7月4~5日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その3
7月4~5日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その3
滝川先生執筆
▲ アタッチメントの双方向性
人間のアタッチメントとカルガモのそれとでは、、人間ではカルガモほど機械的でないと
というにとどまらぬ決定的な違いがある。カルガモのヒナは生まれてからすぐから
運動能力があって自力で(勝手に)に親鳥に接近して安全を護れる。
人の赤子は運動能力がなく、たとえ接近を求めても自力では出来ない。
人間のアタッチメといえようントには同じ霊長類であるアカゲザルが示したのと同く
身体の接触(抱っこなど)が重要な役割をもつけれども、人の子では、親の方から接近して
抱かない限りそれが成就しない。カルガモのアタッチメントが子→親という一方向なのに
人のそれは、双方向性によって成り立つ。この点では、双方向性を本質とする性愛の
力として捉えたフロイトの発達論の方が急所をおさえていたと言えようか。
或は、高度に相互依存的な生存様式を進化させた人間におけるアタッチメントは、
カルガモのような安全の確保にとどまらず、養育者との情緒的絆を結ばせる力として
働くようになり、小児欲求の概念と重なるものとなったとかんがえてもよかろうか。----
自力でアタッチメントできないのは生存に不利にみえるが、そうとは限らない。
(カルガモの場合)弱いそれができないヒナは、親鳥にとっつきそこなって淘汰される
ほかない。しかし、人間の場合、子供のアタッチメントが弱くても親の方が接近して
アタッチメントを成立させるため、淘汰されることはなく、そこから関係を育むことが
できる。
◎ ここでも、たとえ生まれつき弱い個体でも自閉症スペクトラムになるとは限らない。
内部環境の親との関わり(アタッチメント)でカバ-される救いの道が開かれている
ことで母親の養育の仕方次第で明暗が分かれるということです。
私は、最近ブログの労務管理の分野で「埼玉の所沢市の保育所」での2才児までの
園児は、下の 子が生まれると退園しなければならない事件について書きましたが
このような滝川先生の記事を読んでいると、待機児童を理由に機械的に退園させる
行政側の配慮の欠如を想起しました。(6月27日のブログ)
▲ 自閉症スペクトラムの生じる 必要条件
滝川先生はこのことについては以下のように述べています。
医学゛いう原因、病因とは、その疾患(障害)が生じる決定条件でなく、「必要条件」を
指す。例えば、結核の場合では、結核の病因は結核菌とされていても、それに
感染していても、殆どは発病せず、発病を決定づけるのは、栄養状態や免疫力の
いかんである。つまり、結核菌は、発病の必要要件であるが、感染して、その時の
負荷条件として、栄養状態が悪かったり、免疫力が低下していて発病する。
このように必要条件に負荷条件が加わって発病の決定条件が生まれ発病する。
従ってこのような3つの条件をきちんと分けて考えないと原因論(病因論)はいたずらに
混乱するとのことです。
私自身、自閉症スペクトラムの人、パ−ソナリティ障害の人等の
カウンセリングをしていた時を想起しますと、その通りと思います。
家庭の生育状況のことよりも、「心の傷」として焼き付いている「いじめ」のような主訴に
こちらの注意がいってしまって、決定条件の過程のことがおろそかになっていた
ことを反省します。「森を見て木や枝葉をみる」このようなことをないがしろにしていては
問題の解決の支援など不可能です。
それでは、「自閉症スペクトラム」をもたらす必要条件とはなんでしょうか?
フロイトの発達論に照らせば、性愛的な希求の力、接近の力の弱さとの先生の指摘。
これらの力が十分にある子どもは、何があっても、少なくても自閉症スペクトラムに
ならないだろうとのこと。
ではもう一歩踏み込んで、この弱さをもたらす必要条件は何であろうか?
すでに触れたこの力の多寡は、おそらく多因子遺伝によって規定されるため、力の
こそが強さが様々な個体の正規分布をなすと考えられる(その分布の中で必ず弱い個体が
ある確率で出てくる)とのことです。この考えが妥当なら、この遺伝のしくみが、性愛的な
希求力の弱い子の生まれる必要条件と言える。事実遺伝学的研究からは、多因子遺伝に
よって形成される何らかの素因こそが自閉症スペクトラムをもたらす最も有力なリスク
ファクタ-と見られている。その何らかの素因とは、具体的には性愛的な希求力の弱さと
考えれば辻褄が合わないだろうかとのこと。あるいは、このテ−マのブログその2の
< 小児性欲とアタッチメント> に出ているボウルビ-の理論にたって、アタッチメント
(愛着)の力の弱さとしてもよいだろうとの先生の見解です。
乳児の気質研究は、乳児の活動性、反応性、感受性ツ感覚性などには、出生時点で
大きな個体差がある事実を明らかにしている。それらも多因子遺伝で規定されるためで
あろうとのこと。小児性欲、ないしは、アタッチメントの強弱も、そうした気質の個体差の
一つとして考えればよいと指摘しています。
さらに先生は、精神発達については、白紙で生まれた子供のめいめいの個性が書き込まれ
ていくプロセスというよりも、出生時は各自まちまちで、大きな個体差をもっていたが
精神発達のプロセスを経て次第にその社会の多数が共有する定型発達に向かって均されて
いくプロセスと考えた方がよい。---出生時では、小児性欲とかアタッチメントの力が平均を
割っていた子供でも、養育者の性愛的アプローチにバックアップされて、多くの場合
徐々にその力を伸ばして平均的な圏内に収まっていく過程との見解です。
(この箇所でも先生の見解として、出生時の個人差が養育者の育て方次第で平均的な
圏内におさまるという家庭内の養育環境の影響力が力説されています。)