9月8〜10日 気持ちが言葉になるプロセス その1 創価大教授 園田雅代先生執筆
9月8〜10日 気持ちが言葉になるプロセス その1 創価大教授 園田雅代先生 執筆
児童心理 8月号より
筆者は子供たちにとって、気持ちが言葉になるプロセスについて次の3つの大切な面を
指摘しています。
(1)子供が、自分には気持ちがあるとわかってていること
(2)子供が、自分の色々な気持ちを大切にしてよいとわかっていること
(3)子供が、自分の気持ちにふさわしい言葉を使えるようサポ−トされること
上記の特に(2)と(3)は、成長過程の中でアサ−ションにおいてまず自分の
気持ちにきちんと向かい合えることが、他人の気持ちも大切にする基礎として
大事な発達課題と感じました。
(1) 子供が、自分には気持ちがあるとわかっていること
筆者は「自分には、気持ちがあることをわかっていないことなど、果たしてあるの
だろうか」と
思うかもしれないが、小中学校の教師と子供とのコミュニケーションについて
話し合うなかで、そういった危機感に近いような意見を聞くことがあるとのことです。
例えば、はたで見ていて、その子供が明らかに嫌な気持ちをしていのんじゃないの?
嫌いなら、ちゃんと嫌いだということを相手に言葉で伝えていんだよ」などと声かけ
しても「別に−−−」 「嫌いじゃないし−−}などと反応する。それは決して
「自分の嫌いな気持ちをちゃんと感じとってた上で、それを我慢しよう」といぅ
セルフコントロ−ルができているのでなく、自分の気持ちにそもそもあまり実感を
抱けていないような感じだという。そしてそういった
子供がある時、急に切れて暴れたり、あるいは心身の調子を崩して学校に来なく
なったりすることもあるという。
また、ある中学のの先生が、進路や成績についての三者面談に関して、「前は教師の前で
親子が反目したり、言い争ったこもあったけれど最近はそういうことがめっきり減った。
でも親子がちゃんと 話し合っているかというとそうでもない。親の言うことに
当の子供がどう感じているのか、それが読み取れない子供が増えた印象を受ける。
”君自身の意見は” ”親御さんの意見に君はどう感じているの?”などと子供に話を
振っても”あ、べつにそれでいいです”などと他人ごとのように
返事をしたりする。結局、子供の気持ちや本心が分からずじまいになったつもする」
と言われたことがあるとのこと。
安易には論じることはできないもの、もし自分に気持ちがあることをリアルに感知
できていない子が増えているとしたら、そういう子が概して「気持ちを言葉にできない」
のはごく当たり前のこととなる、とのこと。逆に子供が自分に気持ちがあることを
体得していくのは、どんな過程を踏むのか?
次のような子供の生育過程でそれを習得することを述べています。
乳児が入浴中、気持ちよさそうにしているとき、大人から、『お風呂、気持ちいいよね。」
と声かけをされていくことを通じて、幼児は、「ああ、こういう感じを気持ちよい
といいうんだなあ」と感覚的につかんでいく。また、急に大きな物音して乳児が
怖がって泣いたりしたとき、大人が、「怖かったね。びっくりしたよね」とか、
あやしながら「でも、もう大丈夫だよ」などと言葉をかけたりすることによって
「怖い」 「びっくり」 「大丈夫」ということばが、自分のある状態を表現する
ものだと受け止めていけるようになる。
こうした日々の集積が、乳児の、聞いて理解できる言葉を増やし、ひいては
自分の話す言葉につながる。このように、自分の気持ちにふさわしい言葉を大人から
投げかけられることを通じて、子供は自分に気持ちがあることを把握し、
同時にそれに見合った言葉などの表現を学んでいくこともできる。
それが一般的な発達の道筋であることを考えると、「自分に気持ちがあるとわかって
いない感じのする子」とは、筆者は次のように考える。
(やや乱暴な総括となってしまうが、と前置きして)自分が気持ちを表出したときに
周りの大人から適切な関わりをもらえないできてしまった子供と言えるのかも知れない
とのこと。
例えば、子供が気持ちを表しても、いつも大人から無視されたり、悲しい時に
泣いたりしても「泣くんじゃない」と罰せられたり、本人が落ち込んでいる時に
嘲笑されたり、といったようなことが日常的に続くとしたら、その子にとって、
自分の気持ちが自分に親しいものとは思えず、異物化していくことは、想像に難くない
とのこと。(まさにすでに幼少期で経験する自己疎外感なのです)
ですから、自分には気持ちがあるということに「安定した足場をおきにくくなってしまう」
ことだろうと筆者は述べています。このような具体例を本人のプライバシ−に留意し
て語っています。
カウンセリングで会ったある人が「多分もの心がつくような幼い時から、自分で自分の
気持ちが分からない感じになっていた。いつも親が喜ぶように、親に怒られないように
と気を張って暮らしていた」と、例えとて次のようなエピソードをを語って頂いた
とのこと。
幼稚園の頃、親の誕生日に粘土で手作りのものをプレゼントした時に「ありがとう」
と親に受け取ってもらったものの、ふとみたら、ゴミ箱に捨ててあったという
その時、「とても変な気持ちがしたけれど、それを親に言ってはいけないととっさに
思って、その後もずっと何でもないふりをしていた記憶がある」とのこと。
また、小学校の頃、テレビでお笑い番組を見ていて思わず大声で笑った時「はしたない」。
そんなくだらないもので喜ぶなんて」と言われ、それもあってか、
家庭内で自分が笑ったりするのも、親が笑っていたらそれに合わせて笑うという
癖がついたという。このような癖は、自然に身につくと思いやすい。
しかし、「自分には気持ちがある」とわかっていても、それか゛阻害されることもある。
つまり、周りの大人から自分の表出する気持ちを受け止めてもらうという関わり
があってこそ、その気持ちを大人に伝えることが成り立つということを、
第一義的におさえておきたい、と筆者は述べています。
◎ 周りの大人の「本人を暖かく包む包容力」がその後の人間形成「発達課題の克服」
に関係することを痛感しました。ある若者の集会で、ある女性の職場で、
自分の気持ちも、思いも皆に合わせていくいくことが苦痛と訴えていたことを
想起しました。