6月22~ 26 日  部下をもつ人の職場の人間関係  その3

     6月22~26 日      部下をもつ職場の人間関係   その3

     その2では筆者は、「リ-ダ-」についての誤解について言及しました。その続きとして

  4、人を従わせるのがよいリ−ダ-に続いて

  再度フアシリテ-タ-に言及します。

        5    リ-ダ-の役割はフアシリテ-タ-

      筆者は、リ−ダ-になる人は必ずしもそのグル-プの中で「最も優秀な人」でなくてもよいとの

  見解です。状況に応じて各自の個性を発揮して、その機能を果たせる人を意味します。

  リ−ダ-の本質的な役割は、フアシリテ-タ-(促進役)とのことです。すべに述べましたように

  会議の進行役のような存在です。「最も優秀な人」として上から結論を押しつけるのでなく

  それぞれの部下の長所を引き出しつつ、それを活かして仕事を進めていく「かじ取り役」です。

  そのようにすれば部下は意欲を出して各自それぞれの発想を自由に発揮できてチ−ムの

  潜在的能力を引き出すことができます。な各人の持ち味、人格が尊重されることでリ−ダ-

      との信頼関係、組織への忠誠心も増すことになります。

    しかし、筆者はこのような発想への反発者も想定しないて、ともすると上下関係の秩序も

  崩れてなれ合いの友達のような関係になるのを懸念する声に対して、その秩序にも配慮して

  組織内で見解の一致が得られない場合でも、リ−ダ-に一任するということで責任をとることにも

  配慮し、皆でよくよく話し合って出た結論なら、リ−ダ-が毅然とした態度で責任がとれると

  述べています。

  またリ−ダ-の上司との関係に於いても、結論について説明してうまくいかない時は、自分が

  責任をとるという毅然とした態度は部下からの信頼を厚くすることになると。

  そして筆者は、「リ−ダ-にもっとも求められる最大の資質とは誠実さと言えるでしょう」と。

   失敗のつけを部下に負わせるようでは、上司の存在価値はありません。

  (政治家も胆に銘じておくべきこと。嘘の垂れ流しでは、そのつけは国民が負うのです)

  筆者が講演などの場で上司について企業の関係者から不満を聞くと「上司に見せる顔と部下に

  見せる顔が違う」とのこと。上層部のイエスマンとして保身を大事にしているからです。

  私もサラリーマン時代、このような去勢された馬のような管理職に何人か遭遇しました。

 

            6    リ-ダ-はそれぞれの領域を尊重しよう

 

   ここで筆者のいう領域とは、上司と部下という職務上の立場の区分からの視点からみるもの

 

   であり、また、両者の育った家庭、学校、地域社会等の成育歴や職歴、それらの環境の相違

   などを指しています。これらの領域の相違を踏まえて、筆者は以下のことを問題提示

   しています。

   (1) リ−ダ-は部下より人間として格上なのか?

          例 会議で上司の自分が言った意見について、よく反対意見を述べてくる部下がいる。

   敵対意識の有無は分からないが、どうしたらよいか?

        筆者の見解 : 何故リ-ダ-が反論する部下に違和感を覚えるのか。?

        「部下のくせに」という上からの目線があるからです。

   職務上の上下は職務を効率化するために作られた仕事上のシステムです。

   主に責任の範囲を明らかにするのがその役割とのこと。従ってそのことと、人間としての

   価値の高低とは全く関係がない。但し、人間はどうしても社会的地位と人としての価値を

   結びつけがちなので、その現状に流されず、筆者は「リ−ダ-が率先してロ-ルモデルを

   示していく必要あり」との見解です。(つまり日常の地位格差に捉われず模範を示すこと)

        そのような振る舞いが「機能するリ−ダ-の条件」とも言えるとのことです。

   それに反して部下に対して、とても人道的とは思えない(パワハラのような傲慢な態度)を

   とるのは、「怖れのリ−ダ-」の証拠とも言えるとのこと。筆者は、「怖れのリ−ダ-」は

   基本的に自信がないから」と述べています。まさに劣等感の裏返しです。

   ですから「自分は人間として格上」という態度をとりたがるのです。逆に目上の上司には

   必要以上に媚びへつらい、自分の部下に同じようなこびを要求する「怖れのリ−ダ-」も

   いるとのことです。このような偽りの虚勢を張った上司では、部下に見抜かれメンタル不調に

   になり得ると感じます。

   筆者は「リ−ダ-なのだから人格者でいなければ」という思い込みを捨てることを説いて

   いますが、双方の板挟みで苦境に立つ上司の対処法の困難さもあり得ると痛感します。

   職務上の上下関係と人間としての価値は無関係という筆者の指摘は、別の観点にも

   繋がるとのことです。

   その例 リ−ダ-向けの啓発本などで疲れる。そこに、「部下より人間として格上に

   なるように」というメッセ-ジを感じ取り(あおられてしまう)からとの筆者の見解です。

   筆者は、「リ−ダ-だって欠点があり、人間としての限界もあるのです」とのこと、

   そのことで気負ってしまうことへの忠告をしています。

     「部下のくせに」と逆に「自分は人格者でなければ」と負担を背負いこむ必要もない

   こと、職務上のこと共に、人間としても上下の関係ができてしまうと、職務上にも色んな

   弊害が出ることにも注意を喚起しています。(会議で 自分の意見を控えねばならない

   ことなど)

   従ってリ−ダ-から「我々は人間としては対等」という姿を率先して示していくことが

   重要とのことです。このことは、決して部下への機嫌取りのような卑屈さを示すもので

   ないと感じます。

   (2)  リ−ダ-はそれぞれの「領域」を尊重する

   すでにこの単元の6の初めに述べましたように、ここでの領域とは「上司、部下の職務上

   立場の区分からみるものであり、両者の成育歴、学歴、職歴及びそれらに関わる環境の

   相違などを指しています。自分の領域は自分しか分からないし、相手のそれのことは

   分かりません。職場の人間関係では、共に長く過ごす時間が長くても相手のことを

   よく知らないことが色々とあるのが実状です。ですから、相手のすべての理解は

   できません。成熟した健康な人間関係のために必要なことは、相互に相手の「領域」を

   尊重することとの筆者の指摘の通りです。

   相手の領域については決めつけない。自分の領域については自分で責任をとる。

   それが「領域」の尊重の基本とのことです。

   この原則はリ−ダ-にとっても同じことです。

   部下のことを勝手に勝手に決めつけるのは「機能するリ-ダ-」でなく「怖れのリ−ダ-」の

   姿勢と筆者は述べています。

   多くの場合、部下の領域について決めつけたような発言をすると相手を傷つけたり、相手

   から反撃をくらい一気に信頼を失ったりするわけです。リ−ダ-になったらからといって

   つい相手の領域に入りこんで決めつけないことは、要注意と感じます。

   私自身も、サラリーマン時代には、根拠もなく憶測で、しかもまた聞きと思える

   ことで軽率な上司に時々怒りを感じました。筆者の指摘の通り、「その「領域」は

   不可侵なもので、その意識(自覚)こそリ−ダ-としての機能を高める」に痛感します。

   ここの機能は、「部下のモチベーション」に関わることなのです。

   そして次の箇所の筆者の見解も共感します。

   リ−ダ-からみて相手が不可解な行動をとっているとしたら、まず「相手は何故そんな

   ことをしているのか」を聴いてみるという事実関係の把握は、信頼関係に関わる大事な

   事柄と思います。『なる程」という感覚が得られるまで話を聴くことを筆者が強調して

   いるのは、その道の専門家らしいところですし、そういう努力があってこそ、一歩々

   信頼関係が築かれると思います。

 

   6 の(3)    リ−ダ-はジャッジする(審判官、裁判官のように裁く人)ではない。

   一般の企業、官庁等の組織内の服務規律に慣れている方々にとっては、違和感を感じ

   られるかも知れませんが、この個所でも「個々の人々には、色々な事情、見方、考え方が

   あって、それを個々の領域として尊重していくのがと健康で成熟した人間関係」と筆者は

   リ−ダ-と部下について力説しています。

         しかし、世間では、リ−ダ-は部下をジャッジしてもよい(それが指導の一環であると

   思われていると私も感じています)

        でも筆者は、主観的な評価をジャッジメントと読んでいるとのことです。。

   このジャッジメントは、同じ現象をみても人によって異なるし、同じ人でも、年代や、その

   時の気分などによって異なるものとのこと。

   それに対して客観的な評価を「アセスメント」と読んでいます。血圧の測定、スピ−ド

   メ-タ-による違反の取り締まりなど。

   従って公正なジャッジが求められます。

 

   ▲ 自分のジャッジメントを相手に押し付けないこと

   部下へのジャッジは相手の領域について自分の側の「領域」の判断基準で勝手に決めつけて

   しまうことがよく起きます。

   筆者の見解が以下のように述べられています。

   「相手の(心の)領域に土足で踏み込んで決めつける暴力の行使と表現しています。

   これは「怖れのリ−ダ-」に典型的な姿勢と言えるとのことです。

   「色々な可能性に心を開くのでなく、自分がみている狭い世界を「真実」と思い込まないと

   自分の(信念)が崩れてしまいそうな恐れがあるのでしょう」と。

   「自分の方が人間として格上だと思っているので、何でも自分が決めつけてよいという

    感覚があるかも知れません」と。(まさに傲慢の一言、こんな人に日本の政治、企業

    官界、教育などが支配されれば、国民の先々が憂慮されます)  

           ここまで通読していて、水島先生の説くアサ-ションスキルの実践が家庭、学校、企業など

    身近な場所で自他の人格の尊重という風潮を高めることの大切さを痛感させて頂き

    ました。それこそ民主主義の基盤であり、健常者、ハンディをもった人々を含めた

    共生社会の実現のための不可欠な大事なことに含まれていると痛感しました。

 

 

 

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また就労、解雇等労務管理上の法的クリア(コンプライアンス)や労働者のメンタルヘルス、労災事故から守る安全衛生対策などの指導、助言も行っています。

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