり

        ます。商品の弱点を知りながら、上手いことを言って買わせてしまうことなど。

        自己の本心に逆らって上司に「NO」と言えない状態でうまく「自分をごまかす」

        ことができない状態が続けば、潰瘍が発生したり、メンタル不調になります。

        

        「あなたのもっとも大切な目標は何か」 この問を考えたとき、この問いの背後の

        質問として、「あなたの心の軸(心の支え)は何かを直感しました。 

        後の箇所で出てきますか゛、学校とか、職場で目標を失って、ただ親の期待に

        応えて勉強したり、医師などの仕事をしていても、充実感がなく、「空虚」に

        支配され、うつになっていきます。

         只クライエントから「なりないたい自分」を引き出すのではなく、色々と失敗して

        死を希求したくなるようなつらい体験をしながらも「心の軸」を発見しようと苦悶

        している時こそ、カウンセラ-の存在価値が問われます。この2年間で私か

        一寸会ったことのある青年が二人とも自殺したことを聞いてショックを受けました。

        「星の王子様」の著者サンテグジュぺりについてすでに二度ほど書きました。

        「愛するとは互いに顔を見合うことでなく、同じ方向をみることである」

        同じ目線で「一緒に頑張ろうよ」この言葉をかけてみたいです。

        (青二才のカウンセラ-のつぶやきに過ぎませんが)   

                   英語のon the alert(油断なく警戒する)の言葉について思い出したのは

        上記の二人のこと。 愛情をもって相手の飲食状況でも注意して観察したとき、

        素通りせず気づくこともあるのにと反省しています。生きていればこそ共に

        同じ方向をみつめることができるのです。

           

            「始めたからといって、やり続けなければならないことはない」

        通例では、途中でやなめてしまうのでなく、ともかくやり遂げよ、というのが

        一般的な考え方。 それに対して前者の考え方は、現実を見据えた、現状に

        応じた対応で、認知行動療法では、「選択的適用」といいます。   

        こういう思い切りの良さ(時として英断と評価される)を実行出来る人には、ただ

        その時の私利私欲に走る思いから出る決断もありますが、本人が日頃

           抱いていた信念とか理念から決断する場合があります。

        キャリアの選択がその例です。

        宮島先生は、以上のような色々な「小見出し」に注目している中、「物事は

        原因があるから結果がある。うつについても、うっになったことにも原因が

        ある。」と思い、この本(スキナ-の著書)を熟読して自己の人生の振り返りを

        していく中"自分がうつになった根本原因が明らかになってきたと断言

        しています。 そのことについての詳細は、その2で述べます。


8月9~12 日 自分のうつを治した精神科医の方法 その2

 

       8月9~12 日 自分のうつを治した精神科医の方法 その2


        ▲ 親子関係が、うつの根底にある

     宮島先生の次の言葉に注目します。「うつ病を引き起こす最大要因は、親子の関係

     にあります。ここがその原点といっていいでしょう。」

     「どういう親であるのか、そして親にどういう育て方をされたのか、によってうつ病に

     なりやすい人がつくり出されます」 先生の成長過程の事例は以下のとおりです。

 

     先生は典型的な教育ママのもとで厳しく育てられ、やがてもの心のつく頃に

     なると、「こういうふうに生きていていいのだろうか」と心の空洞に対して疑問を

     抱くようになったとのこと。

     うつ病になる人は、特有の考え方をする傾向が顕著とのこと、その考え方は、親に

     よってつくられると先生の言。特有なこととして、否定的な考え方をする。

     「自分は生きている価値がない。いてもいなくても、どうでいい存在である」 

     どうしてそうなるでしょうか?

     先生の場合、「母はいい成績、いい学歴、いい地位にしか価値を認めない人」

      一流の大学を出た人でないと認めない、職業も、大企業のエリ−ト社員とか医師

     弁護士など社会的ステ−タスがあるものしか認めない。そういう偏った固定観念に

     縛られた人。その価値基準、固定概念がその子供に影響する訳です。先生の

     父親は、母親の価値基準をすべて満たしていたそうで、有名私大出で誰もが知る

     大企業に就職し、人並み以上に出世したとのこと。

     しかし、彼女にとっては当たり前のことで、それだけで夫を認めなかったようです。

     従って夫に対して尊敬や感謝の念をもっているとは、子供からみてそう思え

     なかったそうです。しかもその母親はとても気が強く、夫とけんかしても一歩も

     引かず弁が立つので夫を言い負かしていた「かかあ天下」でした。   

     ですから、心の中で反抗しても、先生としては、母の意に沿うよう勉強しなければ

     ならない心境でした。 母親は名門の中高一貫の開成中学にいくようにいい

     小学4年から有名塾に通うようになつたそがんばっていたそうです。その塾は猛烈な

     詰め込み主義で毎週テストがあり、点数がよいと母親は喜んでいるので、ついうれしく

     なって、何の疑問ももたず頑張っていたとのこと。しかし、点数が悪いといい顔はせず

     追い詰められた先生はカンニングも仕方ないと考え、何回もそれをしたとのこと。

     良い点数をとったと知った母親が喜んでいても、先生は、「それで本当にいいのだ

     ろうか」という思いが徐々に膨らんできたそうです。しかありし、めざす名門校に

     入りたいの気持ちもあり、何とかかんばり続けて運よく合格したとのことです。 

     ▲ 自殺したいと思っていた高校時代

     名門の開成中学に入学し、中高一貫の進学校でみな一流大学を目指して勉強に励んで

     いたそうです。先生もその中にいて一生懸命に勉強し、定期試験では、常に上位だった

     そうです。当時の人気TVドラマ「スク-ル☆ウォ-ズ」の影響もあり、入学してすぐ

     ラグビー部に入部したとのこと。最初のうちは頑張っていて明るく振る舞っていたそうで、

     しかし、コーチからは、「将来が心配な子」と言われていたとのこと。

     自分の明るさが見せかけのものと見抜いていたそうです。

     このラグビー部もやめて、その後はいわゆる「帰宅部」になったが、古本屋めぐりして

     漫画を買いあさったりしていたそうです。このころになると、「もう母が望んでいるような

     人生は歩みたくない」とはっきり思うようになったそうです。 中学の頃はまだよかった

     そうでしたが、高校へ進学してからは、通学するのが次第にいやになってきたとのこと。

     それは、学校や勉強が嫌いなのでなく、家庭環境と母親が嫌いだったのです。

  

      (思春期になって自我が目覚めてくると 、親に操られる自分に嫌気がさしてきます。

     私自身も中学生のころになると、兄と共に、" 亭主関白で、母に嫌味をいい

     社会的なステ-タスでは、大都市で実績をあげたある建設会社の責任者として実績を

        あげましたが、その反面不倫なことをしていてあまり家庭を顧みず、そのくせ

          子供に対しては、"俺が食わしてやっているという高飛車な態度" にとても反発を

     感じ、高校に入ってからは、宮島先生のように、こんな家から脱出したいと思って

     いました。  但し、私は、宮島先生と異なって中学の時には、担任の先生に恵まれ

     色んな自分の欠点がある中で、将来に向かっての可能性を引き出して頂いた二人の

     恩師に感謝しています。教科では、「タ−ザン」の異名をとった英語のS先生i宿題の

     ことで2回殴られましたが、この先生のお蔭で高校に入っても英語を自力で勉強し、大学の

     卒論では、米国の教育関係の官報を読解して資料として入手できました。

     要は、家庭内で問題を抱えても、自分の気持ちを理解してくれたり、自分の能力を

     引き上げてくれる先生でもいるとメンタル不調になりません。)  

     

           私事のお話が長くなって失礼しましたが、また宮島先生の話に戻します。

     「家には居場所がないと感じ、自分の部屋に閉じこもり、漫画を読んだりパソコンに

     熱中したりしました。」高校1年の時はハンバ−ガ-ショップでアルバイトをして

     お酒、たばこをやって不良ぶっていたとのこと。パンクやロックが好きなことから

     軽音楽部に入り、ギタ-やサックスをやったりもしたが、心を許す友達も余りできず

     長髪にピアスといういでたちで、学校では浮いている存在だったそうです。 

     「こういう生活が続く中、何回も死にたいと思っていました。すっかり自分を見失って

      しまい、自分に価値を見いだせなくなっていたのです。自分自身を悲劇の

      ヒ−ロ-になぞらえ、死ぬことをよく頭に描いていました。自殺したいという願望を

      はっきり自覚していました。

             そんな自分でしたが、高2の時医学生の女性と知り合いになったことがきっかけで

      変わってきました。その人は、高校の私の先輩と付き合っている女性でしたが

      彼女が医師という職業の魅力を語るのを聞いて、僕も、医師なら無価値な自分でも

      人の役に立てるのではないかと考えました。そして医師を目指そうと心に決めた

      のです。 それからは受験勉強に身が入るようになり、頑張って、1年浪人した後

      無事、二つの大学の医学部に合格することができました。」

      ◎ 私の感想 

      医学部進学の動機のことが出ていて、色々なことが浮かんできました。

      先生のメンタルの危機的状態の時、医学生の女性の感化を受けて医学を

      志す決心したとのこと。

      その意志決定の過程で、私は問題点を感じました。

      医師という職業がどんなに魅力的に感じても、"自分とその職業とのマッチング"

                これは、どうでしたか?「無価値の自分でも人の役にたてる。」謙遜な意味なら

      それはそれでいいのですが、NPOのボランティアですら、それ相応の能力と

      責任が問われます。「熱しやすく冷めやすい」そんな一時的な思いから起因した

      決心すら感じ取りました。家族の方との相談が無理でも、可能な限り情報を

      得て、医師になったときの適性、責任能力についてもっと慎重にすべきと

      痛感しました。その後の医師になってからのご苦労の記事を読んでそう思います。

      失敗から学ぶことも、出ていましたか゛、学ぶ前に関わった患者さんの治療を

      適切にできなかったことの責任はどうされるのですか?など---。

              医師としての人間性、使命感けなどそっちのけで、この先生の親のように社会的な

      ステ-タス(地位、評価)を重視したり、医療ビジネスで一儲けしようとするクリニックが

      大都市周辺の新開発地で増えてきて、実際に利用してその無責任ぶりにうんざり

      することがあります。   


8月15~19日自分のうつを治した精神科医の方法 その3

 

         8月15 ~19 日 自分のうつを治した精神科医の方法   その3

         この最後の箇所では、母親の偏った価値観による教育が起因して医科大に

     入学して後医師としての歩みを続けても、自信喪失から「うつ状態」になっても

     どのようにして【自己 否定」から【自己肯定」へと認知の視点が転換できて

     再出発の道が開けたのかが大事なポイントかと思います。

 

                         とらのおAP1010011.jpg

                    庭先の鉄砲百合と、とらの尾、 バラを組合わせてみました

              150%程に拡大しますと幾分か鈍くささから抜け出ると感じますが

      ▲  医学部に入っても、自分の道に自信がもてない

         先生は、自分の意思で医学部を受験し、合格はされましたが胸中は複雑とのこと。

    防衛医科大と横浜市大   医学部に合格され、家から 出たい強い思いから全寮制の

    防衛医大に入学されました。しかし、入学したことがまた悩みの始まりになった

    そうです。

    その心境になったのは、一つには、合格したことによる達成感。

    企業でよくある「燃え尽き症候群」(burn out) に似ています。一時的には、合格して

    感激していますか゛ふと我にかえったとき、何か空しさがせまってきたと思われます。

    次の言葉にその心境が出ています。 

    「医師になって人の役に立ちたいと自分で進んだ道なのに、本当にそれが自分の

     望んでいることなのだろうか、と迷いが生じたのです。自分で希望したと思っていた

     のは錯覚で、じつは母の望みに沿っていただけではないだろうか、と。医師の診察を

     受けはしませんでしたが、当時も間違いなく、うつ状態に陥っていたはずです。」

    ( 息子の成長に応じた自己責任の能力を育てようせず、ただ親の願望を押し付けた

     強欲の結果を息子に摘み取らせることになるのです。)

        「本当に自分は、医師になって人の役に立ちたいのだろうか」その確信がもてなかった

    のです。その上 、医学部の授業に興味がもてないことが、そのことに拍車をかけた

    とのこと。 大学ではラグビー部に入部し、先輩たちとの付き合いも生まれ、それなりに

    楽しくやっていたとのこと。でも、自分の悩みを共有できる親友もつくれずし、同級生と

    比べて、自分は医師としての適性に乏しいのではないかという不安もあったとのこと。

    「このままでは医師になっていけない」とも思ったそうです。------

        不安を抱え、自信ももてないまま、それでも自分なりに頑張り、規定の単位を修得し

     1999年に卒業し、医師国家試験に合格したとのことです。

           ▲ 親のダメ出しが「自己否定の強い子」をつくる

     「うつ病になる人は、特有の考え方をするのが顕著ですが、その考え方は、親によって

     つくられます。"刷り込まれる"といった方が適切でしょう。特有なこととして否定的な

     考え方をします。---僕の場合を例にあげると、母は「いい成績」「いい学歴」「いい地位」

     しか認めない人でした。母は、そうなるよう強要し続けましたが、僕は、その望みに沿う

     自信はありませんでした。」 医学部に合格はしたれど、自分に自信がもてるように

     なったかというと、そうはならなかったとのこと。

     医学部に入学しても、肝心の医学の勉強に自信がもてなかったそうです。

     「しっかり勉強して一人前の医者にならねばならない」という刷り込みがなされていた。

     それは、母によるものとのことです。

     ですから医師としてやっていく自信のない自分を「ダメな奴」と自己否定してしまう。

     また、勉強に励んでいないと「深い罪悪感にとらわれるのです」とまで述べています。

     そしてそのマイナス思考は「生きている価値がない」という更なる自己否定へふくらんで

     いくとのこと。

         先生のうつの患者を問診しての体験で分かったことは、皆同じように「自己否定の観念の

     とりこ」になっていると指摘しています。

     子供のころから親に、「何をやっても駄目」とか兄弟と比較して「どうしてあなただけ

     こんなことできないの」とか「こんな悪い成績なの」と欠点ばかり指摘したり、叱り

     続けていたら子供は【自己否定」にあふれた人間になるとの先生の指摘に

     自己の経験を振り返って共感するものがあります。よく父にけなされ嫌気がさしました。

     対照的に母にけなされたことはなく、保護者会で聞いたこともよいことだけを話す人で

     した。いたずらして近所の人に叱られても、こちらの心境を察して冷静に対処しました。

     宮島先生は親のよい人間性について触れていませんが、自分の親、特に母がどんな

     行動を示したか、子供に印象に残ることは後のパ-ソナリティに影響します。

     近所の貧しい家の子供にパンを焼いて持って行った母のことが私の脳裏に焼き付いて

     行動に表れているとふと思いました。口でどんな立派なことをいっても、世間体を気に

     して学歴、地位にこだわり、対人関係の大切なことをなおざりにすれば、一時の成功を

     得ても心の空洞が生じます。先生は、「自己否定の観念の強い人間が成長して社会へ

     出るとどうなるか」と問いかけています。医科大入学前は「人のお役に立ちたい」と

     いっていたことの空手形の「空虚さ」が露呈しました。これにも親の責任の一旦が関わる

     と感じました。それと先生の指摘されるとおり、自責、自己嫌悪にかられ

     何かしようとする意欲などわくはずはありませんし、何か追い打ちをかけるようなことが

     身辺に起きると思い切った衝動に走ることさえあります。

    ▲  自分で自分を認めてあげられる人は大丈夫

    先生によると、うつになる人の中には、「誰も自分を認めてくれない」という意識があり、

    それにとらわれていることがあるとのこと。患者さんのなかには、相手、つまり上司、同僚

    パ−トナ−などに認めて欲しいと思っている人もいる。しかし、そんな認知の選択は

    相手の側にあって、自分の望むようにはなりません。

    人が人を認めるとはどういうことなのか?

    それは、あるがままの存在を認めることと先生は述べています。

    親が望む成績をとったから認める。悪い場合には認めない、という条件付きの限定的

    愛でなく、、成績が悪かろうが、他の子供ができることができなかろうが、わが子として

    その存在価値を認める。そのような把握の仕方でもって親が接すれば、子供は、自然に

    自分が認められていると感じ、自分で自分を認めるようになる、と先生説いています。

    エリクソンの説く【自己同一性」の基礎になることです。

    親から認められていない子供は自己否定になり、対人関係にも影響します。

    学校、職場、その他での対人関係で、人とうまく付き合えず浮いた存在となって

    いじめの対象になりかねません。

    昨日、「低空飛行」(引きこもりの集会がありました。このときでも、メンタルのハンディと

    戦いながら、夜勤もこなしな゛ら介護の仕事に励んで いる人に対しては、ただ聴き流すので

    なく、苦労していることに質問し、その努力を承認し励ますことの必要性を痛感しました。

    折角復帰し、心が折れそうになっても、誰かの一言を思い出して苦難を乗り切り自信を

    つけていくことで周辺の人々の信頼が強くなります。

    このように自己の存在価値を認められることでモチベ−ションもアップします。



8月20〜24日 自分のうつを治した精神科医の方法 その4

 

         8月20〜24 日  自分のうつを治した精神科医の方法 その4

   

    このサイトでは、宮島先生のまさに主訴と言える「薬では僕のうつも、患者さんのうつも

    治せない」この言葉を念頭に置いて先生の色々な指摘を紹介しながら、私見を述べて

    総括したいと思います。自殺大国の日本という汚名を払拭するためにも何が

    問題なのか明らかにしていくことが不可欠と痛感します。患者の弱みを利用して

    投薬の対症療法で薬漬けにして国民の血税にあぐらをかく

    医療ビジネスに対してしっかりした見識をもって対処しないと、現状打破は

    困難です。


       ▲ うつになりやすい人  その3の続き 「義務としてやっている例」

    @  家庭の主婦  育児、家事を義務としてやっていると、そこに喜びがなくうつになり

        やすいとの先生の指摘。 本当は両方とも、創意、工夫を凝らせば努力の甲斐

        あって子供の成長、家庭料理をおいしくするなどに楽しみ、喜びがあります。

        ただ仕方なくやればストレスとなって嫌気がさします。

    A  職場の仕事、人間関係から来るストレス

        上司に指示命令されて、ただやらされている場合、それに残業による過重な

         負荷がかかる場合

         上司、同僚との人間関係でうんざりするストレス

         自分の個性、創造性が発揮できず、ただ目標達成の道具として自分が利用

         されていると感じて働かされている場合

     

       <薬では僕のうつも、患者さんのうつも治せない>

      ▲医師は健康や病気予防のプロでない

       この意味は、医師は「うつ」のような病気の根本原因の指導ができない

       ということです。しかし、それには反論の声がでます。たとえばメタボリックシンド

       ロ−ム撲滅のための特定検診、特定健康指導がその例です。このような例から

       医師や病院は、病気の予防に力を注いでいる、医師は健康について知識を

       もっているように思われます。しかし、実際はそうでないとの先生の言葉。

       現行の医療行政、医療の在り方がそれを目的にしたものになっていないから

       とのことです。 

                病気の予防について、医師がいくら時間をさいて患者さんに教えたとしても

       診療報酬にならないとのと。結局は、診察、検査をしないと診療報酬が

       得られないシステムになっているそうです。−−−−−

       だから「予防が大事」という言葉に欺瞞があるとのこと。さらに先生の次の

       言葉、「現実は病気予防や健康増進について勉強や研究をしようとする

       医師は余りいない」 とのことです。「うつは、生き方や人間関係のストレスが

       原因で発症します。ですから、予防や改善のためには、生き方や人間関係の

       見直し、改めるとともに、健康な体づくりが求められます。しかし、それを医師に

       頼っても、多くの医師は、それに応えてはくれません」

       所詮、医師は、「対症療法のプロ」、つまりは、投薬による治療ということです。

      (体の一部の傷ならそれで治りますが、「心の傷」には対症療法では通用しないです)

      

         <僕は考え方を変えてうつを克服した>

       宮島先生は、CBT(認知行動療法)のことを述べていませんが、ここでも認知の

       視点を変えることで「うつ状態」からの脱出を意味しています

       この単元では、すでに述べたことの重複や類似するをさけ、私が特に留意した

       箇所について述べていきます。

             ▲ うつになる人とならない人の違い

        この両者の違いは「考え方」にあるとの先生の指摘。それは認知の仕方の

        によるものです。

        「うつになる人は、嫌なこと、よくないことばかりに目がいき、うれしいこと

        楽しいことに目が向かなっていく傾向があります」 −−−−嫌なことが

        頭の中を占領し、その結果うつ状態を引き起こしています。」

        また、「自分を責める傾向があります」

        失敗でもすると、自分の非を責めたりします。この自責の念は

        自己否定に繋がり、自分をダメ人間とみなし、自分の存在価値までも

        否定します。

        でも、心が一旦落ち込んでも立ち直っていく人はどうしてでしょうか?

        一度傾いても復元力のある船のようです。

              この件については、先生からのその立ち直りについての見解が少ししか

        ありませんので私見を述べさせて頂きます。

                 ● 人間関係や仕事などうまくいかない場合    

        偏った自身の思い込みがあると、益々悪い方向に進むに対して

        別の角度からみたり、相手の目線に立って考えることで解決の糸口をみつけます。

        このような柔軟さがもとめられます。

       ● 上手く気分転換をはかる。 ストレッチ体操、リラックセ−ション、趣味を活かす

          私の鈍くさい生け花でも癒しの効果を感じます。

       ● 何でも話せる人がいる。

        対人関係療法の権威水島先生は「重要な他者」の存在がその受け皿なのです。

        メンタル障害者の場合、その他者は、家族でなく、従兄弟や親友であったりします。

        そのような人のいない場合、俗にいう「若者などの居場所」があります。

        私の関わっている名古屋駅近くの「低空飛行」の集会がその例です。

        引きこもりを脱してここで自助グル−プのダべリングに加わります。 

        クリニックのこと、仕事のこと、家族のこと、「対人恐怖症」がこの集会で自分も

        みんなと一緒にだべっている中に癒されたという話も出ます。

        福祉関係の役所の人、メンタルの専門家、NPOの職員などの来訪もあります。

      ▲ 宮島先生のうつからの脱却への提言

       @ まずは今の自分を受け入れてあげよう。

        これは、当然過ぎるといっていい提言です。うつ状態になる人は、これができず

        悩んでいます。例えば初対面の人に対して「つくり笑いして歓心をかう」

        {こんな自分が嫌だとも明言したのを鮮明に覚えています。

        先生は、ご自分の親を例に挙げて、「良い成績」以外でも受け入れてくれる

        親であって欲しかったことを述べています。 問題が家庭に起因するならば

        家族療法のような方法でもつて対処し、よいこと、悪いことをも

        含めて「そのまんまのわが子」を受け入れていくことが不可欠と感じます。

       A 自分を苦しめる考え方から、楽にする考え方へ

       「自分はできない。ダメな人間」というような固定概念。家庭や職場では

       「みんな仲良くすべきだ」との偏った考えに陥ると、言いたいことも抑えて

       ばかりいて、うつ状態から脱出できないと先生の例示があります。

       これも度をこせば対人恐怖症になりますので、自己の気持ちの発散の

       機会が必要です。

       B ネガティブな言葉をやめてみよう

        日頃何気なく飛び出すことば、ぐちのような「自動思考」の言葉です。

        「またやってしまった。どうして自分はドジなダメ人間なんだ」

        これをポジティブにとらえるなら、失敗しないように工夫し、自己が

        成長するチャンスと捉えることもできます。(失敗から学習する)

        このようなネガティブな口癖からの脱出はうつになった人々にとっては

        不可欠です。

         ◎ 上記のA、Bは精神医学の専門家の目線で「あなたの認知は

          歪んでいるから、このようにそれを修正するように努力しなさい」と

          いう指示の仕方では、修正は困難と思えます。

          本人がカウンセリングやコ−チングを受けながら「これではいかんと

          気づいて主体的努力するなかで癒されます。

          平井孝男先生の指摘されるとおり、「本人が治療の主体となる」

          このことがとても大切と痛感します。

        

             <宮島先生の説くメンタルセラピー>  

        ▲自分で気づくメンタルセラピー

        「僕はうつ病の治療に薬を一切使いません」。   「メンタルセラピー」と

        [自律神経免疫療法」の指導だけとのこと。すでに薬を飲んでいる人は

        いきなりやめるのでなく、まずは考え方を楽するお手伝いをするとのこと。

        このメンタルセラピーの基本は、セラピストの見方や意見を述べること

        でなく、相手が答えを見つけるお手伝いをすることにあるとのことです。

        例えば初診の患者さんに対して「あなたは、どういうふうになりたいのですか」

        とか、「何かやりたいことはありますか」と聞くとのこと。すると大抵の患者さんが

        「うつを治したい」と答えます。うつを治すことが当然最大の目標になっています。

        この場合、「なぜうつになったのですか、自分でどう思いますか」と質問を変える

         ことがあるとのこと。患者さんの主訴に関わる大事な質問です。

        一般精神科医が病状を聞いて薬を出す対症療法と大きく異なります。

        すると「休日は何ともないのですが、平日、会社に出ると、うつっぽくなります」

        と医師にとっては貴重な自己開示がなされます。まさに原因解明のヒントなのてす。

        「メンタルセラピーでは、相手が考え、自分で決めることを大切にします。」

       (平井先生が言って見える患者さんが治療の主体になるという考え方が出ています) 

        そして、うつから回復するために、必要であり、役立つ様々なことについて

        折に触れて話し、情報提供するとのこと。

        この場合も、先生の方から一方的に教えるのでなく、相手に気づいてもらうように

        するとのことで、ここでも患者さんの主体性を重んじていることが分かります。

         ▲ メンタルセラピーで、何を見つけるのか

       先生はメンタルセラピーを通して、うつの人達に、うつから脱出する方法を自分で

       みつけてもらうことにしているとのことです。それらは次のようなことです。

       @ やりたいこと、楽しいことを見つける

       すでに紹介しましたように、先生がうつの患者さんに対しての

       「どんなふうになりたいか」の質問に対しては、大半の人が 「うつを治したい」と

       答えるとのこと。殆どの患者さんか、「うつを治すこと」が目標になっています。。

       先生は「その気持ちは分かりますが、それにこだわっていては、”うつから脱却する

       出口” は見えてこない}とのこと。そこで求められるのは、「思考回路をかえること」

       と指摘されます。先生は、うつの人は目標を失ってうつになっているので

       目標を見つけることができればうつから脱出できるはず。

       「やりたいこと、やっていると楽しいことが見つかればうつから脱出する糸口

        になります。」 しかし、このことは、店の買い物のように何か気に入ったことを

       見つけるような次元の低いことでなく、自己効力感に似たような感動を覚えると

       救いになるかと思います。ここでいう先生の楽しいことも、何かやりがいとか

       生きがいに通ずるもはの、時として本人の人生の再出発になるようなこと、

       そんなことをわたしは想像しました。

       そこまでいかなくても、先生は、認知の偏りを変えることて゛気が楽になる。

       これを念頭に於いての主張かと思います。

            A 自分のいいところ、できることを見つける

       うつになった人は、減点主義が身についているとのこと。自分のでき

       なかったこと。失敗したこと、人よりも劣っていることなどマイナス点数を

       数え上げるとのこと。そして常に自分に不満足、不充分感をもっている

       のが実情。その結果自己否定につながり、心はつらくなるばかり。

             その考え方を加点主義に主義に変えましょうとの先生の提言

       (認知の偏りを修正して気持ちを楽にする)

       できないこと、足りないことに目を向けるのでなく、できたこと、長所に目を

       向けるプラス志向を説いています。

       日々恩恵を受けていることを至極当然と私たちは思っていることが色々と

       ありますが、日々の食事のこと、健康であって色んなことができる生きる

       喜び、そんなことから、つらいときでも気分を一新して当面の問題に一つずつ

       あせらず対処するよう先生は提言されている印象を受けます。

         しかし、中にはつらく厳しい病苦と闘っている方々で反発される方もみえる

       かも知れませんが、上記に引用しました平井先生の「治療の主体」という

       言葉とともに、「悩む能力」のことも時々意識します。「悩み」という言葉は、

       否定的な印象をもちますが、これにどう対処するのか、そこにその人の真価が

       発揮されることがあります。トンネルの中にいると闇に圧倒されますが、

       抜け出て光に照らされると気分は一新されます。宮島先生以外の似たような

       体験をされて、苦難を克服されて貴重な学習をされたのみか、そのことが

       人生の再出発に活かされることだってあるのです。

 7月19日 真理探究で大切なこと 人間性とエビデンス追求のスタンス

 

     7月19日 真理探究で大切なこと  人間性とエビデンス追求のスタンス

                    

                   EZ098.BMP            

  私がこのあやめの写真を掲載したのは、このブル-が象徴する冷静な判断力で

  世の中の様々な出来事をみると共に、自分に対しても、できる限り          

  私利私欲にとらわれず、謙遜な態度で臨みたいと思います。  

   7月19日の職場のメンタルヘルスのブログで 宮島先生の記事に関連して上記のテ-マに

    ついて、少し言及しましたので、その続きをここのサイトで述べて締めたいと思います。

    ふと想起したのは、経験論哲学の元祖フランシス・ベ−コンの「偶像のイドラ」です。

    イドラとは、「アイドル」のこと、偶像を意味し、彼は、4つのイドラの偏見を除去して真理

    探究で何が大切なことであるかを述べています。

         このことは、高校の教科書でも出ていることなので、「そんなこと知っているよ」と思われる

    かも知れませんか゛、それについて述べていきます。

           ▲ 4つのイドラ

    1  市場のイドラ----言語による偏見 

    2 洞窟のイドラ-----個人的偏見

    3 劇場のイドラ-----権威や伝統に対する思考の偏見

    4 種族のイドラ-----人間という種族がもっている偏見

    まずは、市場のイドラのこと、これは、他人との交渉や交際によって形成される偶像

    なのです。言葉は事物の標準的類型を表現する記号です。ですから、個々の事物

    そのものを表現しているのではありません。従って人それそれの受け止め方によって

    事物そのものと思い誤る偏見により生じる「ずれ」が生まれます。

    この偏見のため、人々の間では、現実からかけ離れた言葉だけの空虚な論争に

    陥ってしまいます。今国会なされている「国際平和の維持」という問題を例にとって

    考えれば、政府と野党との見解の差が歴然としています。当然そのことと憲法が関係

    しますので、政府の見解の矛盾が露呈します。

    宮島先生の記事に関連したある医師の「認知症が治る」の問題でも、「治る」の定義が

    不明な感じがしますし、「治ったことの実証」(エビデンス)も明快な客観性について

    疑問が出てきます。

  2 洞窟のイドラ   これは、私たちが、自分のくせや好き嫌いなどの個人的な偏重により

              勝手な判断をしてしまう傾向に陥ることを意味し、それは、丁度

              洞窟に閉じこもってしまって外の世界を見ようとしない偏見の

              域を脱しない状態を指しています。

              このようなイドラにはまっている人は、アンデルセンの童話の

              「裸の王様」のような存在で、人のいうことを聞かず、、取り巻き

               連中の「おべっか」でいい気になって、(品格を落とした表現を

               使うなら)なりふりかまわずストリッパーのパフォーマンスを演じて

                                人々の歓心を買うこともあり、そのうちに、自己の愚かさを

               知る時が来ます。自分だけでその失敗のつけをかぶるだけでは

               ないのです。 医師の失敗は患者さん、その家族に及びます。。

               政治の世界ではどうでしょうか? 

                このようなイドラに固執する政治屋の下で最も被害を被るのは

                真面目に頑張って生きている一般の国民です。

  3  劇場のイドラ     権威や伝統に対する盲目的信頼とか信奉のことです。

              医療現場では、 市場のイドラで述べましたエビデンスのことが気に

              なります。少しある医師のことを著書や講演を通して知っただけ

              なのに、慎重に当人の「治療に関わるエビデンス」を検討もせずに

              ○○メソッドを盲信することがその例と思い、私自身その信奉者を

              身近に知って大変憂慮しています。  

  4 種族のイドラ     これは、人間の本性に起因した根本的な誤りです。

              時として理性、感覚が麻痺すると事物の本質をゆがめ国民が独裁者に

              操られて不幸な道を歩んだドイツ、日本など。

     

     ◎ 以上のイドラに各自が支配されないためには、謙遜な心をもって複眼的視野で

        自省することが肝要かと考えます。それができない傲慢なひとには、

        冷水をあびせてNOを突きつけないとこちらが被害を被ります。

        自分は、問題になっていることに、どんな視点観点で関わっているのか、

        第三者の立場からその関わりをみれてどう思うか(外在化された自己の観察)

                  国政、教育、医療その他の経済、社会についての自己の在り方について


   

 7月4~5日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その3

 

        7月4~5日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その3

                           滝川先生執筆

     

      ▲  アタッチメントの双方向性


      人間のアタッチメントとカルガモのそれとでは、、人間ではカルガモほど機械的でないと

      というにとどまらぬ決定的な違いがある。カルガモのヒナは生まれてからすぐから

      運動能力があって自力で(勝手に)に親鳥に接近して安全を護れる。 

      人の赤子は運動能力がなく、たとえ接近を求めても自力では出来ない。

      人間のアタッチメといえようントには同じ霊長類であるアカゲザルが示したのと同く

      身体の接触(抱っこなど)が重要な役割をもつけれども、人の子では、親の方から接近して

      抱かない限りそれが成就しない。カルガモのアタッチメントが子→親という一方向なのに

      人のそれは、双方向性によって成り立つ。この点では、双方向性を本質とする性愛の

      力として捉えたフロイトの発達論の方が急所をおさえていたと言えようか。

           

             或は、高度に相互依存的な生存様式を進化させた人間におけるアタッチメントは、

      カルガモのような安全の確保にとどまらず、養育者との情緒的絆を結ばせる力として

      働くようになり、小児欲求の概念と重なるものとなったとかんがえてもよかろうか。----

             自力でアタッチメントできないのは生存に不利にみえるが、そうとは限らない。

      (カルガモの場合)弱いそれができないヒナは、親鳥にとっつきそこなって淘汰される

      ほかない。しかし、人間の場合、子供のアタッチメントが弱くても親の方が接近して

      アタッチメントを成立させるため、淘汰されることはなく、そこから関係を育むことが

      できる。 

      ◎ ここでも、たとえ生まれつき弱い個体でも自閉症スペクトラムになるとは限らない。

       内部環境の親との関わり(アタッチメント)でカバ-される救いの道が開かれている

       ことで母親の養育の仕方次第で明暗が分かれるということです。

       私は、最近ブログの労務管理の分野で「埼玉の所沢市の保育所」での2才児までの 

       園児は、下の 子が生まれると退園しなければならない事件について書きましたが

       このような滝川先生の記事を読んでいると、待機児童を理由に機械的に退園させる

       行政側の配慮の欠如を想起しました。(6月27日のブログ)

      

         ▲ 自閉症スペクトラムの生じる 必要条件

 

     滝川先生はこのことについては以下のように述べています。 

     医学゛いう原因、病因とは、その疾患(障害)が生じる決定条件でなく、「必要条件」を

     指す。例えば、結核の場合では、結核の病因は結核菌とされていても、それに

     感染していても、殆どは発病せず、発病を決定づけるのは、栄養状態や免疫力の

     いかんである。つまり、結核菌は、発病の必要要件であるが、感染して、その時の

     負荷条件として、栄養状態が悪かったり、免疫力が低下していて発病する。    

     このように必要条件に負荷条件が加わって発病の決定条件が生まれ発病する。

     従ってこのような3つの条件をきちんと分けて考えないと原因論(病因論)はいたずらに

     混乱するとのことです。

        私自身、自閉症スペクトラムの人、パ−ソナリティ障害の人等の

     カウンセリングをしていた時を想起しますと、その通りと思います。

     家庭の生育状況のことよりも、「心の傷」として焼き付いている「いじめ」のような主訴に

     こちらの注意がいってしまって、決定条件の過程のことがおろそかになっていた

     ことを反省します。「森を見て木や枝葉をみる」このようなことをないがしろにしていては

     問題の解決の支援など不可能です。

        それでは、「自閉症スペクトラム」をもたらす必要条件とはなんでしょうか?

           フロイトの発達論に照らせば、性愛的な希求の力、接近の力の弱さとの先生の指摘。

     これらの力が十分にある子どもは、何があっても、少なくても自閉症スペクトラムに

     ならないだろうとのこと。

     ではもう一歩踏み込んで、この弱さをもたらす必要条件は何であろうか?

     すでに触れたこの力の多寡は、おそらく多因子遺伝によって規定されるため、力の

     こそが強さが様々な個体の正規分布をなすと考えられる(その分布の中で必ず弱い個体が

     ある確率で出てくる)とのことです。この考えが妥当なら、この遺伝のしくみが、性愛的な

     希求力の弱い子の生まれる必要条件と言える。事実遺伝学的研究からは、多因子遺伝に

     よって形成される何らかの素因こそが自閉症スペクトラムをもたらす最も有力なリスク

     ファクタ-と見られている。その何らかの素因とは、具体的には性愛的な希求力の弱さと

     考えれば辻褄が合わないだろうかとのこと。あるいは、このテ−マのブログその2の

     < 小児性欲とアタッチメント> に出ているボウルビ-の理論にたって、アタッチメント

         (愛着)の力の弱さとしてもよいだろうとの先生の見解です。

       乳児の気質研究は、乳児の活動性、反応性、感受性ツ感覚性などには、出生時点で

     大きな個体差がある事実を明らかにしている。それらも多因子遺伝で規定されるためで

     あろうとのこと。小児性欲、ないしは、アタッチメントの強弱も、そうした気質の個体差の

     一つとして考えればよいと指摘しています。

     さらに先生は、精神発達については、白紙で生まれた子供のめいめいの個性が書き込まれ

     ていくプロセスというよりも、出生時は各自まちまちで、大きな個体差をもっていたが

     精神発達のプロセスを経て次第にその社会の多数が共有する定型発達に向かって均されて

     いくプロセスと考えた方がよい。---出生時では、小児性欲とかアタッチメントの力が平均を

     割っていた子供でも、養育者の性愛的アプローチにバックアップされて、多くの場合

     徐々にその力を伸ばして平均的な圏内に収まっていく過程との見解です。

     (この箇所でも先生の見解として、出生時の個人差が養育者の育て方次第で平均的な

     圏内におさまるという家庭内の養育環境の影響力が力説されています。)  


 7月7~8 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム   その4

 

         7月7~8 日  発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その4

                             滝川 一廣先生執筆                     


        ▲    自閉症スペクトラムに傾く場合

                                                                                                                                                           

        その3で 終わり当たりで生まれつき個体差でハンディのある

                子であっても、養育者のバックアップで、多くの場合

      平均的な発達圏内におさまるという記述がありますが、

      先生の見解では、残念ながら、すべてがそのようにうまく

      おさまるわけではないとのことです。その理由の一つには

             双方向性によるバックアップではカバ-しきれないほど乳児側の力が弱いの

      である。この場合、その力の弱さが、そのまま自閉症スペクトラムへ窓が開く

      決定条件にもなり得るとのことです。

      乳児にとって外界は未知なものばかりなので、当初は、すべての刺激にまんべんなく

      探索の目が向けられる。 しかし、間もなく性愛的な希求に促されて「もの(事物)」に

      対するものよりも養育者を中心とする「ひと(おとな)」に対して探索的な注意・関心が

      より活発に、より能動的に向けられるようになる。おとなの方も乳児に対して性愛的

      接近行動を惜しまない。両々あいまっておとなとの交流が深まっていき、それと共に

      「もの」への探索行動が単独の探索ではなく、まわりのおとながどんなものにどう注意

      関心を向けるかにも探索の目が向き、おとなと二人三脚で世界の探索をするように

      なる。これが乳児期の後半から始まる「共同注意」と呼ばれる現象である。

      このプロセスによって社会的な対人交流の土台が育まれると共に共同的な認識へと

      開かれていくとのことです。ところが、性愛の力が過度に

             弱い場合、このプロセスが進まない。そうした子どもでも

      性愛的な希求がゼロなわけではなく、成長と共に遅くればせに伸びてくるけれども

      その接近力は平均よりずっと弱くて能動性にも乏しい。この弱さは、乳児からおとな

      への接近的関わりを乏しくするだけでなく、おとなから乳児への接近的関わりに

      対して回避的な反応を引き出し易い。一般におとなからの性愛的な接近行動

      (みつめる、声をかける、微笑みかける、近寄る、撫ぜる、抱き上げる等)は乳児に

      性愛的な歓び、充足をもたらして交流性を深める関わりとなる。

      ところが、性愛的な希求や能動性が弱いこの子供たちでは、通常の乳児に対する

      ようなおとなの接近は受け止め切れない過剰接近や強すぎる刺激と感受されてしまう。

      養育者からの性愛的接近が、乳児に充足感を与えたり、乳児側の接近力の不足を

      カバ-したりできず、かえって関わりへの忌避を生むというパラドキシカル(逆説的)な

      現象が生まれ、関係の形成と発達とが大きく阻害される結果がもたらされる。

      本来は子供の安全感、安心感を強めるはずの養育者側からのアタッチメント行動が

      逆に安全感を脅かし、不安を引き出すというパラドックスと言えようか。

      (このことは、母親が子を抱っこしようとすると嫌がり、接近してくるが抱かれようと

      しないで、母親の近くで何か遊んだりしている、アンビバレンスという不安行動です)

             こうした子供にとっては、接近行動をしめさず、ただそのままそこにある「もの」の

      方が不安なく観察ゃ接近が出来るため、「ひと」より「もの」の方へ強い関心と探索

      行動が向かうようになるとのことです。 「接近」については、全く近寄らないでなく

      母の近くに来ても、接触しようとせずに一人で何かしている。

      小林隆児先生のアンビバレンスの記事にそんなことが出ていたのを覚えています。

      滝川先生は、こうした子供について、次のように述べています。

      接近行動を示さず只そのままそこにある「もの」の方が不安なく、観察や接近が

      できるため、「ひと」よりも「もの」の方へ強い関心と探索行動が向かうようになる。

     

        フロイトだったら、「ひと」に注がれるべきリビドー(メンタルなエネルギー)が

      「もの」に向かって注がれると表現するだろうか。とりわけ性愛的な接近力は弱くても

      知力は高くて探索力のある子どもは、この方向に進んでいく。

      ただし、二人三脚によらない、もっぱら単独での探索行動に傾くため、そこで獲得される

      認識は、必ずしも十分に共同的な内容にはならない(独自性をはらんだ内容になり

      やすい。) これがアスベルガ-症候群と呼ばれるようなグル-プであろう。

      ◎ 人よりも、何か興味をもったものにこだわりが強く、親に対しては、何か怨念に似た

      強い反感が対話の中でよく出ていた青年のことを想起しました。

      親は、あいつは怠けていると言っていましたが、病状と戦いながら頑張っていたこの類

      の好青年がいました。

        ▲ 自閉症スペクトラムへの負荷条件

     自閉症スペクトラムの決定条件は必要条件としての性愛の弱さに何らかの負荷条件が

     重なった場合である。

     例えば、脳に何らかの生物学的異状があれば、どんな異状であれ負荷条件となって

     認識や関係の発達が遅れる確率を多かれ少なかれ持ち上げる。

     同じことは、環境についても言える。生育環境の不全は、負荷条件になり得る。

     しかし、生物学的もしくは環境的な大きな負荷条件があったとしても、性愛的な

     接近力が十分な子であれば、他の問題が起きる可能性があっても、自閉症スペクトラム

     に傾かない。 他方必要条件を抱えて生まれながらも、負荷条件が重ならなかったため

     自閉症スペクトラムへと傾く事もなく済み、双方向性に支えられながら(多少の対人交流

     の不得手、不器用さがあっても)定型発達圏内まで関係を発達させる子も多くいる

     だろうとのことです。

       以上は、非特異的の負荷条件だが、乳児期の性愛的交流のチャンネルは撫ぜ

     られたり、抱かれたりの身体接触であり、アタッチメントも-----暖かく柔らかな感触に

     安心を求めるなど触覚が重要な役割を果たす。この特性から、特異な負荷条件が

     生まれるとのことです。接触の過敏性である。

           感触も生まれつき個体差のばらつきをもっている。それにおいて、平均よりずっと

     感触がデリケ-トで鋭敏な乳児もある程度の割合で生まれてくる。その乳児にとって

     通常なら心地よさ、充足感、安心感や親密感をもたらすはずの身体接触が、違和感や

     苦痛として感受されやすくなる。養育者からすると、どこか抱きにくく、抱かれるのを

     嫌がる赤ちゃんであったりする。

     けれども、その乳児が性愛的な愛撫への希求を強くもっていれば、苦痛よりもその希求が

     まさり、養育者が嫌がらない抱き方やあやし方むを手探りりしながら愛撫をするうちに

     過敏だった触覚も次第に身体接触に馴染んで、ふつうに抱かれる赤ちゃんになっていく。

     こうしたプロセスで次第に感覚の馴化が進み、持前の鋭敏さ、繊細さが完全に消える

     わけでなくても、いわばかどがとれて極端な過敏さは和らいでいくのが通常である。

     持って生まれた個体差が定型発達に向かって均されるとは、こういう現象を指す。 

     これを裏を返せば性愛的な希求性に弱い乳児が同時に触覚過敏性をもっていたならば

     これは極めて深甚な負荷条件となることを意味する。対人接近への希求性が薄く、

     そうでなくても接近の回避の方へ傾きやすい乳児に触覚過敏が加われば、性愛的な

     交流やアタッチメントは大きく阻害されてしまうだろうとのことです。その結果自閉症

     スペクトラムの方へ強く傾くことになる。

     スキンシップと自閉症でとの関連の重要性のことが以上の先生の説明で理解

     できます。今回の滝川先生の記事を通読していて、ふとNLPの研修で習った

     聴覚、視覚、体感覚を各自どのように活かし、また苦手としているかもふと想起して

     みました。メンタル障害者の中で発達障害の人と比較的交わりが私にはあります。

     自閉症スペクトラム、アスベルガ-の人は、聴覚が不得手で電話の対話がうまく

     いかない人のことを知っています。このことも乳児期のスキンシップと何か関係が

     あるのではとも思いました。もちろん、想像力が弱い彼らにとって電話で理解する

      のに困難を感じることは予則できますが。 

6月19日  6月のブログの案内

 

     6月19日 6月のブログ案内

 

        6月のブログにつきまして5月21~22日のサイトから2つのサイトをスクロ-ル

     して頂くと6月のブログに到達します。

     なお、「発達論的視点からみた自閉症スペクトラム」は7月4~5日(その3)は

     このブログ案内のすぐ上に続きます。


        お手数ですがよろしくお願いします。 


 5月21~22 日 気分障害と不安障害の治療 その1

 

       5月21~22 日     気分障害と不安障害の治療 その1

                          こころの科学 178 11月号 原田誠一先生 執筆

     先生からの前書 

     本稿では、治療がゆきづまった気分障害~不安障害の症例と接する際に、日頃

     筆者が留意し工夫している点について述べる。論の進め方としては、初めに

     「環境の変化で改善する症例の存在とその意味」に触れ、さらに@診断の再考を

     要する場合 A病態の背景に存在し、悪化~遷延に関与している因子への

     アブロ-チが必要な場合、B 従来の治療の不十分な点を明らかにして

     修正を加えた治療をおこなうことが有効な場合に分けて症例をあげながら

     具体的に説明するとのこと。------治療のゆきづまっ た状態から抜け出すのに

     環境の変化が決定的な役割を果たすことがある。 一例として「抑うつ状態を

     呈していた社交不安障害、醜形恐怖の症例」を供覧してみよう。

 

     <症例1> 20代女性、社交不安障害・醜形恐怖・気分変調症

     現病歴 :  X年(10代後半)、社交不安障害(スピ-チ~会食恐怖)、醜形恐怖

     (鼻頭顎の形 毛髪の性情を過度に気にかける)が出現し、抑うつ状態を

     呈した。いくつかの精神科を受診してSSRIと非定型抗精病薬による薬物療法を

     受けたが改善は見られなかった。そのため X+5年、CBT(認知行動療法)の施行を

     希望して先生のクリニックを紹介受診した。

     初診時の対応: 初診時に、社交不安障害と醜形恐怖に関する心理教育を行い

     CBTへの導入とした。加えて苦手な場面(会議、会食など)に望む前に服用する

     頓服薬(抗不安薬のクロナゼバム、べ-タ-遮断薬のカルテオロ-ル)を新たに処方した。

     その後の経過: 社交不安障害のCBTと頓服服用によって、スピ−チ恐怖と会食恐怖は

     改善した。一方、通常の社交不安障害のCBT]に加えて、確信型対人恐怖の治療で

     必要な「患者が行っている積極的・習慣的な不安対処行動=強迫行為」へのCBTも

     施行したが、醜形恐怖と抑うつ症状にははっきりした変化が見られないまま数年が    

     経過した。

         大きな動きが生じたのは、X+8年に男性とのお付き合いが始まってからからの

     ことであった。友人を介して知り合った男性との交際が深まるにつれ、あれだけ執拗に

     こだわっていた醜形恐怖が徐々に減少し、抑うつ症状も消退していった。

     結婚前にいくつかの心配事が生じて若干混乱する局面はあったが、Xブラス9年に

     無事ゴ-ルイン。X+10年に頓服を含めて処方をすべて中止することができ、X+11年

     には治療終結となった。

     ◎ 私の感想 原田先生も治療のゆきずまりに直面されましたが、良き異性との

        交わりが功を奏したということ。この事例から私は、心理学者エリクソンの説く

        成熟した大人の条件のことを想起しました。その条件とは、まず同性の友との

        間で心を開いて何でも話し合えて信頼関係を築くこと、それが出来て次に

        異性との関係とも信頼関係が築けて結婚へ進むことができる。こんな説だと

        思います。メンタルにハンディのある方々は、好きな異性の友達ができても、うまく

        いかないことを聞いています。この事例の女性の同性との交わりについては

        全く言及していませんが、この女性の異性との交際の過程での主治医の先生の

        本人、及びその家族との関わり方、指導助言等の支援が大きな支えになっていた

        ことが次の先生のコメントで理解できます。

        コメント: 社交不安障害、醜形恐怖、気分変調症が遷延していた症例である。筆者の

        外来受診していてCBTと頓服薬の追加処方によって社交不安障害は改善したが、

        醜形恐怖と気分変調症は変化せず、治療がゆきづまった。その手づまり状態を

        打破する契機になったのは、治療自体ではなく、ある男性との交際、結婚であった。---

             

         この症例に関連して、ここで二点追記してみよう。第一はこのタイプの症例の存在が

        「治療者がゆきづまっている際に、当事者~家族~治療者が持ち続けられるとよい

        態度」を考える上で、大切なヒントを与えてくれることである。本症例の経過は、

        治療の進展が滞ってはかばかしく感じられない場合であっても、辛抱しながら根気

        強く関わりを続けていると、時に外部から変化の妙機が訪れてくれることを

        示している。治療がゆきづまっている場合に、当事者~家族~治療者が

        「あせらない。無理をしない。あきらめない。」態度を保つ重要性を筆者は指摘

        したことがある。この態度を維持して関係者がスクラムを組み続けるためにも

        環境の変化によって改善する場合の存在を頭の片隅に入れておくことに、一定の

        有用性があるだろう。

        二つ目の点は、「それでは、この症例における治療は無力・無益だったかというと  

        必ずしもそうでない。」という内容。たしかに環境の変化が改善の主役になった

        わけであるが、そうした変化が成就するまでの結構しんどい期間を、当事者と

        治療者が手を携えて、何とか乗り切ったことの意義は、それなりに評価できるのでは

        あるまいか。いかにも見栄えのしない治療ではあったが、それでも「変化の契機と

        遭遇するまで頑張り続ける一助となった点」さらには「よい機会と出会チァンスや、

        それを活かす可能性を増すことに寄与できたところ」がり、改善の背景因子の一つに

        なったのではないかと考えている。

        ◎ 苦難の中でも、先生の愛と忍耐による成功例として読んでいて感動しました。

          機会をとらえて引きこもりの集会でも話してみたいと思います。

                          P1010005 (359x269).jpg

                         これはチリ原産のアルストロメリア、私がこの花を生けたと仲間が知ると

             驚きました。わたしには似つかわしくないとのことです。

             鈍臭かろうが、見た人の心が癒されるならそれでいいのです。

 







5月27 ~29日 気分障害と不安障害の治療 その2

 

     5月27~29  日 気分障害と不安障害の治療  その2    原田誠一先生執筆


     病態の背景に存在し、悪化~遷延に関与しているアブロ-チが必要な場合

     抑うつの背景に「自分へのダメ出し」  「過度の悲観」がある症例


     先生の前書  治療がゆきづまった状態から抜け出すのに、病態の背景に存在して

     悪化~遷延に関与している因子へのアプロ-チが必要な場合も多い。こうした要因の中

     には、@ 外的な慢性ストレス状況 A 本人の発達~パ-ソナリティ傾向 

     B 特定の患者の認知行動のパタ-ン、など多くのものが含まれる。ここでは、「特定の

     患者の認知行動パタ-ン」の中で、臨床上大変重要でありながら見逃され等閑視され

     やすい事項に焦点をあてて、いくつか症例を供覧しながら実情をみていくとのことです。

     はじめの症例は「自分へのダメ出し」 「過度の悲観」が目立っていたうつ病症例である。

 

           <症例3>   30代 男性、 うつ病 

     現病歴: X年(20代後半)うつ状態となり発症し、いくつかの精神科で治療を受けてきた。

     薬物療法である程度改善するのだが、ストレス状況下で再発することが何回かあった。

     四回目の再発がみられたX+5年、CBTを希望して先生のクリニックを紹介受診した。

     初診後の対応: 初診時に、今回の再発の誘因となった「会社でのストレス状況」について

     聞いたところ、@仕事の進捗がはかばかしくない時に、自分を責めて煮詰まって

     しまうこと、A他のスタッフの悪口ばかりいう人が職場におり、強いストレスを感じてい

     ことが語られた。それぞれの実情に関してさらに話を聞いていくと、患者が

     「自分へのダメ出し」「過度の悲観」をしていて、そこから抑うつ症状が発生~悪化~遷延

     している経過が判明した。そこで心理教育を行って「自分へのダメ出し」と

     「過度の悲観」が抑うつを生み出す二大認知といってよいくらいの重要な存在であり、

     双方から抑うつを含む様々な心身の症状が生まれる事情を説明した。(図1~3)

         図1「ダメ出し」が生む悪循環 「思想・気分・体調・行動の連関」の心理教育


    自分にダメ出しする自分認知 →  自分なりに頑張ってる自分の立つ瀬なし

         ↑                            ↓

        出来ること              体調不良      空しさ

     パフォーマンスが低下する ←  だるさ、胃痛、頭痛←  憂鬱気分、いらいら

          行動               身体         気分

    この流れの図からポット出る(つぶやき)自動思考から気分体調、さらに行動低下の連鎖が

    分かります。   図2も同様の負の連鎖を読み取れます。

 

       図2 「過度の悲観」が生む悪循環

 

      過度に悲観する自分認知→      空しさ

        ↑                憂うつ気分、いらいら 

                           気分

       出来ること                ↓       

       パフォ-マンスが低下する ←     体調不良 

           行動             だるさ、頭痛、胃痛

                            身体     

       図 3     ←      通常の状態(出力、入力が均衡)    ←

             エネルギの低下状態では

            ダメ出しの負の出力増大し、自分の良さ、楽しみの入力は減少する

            そのため、負の連鎖の力に負けてしまう。

      ◎  ここがCBT(認知行動療法)の大事なポイント、時々私も使っています

          「選択的適用」なのです。

        上司に挨拶しても、こちらを見ようともせず、仕事をしていたので、自分が

        無視されたと思えば、落ち込みます。しかし、上司が仕事に集中していたら

        挨拶できないかも知れません。俗に言う「良い方にとる。」選択があります。

        また、このような気分を害することがあっても、、部屋を出て気分転換を

        はかることなどストレス緩和の工夫だってあるのです。 

  

                 さらに原田先生は、上図1~3について次のように説明しています。

       @ 「自分へのダメ出し」 「過度の悲観」は誰でも体験するもの、この認知

       自体に問題があるわけでない

        A、それら以外の認知ができる「もう一人の自分」

       「自分を弁護したり、楽観的・呑気に考えられる自分」の発言権が弱く

       バランスを崩して悪循環を招くことが問題、 

       B 「自分へのダメ出し」 「過度の悲観」をする自分(Aさん)に対して「もう一人の

         自分」(Bさん)を自分の中に根付かせて 育てる方法の一つに、対話型・

         思考記録を用いた認知行動療法があると説明しています。(図4 表1)

                 (なお対話型に類似したロ-ルプレイも自己の認知を修正する方法

          として使用されます)

                  二回目の診察時に 以下の思考記録患者に持参させています。 

 

        図4 対話型・思考記録のAさん、Bさん---「BがAに語りかける」

 

            過度に悲観する自分(Aさん)←冷静・客観的な自分(Bさん)

                       過度に悲観して悪循環を生みがちなAさんに対して

            「わかるけれど、でもねえ----」(別の視点で自己を見直す)

                        これによって強い負の感情を和らげ、認知の修正が可能となる

 

           表1  Bさんを育てる対話型・思考記録

           気持ちの整理が難しい際、患者に以下の3項目を記入してもらう

           @ 出来事

           A Aさんの受け止め方

           B Bさんの受け止め方

              1  共感 ねぎらい

              2  別の受け止め方--合理的、適応的思考(選択的適応)

                       注   本人に認知の偏りのある場合は、CBTでは、非機能的思考と言い

                 それを現実にそった合理的思考への修正を促します。

               3  悪循環の指摘

               4 提案   当面のとる方針の提案

             ◎ 私でしたら、その提案についての本人の感想等も質問し

              本人がどうしたいか(DOING) 、どう在りたいか(BEING)を

              引き出すコ-チングの手法で「目的」や「目標」へ導きたいと考えます。

           なおその後2回目の受診時に患者は以下の思考記録を持参したとのこと。

 

        ▲  思考記録の事例

 

          ●  事実  会社である業務を担当しているが、苦手意識が強くて、なかなか

                  はかどらない。

          ●  Aさんの受け止め方  少しずつ仕事を進めるべきなのに、苦手意識が

             強く、手がつけられないのは情けない。そもそも、自分がこの仕事を

             こなすのは、無理なのではないか。 

         ▲  Bさんの受け止め方

          @ 共感、ねぎらい    課題をこなせないと、誰でもしんどいし、焦る。

                           大変だよね。

          A  別の考え方  他の仕事もあって、なかなかしっかり取り組む時間を

              見つけられない面もある。まだ時間は十分あるので少しずつ進めて

              いけば何とかなるかも知れない。

           ◎ @、Aから、このような自己分析(セルフカウンセリング)は、初めは

           とても苦しくても、やがて自力で立ち直ることができます。名古屋市の

           中村区のここらぼのうつの「グル-プワ-ク』で指導を受けたある青年が

           あるNPOの介護の仕事を辞める際に話てくれたことを思い出します。

           うつ状態のような逆境にあると、職場、家等で自分の殻に閉じこもって

           孤立かしがちです。そんなとき心を開け広げる人がいると癒されます。

           この例の青年も共に頑張っていた異性の友の存在がかなり大きく

           かったように感じました。

 

         B 悪循環の指摘  ダメ出しして悲観過ぎると、悪循環にはまって「うつ」が

                     悪くなる。そうなるとAさんも苦しくなって損だよ。

         C 提案   気分転換しながら、まず手をつけやすい「いままでのデ-タの

                 整理から始めてみては、どうか。

          (ここの気分転換は考えてばかりせず、一寸体を動かすとか、おいしい

          ものをとるとかして気分をほぐすことなど)

                     思考、行動などの記録を後で、冷静になって見てみると「気づき」が

             生まれることがあります。 


 6月3~4日  2つの外傷により、うつになった女性の治療 その3

 

       6月3~4日    2つのの外傷により、うつになった女性の治療例 その3

                原田誠一先生執筆 

     

        X年、20代のある女性は、職場の上司から身体を触られる、個人的な付き合いを

    求められる体験があった。人事課と相談して、X+1年に本人は別の部署に異動

    となった。すると今度は、異動先の上司が本人の能力や人格を全否定するような

    言動を繰り返したとのこと。「何をやらせても、お前は最低」「最悪の凡人だ」

    「土下座して謝れ」などと面と向かって言われたとのこと。

    X+2年、抑うつ状態となり、精神科を受診。うつ病の診断で休病に入るとともに

    薬物療法を受けたが、状態は改善しなかった。

    そのためCBTを希望して、X+3年に原田先生のクリニックを紹介受診した。

    初診時の対応:  まずは発症前後の経緯と現状を聞いて、@ 上司から罵倒

    される場面の記憶か゛よく浮かんでくる(フラッシュバック)

        A 職場に近づくことは、おろか、会社のロゴマ-クやHPもみることも

     できない(回避)という外傷体験に伴う症状があることを確認した。

       次に、異動後の職場の状況を本人がどう受け止めているかを尋ねた。

     すると本人は、「上司が厳しいが、仕事ができない自分が悪い。こんな自分は

      もう仕事はできない。」と受け止めているとわかった。

         ◎ この上司のパワハラを認知せず、自分を責めている「認知の仕方」に

      対して先生は以下のように本人に指摘され、CBTの指導をされました。

      本人の発症前の実態とか異動後の上司の言行など、事実関係を先生が確認

      されて認知の修正をされていく手本が示されています。

 

      発症前の本人の社会適応がよかったことや、異動先での勤務状況などを

      確かめた上で、先生の目には、上司の対応に主な問題があるように映り

      「パワハラ」に当たると思われると伝えたとのこと。

      しかし、本人は、「その上司の態度は、パワハラとは思っていなかった」と意外

      そうに答えたとのことです。そこで、外傷体験に関する心理教育を行い、CBTに

      導入されました。

           その後の経過 : 外傷体験に伴い生じた「自分へのダメ出し」と 「過度の悲観」

      という認知を少しずつCBTで扱っていったとのこと。この認知の修正作業が進んだ

      ところで、徐々に職場に近づいて慣らしていく行動療法を始めた。

      具体的には、@ 会社のHPをみる A 職場近くの公園に行く B 会社の近くを

      車で通る C職場の中に少しだけ入ってみる D 会社の図書館でしばらく過ごす

 、     E 会社の空いている会議室で簡単な作業をおこなう という順序でおこなった。

       ◎ 以上の行動療法は、負の刺激に対する不安、恐れを感じている人に対して

        用いる「脱感作療法」を思い起します。

        例えば「高所の恐れ」に対して、徐々に負の刺激にたいして慣れさせながら

        恐怖の感覚を和らげていく手法です。「パニック障害」に対しても同様な対処法を

        用います。また、こんな心境のとき、信頼している友人などが「大丈夫だよ」とか

        「今のその恐れ分かるよ」など一言がとても大きな癒す力になることがあります。

        私自身、若い頃心身症で苦しんでいた時、当時名古屋市の蜜柑山の

        リハビリテ-ションセンタ-の松原脳神経外科の先生のそのような一言が

        そうでした。愛情のこもった人間力を言葉の背後に痛感しました。

        二つの外傷で苦しんだその女性は、 上記の行動療法の治療の間に人事課と

        連絡をとって復職のためには再度の異動が必要な事情を先生から伝えたとのこと。

        X+4年に異なる部署に復職して、X+6年に治療終了となったそうです。

        ◎ CBTの成果のみでなく、患者にとって異動を通しての職場環境の変化も

           治療の面で大きな意味をもつことも痛感しました。

 

 

 

 6月18~ 20 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム そだちの科学24より

 

      6月18~20 日  発達論的視点からみた自閉症スペクトラム  そだちの科学 24より

                 その1  滝川一廣先生執筆

      この自閉症スペクトラムと聞くと、北区のNPOで数回カウンセリングしたHさんのことが

     気になります。 月曜日の若者の「低空飛行の集会」でもこの病状の人がいました。

     すでにブログで書きましたように、最初の頃は、こちらも、どう話を進めていいのか

     戸惑いを感じ、対話が途絶えてしまうこともありましたが、とっさに描画法を想起して

     それを導入することで、対話が進ました。漫画の世界のことは全くわかりませんが、

     刀をもったたくましいキャラクターの絵であり、いじめのトラウマの裏返しとして

     「自分もこんな強い人になりたい」という願望を象徴する絵でした。   

     このことがあって後、「自閉症」のことも色々と学んでいますが、今回のそだちの科学の

     滝川先生の記事も参考になったことがあり、ブログを書くことにしました。

 

      ▲  精神発達とは---滝川先生の見解は以下のとおりです。

 

      子供は胎内では全く知らなかった世界に生み落とされ、その世界を知り、その世界と

      関わりを結んでいかねばならない。未知の世界を子供が知ってゆき、関わりを深めて

      ゆく歩み、それを精神発達と呼ぶと考えてみよう。

      知るためには探索が必要で、関わるためには接近が必要である。生まれた時から

      子供は探索と接近の活動を始める。

      ◎ ここでは至極当然のことが述べられていますが、成長過程の中で、発達障害のみ

      ならず、その他のXX障害の問題を考察していくに当たっての大切なポイントが

      指摘されています。好奇心をもって母親などに接近したり、探索して色んな体験をして

      学習するこの過程こそが人格形成の土台になります。

      

               生まれた時から子供が探索し、接近しなければならない世界とは、たんなる物質的

      自然界ではなく、人間だけが社会的に共有している意味(概念)や約束(規範)によって

      構造化された観念の共同世界である。人間は、その世界をいわば「第二の自然」として

      生きている。このため精神発達は、そこで共有されている意味や約束を通じて知る

      認識の発達(知的な発達)とその社会の中で人と相互依存的に関わる「関係の発達」

      (社会性の発達)との2軸から成り立っている。前者は主に探索によって、後者は主に

      接近によって進められるが、別々に分離したものでなく、二軸は互いに支え合っている。

      世界を認識的にとらえるためには、すでに認識を獲得している大人との交流が必要だし

      社会的な対人交流のためには人に対する認識的な理解が必要だからである。

      このことは、精神発達とは、その社会における意味や約束の在り方(文化)に規定された

      学習的な性格を帯びた過程であることを意味している。その点、----身体発達とは

      異なっている。精神発達は、時代、社会、文化をこえた普遍性はもたない。------

             絶対普遍の真理などありえず、発達論はそれが生み出された時代と社会の関数として

      読み解きながら活用する必要がある。

      ◎ 主観的な権威に支配されるのでなく、実証的に獲得されたエビデンス重視が

         その例かと思います。心理療法でもその傾向が強く出ています。

 

              ▲    発達のおくれが生じるわけ

      

     精神発達の歩みは、認識の発達レベルも関係の発達のレベルもほぼゼロに近いところから

     始まる。しかし、マラソンで一団となってスタ-トした集団が次第に各自の脚力の差によって

     長い列にばらけてくるのと同様に精神発達の歩みにも、はやい、おそいの大きなばらつきを

     生じる。その個人差ははやい、おそいの質的な差で二分されるのでなく、はやいものから

     おそいものまで切れ目のない連続性をもった量的な差として現れる。これは、発達の脚力が

     少数の決定的な因子によってでなく、一つ一つの決定力は弱い非常に多数の因子の重なり

     によって決まるものと考えられる。(多因子遺伝)そのような多因子の重なりによって決まる

     ばらつきは、確率論の教えるところでは、基本的に連続性をもった正規分布をなす。 

     この事実は、精神発達の歩みが平均よりずっとおくれ、正規分布のはずれのほうに位置する

     者が「自然の個体差」として必ずある確率で生じることを意味している。

     これが、なぜ発達におくれが生じるか、の問への本質的な答えと滝川先生は指摘します。

     むろん、自然の個体差以外にも 精神機能は脳を物質基本とするから、脳に障害があれば

     その負荷から精神発達の歩みが遅れることもある。精神発達は単に生物学的な成熟でなく

     社会的な学習に大きく依っているから、*  ネグレクトのような極端な環境不全があれば

     それが負荷となって発達が遅れることもある。*親の養育拒否

     しかし、逆は真ならずで、発達のおくれは、すべてが脳障害、ないしは環境不全から生じる

     わけではない。また、脳障害やネグレクトを被れば、必ず発達が遅れるとも限らない。

     もっとも、発達障害には決まった定義はないから、「発達障害とは、脳の障害である」との

      定義もよく目にする。しかし、ここでは、自然の個体差、脳ないしは環境の病理によるもの

     であれ、「精神発達に何らかの遅れが見られ、そのために生きにくさにぶつかっている

     状態」という定義に立って考えを進めたいと先生述べています。

      ◎  この発達のおくれの記事についての感想

      発達障害とは、脳の障害とか、環境の病理(親のネグレクト等の起因による障害)に

            よるもの、というように決めつけるのでなく、たとえそのような障害、環境に問題が

      あっても必ずしも「発達のおくれ」にならず、今後のそれらの治療 、心身のハンディを

      癒していける環境づくりにより改善の余地ありと感じました。

      現状の病状の重荷に打ちのめされることなく、完治とはいかないまでも、完解を目指す

      障害者方々のためには、、希望を抱いてたとえ歩みがのろくても、私自身病理のこと

      障害者の方々の直面する、家庭や職場環境の問題についてさらなる学びをして

      サポ−ト力をレベルアップしたい気持ちに駆られます。そのためには、家庭の療育に

      関わること、就労の準備段階で困ったことなどの生の声を傾聴していきたいと日々

      考えています。

      

      ▲   自閉症スペクトラムとフロイトの発達論


      発達障害が精神発達のおくれならば、発達理論の力を借りて、その理解と支援の道を

      さぐれるはずである。先に精神発達は、認知の発達と関係の発達からなると述べたが

      前者のおくれが前景に出たものが知的障害、後者のおくれが前景に出たものが

      自閉症スペクトラムと呼ばれる。一方、発達理論では、認知の発達をたどった古典が

      ピアジェの発達論で、関係の発達をたどった古典がフロイトの発達論である。

      そこで先生は、自閉症スペクトラムをフロイトの発達論と関連させさせながら

      考えてみたいとのこと。但しこれは自閉症を精神分析するという意味ではない。

      フロイトの発達理論は、生物学的な個体として生まれた子供がなぜ社会的・

      共同的な存在となることができるのか、人間の関係性、社会性とはどんなプロセスを

      経て獲得さ発達するのかを考える上で先駆性と卓抜性を備えており、そこには

      現在も古びていない。関係(社会性)。の発達に大きなおくれを示す自閉症に

      フロイトの発達論から光を当てることは可能なはずである。

        但しフロイトの生きた時代と社会は現代社会のそれと同じでなく、精神発達の

      在り方は変化しているから(その意味で古びた部分はむろんある)

              フロイトの理論や概念を鵜呑みにあてはめるのでなく、現代の文脈でとらえ直し

      ながら吟味しなければならない。まずはフロイトの発達論の吟味から始める

      とのことです。      

 6月23~25 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その2

 

         6月23~25  日  発達論的視点からみた自閉症スペクトラム  その2

                         滝川一廣先生執筆

  

     ▲  小児性欲とは何か

            フロイトの発達論を読み解く鍵は(小児性欲)とはどういうものか、具体的、実感的

     イメ-ジをもって掴み取ることである、と述べています。

     私たちは乳幼児をみれば、抱きしめたり、頬ずりやチュウしてやりたい促しを感じる

     だろう。親であれば、この促しは非常に強く、そうした愛撫をしない親はいない。

     育児が子供の安全を護り、栄養を与え、生存に必要な技能を授ける営みであるなら

     これ(小児性欲)はそれらとは無関係な余分なかかわりにみえる。

     しかし、これ抜きの子育てが考えられるか。しかもこれは一方的な思い入れでなく、

     むずかっていた乳児がそれで機嫌を直したり、生き生きした歓びの様子をみせたり

     運動能力が育つにつれて自ら積極的に求めてくる。(日本の子育てでは甘えと

     呼ばれる)親が駆り立てられる愛撫への強い促しは、そうした乳幼児側の希求から

     引き出される面が強くあり、ここには親から子、子から親への双方向性が一体となった

     交流がみてとれる。さらに先生はこのような母子間の「促し駆られる」場合共に

     成人の性愛的な生活においての伴侶に対して抱きしめたり、頬ずりしたりするなどの

     強い促しに駆られることを指摘し、種の保存のためなら直接的な性交だけで

     目的はかなうはずで、これも余分なかかわりと言えると述べています。

     そして、この成人間の「促し」も、双方向性、一体性をもっています。

       フロイトの創見は、両者の深いつながりに気づき、いずれもが親密な愛撫的な

     かかわりとそれがもたらす深い充足感への強い希求で、そこに、人間の性愛の中核

     があると考えたところにある(セックスへの欲望が性愛の中核なのではない)。-----

            乳幼児期から児童期にかけては、この性愛的な希求は成人のような生殖行動への

     衝迫は派生せず、親密な愛撫的なかかわりへの純粋な希求として、その中核のみが

     働き続ける。従って生殖性の加わった成人の「性愛」、「性器愛」と区別するため

     フロイトは「小児性欲」と呼んだとのことです。

 

       ▲    口唇期(乳幼期)の性愛  

      フロイトが発達論において性愛を重視したのは、個体内部の生物学的な力であり

      同時にその個体の外に関係を求めさせる社会的な力となるからである。性愛の力が

      働くからこそ、生物学的個体として産み落とされた子供が他者と関係を結び、社会的

      (共同的)存在へと開かれることが可能となる。つまり性愛的な希求を原動力として

      子供は対人関係や社会的能力をステップアップさせていく。そのステップアップの

      道筋を口唇期→肛門期→男根期→潜在期→性器期とたどり着いたのがフロイトの

      発達理論だった。

             ゼロ歳代、乳児期をフロイトは、「口唇期」と名づけ、そのステップの第一段階

      とした。生存に必要な栄養を満足させるのが目的とみえる授乳は、それにとど

      まらず、暖かい胸に抱かれ乳首を吸うことが乳児にとって性愛的な歓びと充足を

      もたらし、そこにこそ精神発達上の意義がある。それが日々重ねられて養育者との

      強い関係が形成されるとフロイトは考え、授乳を重視して この単元の表題の命名は、

      とした。----このようにフロイトは授乳と口唇の歓びだけに絞り込んで論じたけれど

      もう少し視野を広げると、授乳にとどまらず、おむつを替えたり、着替えをさせたり

      身体を洗ってやったり、親はこの時期、様々な世話(マザリング)をしている。---

              親はただ管理的にこれらをするのでなく、そのつど撫ぜたり、抱きしめたりの

           愛撫を伴わせているはずである。つまり世話のすべてが性愛性を帯びた交流を

            しており、これが子供と養育者とを深く接近させてメンタルな絆と、後にエリクソンが

      その発達論で「基本的信頼」と呼んだ信頼と安心に根づかせるのである。

 

       ◎ この「基本的信頼」が後述のアタッチメントの貴重なポイントに直結します。

       逆に孤児院のような施設で性愛が欠け時間がくると職員が機械的に食事を

       与えていると、自閉症に陥るという話を乳幼児期の養育の講話で聞いた

       ことを覚えています。

 

       ▲  小児性欲とアタッチメント(愛着)

                   性愛への希求を核心と考えたフロイトの発達論に対して、「安全」 『安心」への

        希求こそが接近と関係の絆をもたらすのではないかというところから出発した

        のがボウルビ-の発達論(アタッチメント理論)である。動物行動学の知見に拠って

        いる。カルガモのヒナはいつも親鳥にくっついて歩く。これは孵化して初めて視覚 

        したものを後追いするよう生物学的にプログラムされているためである。ふつう

        最初に目に入る動くものは親鳥だから、結果的にヒナは親鳥にくっついて安全を

        確保できる。-----------------

                 こうした接近行動が「アタッチメント」で、このattachmenの定訳として「愛着」

        であるが、先生は古くからの日本語表現「なつき」がぴったりするとのこと。

                    ボウルビ-は、精神分析学者だったが、乳幼児にも性欲(性交欲求)がある

        かのように誤解を受けやすい「小児性欲」の概念を、その色合いをもたず、かつ動物

        行動学でも実証されているアタッチメントの概念で捉え直したといえると、先生は

        指摘しています。 乳児はアタッチメントの相手を求め、一般には、日々世話する  

        養育者になつく。養育者とのつなぎの関係を 安全基地として乳幼児は積極的に

        未知の世界の探索に乗り出し精神発達の道を歩める。裏返せば子供にとって

        なつきの相手の喪失は自分を護る(安全(安心)の基盤を奪われることで、

        精神失調や発達の偏りをもたらしかねない危機となる。これがボウルビ-の

        アタッチメントの概念で、小児性欲の概念よりもとおりがよく、現在も広く

        用いられているとのことです。

         

             ▲  小児性欲と自閉症                 

               自閉症の本態をめぐって、学説は変転を重ねてきた。広いスペクトラムをなし多様な 

       特徴を示すこの複雑な現象から、どの特徴を最も本態を現す本質的なものとみる

       かで、見解が分かれたり、移ろってきた。精神発達が広いばらつきをもつ以上、

       その遅れかたも多様なばらつきがあっても不思議でない。そこで次のように考えて

       みるとの先生からの要約の提言

、      @ 特徴にばらつきが大きく状態像は各様だけれども、自閉症とされている子に

        かならず共通する特徴は何か。すべての子を貫く特徴はがあれば、本態のあらわれ

        である可能性が高い。

       A 発達の最も早期から見出される特徴は何か。後から現れる特徴は、たとえ

        顕著な特徴であっても、最初の特徴から派生した二次的なものかも知れない。

        早いものほど本態の直接のあらわれである可能性が高い。

        @Aが合致すれば、そこに自閉症の本質をみてもあながち的はずれでは

        ないだろうとのこと。

       @ については、対人関係が困難が上げられる。アスベルガ- 症候群の場合の

       ように知的な交流は十分できる場合でも、情緒的な微妙な交流につまずいている。

       Aではどうか。この子供たちは、早い場合では、乳幼児期の前半から

       「目が合わない」「 見ているようでも視線がすりぬけている」

       「抱っこしても身をよせない」「 声をかけてもこちらを向かない」「笑いかけても

       微笑みを返さない」 「あやしても喜ぶ様子がない」などの特徴が「つながり感」の

       乏しさとしてすでに養育者にキャッチされる。これは、その乳児の対人的接近性

       交流性の弱さと考えるこができる。このAは、@の対人交流の困難さに通じており、

       ここに自閉症スペクトラムの本態をうかがえる。

       ◎ この自閉症の本態についての記述に関しての私の感じたこと     

        @ Aの事態の原因は、必ずしも遺伝的要因に由来するものでないような印象を

        先生の記述からも受け取っています。とすると、親自身にも責任の一端があり

        そうな気がします。私はその道の専門家では有りませんので、推測でしか言え

        ませんが、日頃の特に母親の情緒、行動などの影響が乳幼児にもろに反映

        されているのではと考えます。 夫婦間に問題があり、母親の情緒が不安定で

        イラつき易いと子供はなつかないことなど。両親のエデュケーション、トレ-ニングが

        不可欠になってくるかと思います。

              

                 フロイトの発達論に照らせば 、この(親子)の「つながり感」の乏しさは、その乳児の

        示す小児性欲的な希求力の弱さを意味しまいか。「見つめ合う」 「ぴったり身を 

        寄せ合う」--一般の乳児なら養育者との間でこれらの振る舞いを必ず見せる

        はずなのに、それが希薄。これが最早期にあらわれる兆候である。性愛的な希求力

        こそが親密な接近を生み出して関係の発達をおし進める原動力(脚力)とすれば

        関係の発達におくれて自閉症スペクトラムに傾いてもふしぎはない。

        同じことをアタッチメント理論に照らせば、これは、アタッチメントという接近力の

        弱さと捉えられようか。性愛の力、アタッチメントの力にせよ---------------

                  こうした生物学的、生得的な力は必ず個体差をもつ。---その個体差において、

        平均よりずっとその力の弱い子がある頻度で生まれても病理的現象と考える

        必要はない。

        ◎ この最後の言葉は、自閉症の子供をもつ親にとって励みになると思い

         ます。遺伝的要因として落胆せず、本人をとりまく家庭の療育次第では

         改善の余地ありの希望が持てるからです。   

5月8日 「クライアントが治療の主体になる」はメンタル以外の領域にも当てはまる

 

    5月8日 「クライアントが治療の主体になる」の指摘はメンタル以外の領域にも当てはまる

    

    このご指摘は、平井孝男先生の著書にあり、その意味を金沢の研修の際に直接

    先生からその意味を確認させて頂きました。

    このことを自ら体験したのは、導眠剤のマイスリ-で苦闘したときです。あの時は、色々と

    調べていく中で、ぺパ-ミントなどハ-ブに効果があることが分かり、副作用の危険性から

    脱出できました。今回は、名東区のある歯科医院の治療に関してのことです。

         すでに一昨年他界した友人の紹介を受けて以来8年程お世話になっているS先生は、

    患者のニ−ズに応じてメリハリの効く対処をして頂いています。

    必要に応じて指示命令はされますが、患者の主体性をなるべく引き出すコ−チングの手法

    にも精通した手法も感じられます。

    虫歯に侵され、歯が弱っている人に対して、歯の手入れのことについて、只細かく指示命令

    するだけでなく、患者の手入れの実態を特殊な赤色で手入れの悪いところを鏡で見せて

    考えさせることなど。私のように良い時、悪い時のバラツキのある患者に就寝前の反省を

    促す場合です。すると雑事に追われて気分がいらつき、歯磨きが丁寧さを欠く情景が

    浮かぶだけでなく、先生にこんなことで 指摘を受けるのは申し訳ない。

    自分の責任において何とかしようとする気持ちになります。

    治療のゆきづまりで、村上先生が指摘されてみえるように、「医師が患者に対して愛と希望を

    抱いている」のが伝わる時患者は頑張ります。

          それから、歯の手入れで意外に思ったことがありました。床の汚れを落す時

    通例なら、へばりついたような汚れなら、柔らかなブラシよりも硬いので強くこすります。

    ところが、時々立ち寄る薬局の店員さんと話していて、へぇと思うことがありました。

    その人も、歯の手入れのことで歯科医から色々注意されるとのこと。

    その磨き方のコツは、何と柔らかい歯ブラシでなるべく丁寧に焦らずやるように指導されて

    いるとのことです。「急がばまわれ」の逆張りの視点。これは面白いと思いました。         

          4月25日の村上伸治先生の「窮すれば通ず」その3  パ-ソナリティ障害の事例でも

    私見を述べましたように、「誰かに依存し切っていく自己中の甘えた自分」に気づくことが

    「治療の主体」となる第一歩であり、治療効果を高めます。

    歯の場合でも、自己の生活習慣の改善点を考え、歯磨きの実践方法も、情報を得ながらも

    自助努力の必要性を再認識しました。

       ◎ なお上記の村上先生の事例につきましては、18日(月)の低空飛行のひきこもり集会でも

      「感情の明確化」の大切さについて、グル-ブワ−クの意義の一つとして説明したいと

      考えています。珍しいミントの紅茶を皆さんで味わいながら。

4月13日 窮すれば通ず その1 「治療のゆきづまり」を希望へ

 

          4月13日 窮すれば通ず  その1 「治療のゆきづまり」を希望へ

             こころの科学178 11月号より   村上伸治先生執筆

すでに村上先生の記事は私のブログで取り上げたことがありますが、今回の記事は、視点を変えることで解決の道が開けてくるCBT(認知行動療法)にも通じるものがあると思い紹介致します。 以下の先生の冒頭の言葉に注目して下さい。

           

          すべては、「ゆきづまり」から

          

治療というものは、通常は、患者が受診するということで始まる。患者が何故受診するかと

言えば、それは自分でどうにもならないと判断したからであり、本人や家族などの周囲の人がゆきづまったから受診に至ったのだと言える。

つまり、治療が始まる前からゆきづまりは生じている。患者の自己治療が「ゆきづまった」から受診したと言ってよい。「ゆきづまり」というと、非常に大変な、特別な事態だと思われやすいがすべては、ゆきづまったことから始まっている。----受診を考えるような困ったこと自体が起きないこと自体が最もよいは間違いない。だが、「ゆきづまる」ことで受診という「解決に向けた前向きな行動」が行われたと考えることもできる。そういう意味で「ゆきづまり=悪いこと」と考えてしまわないという発想がまずは、大切である。医療機関を最初に受診する場合、患者本人がくるとは限らない。家族だけが相談にくることも多い。その場合、「本人も受診予定であったが、今日は来られなかった」とか、「症状のために外出できない状態なので」というような例もしばしばある。だか、本人自身が受診に同意してくれない。」 「受診を勧めたら激怒された」---という事情での家族受診も少なくない。例えば、強迫性障害の場合だと、本人としては、清潔、不潔が異常に気になってしまい、「一日中手を洗っている」とか、「家の中の物の多くを不潔だと感じて、一部の物しか手で触れることができない」などの状態に至っても、本人は「病気じゃない」とか、「病院に相談にいくほどでない」と思っている例も少なくない。または、妄想性障害の人が「私は病気などではない。隣の家が毒ガスを撒いていることが問題なのだ。---」と思っている場合もある。

(以上の二つの例は共通して本人に全く病識がなくて家族が困っている。)

村上先生は、「 自ら症状を自覚してくれなくてもよいから、とにかく何とか本人が「何かに困って相談に来てくれたら話は一歩前進である」--「本人に今の状態にゆきづまってもらうことが大切になる」と述べています。

 

           ▲    様々なゆきづまり

 

a  時間のズレ

典型的な古典的うつ病の事例。休養と抗うつ薬による治療によって、順調に経過していた。

焦ってもがくと余計に苦しくなる初期の焦りの時期に2カ月罹ったが、それからは休むことを受け入れて、元気はないが、休んで過ごせるようになった休養の時期が3カ月過ぎた。

最近は、意欲も徐々に出始めてきて、主治医からみたら順調な経過だった。

だが、家族としては、「本を読んだら、うつ病は3カ月で治ると書いてあった。病気になってもう5カ月になる。まだ治らない。治療がゆきづまっているのではないか。主治医は経過は順調だというが、あれは治療のゆきづまりを隠すために言っているのではないか」と思っていることがわかった。

この例の場合は、本に書いてあることを基準として家族が「ゆきづまり」だと感じていた。このように、治療においては治療者、患者、家族の三者で状況の理解や意見がずれることは少なくない。「三者の呼吸が合う」ことが治療に大切である。家族は経過に疑問があるなら、疑問が不信に変わる前に主治医に尋ねるのが望ましいし、主治医としては家族が状況をどう理解しているかの把握に努め、家族も納得できるような分かりやすい説明を常にしておくべきであろう。このように「ゆきづまり」という場合、いつも誰が何を「ゆきづまり」だと感じているのかが重要である。 

 

    ◎ 私の見解  最後の太字の箇所が大事なポイントと私もそう思います。

      治療の初めの段階で、うつ病の特色、治療のプロセスについて主治医からしっかりした

    説明があれば、家族が本に書いてあることをそのまま信じて、治療に対して不信感を

       あらわにすることもさけれたように思います。

       病状の好、不調の起伏が激しく、患者も家族も不安に陥り、「溺れる者わらをもつかむ

       思い」から都合の良い情報で認知が偏り、不信感を強めていったようです。

       やはり「ゆきづまり」防止のためには、三者の呼吸が合うことによる信頼関係が

       不可欠と痛感します。そのためには、患者や家族の目線にも配慮した医師の心遣いが

       必要と思われます。


 4月7 日 ある若者の死で思うこと

 

    4月7 日 ある若者の死で思うこと 

 

            最近私の親しいある知人から聞いたところによると、彼の開いている名古屋市の東区の

    若者が集う集会に来ていた高校卒業して間もない女の子が、ある日、家族にはいつもの

    集会に行くと言って家を出てから行方不明となり、心配していた矢先自ら命を絶ったと

    いう悲報が入ったとのこと。聞くところによると、彼女は、千種区のおる就労移行支援

    事業所に通ってはいたけれど、そこではカウンセラ-と称するスタッフはいても、全く

    カウンセリングを受けていなかったそうです。新年明けの会合では、みんなと楽しそうに

    くつろいで、アルコールも入れていたそうです。似た例としては、もう少し年下の女の子も

    一年程前に同様な悲報を別の知人から聞いた時も、とてもショックでした。

            必要に応じて適切に対処しないといけないことを痛感しました。

            集会場の付近に適切に個人面接ができる部屋がどうしても必要です。

            それと、自分の能力の限界をわきまえて、このクライアントは自分には手におえないと

            感じたら、適切なス-パ-ビジョンに依頼(リファ-)できる備えが不可欠なことも痛感しました。

            幸い にも、かってわたしが勤務していた学校の校医をしている ある精神科医に依頼する

             道が開けていて、 近々その先生に会えそうです。

4月17日 窮すれば通ず  その2

 

      4月17日 窮すれば通ず  その2     

   

      ▲  さまざまな「ゆきづまり」 

     

    

   b 療養姿勢のズレ

     

   うつ状態で1年間他院に通院したが、「治らない」ということて゛村上先生のところで受診した

   男性。先生がどんなことに気をつけているかを尋ねたところ、「元気を出そうと

   頑張っている」とのこと。

   彼は「元気を出すこと」が治療のために大事と考え「元気をだそう」と頑張っていた。

   「今は出すための元気もないのではないのですか?}と尋ねると、「そうなんです」と涙ぐんだ。

   今は元気がないのだから、元気は出すものではなくて、貯める者です。貯金のつもりで

   元気を貯めましょう。」そのようにと説明すると「そうなんですね」とほっとした

   表情を見せた。。自分がそのように考えていることは尋ねられもしなかったので話すことも

   なかったのだという。

   ◎私のコメント 本人は「元気を出さねば」と焦っていても、そのエネルギーは喪失していて

    丁度ガス欠の車のように、空回りして苦しんでいたのです。

    でも、先生の「元気は貯めるもの」の一言で気が楽になりました。

    「心のおもむくままの自然体でよい」ことに気づいたと思います。

        とかく、人と比較して自分の遅れが気になります。でも、亀のように歩みがのろくても、

    村上先生の言われるように、小さなことでもその時々の成功例など積み重ねることが、自分を

    動かすエネルギーになります。貯水池の水が自然と外にあふれ出るように。

    元気の貯金をしたら、ついでに記録したり、その時の気分を絵にするとかの工夫もできたら

    いいでしょう。それを信頼できる人にみてもらって、一寸励まして頂くと気分もよくなる

    と思います。 (CBT認知行動療法 の応用です)

 4月25日 窮すれば通ず その3 パ-ソナリティ障害の事例

 

          4月25日 窮すれば通ず  その3 パ-ソナリティ障害の事例


     16才女子 主訴:リストカット

 

もともと自分の気持ちも言葉にするのが苦手で、高校入学の頃から手首を切るようになった。

   どんな時に何が苦しくてリストカットするのか尋ねても、言葉にすることは殆どできなかった。

   それでも、どことなく魅力のある子であり、彼氏ができた。「リストカットしたくなったら僕に

   メ-ルして」と彼氏が言うようになり、リストカットする前に彼氏にメ-ルすることが

     時々できるようになった。そのうち、真夜中に「リストカットしたくなった」「死にたくなった」

     とメ-ルすることが増え、夜中でも

彼氏が駆けつけるなど、彼氏が振り回されるようになった。

     保健室の先生は「境界性パ-ソナリティ障害でしょうか?」と主治医に尋ねた。彼氏も

    「僕もしんどい」と言い始めた。状況はゆきづまった。

  だがその一方で、彼女は診察場面では自分の気持ちを言葉にし始めていた。

     「人に頼らないように 言われて、そう思って生きてきた」 

    「彼氏は僕に頼っていいよ」と言ってくれた。

    でも頼りはじめたらどこまでも頼りたくなり始めた。

    どうしたらいいかわからない」などと話すようになった。


    ◎ 私の感想  「彼女は自分の気持ちを言葉にするのが苦手」ですが、彼氏が

    彼女のぺ-スに振り回されてゆきづまったのですが、自分の困った心境を

    「言語化した」ことに突破口ありと私も感じました。フロイトの精神分析の

    「感情の言語化」し出したことで自分を客観視できるようになったことです。

    これに近い例を、この女性と同じ病状のクライアントが、携帯から夜、自己の苦しい心境を

    発信しているのを見せてくれたことがありました。すでに本人には、成田善弘先生の

    記事「リスとカットや破壊行為よりも、夜中に知り合いに電話をかけまわる方がまだよい」

    のことを想起してそうしたと感じました。これらのBPの女性は、自己中心の振る舞いを

    しながらも、そんな自分ではいけないという気づきに対して、誰かが褒めることが

    本人たちにとってとても大きな励みになります。

    このような「ゆきづまり」の事例を今月の「低空飛行」のひきこもりの集会て゛話してみたい

    と思います。

    これにより、自己中心の自分に気づいて良好な彼氏との関係を築く道が

    開けていく転機になると思われます。







 3月22 日 折れない心の作り方 水島弘子先生著より感じたこと

 

            3月22日 折れない心の作り方  水島弘子先生著より感じたこと


         私は、人間関係療法の権威水島先生の著書を何冊か通読していますが、今回の著書は

     副題として「10代のうちに知っておきたい」となっていますが、その上の年代の青年や

     その上の親たちにも有益な内容かと思います。先々週あるメンタルに関わる親しい

     若い先生に紹介したところ、図書館に行って水島先生の他の書も調べたら、

     この書がそれらの土台になっていることを知り

     この書を買うことにしたそうです。二人小さい子供さんがいるし

    、地域のお母さん等 との交わりもあり、関心が高いと思います。

    

     冒頭に彼が指摘したのは、「怒っている人は、困っている人」の箇所です。

     普通は、怒りを自分に向けられると、こちもとても不愉快になって

    、こちらも逆切れしてしまいます。

     でも、視点を相手の立場に向けて見ますと、冷静さを幾分か取り戻せます。

     まさに、コ-チング、それに近い認知行動療法(CBT)の手法なのです。

     上記の視点を変えた打開策として、今想起しているのは、すでにブログにも掲載したこと

     のある私が直接体験したカウンセリング事例です。

     中3の受験まじかな息子とその母との対話の場面。 

     中々勉強しなかったのが高校受験がせまってきて、勉強に身を入れ出したけれど

     ある時、夜塾から帰宅してずっと娯楽番組を見続けてげらげら笑っていたので

     母はたまりかねて注意したそうです。すると息子は、「うるっせい」と反発しました。

     怒りは怒りを呼び反目した状態が続きます。こんな時、どんな対応をすると

     よろしいでしょうか?という問題提示なのです。

     こんな場合、「怒っている人は困っている人」がヒントになります。

     つまり母の言い方一つで息子は、ふと我に返って軌道修正もできるのです。

            息子の心境としては、やっと勉強に取り組む姿勢が出てきたとは言え、

     今までのだらけた生活態度が出てきて何とかしなければと思いつつも

     自分の弱さに負けてしまうもどかしさを痛感しているのです。

     ですからここでいう『困っている」とは、心の制御ができないことです。

     こんな場合、本人の塾で頑張った気持ちを受容し、気分転換にTVを見るのも

     よしとしながらも一言、「あなたの貴重な時間を何に使うかの主体はあなた自身なのです。

     気休めに少しTVをみるのもいいけれど、自分の責任で時間の優先順位を決めていく

     習慣を身につけることは、あなたもできる。」

     「自由」と「責任能力」は成長過程でとても大事な事柄です。

     これが家庭の療育でうまく機能していないと上記のような親子間の信頼関係は崩れます。 




 3月26日~27日  続心の折れない作り方

 

           3月26日~27日  続心の折れない作り方

 

   前回に続いて水島先生の見解ら紹介します。

   うるさくアドバイスや注意をしてくる人は、「現状はよくない」ということを強く感じている

   のです。そういう意味でもやはり現状が思い通りになっていない、「困ってる人」と言う

   ことができるとのことです。

   こちらのことについてアドバイスをしてしてきているのだから、その人自身が

   困っているのとは違うのでは?と思うかもしりませんが、そんなことないとのことです。

   人にはそれぞれの事情があるです。相手の事情を考えて見ようともせず、勝手にずかずか

   踏み込みんできて変えようとする人は、かなりル-ル違反をしているのです。

   そして、何故そんなことをするのかと言うと、「現状が我慢できないから」 「相手が可哀想

   過ぎてとても見ていられない」 「進歩がなさ過ぎて耐えられない」という形で「困っている」

     ので 相手を変えようとして、本来立ち入ってはいけない相手の領域に踏み込んで、うるさく

     言ってしまっているのです。本当は、「このことでこんなに困っているから助けて下さい」と

   いってくれれば、ずっと話は簡単で平和なのです。

   (親とか上司などは、どうしても片意地張って見下しているので素直な気持ちにはなれない)


       次に私が注目した「心の原則」は、『自信をなくしたときは、"衝撃"を探そう」です。

        この原則について先生は次のように述べています。        

       人は 思わぬ時にショックを受けると同じような反応をします。(反応を繰り返す)

       例えば人前で話す時に緊張の余りしどろもどろの発表になってショックを受けた人の

       場合、「人前で話すことを怖いと思うようになると同時に、自分はダメな人間だと

       という感覚を強く抱くようになります。」(自信喪失)

                その結果今まで特に気にしていなかったような自分の色々な欠点が級に目につき

       ます。 このような反応は、もともと自分を守るために人間に備わった能力

       なのです、と指摘されます。 

       一度ショックを受けると、人は、体と心は"もう傷つかないようにしよう"というモ-ド

       に入ります。(自己防衛) その結果「人前で話す」という機会を避けるようになり

       どうしても話さなければならない時は、「怖い」と感じ、人の顔色が過剰に気になり

       ます。(トラウマに支配されている感じ)

                    また自分に落ち度があったため、ショックを受けたことで自分の「ダメなところ探しを

       始めます。自分を完璧にしておけば今後傷つくことはなくなると思うからです。

       

       しかし、無理に完璧になろうとしても、「ここも駄目」、「あれも駄目」と欠点

       ばかりをみつけることになってしまいます。つまり自信がないという気持ちを積み

       重ねてていってしまうことになり、今までの自分を後悔したり、将来の自分を考えて

       悲劇的になったりもします。

          でも、このような感じ方は、「衝撃」を受けた時には、誰にでも起こり得る

       もので、じっとしていると時が解決してくれる、ということを知っておけば

       自己嫌悪や絶望といった「深堀」をしないでもすみます。

       例えば、肘をどこかにぶちつければ、しばらくは痛い感じがしても、しばらく

       たつと何の痛みも感じなくなる。衝撃を受けた時に感じる「怖い」「自信がない」

       という気持ちもしばらく我慢していれば、いつかは去ってくれます。

       でも、そこを「今までの自分の全部が間違っていた」「こんなダメな自分はちゃんと

       生きていけるのだろうか」などと深堀りしてしまうと、どんどんこじらせてしまう

       ことになります。ですから「衝撃をうけたな」と思ったなら、ただじっとして

       いればいいのです。 できれば信頼できる相手にその衝撃のことを話して

       慰めてもらえば早く回復できるはずです。以上が先生の見解です。

       

       ◎ 私の感じたこと  

         上記の先生の衝撃を受けた時の本人の負の反応に対しての対処の仕方について

         一般論としては、賛同できます。時が解決して自然消滅の話です。

         しかし、引きこもりのような弱さを持っている人々の心には

         トラウマとして残り、対人恐怖症がもろにでます。自閉症スペクトラムとか

         境界性パ−ソナリティの人などでは、特に新しい人に対して「つくり笑いの

         演技」をすると言っています。そのような衝撃のこと、人への恐れのことなど

         主治医、臨床心理士に話しても癒されないと、過日の引っこもりの集会で

         ある青年は語り、このような対人恐怖がいやされたのは、自分と同じ症状の

         人々と話していて恐怖が癒されたと聞いてとても参考になりました。

         家庭環境がよくて療育が良好の場合も癒し効果がかなり発揮されるのではと

         思っています。だから家族カウンセリングも大事です。 

           

  

                             
                                       








 2月23 日 痴漢常習者の人生の再出発 向井弁護士のセミナーより

 

     2月23 日 痴漢常習者の人生の再出発  向井弁護士のセミナ-で考えたこと

   

     先週の金曜日に判例に照らして就業規則、雇用契約について、向井先生より、それらの

         実社会 に於いてどのように効力をもつか、もたないのかを学びました。

     例えば、レジメのある個所に注目  ▲ 就業規則に対する裁判所の本音

      〇 実際に裁判所が見ているのは、会社の姿勢。定額残業代などはその傾向が顕著。

     〇 自分が第三者の裁判官なら、どのような就業規則、どのような会社の姿勢、運用が望ま

              しいと考えるか。

        従業員に厳しい就業規則を制定して、すぐ重い懲戒処分を課す会社が望ましいと

       考えるのか?

           ル-ルは定めつつも、チャンスは与え、最後まで再起の機会を与える会社が

       望ましいと考えるか?

 

       次の箇所にも注目しました。

      ▲ 訴訟で通用する就業規則、通用しない就業規則

       〇 裁判所は意外と就業規則の懲戒事由をあまり重視しない。

       〇 過去の懲戒事例とのバランス、 非違行為の内容、結果発生の重大性、

          非違行為を行った者が反省しているかなどで決める。

       〇 懲戒規定を充実させることは進めるべきであるが、それだけでは足りない。

                         具体的事例に 即して適切な懲戒処分を行わないと無効になる。

                       これらの中の二番目と三番目の項目内容は、過失、触法行為などがあった場合

         該当する社員に対してどのような、指導、教育がなされるのかという問題に

         関わっていくと思います。今回の判例については、そのへんのことには

         向井先生は言及されませんでしたが、痴漢行為を繰り返した本人と接見されたと

         言ってみえましたので、直接質問したかったです。 

         

         ▲ 小田急電鉄事件(東京高裁 平成15年12月11日)

                          この判決は、直近の痴漢行為をした後の懲戒解雇の際の退職金の支払いを

         めぐる訴訟についての決定です。 

         度重なる痴漢行為の結果、事件を重く受け止めた会社は、懲戒解雇にして

         退職金は不支給としましたが、本人が控訴し、裁判所の次のような見解により

         30%支給する決定がなされました。その決定の趣旨は以下のとおりです。

         ◎ 退職金は賃金の後払い的性格を有し、従業員の退職後の生活保障の意味合いを

         有するもの。本件のように給与及び勤続年数を基準として支給条件が明確に

         規定されている場合には、その退職金は賃金の後払い的な意味合いが強い。

         また、従業員はそれを前提に住宅の取得等の生活設計を立てている場合が多いと

         考えられる。それは、必ずしも不合理な期待とは言えないから、そのような期待を

         はく奪するには相当の合理的理由が必要とされる。そのような事情がない限り

         懲戒解雇の場合であっても本件の条項(懲戒解雇の退職金不支給)は全面的に適用

         されないというべきである。--------不支給の場合についての見解

         退職金全額不支給とする場合については、労働者の長年の勤続の功を抹消してしま

         う程の重大な不信行為があることが必要である。(他社内の痴漢行為は該当しないと

         の見解と思われる)

                  上記の不信行為と退職金支給に関しての判断では、当該労働者の過去の功、その勤務

         態度や服務実績等を考慮されるべきは言うまでもない。

          **本人に接見された向井先生によりますと、"勤務態度はまじめで、旅客ガイドの

          主任資格を取っていたとのことです。また、痴漢行為を するようになったのは

          過去に女性とのことで何かあったようなことを先生は語っていました。

          もっと早く会社として、それ相応のカウンセラ-に依頼していたら事態が変わって

          いたのではと考えました。

           以上のような見解により退職金は30%支給するという決定が下されました。

          ◎私の感じたこと

          何回も痴漢行為を繰り返す前に早い時期に会社がキチンとカウンセリングしたり

          日報を書かせるなど指導したりすればこんな手遅れにならずに済んだかも

          知れないと感じました。とは言えこの人のカウンセリングは相当困難なことと

          想像しますが、出来ることはすべきでしょうに。

          たとえ過ちを犯しても、人生の再出発の支援をするのも会社の社会的責任の

          一つと考えます。

          すでに他界していますkさんは、窃盗の常習犯でしたが、私の尊敬する先生が

          色々と本人を指導され、それから足を洗って完全に方向転換しました。 

 

 2月19 日 名古屋市内のメンタルにハンディのある青年の集会に参加して

 

      2月19 日   名古屋市内のメンタルにハンディのある青年の集会に参加して


   先週、私の知人が主催する集会に参加したとき、私が産業カウンセラ-と知って、自己の

   職場の悩みを話し、適応障害のことを質問しました。本人は、仕事はできても、同僚との

   交わりができないと言っていました。当日かなりの人数でしたので、あえて詳細にわたる

   質問は避けました。感じとしては、適応障害というよりも社交不安障害の感じを受けました。

       適応障害の例は、男女各自については、すでにブログで実例をあげています。

    一人は有名商社の子会社で働いていた女性、もう一人は、1月に将来の自分の職業のことで

    かなり長い時間面談しています。

    両人とも、職場の仕事を通しての人間関係のストレスに起因しています。

    ここの例の人は、対人恐怖症、もう少し焦点を合わせていくと゛社交不安障害ないしは

    社会不安障害の感じでした。

    適応障害とは色んな職場でうまく適応できず、内心では、仕事、人間関係に不満を抱いて

    いても面と向かってはい出せないストレス状態にある場合です。

    それに対して、社交(社会)不安障害は以下の場合です。

    他人に悪い評価を受けることや、注目を浴びる行動への不安があって緊張症状になっている場合

    のことです。従ってこのような状態では、社会恐怖のため回避行動をとり、職場の交わりには

    加われません。仲間の何らかの言行で心的外傷のような痛手を負った場合がそうです。

    心の傷について初対面の人に聴くわけにもいかず、適応障害との違いについては、

    追及するのは避けましたが、今後 の交わりの進行次第では機会あれば話題にしたいと思います。

    それから、彼らのメンタルのハンディの問題は、親たちもそうではないかの指摘があり

    皆さんと共にわたしも大いに関心を持ちました。豊田の引きこもり、不登校の母親との集会に

    参加する際に、青年たちの主張に親たちが個々の問題にどんな反応を示すのか、とても興味が

    あります。

      とかく、ニ-ト、自閉症、引きこもりなどと聞くと、世間では何かどうにもならない

      人々のような暗いイメ-ジを持ってしまいます。しかし、彼らと打ち解けて話し合ってみますと、

      決してあきらめていません。

      結構メンタルに関する本も読んで何とか現状から抜け出そうとするもがき、意気込み

      すら感じます。

      むしろ親たちが諦めているのではと時々感じます。それとクリニックの医師、臨床心理士の

      対応ぶりも彼らと話していてよく気になります。

      リストカットをしたときの心境(主訴)主治医にはなしても只聞いているだけ、とか

      ある臨床心理士はそのような話をし出すと、カウンセリングやめるようなことをいうとのこと。

      そんな話を聞くと、怒れてくるいうよりか、何か悲しくなります。

      患者さんは、ただ医師らのいうことを聞いて薬づけにしておけばよいのでしょうか?

           平井孝男先生の言われるように「患者が治療の主体になる」よう医師らが指導することを

      切望して止みません。

      

 

 



  


     




2 月1~2日 自己認識力を高めるには 市毛智雄先生執筆

 

          2月1~2日   自己認識力を高めるには     市毛智雄先生執筆 

                         コ-チAより配信 

           今回の記事は、組織の中での要であるエグゼクティブ(執行役員)の自己認識力に焦点を

           当てて、このテ-マに沿って、その当事者のコ-チングをした体験に基づいて問題点の核心に

           触れています。日頃部下に対して、指示命令したり、時には厳しい叱責などする

           エグゼクティブに 対して、逆に部下から厳しいフィ-ドバックを受けたら

            どう対処するのかその時、コ-チの先生は どのように関わりサポ-トして

            エグゼクティブに気づきを与えるかがポイントになります。

           

           エグゼクティブサ-チ、コ-ン・フェリ-社のアナリストであるDavid Zes氏と

           Dana Landis氏は

           リ-ダ-の「自己認識力」と「組織の業績」の関連性についてリサ-チしています。

           彼らは、上場企業486社の社員6977名を対象にその自己評価と他者評価の一致度について

           調査するとともに、対象者の属する企業の「株価パフォーマンスを2年にわたって

           追跡したとのこと。

           そうした中から、「業績の悪い会社の社員」は、収益率の良い会社 の社員よりも

        「自己認識率の低い率」が79%も高い。そして収益率が良い上場企業は、自己認識力が

         より高い プロフェッショナルを雇用しているというう結論に至ったそうです。

           20 世紀最高の経営者と言われるジャック・ウェルチは、「ウェルチさん、貴方は何故、

          20世紀 最高の経営者と言われるよになったのですか」というメディアからの質問に

          対して、たった一言 「自己認識力」の高さと答えています。

           こうしてみると、自己認識力の高さは、リ−ダ-が何となく身に着けているものでなく、

          リ-ダ-にとって「なくてならない能力」、つまりコンピテンシ-のように 思えてくると

          市毛先生は、述べて います。    

           このコンピテンシ-とは、成果を上げれる望ましい行動特性のことで、たとえ部下たちが

         上司に 対して批判的なことを言ったとしても、 自己防衛せず、その時の部下の気持ちを

         冷静に受け止め 反省すべきことは謙虚に受け止め、部下の主張に偏りがあれば、

         きちんと説明していくなどの適切な対応力が不可欠です。  

         では、如何にしたら、私たち「自己認識力」を高めていけるのでしょうか?と先生は問い

         かけて、 それに関した次の実例をあげています。

          

         コ-チング研究所が、85名のエグゼクティブに実施したコ-チングの成果に関する調査

   によると 93%の方が、 「他人からのフィ-ドバックを事実として受け取るようになった」

   と答え、それと同時に 86%の方が「自分を客観的にみて、自分の状況を確認できる

   ようになった」と答え、「自己認識力の  向上をあげているとのことです。

          この結果から第三者からのフィ-ドバックを効果的に受け取れる

   * 「フィ-ドバックリテラシ-の高さ」が   自己認識力を高める要因の一つなっている

        と考えられると先生は指摘しています。

          *なお、ここのリテラシ-とは、与えられた材料から必要な情報を引き出して活用する

        能力のことで、 この場合では、部下からきつい指摘を受けても、感情を制御して、

        情報の価値を判断せず まずは、部下の認識の内容を冷静に見て、他者の認識、評価の

        例として自己認識に活用する ことを意味しています。

           続いて先生は、「しかしながら、そのフィ-ドバックが耳の痛いものであればあるほど、

          それを うまく活用できないことも場合もあることも事実です」と述べています。

           例えば、自身では、「何事であれ、自分は、誠実な対応をしている」と固く信ずる

         エグゼクティブに対して 周囲から、「誠実さは感じられない」というフィ-ドバックが

         なされた時、そのエグゼクティブの反応は大きく  2つのパタ-ンに分かれるとこと。

           「そんなことはない。周囲の人は何を見ているんだ。

           「誰が(この結果を)言ったんだ。」というケ-スと

           「どうせ、私のことを知らない連中が言ったことだ」    「結果自体に関心がない」

           「周りの人からのフィ-ドバックに意味があるとは思えない」という以上の二つのパタ-ン。

             多少誇張していますが、「他者からのネガティブ評価」に対して起こるストレス

            反応には、「戦うか? 「逃げるか?」の二通りの感情的な反応パタ-ンがある、

            ということです。

           この反応パタ-ンに陥ることで、エグゼクティブ 自身は、

           自分の内側にある「 好ましい自己イメ-ジ」を自分の中で保つことはできますが、

         「自己評価」と 「他者評価」のギャップを埋めることはできません。

           以下のは、先生がコ-チングしていたエグゼクティブの話の例とのことです。

           事前に周囲から得たそのエグゼクティブへのフィ-ドバックは

           「 人の話を全く聞かない」 、「一方的で押しつけがましい」  、

        「話をもっと聞いて欲しい」など  コミュニケーションの「聞く」に関する項目については、

         驚くほどネガティブに評価されていたとのこと。

          恐らく、この周辺からのフィ-ドバックを本人にそのまま返しても、前述の「戦うか」 、                「逃げるか」の反応に陥るだけに終わってしまう可能性ありと、先生は思っていた

          とのことでした。

           そこで、市毛先生は、フィ-ドバックする際に、いくつかのステップを踏んでみること

           にしたとのこと。

           例えば、「部下は、どんな思いをもってこのフィ-ドバックを伝えていらっしゃると

           思いますか?」

           「これまでに、他者からフィ-ドバックを受けてまくいった体験は何てすか」

           「そもそも、他者からフィ-ドバックを受けることに対してどんなイメ-ジをもって

           いますか?」など  フィ-ドバックに対する、本人の認識や理解を、いくつかの視点から

           言語化していただく時間を とったとのこと。

            すると、そのエグゼクティブは、耳が痛いフィ-ドバックには、自分が身構えたり、

           無視してしまい  がちになりやすい、ということがわかってきたそうです。

             しかし、フィ-ドバックというものに問いかけられ、言葉にする過程で、徐々に

           フィ-ドバックへの 理解が深まり、「自分と組織を成長させる価値ある情報」と

           再定義するようになってきたとのこと。

             耳痛いフィ-ドバックであったとしても、過剰なアレルギー反応を起こさずに、

             「一度じっくり  向き合ってみよう」という気に変わっていったのです。

             ◎  ここのエグゼクティブの気づきを促したのは、市毛先生の上記の3つのような

             質問が効果を 発揮しているのが理解できます。「フィ-ドバックに対する本人の

             認識や理解をいくつかの視点から言語化して頂く」ここがまさにコ-チングの妙と

             感じました。

             心の中の感情や思いを言語化して吐き出してもらう、ことで本人の心が浄化(カタルシス)

             され、冷静に自己の内面を観察できた(CBTでいう外在化)ことで貴重な「気づき」が

              生まれたのです。流石プロのエグゼクティブコ-チです。

                厳しい内容のフィ-ドバックに対して、このようなワンクッションおいた対処で、

              自己認識力が 高まる手法は、カウンセリングでもとても参考になります。




1月25日 上司の基準、部下の基準 桜井一紀先生執筆

 

         1月25 日  上司の基準、部下の基準    桜井一紀先生執筆

                                                       コ-チA配信メ-ルより

       今回の記事は、部下を育成していく場合、上司の目線を基準にしていく場合と、部下の目線を

       基準にしていく場合の二つの事例を対比して、コ-チングの手法の長所について言及しています。

       以下事例は、ある企業の営業部の25店舗の店長に対する多面評価の実施した際のことです。

       その中の設問の一つに、部下が上司のコミュニケーションを評価する質問あったとのこと。

       「店長は、私を育成する意志をもっている」

       この設問に対する部下の平均点が、10点満点の店舗が二つありました。

       店舗Aでは、毎年複数人の離職者が出ています。

       その一方店舗Bでは、社員の定着率が高く、ここ数年一人も離職者も出ていません。

       A、Bのそれぞれのスタッフに桜井先生が、店長の日々の関わりに関するインタビュ-をしたとのこと。

       すると次のような回答がありました。

       「ミスをすると徹底的に追及される」   「あまり褒めてくれない。やって当たり前という雰囲気」

       「言い方がきつい」など、どちらの店長も基本的に部下に対して、とても厳しい。

       双方の店長にもインタビュ-すると、共通した回答が出てきたとのことです。

        「その程度のことは言われなくてもわかると思うし、自分で気づいて対応できないと困る」

        「何回も言っているのに何でできないの?といょっ中 思うし、実際そう伝えている」

         二人とも、部下育成にたいする 意識が非常に高く、回答にも、部下に対する厳しさがにじみ出ている

         とのことです。   ところがなぜそうしているのか、その厳しさの理由を聞いたところ、二人の答えには、

         大きな違いがあったとのことでした。

         A店長  

         『自分がやれることは、他の人もやれると思っています。自分は劣等生でしたが、努力してここまで

          きました。今の部下は当時の僕からみたら全員優秀。だからできないわけがない。

          できないのは、やろうとする意志がないからだと思うんですよ。だからこそ、部下の成長のために

          そのつど、厳しく指導しているんです」

          自分の経験、価値観で部下をティチングしている典型的な例です。

          このA店では、部下との双方向の対話が欠け、従って上司と部下の相互理解、信頼感関係を

          築くことに支障が生じることが出てきます。

           B店長

          「 僕は人それぞれだと思っていますので、一人ひとりの部下がその人なりに最高に輝いている

           能力を発揮しているところをイメ-ジして、それに近づけたいと思ってるんです。

          ですから、僕がその部下に対してどうなって欲しいかということを話しますし、その部下がどうなり

          たいか、ということもよく聞くことにしています。その人がなりたいと思っているゴ-ルを握ることが

          できて、愛情があれば、少しきついことをいっても大丈夫だと思っています。」

          こちらの手法は、まさにコ-チングで、本人の自発性を尊重した育成法です。

          確かに両者の信頼関係があれば、少しきついことを言われても、「愛のむち」として部下は受け止め

          かえって励みになることが伝わってきます。

          次にそれぞれの店のスタッフは、店長の指導をどのように答えているか述べています。

           ○  店舗Aのスタッフ

              ネガティブなことを言うと怒られるので、相談できない。

              駄目なことは、自分て゛もわかっているのでだから、何回も言わないで欲しい。

              もぐらたたきのように、細かいことまで怒られる

           

            ○  店舗 Bのスタッフ 

                自分のためにきついことまで言ってくれる。

                いつでも相談にのってくれる

                きびしいことを言われるが、店長は自分を成長させてくれる。

               ◎ こちらのB店舗では、上司との信頼関係があり、きびしいことを言われても

                   店長の育成の意図を理解してプラス志向で把握しているのが分かります。

              

               ◎       桜井先生のコメント

               同じ厳しい指導を受けたとしても、それが自分のゴ-ルに向かっての支援だと感じられる

               こともある。

               逆に上司の基準を自分のゴ-ルとして認識できないがために、厳しい指導に対して

              「もぐらたたき」のように感じてしまうこともある。

               自分の基準に、部下を引き上げようとするA店長。

               相手の基準に相手を到達させようとするB店長。

              

               上司の基準と部下の基準。

               その差は、「誰」の基準を扱っているのかにあるかも知れません。

              要は、指示命令してやらせる場合と部下の自発性を尊重し、彼らの潜在的にもっている

              能力を、上司との対話(コ-チング) を通して引き出して成果を上げていく場合の比較例です。

              どうして後者の方がモチベーションが上がっていくか、ここが大事なポイントになるかと

              思います。労務管理論 X論、Y論を想起します。  

                 私がブログで紹介していますマグレガ-のY論は、B店舗長の考え方に符合します。











2015 1月13日~14日 認知症当事者を抜きにしてことを始めるなかれ こころの科学 1月号

 

      2015 1月13日~14日    認知症当事者を抜きにしてことを始めるなかれ  こころの科学 1月号   

                                          千葉大文学部行動科学科  出口泰靖先生執筆

        愛知鉄道事故とその判決について語られたこと

        この事故とは、2007年12月愛知県大府市のJR東海共和駅の線路内に91才の男性が立ち入り

        列車にはねられ死亡した事故のことです。男性は、当時要介護認定の「要介護四」

        「認知症日常生活自立度W」とされていた。この事故で家族らが「見守りを怠った過失」がある

        として、JR東海が列車の遅延などの損害賠償を求めた訴訟の二審判決(名古屋高等裁判)が

    昨年4月に出た二審では、介護していたその男性の妻(当時85才)と長男に約720万円の支払い

    を命じた一審判決を変更し、妻の監督責任を認め、約359万円に減額して支払いを命じた。

    長男には見守る義務なしとしてJR東海の請求を棄却した。

         なお、筆者によると本人の妻と長男の妻とで本人の身の回りの世話をし、本人が勝手に外に

          出ようとしても、ブザ-が鳴る装置が備えてあり、戸外に本人が出るときには、長男の妻が同行

     していた。しかし、事件の直前は、本人が居眠りしていたので、長男の妻が本人の身の回りの

     ものを かたずけていた時、本人の妻もうとうとし出した後本人かいなくなったことを気づいた。

          ブザ-も切れていたとのこと。このような状態を裁判官はどう判断したのかとわたしも疑問に

           感じました。ネットでは、「アホ裁判」と非難する記事もあります。  

           私自身もこの判決を下した長門栄吉裁判長の認知に疑問を感じました。

                 さらに筆者は、この事故や判決から出た目立った反応としては、今回の判決は、

      「できるだけ住み慣れた地域で」認知症の人と家族を見守ろうという今日の時代の流れに

      逆行するものだ、 というものがあった、とコメントしています。  

            その他、筆者の認知症についての本人の周りの人々に注意を喚起する指摘として

      次の二点に 注目しました。  

            (1) 認知症当事者の助けを求めることへの羞恥心に気づけているのか

             「家がわからなくなった。」 「道に迷ってしまった。」 「散歩しているうちに帰る道が

       わからなくなった。」

              これらの言葉は、行方がわからなくなった認知症の人が発見された時、その本人が

             発したものである。これらの声は、「釧路地域SOSネットワ-ク」によって行われた調査の

       一端である。

            ----このSOSネットワ-クは、行方不明になった認知症の人たちを支援しようと全国で

             初めて立ち上げられた。この組織ができたきっかけは、一人の認知症の女性

       (当時79才)が亡くなった ことにあった。1990年4月の朝ごみ出しに出たところ、

       そのまま家に帰って来なかった。

           四日後自宅から三キロ離れた市街地のはずれで遺体となって発見された。                                                                                                                                                       

              本人の足跡をたどると、行方不明になった二日目の早朝、自宅から二キロ離れた

        自動車部品 会社の横でうずくまっている姿を目撃されていた。

              彼女は、そこの事務所のトイレを借りたという。その後一キロ離れたバス停に

              座り込む姿が目撃された。四日目、湿原のはずれの資材置き場の陰で、段ボールを

              敷き、履いていたサンダルをそろえ、段ボールをわが身にかけて横になったまま亡く

       なっていた。 釧路地域SOSネットワ-クを立ち上げた岩淵は、「トイレを借りに寄ったり

      、段ボールで寒さをしのぐ という生活の知恵がありながら、他人に助けを求めないで

       いたこの女性の姿に衝撃を 受けたという。

             永田は、自分の家に戻れなくなった認知症の人の中には、「大人としてして自分の家へ

             帰る道を人に尋ねるには、恥を忍んで、相当の勇気がいることが推察される」と

             述べる。また永田は、認知症の「行方不明者に対して「わけもわからず、

       ふらふら歩いている人」、

             「何も考えられずに、自分では何もできない人」等の誤解が今でも地域や社会に根強いと

             論じる。行方不明になったとしても、わけもわからず、ふらふら歩いているわけでもない。

              「本人なりに戸外に出る目的があり、何とか家に 帰りつこうと懸命に自分なりに

       努力をし、人に  尋ねようと相手を探している人たち」なのだ。たかが道を人に尋ねる

       ことではないか、と私たちは思うかも知れない。

              されど、ささいな救いを求めることに、しのばねばならないほどの羞恥心を

               胸に秘めている。私たちは、徘徊をする彼らの姿を見失わないようにすることばかり

       に気をとられ、

           本人の胸に去来する情感に気づけていないでいるのではないだろうか。

              ◎ 最後の二行は大切な指摘です。認知症といえども、完全な無能者でなく、幾分

       健常性を持ち、その人の人格に関わる「羞恥心」をもっていることにも注目しました。

             (この羞恥心には認知能力衰えたりといえども、彼らのプライドが潜在するのに

        心打たれます)


               (2) 当事者の言動を一括りに「徘徊」と決めつけていいのか?   

                 筆者は以下のことも留意しています。

                 それは、認知症の人が家や施設の外に出て歩くことを一括りに「徘徊」とみなしてしまい、

                  徘徊を過去から起きる言動と決めつけてしまうことによって、何かが見落とされてしまう

                  こともあるのではないかということである。、

                  そう思うきっかけになった出来事があった。それは、ある民家を使ってデイサ-ビスを

                   しているケアの場で、フィ-ルドワ-クをしていたときのことであった。    

                  Sさんという男性がいた。昼下がりになるときまって「様子が気になるから現場をみてくる

                  といって玄関にいって靴を履き、外へ出ていってしまう人だった。

                  彼は歩いてそ5、6分ほどの最寄駅まで行く。そしてしばらくの間、その駅の周りをぐるくる

                  歩きまわり続ける。

                  彼に付き添っていた筆者は、彼が以前建設業の仕事をしていたことを聞いていた。

                  だから、「建設現場をみてくる」 と言って外に出るのだとその人の過去から解釈していた。

                  私は、建設現場があると足を止め、彼とその場をながめながら「この現場はどんな

                  感じですか」と問いかけた。しかし、彼の歩みに付き添っていた何回目か、ふと彼が

                  こうもらした。「あそこの(デイサ-ビス)にいくと(周囲の女性スタッフや女性の利用者が)

                  あれ食え、これ食えってうるさいんだ。あそこは女ばかりで、いやなんだ。」

                  ここにSさんの本音が出ています。まさに筆者の問題提示の"  当事者の言動を一括りに

                 「徘徊」と決めつけていいのか?"の回答が出ています。

            

               この例からすると、認知症のカウンセリングも相手次第では可能の場合があると言えます。

               ちなみにネットで「認知症のカウンセリングの可能性」と入力してみますと参考になる

               認知症の権威者の岩田誠先生(東京都メディカルクリニック柿木坂院長)の治療に関する

               信条が出ています。この先生の信条は以下の通りです。

               「患者の治療から家族、介護者に対するケアの指導まで、個人を大切にし、じっくり

        対話する医療が信条。認知症患者といえども、理由なく徘徊したり、理由なく怒ったり

       、理由なく 暴力を振るうということはありません。」その実例が出ています。

   

             

        夕方5時になるとある老人ホ-ムの介護職員がある男性入居者が外へ出ようとする。

             「部屋に入りましょうね』というと暴力を振るうのでこまるとのこと。岩田先生が

       「入居者が 自宅にいたころ、その時刻に何をしていたか調べるように指導した」と。 

              その結果、本人は以前大きな家に住んでいて5時頃になるといくつかの戸を閉める

        習慣がありそのため、

        その時刻になると外へ出たがることがわかったそうで、そこで先生は、

               その時刻になったら本人に、各利用者のポストに伝達用印刷物など配布する

         よう指示し 本人がそれを実行したところ、徘徊が止まったそうです。

            

                ◎  この記事を読んでいても認知症の場合でも、本人、家族次第では

        、カウンセリングが機能 する場合があると痛感しました。

                  さらにその際本人の気持ちを刺激するような、行動療法も機能する

         ことも考えられるようにも感じました。本人の特性に合わせて音楽を 聴いたり、

         花など色彩感覚を刺激したり時には本人の好きな飲食物をともに味わうことで

         対話を進めていくことなど。 本人のこだわりへの刺激のこと、

         どこかで聞いたこともあります。

                   

                   






















12月28日 引きこもり低空飛行の集会

 

       12月28日   引きこもり低空飛行の集会

        この集会はすでにネットで紹介され、その人数はすでに20名を越えているとか。

        場所は名古屋駅近くの中村区役所から近くにあります。

        私が最初に訪問した時、確か11月でも途中で夕刻退出した時でも、20名足らずの参加者が部屋

        一杯にいました。司会者のYさんとは、私のクライアントのTさんの支援依頼を受けて知り合いに

        なった間柄です。引きこもりと聞くと何か暗い感じがしますが、すでに私は、北区のNPOで

        色んなハンディのある人々と接していましたので、全く違和感なく仲間に加わった感じです。

        彼らが自己の主訴を話しても、大抵理解できますし、アドバイスもできます。

        若者の集会といった雰囲気の中、女性も一人二人ときています。

        初対面でも、気軽に話ができるアットホ-ムの居場所です。ある女性は自分の一身上の交際相手の

         ことも話したり、認知行動療法のテキストを見せてくれたのには驚きました。  参加者の色んな

         発言を聞いていて、特に関心を持ったのは、ある青年が「自分の症状は、医師では治らなかった。

         だが、こういう集会で自由に話せると対人恐怖症などがいやされた」と語った時でした。

         私としては、さらに彼らの家庭環境のことも知りたいです。

         すでに豊田の青少年センタ-で不登校、引きこもりのお母さんと少し交わり、家庭の療育に関する

          本もお借りしたこともあり、その集会にも近いうちに参加してそこからも学びをしたいと考えて

          います。低空飛行の次の集会には、もちでなく、自前のケ-キでも作って皆さんと試食してみようと

          計画していますが、これもYさんと相談して実行するつもりです。

        

          それからある産業カウンセラーから紹介されたTFT(思考場療法)のことも習得して

          メンタルにハンディのある人々のセラピーに役立つ ことを願望しています。

           この療法は、東洋医学の鍼(はり) の療法にヒントを得て米国で開発された心理療法です。

           体のツボに当たる箇所を指でタッピングする手法です。




     

10月7日 社会的引きこもり(斎藤環先生著)より その1

 

         10月7日  社会的引きこもり(斎藤環先生著)より  その1


         つい数日前朝日新聞の投書欄に発達障害の子に幸せな未来をと題したある主婦の記事が

         掲載されていました。発達障害のある5才の男の子が、散歩中の犬を軽く蹴ってしまい、

     飼い主の男性に怒鳴られたとのこと。しかし、子供さんは言葉を正しく理解できないため

     笑ってしまいその男性から殴られそうになったとのことでした。見た目は普通なので

     誤解され、ひどい言葉を 浴びせられることが少なくないとのこと。時には身の危険も伴う

     こともあるとか心配しています。母としては「発達障害についての理解を広めるためには、

     義務教育の中で、その特性などについて教えてほしい」と述べています。

         この例に類似したメンタルにハンディのある人々と接している私としては、基本的人権に

     関わる 問題として注目しました。明日出かけます豊田の青少年センタ-の引きこもりの

     集会にも、 同類のハンディのある青年も参加しています。

                     新EZ141.bmp

                               秋の花   彼岸花

        就労支援のNPOでも、引きこもり体験者とカウンセリングをしていますが、この若者支援

    事業団の方が、より多くの理事を始め色んな方々との交わりができて感謝です。近くYさん

    主宰の名駅近くの「低空飛行」と称する集会にも出席するつもりです。20名程の参加者。

        Yさんは、その集会を通しての参加者のメンタルの癒しにも留意しているとのことで

   、要請により、 カウンセリング等の支援、メンタルヘルスの学習会もしてみたい願っています。

        この「社会的ひきこもり」の言葉自体は、斎藤先生が最初に命名されましたが、著書の

    冒頭で 東京の会社員が中学生の息子をバットで殴り殺すという痛ましい事件を紹介して

    います。 事件の一年程前から学校を休みがちになり、家族に暴力を振るうようになった

    とのこと。そのため母親は別居し、父と二人暮らしの生活になっても父への 暴力を絶え間

    なく続け、 ついに父親が上記の行動に出たとのことです。 

         先生の説明では、この種の犯罪の背景には、明らかに一種の無知があるとのこと。

         この種の無知は単なる個人的なものに限定されず、構造的無知、この社会全体の無関心

         によって 生まれた無知とことです。

          ここで言わんとすることは、後述の家庭内の適切なコミュニケーション(受容、共感を活かす)

          専門家による治療、外部の支援機関の援助の必要性のことと思います。

         でも、先生の指摘される「無知」に対する反論として「思春期の心への関心がこれほど高まって

     いる時期はなかったではないか」の意見もあるかも知れないが、「それは一面で真実」。

     残念ながら、そこで関心を持たれているのは「社会現象としての思春期」とのこと。

     「事件としての思春期」、「病理としての思春期」等。

     その一方で「 " ひきこもる思春期"  はずっと黙殺されたままになっているのです」と指摘

         されます。 この言葉を聞くと、すでに私のブログで述べました自分の30才台の時、私が

     倫社の授業を担当していた頃のことを思い出します。

     よく欠席しがちながら、私の授業には出席していて課題のレポ-トをきちんと書いて

     提出してくれましたが、その少し後その高2の女子生徒は自殺しました。

     「人を信じてはいけない。その時はやさしそうにみえても、かえって悲しい思いがする」

     これだけの内容を発信していたのに、、当時の自分には何もできず、まさに「黙殺した」

     のにです。悲痛とともに悔しさの残った事件でした。

     ところで、社会的引きこもりとはどんな事態をさすでしょうか?ここでいう社会とはほぼ

     対人関係全般をさすと理解して差支えないとのこと。家族以外のあらゆる対人関係をさけ、

     そこから撤退してしまうこと。それが「社会的ひきこもり」と先生は説明しています。

     その「社会的ひきこもり」の定義については、次のように述べています。

     「20才後半までに問題化し、6カ月以上自宅に引きこもって社会参加しない状態が持続

     しており、 ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」

       この定義ですと、上記の女子生徒の事件は、この定義からはずれますが、ひきこもりの

     兆候を 示していた事件でした。

          少しより道しましたが、先生の「社会的ひきこもり」の中で、私の注目した箇所をいくつかに

     区分して 各々の要点をまとめながら、随時私の見解も述べていきますのでよろしく

     お願いします。

      

        1   「 ひきこもり」は心因性の障害

                その障害からの回復に至る過程で大切なことは何でしょうか?

               ひきこもりの心因として様々な挫折体験があります。対人関係や入試の失敗など。

               ひきこもりは 対人関係によって補われるはずの治療の機会が奪われしまいます。

               外傷、ストレスは他人から受けるものですが、同時に他人からの援助なしには

        外傷からの回復もあり得ないとのことです。

               「ひきこもり」の自然治癒がむつかしいのも、他人との有意義な接点がないことが

        ひきこもりの 原因の一つと考えられるとの先生のご指摘のとおりです。

                このことに関連して先生は、「ひきこもりの最終目標は、"友達をつくる"」と

        提言されています。

                この提言につきましては、私は以下のように考えました。

                つまり、友達を得たことで、何でも打ちとけて安心して自由に話せることで

        対人恐怖症が癒され、他人との信頼関係を築くことで社会復帰の道が開け

        ていくと。 この対人関係につきましては、後述で「大人としての成熟の記事」

        では、精神分析で実績を 残した米国のエリクソンの説を念頭においている

        のを痛感しました。

 

 

10月19日 社会的ひきこもり その2

 

            10月19日   社会的ひきこもり  その2


            ▲   社会的ひきこもりのジレンマの苦悩

              ●    ひきこもりは無気力ではない

             斎藤先生は、ひきこもりの状態は、必ずしも無気力を意味しないとのことです。

             彼らは「無為」にみえるかも知れませんが、必ずしも無気力でない、この点だけは断定しても

              よいだろうと思いますと述べています。

              この点については、私自身も豊田市の最初の「ひきこもりの集会」でこのことについて

              参加者の方々に打診したところ、先生のご指摘のように、「こうしよう、ああしよう」という

              あせりがあるけど動けない心境が確認できました。

               『無気力」のメカニズムについても。そうなる事例はおおまかに言って二通りあるとのこと。

               一つは、病気が慢性化した結果無気力になってしまうもの。うつなどが長期に及んだ結果

              全く自発性がみられなくなることがしばしばみられるとされているとのことです。

               しかし、先生の診られた患者さんの例では殆どその例はないそうです。

               もう一つの無気力状態には、『学習された無気力」があるとのこと。これは、精神病でも

               脳に障害があるのでもなく、心理的な原因から生じた無気力状態のことです。

                実験心理学の例として、ケ-ジの中に犬を入れて、何の予告もなく電気ショックを繰り返し

        与えると 最初は、吠えたり、もがいたりの反応をみせるが、次第に無気力となり 

        反応を示さなくなる とのこと。つまり不快な刺激がくりかえされているにもかかわらず

、       自分でそれをコントロールできなくなることが学習された時、無気力化が起きるとのこと。

        同様の実験で人間にも起きることが

               確認されているとのことです。しかし、こうした無気力状態から 、果たして社会的ひきこもり

                のメカニズムを説明できるのでしょうか? 実際にそのような視点から説明されている

        本もあるとか。しかし、先生は様々な『無気力」のごとく一部しか説明てきないとのこと。

                「ひきこもりは、動いたほうがよいに決まっている。」からこそ身動きがとれない

        のですとのこと。 このような状態を単に『無気力」と表現するのに賛成できないとの先生の

        ご見解です。 

                こうした 彼らの心境を家族や治療者等が理解し共感できてこそ回復の道が開けます。

 

                 ▲   ひきこもりは単なる個人の病理としては捉えきれない

                 ひきこもりは、学生が学業に関心も意欲もなくして無気力になる、いわゆるスチュ-デント

                 アパシ-に対してなされた精神分析の手法も、その状態の理解のためには、部分的に

                  可能とのこと。但し、(注意すべきは)精神分析によってひきこもりの状態の治療をなしうる

                   という意味ではないとのかしいことです。つまり、社会的ひきこもりも、学生のアパシ-も、 

                  個人的な問題領域をこえた社会的な対人関係の問題ではこの精神分析の手法には

                  限界ありと先生は思われていると解釈します。

                  その限界についての先生の以下の説明でそのことが理解できます。

                  「治療意欲の不安定な社会的ひきこもり事例に対して、精神分析を行うことは困難

                   であるからです。また社会的ひきこもりの問題は、個人の病理を分析する立場からは、

                   その全体像を理解することが難しい。そこには、家族 や社会の病理が深く巻き込まれて

                   おり、基本的に個人を対象とする精神分析がこのような病理を扱い切れないのは

                   当然のことです。ひきこもり問題の特異性を個人の病理として捉えようとする限り、その理解

                   と対策は、ごく表面的なものにおわってしまうでしょう。---ひきこもりの問題はたとえその

                   はじまりが個人病理むにあったとしても、経過とともに必ず家族を巻き込んでいきます。

                   これによって事態は、一層こじれ、病理性が深まります。---そこにはわが国の社会的

                   病理性が反映されることになります。----このひきこもり事例は、我が国だけにみられる

                   ものではありません。----しかし、我が国のその事例は、きわめて独特の経過をたどります。

                   この経過の特殊性において、我が国の我が国の文化的、社会的な状況が反映されて

                    いるのです。従って「社会的ひきこもり」の問題は、患者個人の病理という問題をこえて

                  社会精神医学や公衆衛生学といったといった領域においても重視されなければなりません。」

                  そこでは、個人の精神療法のみならず、様々なケ-スワ-クや家族を介しての治療的介入などが

                 大きな意味をもつことになるとのことです。

                 ここでは、先生は、マクロの視点から「個人の治療」よりも「いかに有効に治療介入を行うか」

                という点に比重ががかかっていることを力説してみえる意気込みを感じます。

 

               ▲   対人関係における悪循環

                 ひきこりの事例では、一般の体の病気と異なって、その期間が長い程、その程度が

                 重い程一層ひきこもりが強化されているという悪循環が起こり得るとのこと。

                 一般の体の病気なら様々な自然治癒により、うまくいけば病気は快方に向かいますが、

                 ひきこもりの場合では、一層その状態を強化し、安定化してしまうように作用するとのこと。

                 (長期化の道に進む)  その理由の一つには、社会的ひきこもりの原因が複数あることに

                 起因するとのこと。

                 神戸大の中井久夫先生によると経過が長くこじれがちな疾患は、原因もひとつだけの

                 ことは余りなく、様々な要因が総合的に絡み合って治療努力を妨げていることが

                多いとのことです。 

                 「いじめ被害の外傷体験」がその例です。社会的ひき こもりの問題は、つきつめれば

                 対人関係の問題とみることができるという斎藤先生の見解です。

                 

                  複数原因を先生は、個人、家族、社会の三つの領域に分け、すべての領域で何らかの

                  悪循環が生じているため長期化してしまうのではないかと考えているとのことです。

                  こうした悪循環は多かれ少なかれ殆どの精神障害で起こりうるものです。

                  ひきこもりの状態で際立っているのは、3つの個人、家族、社会の領域が互いに等しく

                  閉鎖的なものとなりがちであるとのことです。これと異なって他の精神障害では、個人

                  レベルで悪循環が生じていても、家族の協力でそれを解消できたり、また家族との関係が

                  悪くても、本人が社会に出て問題の解決したりできる場合があるとのこと。

                  入院治療がその例です。

                  また、水島弘子先生の対人関係療法でよく出てくる「本人にとっての重要な他者」が

                 家族外であることも、私と長くつき合いのあるFさんとのカウンセリングでじかに聞いた

                 こともあります。

                 しかし、ひきこもりの場合、折角入院治療ができても、家族との関係が悪いと、すぐもとに

                 もどるが多いとのこと。

                 先生によると,ひきこもりの事例では,「個人と家族」 、「個人と社会」などの回路が

                 完全に塞がれてしまっている例が多いとのこと。従って家族との関係、協力が

                  キイポイントなのですが、殆どの場合、家族との間にも悪循環があって事態は一層

                  こじれてしまうとのことです。

                  困ったことには、こうした悪循環は、まるで一つの独立したシステムのように、こじれれば

                  こじれるほど安定するとのこと。(硬直化してしまって)こうなると少しばかりの治療努力では

                  こうした悪循環を止めるのが困難になるとのことです。

                  先生は、この悪循環を「ひきこもりシステム」と 仮に名づけ、このシステムを如何に解消

                  するのか、それを治療上の基本方針としているとのことです。

10月27日 社会的ひきこもり その3

 

            10月27日   社会的ひきこり   その3                        EZ150コスモス1.bmp


            ▲    個人・家族・社会の三つのシステム                    

                  

 

               ●   健常なシステムとひきこもりシステム

               a  健常なシステム 

 

                                                                                     赤いコスモスの花言葉は愛情です

               斎藤先生の説明によれば、このシステムは接点をもって働いているとのこと。

                ここでいう接点は、相互のコミュニケーションのことで

                個人は家族と日常の中でコミュ二ケ-トし、互いに影響を与え合いながら生活しています。

                また個人は、学校や会社などの場で社会とコミュ二ケ-トし、影響を受けます。

                家族と同じく諸々の生活や地域の活動などで社会とのコミュニケーションの回路をもち

                相互に影響し合いバランスを保っています。      しかし、ひきこもりのシステムでは、

                このような接点が互いに乖離し、機能をしなくなります。

                つまり、家族でも、社会でも人とのコミュニケーションがうまくとれない ということです。

                先生が言うには、ここでいうコミュニケーションとは、「相互性」が不可欠であり、本人が

                家族からの言葉に耳をかさず、自分の悩みばかりを訴え続けるような状態では、そこに

                十分なコミュニケーションがあるとはとても言えないとこと。この点が意外と見落とされて

                いるとのこと。「単なる会話」とは 別物であると注意を喚起しています。

          

                b 「 個人のひきこもりシステム」 について

                     他人の介入を受け入れられない    

                  社会的ひきこもりの状態にある人は、強い葛藤を感じていることが多いとのこと。

                  こうした葛藤は様々な精神状態につながりやすいと先生は指摘されます。

                 まず、こうした症状から悪循環が生じます。対人恐怖症対人恐怖症や脅迫症状、*被害念慮

                  (被害を受けているという気持ちに追いやられる)

                  などは一層、社会参加の壁を厚くするとのことです。しかも皮肉にも、こうした症状の殆どは

                 社会参加ないしは治療によってでなければ改善しないとのことです。次第に悪化する症状を

                 抱えながら、一層深くひきこまざるを得ないところに、ひきこもり事例の最初の不幸があるとの

                  話です。   また、自分がひきこもり状態にあるという事実は、それだけで心の傷になり、身体

                  的にも 昼夜逆転などで不眠がちとなり、このことが一層逆転 に拍車をかけます。

                  この点でひきこもり状態は、嗜癖と似ているとのこと。嗜癖においてもまた、様々な悪循環が

                 一つのシステマティック作動として、病理を悪化させてしまうからとのこと。

                 *嗜癖(しへき)---酒、賭け事などにこだわりのあるくせのこと。

                   例えば アルコ-ル依存症の患者は、飲酒について罪悪感が極めて強い。それが強いが

                   故に飲酒の泥沼化が起こってしまうとのことです。

                   頭で分かっていても、心の制御ができず焦れば焦る程そのジレンマに落ちていきます。

                   ひきこもりもこの点で共通しています。

                   斎藤先生は「ひきこもりという負の行動が一層自己嫌悪を深め、それがさらに深い

                   ひきこもり状態につながっていくような悪循環」と説明しています。続けて

                  「 こうした悪循環をとどめるのが、通常であれば家族や他人との関わりなのです 」と指摘

                  されます。アル中のような嗜癖患者の治療には、家族の指導と自助グル-プへの参加という

                  組合わせがもっとも一般的コ-スになりつつあるとのこと。つまり家族と他人の関わりです。  

                  但し、日頃の家族対話の質が問われます。後でこのことが出てきますが、親御さんとの

                  信頼関係が築けないことを過日の豊田のひきこもり集会の体験談で私自身強く印象

                  づけられました。

                  それから、「自助グル-プ」の効果に関して先生は言及してみえますが、豊田の集会も

                  その例なのです。過日この会を取り仕切る理事と二次会で話し合うことができました。

                 彼もかっては、ひきこもっていた体験があり、相当心の痛むつらい体験もしたそうで、

                  でも弟さんとの旅行が転機になって、バイトしたり、このような集いに参加したとのこと。

                  しかし、ただ単純にふらっと参加しても効果がないとのこと。集会の感触を確かめて

                  自分にとって有意義と思える集会を選んで参加したとのことです。(選択的適応です)

                  似たような話をこの人と同じような体験を経て経済的にも自立の道を進んでいる

                  青年から聞いたことがあります。

                  これらの人々が苦難を克服して人生の再出発に励んでいる姿に感動を覚え

                  こちらも励まされます。

                  上記の悪循環について、先生は、その源が自分自身にあるなら、他人の介入を受け入れ

                   つつ、治療を進めることがどうしても必要とのことです。-------彼らがひきこもりの状態を

                   抜け出せないのは、まず第一にこうした「他人からの介入を何よりも嫌うためでもある 

                   とのこと。逆に、他人との関わりを受け入れる決意を固めた事例は、ほぼ例外なく社会

                   復帰が可能になると明言されています。

                   しかし、過去にいじめのような体験でトラウマに苦しんでいる人にとっては、「他人の介入」を

                   受け入れるハ-ドルが高いことを本人から聞き、専門家に委ねるべきことは、自己の分限を

                   わきまえるべきことの例として肝に銘じておくべきことと痛感しました。

 

                    ▲   コミュニケーションの欠如---「家族システム」について

                    

                     引きこもり事例を抱えた家族もまた一種の悪循環の中に取り込まれているとのこと。 

                     ひきこもりが長期化すると、家族の中に不安や焦燥が高まります。不安を抱えた家族は

                     本人に対して様々な刺激を与えて何とか動かそうとします。それは、お説教とか

                     叱咤激励だったりします。しかしこうした刺激(働きかけ)は、本にとって プレッシャーや 

                     ストレスを与えるだけで、活動を始める(ひきこもりから抜け出す)きっかけにはなり

                     ません。むしろ刺激や圧力が加われば加わる程一層ひきこもり゛深まってしまうとのこと。

                     その結果家族は、さらなる不安と焦りにかられ、なかば不毛(効果なし)と知りつつも

                     刺激を繰り返すことになるとのことです。

                           この悪循環を成立させているのも「コミュニケ-ションの欠如」なのです。

                     家族からの一方的刺激は、それが一方的であるが故に(対話 がなく)

                     コミュニケーションとして成立しない訳です。家族の言葉は全く本人に届かず

                    ただ家族の不安や不満、焦燥感だけが本人を窮地へと追いつめていくのです。 

                    引きこもりという行動にも、何らかのメッセージがこめられており、早い段階で、その

                    メッセージをしっかり受け取ることができれば、それだけで改善に向かうこともあり得る

                    とのことです。また、長期化した場合でも、本人の気持ちを共感とともに理解することが

                    できれば、こうした悪循環は防げたとのこと。

                    本人からのメッセージを受け取ること、共感とともに理解すること、これらのことは、

                     家族間に深いコミュニケーションがあって初めて可能になるとのことです。

                     そして、こうした深い コミュニケーションだけが、家族間の悪循環をとどめる力を

                     持っているとのことです。

                     この内容は一般のメンタル障害者の支援現場にいると家庭環境の対話の不毛な

                     実態がわかります。カウンセリングしていると父母への不満、怒りが噴出し、なかには

                     支援施設の壁を殴打するとか、物を利用者仲間に投げつれたりすることもあります。

                     しかし、私は、彼らの現象面をみて責めるのでなく、、その背後の親との関わり方に

                    注目しています。「こころ の科学」などの専門誌で家庭内の療育のことが時々掲載

                     されています。誰か偉い人が講話してそれを聞く事もよいかもしれませんが、

                     私は、それよりも専門家の方の助言を受けて、ひきこもりの親子の対話集会を望んで

                     います。

                

                               ▲  家族システムと社会システムの乖離

                     すでに筆者か述べたように、「ひきこもり」の問題については、本人と家族、本人と社会

                     との接点はありませんし、また、「家族システム」と「社会システム」も乖離している

                     とのこと。表面的には、家族は、仕事や色んな活動を通して社会との接点はありますが

                     家族の中に引きこもり者が出ると、本人を抱え込んで外部に対しては、世間体に

                     配慮して閉鎖的になります。例えばひきこもりではありませんが、私が就労支援

                     事業所でお世話した青年の場合、母親から自分がメンタル障害者手帳をもっている

                     ことを人前で隠せときつく言われていると言っていました。斎藤先生が指摘される

                     とおり、世間からのプレッシャーに対して家族が一層孤立化し、治療や相談、

                     就労支援についても、近隣の人に察知されないように身構え、家族も 社会から

                     ひきこもっている感じです。このような苦悩を抱えた親御さんの各地の集会がうまく

                      機能することを願い、可能ならばこのような会にも参加したいと願っています。