11月 27~28日   臨床家にとっての「ほめる」 岡野憲一郎 先生 その1

  11月 27~28日 臨床家にとっての「ほめる」岡野憲一郎先生執筆  その1

          医師の適切な質問による信頼関係の回復 こころの科学 196より

     最初に筆者より「ほめる」についてガイダンスがあり、後述の治療事例で治療者と

  患者とのずれをどのようにして軌道修正して信頼関係を回復するのかについて

  コ-チング的手法を用いて患者から治療者が気づいていない視点を指摘してもらい

  それを起点にして信頼関係の回復を目指すことを私なりに直感しました。

  このこともなかなか洞察の鋭い岡野先生の治療現場に関する記事に感動したからです。

  以下に筆者の記述を紹介します。

    ▲ はじめに

 

   「ほめる」とは非常に挑戦的なテ-マである。心理療法の世界では、ある意味でタフ-視

   されているといったもいいだろう。精神分析においては、その究極の目的は患者が

   自己洞察を獲得する事と考える傾向にあり、「ほめる」ことは、それとは対照的とも

   いえるかかわりである。その背後には洞察をうることには苦痛を伴い、、一種の剥奪

   (奪い取られる)の状況に於いて達成されるという前提がある。(何か禅宗に通ずるものを

    想起させられます) 一般に学問としての心理療法には、独特の*ストイシズムが

   存在する。*禁欲的な厳格主義 

   安易な発想や介入は回避されなくてはならない。相手を「ほめる」ことは一種の

   「あまやかし」であり、刹那的で表層敵な介入でしかなく、そこに真に学問的価値は

   ないとみなす傾向すらある。

   しかし、目にみえる結果を追求する世界(スポ−ツ界など)はなかり異なる考え方が

   支配的である。---如何に選手のモチベーションを高めるかが重要視される世界では

   「ほめる」ことはそのための重要な要素の一つとみなされる。

   また、わたしたちがあることを学習したり、訓練を受けている身になったりした場合は

   そこでの努力や成果を教師や指導者からほめられたいと願うことは余りに自然であろう。 

     ▲ 純粋なる「ほめたい願望」

   次に筆者は自己の体験からある行為や作品に感動した際には、その気持ちを行為者や

   作者に伝えたくなるとのこと。ストリ−トミュ-ジシャンの演奏に感動したら

   「素晴らしかったですよ」と言いたくなる。筆者はこの素朴な気持ちを誰しも

   持つ者と想定し、純粋なる「ほめたい願望」と呼ぶことにしたいと。

   その正体は不明だが、おそらくそこには愛他生が関与している可能性があるとのこと。

   愛他性とは、他人の幸福や利益を第一の目的とた行動や考え方である。

   その*プロトタイプ (原型、手本などの意味) は母親の子供に向ける気持ちに見出せようと。

   このブログを書きながら、ここの単元でふと想起したのは、かってコ−チAと繋がりの

   深い団体の研修会でNLPで活躍していたある若手の人が、ただほめるだけでなく、

   クライエントがまだ気づいていないことを「ほめる」と本人にとってエンパワメントに

   なると言ってました。つい最近日進市のあるNPOの顔なじみのある女性スタッフから

   私が社交性のある人と言われて大変驚きました。自分は逆に人からはとっつきの悪い人

   と思われていると平素思っていますで。但し物事の考え方の似ている人とは、結構

   冗談を言いながら話がはずむこともこともありますが。(これは余談ですが)

   もっと大きな気づきは、自分には「愛がない」ことの気づきでないかと日頃痛感して

   います。一般的に言えば信教に関わることでもありますが、そうとも言えないことも

        SCCでコ-チングの訓練をうけていた時、その指導者の一人竹内先生からその告白を

   個人的にお聞きしたことがあります。彼の上司加藤澄江先生との面接で初めて気づいた

   そうで、びっくりしました。これを起点にて謙遜な気持ちで自分や他人を観察すると

   教師、医師、政治家諸氏にとって心の目が開かれると思います。

   筆者が「愛他性」と言ったことをさらに深めることにもなり得ると私は思います。

 

       ▲ 技法ないしは方便としてのほめること

   筆者が言うには、上記の純粋な「ほめたい願望は」はある種の感動より引き起こされる

        としたが、刺激の多い現代社会において私たちが心から感動する機会は少なくなってきた

   可能性がある。

   それでも私たちは、自身がかかわる生徒やクライエントをほめるとをやめないであろうと。

   彼らの自己愛を支え、モチベーションを維持しなくてはならないからだ。

   ここに教育的ないしは治療的配慮から、いわば技法として「ほめる」必要が生じて

   くるとのこと。私の関係した例でいうと、不登校ぎみの生徒が久しぶりで来てくれた

   時など、つい声をかけたくなるし、医療現場でも、受診をしなくなった患者がまた来る

   ようになれば、同様なことがある。

 

       ▲ 治療者が「ほめる」

   筆者は、臨床場面の「ほめる」について以下のように述べています。

   これまでの主張でだいたい議論の行く先は示されているとのこと。そこにもやはり

   純粋な「ほめたい」が本質部分としてなくてはならないと。

   治療者は患者との長い時間を過ごし、そこに親の子に対する同一化に似た現象が

   生じてもおかしくない。しかし、両者の関わりには特殊な要素が加わる。

   それは、治療者がそれにより報酬を得ていることであり、そこに職業的な倫理が付加

   されることである。そのために治療者は職業的な関わり以外ではドライでビジネス

   ライクな態度を要請されるな可能性がある。また、「ほめる」もここに大きく関与して

   くるであろう。患者の達成や成果に対して特に感動を覚えなくても、「治療的」な

   配慮からの「ほめる」も起きるべくして起きるとのこと。

   この臨床場面における「ほめる」について、より詳細な考察を試みたいと。

 

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