1月9〜10日 夢や目標をもつことはどのように大切か その2
1月9〜10日 夢や目標をもつことはどのように大切か その2 白井利明教授執筆
4 やる気を失う子供
この単元の「やる気を失う」子供がどうして出てくるかは、通読していて関心のわく事項です。
例えば初めて英語を習い始めたときなどは、中一の生徒の関心はかなり高いと思いますが
、習う動機もなく 只教師に強制的に暗記ばかりさせられたのでは嫌気がさし、
ストレスの対象になります。その点私の場合兄貴から色々と教えてもらったり、
色んな参考書も見れて良い刺激になりました。西三の海岸に沿った 田舎の中学でしたが、
先生方はとても熱心で、高校へ行ってもしっかりついていけるようにと考えて頂いて
特に英語が好きで、自分でかなり勉強していました。ただしS先生は感情の起伏が激しく、
宿題をさぼった時殴られましたが、自腹を切って生徒のペンフレンドを紹介して頂いたり、
米国の女性を招いて米国建国の箇所を一緒に学び、生きた英語を学ぶことで興味の
方向付けをして頂きました。
大学4年の卒論で学校開放(米国のSCHOOL EXTENSION)を選択し
、向こうの教育官報を調べ 苦労しながら公立学校を利用した成人教育の二ュ−ディ−ル
政策頃までの歴史の要点をまとめ上げ提出しました。二人の指導教官にその努力に対して
予想以上の評価を頂き、手前味噌ながら、こんな俺でも
ここまでやれたという達成感にしたりました。 以上脱線してすみませんでした。
また筆者にもどります。
大人は時間が過ぎるのが早く感じる。年齢と共に早く感じる。筆者の娘さんが
中一になったときに
一日が早くなったのはいつ頃かと聞くと、小学5年生の時からとのこと。
学校の授業時間が増え、一日にしなければならないことがはっきりしてきたころだという。
自分なりに目当てや見通しをもって生活し始めると
時間が過ぎるのが早くなると筆者は推測する。自分なりの目当てや見通しをもつという
主体的態度は必要であるとのこと。
コ−チグでいう「どうありたいか」(being)、「何をしたいか」(doing)
のことを想起しました。このような大切なポイントを自覚して行動していけば
毎日に張り合いが出るし、今日よりも明日、明日よりも明後日を良いものにしていく
という人間の成長がある。自分の人生に責任をもつことになり、これもまた大人への
第一歩と筆者は考えます。
ところが、これは、現代社会ではなぜか、私たちの時間を早めてしまう。時間はどんどん
早くなって忙しい毎日が待っているだけになってしまうと指摘します。
大人になると、もはや自分のしている行為そのものだけでは楽しめず、
その見返りを求める。目標をもったり、見通しをもったりすると、現在の行為は、
手段となってしまい結果を求めてしまう。
筆者の見解では、目標をもったり、見通しをもったりすることは今だけを生きていた
子供から、主体的に日々を生きていく大人に脱皮することなのであるが、
同時に行為の結果を求め、その結果が出なければ
やる気も失せてしまうようなものになってしまう危険性も出てくる。
(思春期の生徒がまさにそのような危険にさらされていることを自殺等に私自身直面
してその実感を想起しています。勉強する意味が分からなくなっている時教師が
受験の圧力をかければ自殺や非行に走らざるを得なくなります。大人の場合かなりの
ストレスを受けても、ある程度自分なりの逃げ道を工夫してある程度の対処も
可能ですが、思春期の彼らにはなかなかそんな対処は困難です。
私がまだ青二才の教師のとき、教えた生徒には、試験では、赤点すれすれの低空飛行で
うまく逃げても、ある時仲間と授業をサボってマ−ジャンしているところを
通報されて、謹慎処分をくらった舘ひろし君とはその直後少し話ししたときが
ありました。屈託のない好青年で、時々授業で
ダジャレを言ってクラスの皆を笑わせました。海賊倭寇のような風貌でみなに
好かれる人柄は在学中にスタ−性を秘めていたと思います。でも彼のような生徒は
異色中異色です。)
続いて筆者は、すでに紹介しました「OECD生徒の学習到達度調査」にコメント
しています。
日本の子供は、この結果でみると、成績(学力)は世界上位なのに教科が好きか
勉強の自信はどうか、将来に役立つかを聞くといずれも世界最下位に近いとのこと。
筆者のコメントは以下のとおりです。
その理由(両方のギャップ)は、単純ではないが、一つには、今の子供が早くから、
ここで述べた意味での大人の心性になってしまっているからではないかと考える。
勉強に向かって「お−い」と叫んでも何も返事がない。つまり勉強すること自体に
もはや意味を感じることができなくなっているからではないかと思うのである。
私もこれに賛成します。でも教師側、その指導監督者やその上の教育行政の責任者にも
責任はあると 私もふくめてそう痛感しています。それではどうしたらよいのだろうか。
大人になる以上しかたがないことなのだろうか、との筆者からの問。
この先生も教育界で指導的立場にあれば、何らかの上記の見解の
他に あるはずですが、問題の核心に触れることを避けている感じがします。
最後に筆者は「目標の立て方」と「希望のもちかた」について言及しています。
この二つの事項の根底にある大事なことは「どんな価値観をもつか」ということでは
ないかと私は考えます。政治の世界でも、教育の世界でも、特定の政治家の価値観が
支配するようでは民主主義国家といっても、後進国か社会主義の成れの果ての歪んだ
形だけの民主主義に似たようなそれでは、多数の国民は不幸になります。
教育の場合でも教育政策は国民のコンセンサス(同意)がなくて権力で国民に
押し付けるようでは大事な言論、思想の自由などは抑圧されます。多様な価値観が
教育の世界でも尊重さそれてこそ各自の人権は保障されます。
筆者は、希望とは自分の望むものが実現しなくても期待し続けることと述べいます。
まさにしっかりと考え抜かれた価値観であればこそ期待し続けれると思います。
この件に関しては筆者は、ベルギ−の 心理学者ウイリ−・レンズの二つの目標 の
やる気を例示しています。一つは将来金持ちになる。そのためには、医学部に
入り医者になる。
そのために勉強する。 もう一人も医者になるため勉強するのは同じたが、
こちらは、将来多くの人を助けたいために医者になる。そして勉強のやる気は後者の方
が高かったとのこと。
筆者は、後者の高い勉強意欲の原因として「人のために」という価値観に注目しています。
このしっかりした価値観こそが困難に負けず期待し続けることが出来るのです。
但し、言葉でなく、教育の現場では如何にして生徒に心の軸になる信念、価値観について
指導するのか、そのつもりはあるのか、ここが問題と私ずっと以前から思い続けてきました。
筆者の指摘する生徒らが今の自分のしている勉強に夢中になっていても、
その意味が分からないでは、夢が実現する未来なんてあるのかと疑問を投げかけたくなります。
このことに関しては、別のブログで述べます。