6月18~ 20 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム そだちの科学24より
6月18~20 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム そだちの科学 24より
その1 滝川一廣先生執筆
この自閉症スペクトラムと聞くと、北区のNPOで数回カウンセリングしたHさんのことが
気になります。 月曜日の若者の「低空飛行の集会」でもこの病状の人がいました。
すでにブログで書きましたように、最初の頃は、こちらも、どう話を進めていいのか
戸惑いを感じ、対話が途絶えてしまうこともありましたが、とっさに描画法を想起して
それを導入することで、対話が進ました。漫画の世界のことは全くわかりませんが、
刀をもったたくましいキャラクターの絵であり、いじめのトラウマの裏返しとして
「自分もこんな強い人になりたい」という願望を象徴する絵でした。
このことがあって後、「自閉症」のことも色々と学んでいますが、今回のそだちの科学の
滝川先生の記事も参考になったことがあり、ブログを書くことにしました。
▲ 精神発達とは---滝川先生の見解は以下のとおりです。
子供は胎内では全く知らなかった世界に生み落とされ、その世界を知り、その世界と
関わりを結んでいかねばならない。未知の世界を子供が知ってゆき、関わりを深めて
ゆく歩み、それを精神発達と呼ぶと考えてみよう。
知るためには探索が必要で、関わるためには接近が必要である。生まれた時から
子供は探索と接近の活動を始める。
◎ ここでは至極当然のことが述べられていますが、成長過程の中で、発達障害のみ
ならず、その他のXX障害の問題を考察していくに当たっての大切なポイントが
指摘されています。好奇心をもって母親などに接近したり、探索して色んな体験をして
学習するこの過程こそが人格形成の土台になります。
生まれた時から子供が探索し、接近しなければならない世界とは、たんなる物質的
自然界ではなく、人間だけが社会的に共有している意味(概念)や約束(規範)によって
構造化された観念の共同世界である。人間は、その世界をいわば「第二の自然」として
生きている。このため精神発達は、そこで共有されている意味や約束を通じて知る
認識の発達(知的な発達)とその社会の中で人と相互依存的に関わる「関係の発達」
(社会性の発達)との2軸から成り立っている。前者は主に探索によって、後者は主に
接近によって進められるが、別々に分離したものでなく、二軸は互いに支え合っている。
世界を認識的にとらえるためには、すでに認識を獲得している大人との交流が必要だし
社会的な対人交流のためには人に対する認識的な理解が必要だからである。
このことは、精神発達とは、その社会における意味や約束の在り方(文化)に規定された
学習的な性格を帯びた過程であることを意味している。その点、----身体発達とは
異なっている。精神発達は、時代、社会、文化をこえた普遍性はもたない。------
絶対普遍の真理などありえず、発達論はそれが生み出された時代と社会の関数として
読み解きながら活用する必要がある。
◎ 主観的な権威に支配されるのでなく、実証的に獲得されたエビデンス重視が
その例かと思います。心理療法でもその傾向が強く出ています。
▲ 発達のおくれが生じるわけ
精神発達の歩みは、認識の発達レベルも関係の発達のレベルもほぼゼロに近いところから
始まる。しかし、マラソンで一団となってスタ-トした集団が次第に各自の脚力の差によって
長い列にばらけてくるのと同様に精神発達の歩みにも、はやい、おそいの大きなばらつきを
生じる。その個人差ははやい、おそいの質的な差で二分されるのでなく、はやいものから
おそいものまで切れ目のない連続性をもった量的な差として現れる。これは、発達の脚力が
少数の決定的な因子によってでなく、一つ一つの決定力は弱い非常に多数の因子の重なり
によって決まるものと考えられる。(多因子遺伝)そのような多因子の重なりによって決まる
ばらつきは、確率論の教えるところでは、基本的に連続性をもった正規分布をなす。
この事実は、精神発達の歩みが平均よりずっとおくれ、正規分布のはずれのほうに位置する
者が「自然の個体差」として必ずある確率で生じることを意味している。
これが、なぜ発達におくれが生じるか、の問への本質的な答えと滝川先生は指摘します。
むろん、自然の個体差以外にも 精神機能は脳を物質基本とするから、脳に障害があれば
その負荷から精神発達の歩みが遅れることもある。精神発達は単に生物学的な成熟でなく
社会的な学習に大きく依っているから、* ネグレクトのような極端な環境不全があれば
それが負荷となって発達が遅れることもある。*親の養育拒否
しかし、逆は真ならずで、発達のおくれは、すべてが脳障害、ないしは環境不全から生じる
わけではない。また、脳障害やネグレクトを被れば、必ず発達が遅れるとも限らない。
もっとも、発達障害には決まった定義はないから、「発達障害とは、脳の障害である」との
定義もよく目にする。しかし、ここでは、自然の個体差、脳ないしは環境の病理によるもの
であれ、「精神発達に何らかの遅れが見られ、そのために生きにくさにぶつかっている
状態」という定義に立って考えを進めたいと先生述べています。
◎ この発達のおくれの記事についての感想
発達障害とは、脳の障害とか、環境の病理(親のネグレクト等の起因による障害)に
よるもの、というように決めつけるのでなく、たとえそのような障害、環境に問題が
あっても必ずしも「発達のおくれ」にならず、今後のそれらの治療 、心身のハンディを
癒していける環境づくりにより改善の余地ありと感じました。
現状の病状の重荷に打ちのめされることなく、完治とはいかないまでも、完解を目指す
障害者方々のためには、、希望を抱いてたとえ歩みがのろくても、私自身病理のこと
障害者の方々の直面する、家庭や職場環境の問題についてさらなる学びをして
サポ−ト力をレベルアップしたい気持ちに駆られます。そのためには、家庭の療育に
関わること、就労の準備段階で困ったことなどの生の声を傾聴していきたいと日々
考えています。
▲ 自閉症スペクトラムとフロイトの発達論
発達障害が精神発達のおくれならば、発達理論の力を借りて、その理解と支援の道を
さぐれるはずである。先に精神発達は、認知の発達と関係の発達からなると述べたが
前者のおくれが前景に出たものが知的障害、後者のおくれが前景に出たものが
自閉症スペクトラムと呼ばれる。一方、発達理論では、認知の発達をたどった古典が
ピアジェの発達論で、関係の発達をたどった古典がフロイトの発達論である。
そこで先生は、自閉症スペクトラムをフロイトの発達論と関連させさせながら
考えてみたいとのこと。但しこれは自閉症を精神分析するという意味ではない。
フロイトの発達理論は、生物学的な個体として生まれた子供がなぜ社会的・
共同的な存在となることができるのか、人間の関係性、社会性とはどんなプロセスを
経て獲得さ発達するのかを考える上で先駆性と卓抜性を備えており、そこには
現在も古びていない。関係(社会性)。の発達に大きなおくれを示す自閉症に
フロイトの発達論から光を当てることは可能なはずである。
但しフロイトの生きた時代と社会は現代社会のそれと同じでなく、精神発達の
在り方は変化しているから(その意味で古びた部分はむろんある)
フロイトの理論や概念を鵜呑みにあてはめるのでなく、現代の文脈でとらえ直し
ながら吟味しなければならない。まずはフロイトの発達論の吟味から始める
とのことです。