8月17日 顔の張と心の張 障害児の保育現場で重症を負った60代の保育士の面接で感動したこと
8月17日 顔の張と心の張 障害児の保育現場で重症を負った60才代の保育士との
面接で感動したこと
この労災事故につきましては、今年の5月4日の社労士のブログに掲載されています。
今回の記事は、お盆前に本人とカウンセリングをしたときの印象を綴りました。
前回本人とお会いしたときは、事件の翌月で、まだ怪我の痛手がかなりあったせいか、本人の表情も硬く
生彩を感じませんでした。しかし、お盆前にお会いしたときは、何か別人の感じさえ受けました。
先月の主治医の先生から診せて頂いたX線写真で心配していましたが、かなり痛みがとれていくようで
元気そうでした。「顔に張があるね」というとうれしそうでした。色々ととお話している中、本人の主訴を
聴くことができました。事件の起きた時、11歳ながら体格のよい女児に膝の裏を不意に、強く
キックされ、靭帯損傷、骨折の大怪我ですので、激痛が走って誰だって悲鳴をあげるところです。
でも声を上げず激痛をこらえて起き上がったそうです。もし自分が悲鳴をあげれば、そのダウン症児は
たちまち、「悪者」にされ、スタッフから叱責され、それこそその女児の人生にトラウマのようなしこりを
残すことを瞬時にひらめき、大事にならないように我慢したとのことです。
プロの保育士の魂を感じると共に、こんな苦境の中でもこんなことまで思いやれる愛情の強さも
同時に痛感しました。 100%もとの体にもどれないにしても、かなり現場の仕事を自分の体調に
応じてこなしていくのではないかと、理事長も同感しています。それが心の張として顔に出ている
のです。 なお、私個人としは、この保育士のような自己犠牲的愛情を他の保育士の方々にも
要望するつもりはありません。今回苦痛の中で瞬時感じとったことは、まさにロジャース氏が説く
本人だけに当てはまる「心的事実」なのですから。
他の保育士の方々も生活がかかっていますから、この人のような思いやりよりも、自己防衛が
まず出てしまい、痛みをこらえることなく叫び声をあげ、加害者の子供の叱責、事故に対する責任の
追求問題も出てくると思われます。 この問題は勿論時期を選んで、慎重に話し合いをして
再発防止が不可欠なことは皆さん認識しています。
しかし、今回の記事は、カウンセリングの観点から述べてみました。