8月30〜31日 不登校ゼロは本当によいことなのか 増田健太郎(九大教授)執筆

 

        8月30〜31日 不登校ゼロは本当によいことなのか 増田健太郎(九大教授)執筆

                          教育と医学 2015 9月号より

   特集1 不登校のこどもに何が必要か

   私は、日頃引きこもりの集会に関わっていますし、教職員の経験もありますので

   特にこの表題に関心をもっています。現職中には、不登校生の家庭訪問をしたことも

   ありましたし、欠席しがちながらも、私の青年心理に関わる倫理の授業には関心を

   もってくれていたと思っていた矢先自殺した生徒のこともあります。当時の30代の

   青二才の自分は無力さを露呈し、とてもつらい辛酸をなめました。 

   「人はやさしそうでいても、いざという時に裏切られる。だから人を信じていては

   いけない。」こんなつらい経験が今の私の心の中に焼き付いています。

       ですから、一般の教師の方々と同様に、当然「不登校」なくすべしと考えます。

   しかし、今回の増田先生の提言された発想も記事を読んでいく中で、視点を変えて

   考えることも意味ありと思いました。 冒頭の記事は以下のとおり。

   「子供たちの明るい声がこだまする学校は素敵である。学校での研修や調査等で、

   幼稚園から高校までいく機会が多いが、どんなに疲れていても、子供たちの澄んだ瞳

   と明るい笑顔に接すると元気が出る。日本だけでなく海外でも同じである。−−−

   フィンランドのオウル市で、小、中、高の先生の家にホ−ムステイしなから総合学校

   で授業観察や授業をさせてもらったとき、子供たちの澄んだ瞳と笑顔に何度も

   救われた。−−− 調査訪問できる学校には、日本も海外も五つの共通の要因がある。

   一つ目は、校長の理解、二つ目は、先生同士の協働性である。三つ目に先生の

   自然体である。(よいところも悪いところもオ−プン)、四つ目は先生や子供たちの気持ち

   よい挨拶、五つ目は、学校がきれいである。

   ◎ 日本、海外の学校の共通点で大切なことは、先生同士の協働性、腹を割って

     何でも話せる信頼関係のこと。職員のチ−ムワ−クの質なのです。

     管理職が安部さんのように日教組を敵視するような人だと会議で考えていることを

     言おうとしても、即座に反発されたり、日頃管理職にごまする者が同調する意見を

     述べるなど議論にならないことがよくありましたし、最初から職員の意見を聞く気など

     なく、「お願いします」でゴリ押しするところが結構ありました。

           これでは、教職員が学校での諸活動、いじめ、不登校、自殺などに対して連帯責任

     などもてる訳がなく、事件後の県教委や学校長の記者会見時の釈明も

     「命の尊さ−−}といってうそぶく(真意を隠した)演技をして責任の所在をあいまい

     にした発言が一般化しているのが実状です。

     ところで、表題の「不登校ゼロは、本当によいことなのか」について増田先生は

     「このまま少子化が進めば必然的に不登校生徒はゼロになる」と現場や行政当局に

     対して皮肉をこめて語る一方、1980年代に旧ユ−ゴスラビアのイヴァン・イリイチの

     提唱した「脱学校論」の徹底に言及しています。 彼は、カトリックの司祭でしたが、

     官僚的、専制的なバチカンに反旗をひるがえした人です。

     この著者についてウィキペディアにによると

     以下のとおりです。「学習者が内発的に動機づけられて独学するためには、

     学校という制度的な教育機関を超越することである。つまり教えてもらう制度、機構

     である学校からはなれて自分の学び、自分育てとしての学び、すなわち独学を

     とり戻すことである。」

     画一的な教育現場から解放されて「自分の学習の場」をとり戻す、何かフリ−スク−ル

     を想起させる感じがします。

             この脱学校論について増田先生は、次のようにコメントしています。

     「現代的にアレンジすると、学校という物理的建物をなくし、ITを駆使して、ネット

     環境の中で学校を構築し、家で学習させることである。その方が教育予算もかからず

     不登校もいじめも教師のうつも、保護者のクレ−ム、そして子供の自殺もなくなる

     かも知れない。」 

             「”不登校児童生徒をゼロにする”ことを目標にしたり、それを自慢する校長が

     いたりする。それは、子供たちや保護者に有形無形の圧力となっている。担任が

     不登校の子供を迎えに行く。毎日学校に来るように電話をかける。担任が電話を

     かけても学校に来ない場合には、校長が保護者に電話をかけたりする。 

     熱心であればあるほど登校刺激をする。それは、不登校の子供たちや保護者に

     とって”強いメッセージ”であり、最悪の場合、取り返しのつかない悲劇を生む。

     その最たる例がいし゛め自殺である。−−−もし、不登校になっていたら尊い

     生命は守られたはずである。大きな悲しみと強い憤りを感じざるを得ない。

     ”学校に行かない権利”があること”を強調したい。」

    ◎ 私のコメント  学校側は、上からの目線で、不登校生側に対して、ただ学校に

    来なさいでは能がなさすぎると感じます。学校内の状況の把握をしつつ、どんな

    対応をするのか、特に該当児童生徒の人間関係、それに関わる困り事、悩みなど

    大切なのですが、このようなことがおろそかになっていて、後手になってしまう

    ことがよくあります。教育を受ける権利は、基本的人権の中の社会権にふくまれ

    憲法25条の生存権(人間として生きる権利)に関わってきます。

    教育基本法でも国が教育条件の整備義務を負うことが規定されています。

    増田先生の言われる「安心して学べる場所」もこの内容に合致します。

 

    さらに続いて先生は、以下のことも言及しています。

    人間が二人以上集まるとトラブルが起きることは当然のことである。

    そのトラブルから子供たちは「何を学ぶか」、教師は「何を学ばせるか」が大切である。

    その前提としての学校は、『安心・安全な場」であり、生命が保障される必要がある。

    子供たちにとって学校に行って学ぶことは、「権利」であり、教育行政や学校・保護者は

    子供たちを学ばせる「義務」がある。その権利と義務の条件は、学校が『安心して

    学べる場所」であることである。「不登校児童生徒ゼロ」は、目標でなく、あくまでも

    「結果としてのゼロ」である。

     最後の「不登校の問題」についての先生からのご提言、問題の核心を突いていると    

     痛感しました。その時々の対症療法でなく、しっかり児童生徒に目線を据えて

      彼らの教育を受ける権利を保障する「安心して学べる」居場所づくりこそ

      急務であることを再確認しました。

 

           なお上記のことに関連した朝日の記事「新学期 不安聞かせて」

      NPO 「一人で決め行動する前に」を別のサイトで掲載するつもりです。

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