2017年4月7〜9日 就労とゴ−ルについて 精神科医 胡桃澤伸先生執筆
4月7〜9日 就労とゴ−ルについて 胡桃澤伸先生執筆
2017年9号 統合失調のひろばより 日本評論社より
これも個性味を欠いた鈍くささが出ている感じです
今回の上記のテ−マは、私も関心があります。日進市の障害者自立支援協議会の委員の
一人として筆者と同様、私も安易に自立支援の目標を「就労」とは考えていません。
以下に筆者の経験からにじみ出ている「就労」についての見解が出ています。
「精神科医になって20年を超えたが担当した統合失調症の患者の就労に力を入れて取り
組んだ記憶がない。受け持ちの患者の殆どが長期入院のその病気だったかも知れない
長期入院の患者が退院した後はほぼ全員が生活保護を受給したので就労の手伝いは
しなかった。−−−バブルはすでにはじけていたのだが、生活保護受給者への非難、
バッシングはあっても現在ほど強くなかったと思う。−−−誰もが障害者病者になり
得る。働けなくなることもあり得る。人間は生まれながら皆が人間らしく生きる
権利を持っているのだから、働いているか、否かを気にしなくてもいい。あえて口に
しなくてもそういう思いをもって働いていた。
しかし、筆者自身迷いがあったこともあり、忘れられない経験があったとのこと。
それは、そううつ病の患者から、もう働けないので障害者年金の診断書を書いて欲しい
と頼まれたとのことです。医師になって3年目の外来診療だった頃のこと。
筆者より年長の職業経験豊かな人から「もう働けないから」と打明けられたことに、
まず戸惑ったそうで、診断書には就労できるか否かを書かなくてはならない、
一体何を基準にしたらよいか、今の状態でもやれる仕事は探せばあるのではないか
−−−−私が「就労不能」と判定したら、この人は、二度と働かなくなってしまう
のではないか。役所からこの人はまだ働けるじゃないでしょうかと問い合わせが
来たらどう説明したらいいのだろう。怠けているだけじゃないという声をどう納得
させるのか。『就労不能」の文字が重く胸にのしかかった。
本人は、診察でも私の再三の忠告にも耳を貸さず自分勝手にに振る舞っては窮地に
追い込まれ言い訳を繰り返しいる人だったので好感はもっていなかった。−−−
何でこんな無理難題を押し付けられなければならないのかと腹も立った。どうしたら
いいのか分からずケ−スワ−カ−相談した。ベテランのその人は、「診断書にそう
書かなかったなら(労務不能のこと)この人、年金もらえませんよ」とあっさり
言いきった。その言いきりがはっと気づかせてくれた。この人が働き続けたら症状は
悪化し、生活の質が下がるのは間違いない。理屈は言わず、ここは書かなくては
ならないのだ。絶対の保証はない。医師は、自分の見立てをもとに判断し、書面に
記す。絶対の保証を求めていたら責任ははたせない。その基本を教えられた。
私は、労務不能と判定し、診断書を作成した。」これだけのことで筆者は1週間悩んだ。
しかし、貴重なことに気づかれたのです。これ以来福祉手帳、年金、生活保護の申請で
診断書を作成され、詐病とみなされうる所見のあった場合の他、頼まれたら書くことに
しているとのこと。そして筆者から患者に伝えた方が良いと思われる場合には以下の
ように伝えるとしていると。
「これは、あなたの権利です。お金をもらうこと、サ−ビスを受けることを後ろめたく
思わなくてもいい。病気を治すこと、自分のケアをすることが仕事ですから
働いていないことを後ろめたく思う必要はありません。治療が仕事です。
辞めないで続けて下さい。それがあなたの責任です。」
年金と聞くと「もらえるものなら貰っておこう」とする気持ちにかられるのが
普通ですが、胡桃澤先生のようなお話を直に聞いた人々は、ただうなづくだけで
なく、年金受給者としての喜びと共に、治療の責任の意味を心に刻みこんで
治療に専念する道が開かれ、就労へのステップへの励みになると痛感しました。
精神科医らしい愛情のこもったエンパワメントです。
このようなことを障害者の方々が聞かれて、皆さんうなづかれたのは当然ですが
他方、就労をゴ−ルと考えている人々からすると、「一体どこがと思われるかも
知れないが、これが私なりの就労支援である。就労不能でもやれることことはあり
それは就労と同様価値があり、あなたはすでに取り組んでいる。今日こうして
病院に来ていることが証拠です。これは治療という営みであり、一人でも続け
られるし、医療者がお手伝いすることもできる。そう、当人に気づいて欲しい」と
筆者の熱い願望を述べています。