4月5日 統合失調症の幻聴、妄想の対処法の事例

 

         4月5日  統合失調症の幻聴、 妄想の対処法の事例

                       統合失調症のひろば 2014  NO3     薬でできること、できないこと

 

          前半は、臨床心理士 藤本豊先生の記事、後半は精神科医 星野弘先生の記事より抜粋します。

          NPOで少しカウンセリングしたことのある青年は、当時幻聴があって七種類の薬を

         処方されて 服用していました。果たしてそんなにも多く服用すべきものものなのか、

         この本を読んでいく中でその疑問が解けていくのを痛感しました。

 

          < ヒアリング・ヴォイシズという考え方>   藤本豊

 

        精神科の病気に限らず、病気を治したいと思うと誰もが薬に頼ること多くがなります。

        しかし、精神科の病気では、本人や家族の多くが、できることなら薬は飲みたくないと

       思っています。なぜでしょうか。

        それは、良くなったという実感よりも、ぼっととする、のどが渇くなどの副作用のほうが

        強いからです。

         治療効果>副作用ならば、つらい副作用も我慢して飲むわけです。

         しかし、副作用>治療効果 であれば服薬を止めることになります。

         精神科の薬は後者のほうが多く、症状の改善を自覚するよりも、副作用のほうが多い 

        ために、すぐにでも薬を止めたいと思うのが現状のようです。

 

                客観的 診断ができない病気

         精神科の診断の多くは、「主観」に頼っています。本人の「意地悪されている」 

       「声がきこえる」と いった主観的な訴えについて、医師がそれは事実でなく、

       「被害妄想」と考えれば、治療経験 から「統合失調症」などに診断します------------

         -------精神科の場合は、患者と医師が「主観的」に病状を判断して薬を調整するので

        両者の主観が一致しないと「薬が減ってから調子が悪いので

        もとに戻してほしいと先生に頼んでも、これが適量だと言って変えてくれない」

        「声が聞こえると先生に話したら、幻聴があるなら違う薬に変えようといって薬が変わった」

   という ことが起こります。幻聴や妄想といった症状によって統合失調症と診断されますが、

   これを血液検査のように客観的なものとして症状を判断するのは困難です。-----

   インフルエンザであれば、人によって処方内容か゛大きく異なることはありません。

          しかし、統合失調症の場合は、処方内容も薬の効き方も一人ひとり違ってきます。

 

             ▲    薬以外の治療法

               薬でうまく治療できないのであれば、薬以外の治療方法で病気とうまく付き合うことが

               大切です。--精神療法と言われるカウンセリング、sst(social skill training)

               認知行動療法(cbtなど各種の療法です。

              これらを受ける場合も、どのような部分を治したいのかを考えて、としっかり病気と

     向き合うことが大切です。著者は、「病気のことは医者に任せていればそのうち治る」

     と考えずに「自分で病気の特徴をつかみ、悪い時の症状はどんなものがあるかという

     ことを自分なりに 理解していくことが必要となる」と述べています。

                まさに自分が治療の主体となって自分の病状を客観的に見ること(外在化)の実行

                です。この外在化という用語は、CBT(認知行動療法)でしばしば出てきます。

                 この実践例が次に出てくる「ヒアリング・ヴォイシズ」(HV)です。

                 この 手法は、妄想や幻聴を病状と切り離して見ていく考え方で、健常者だって

                 幻聴はあるという立場に立っています。

 

                  ▲    ヒアリング・ヴォイシズとは

                   ヒアリング・ヴォイシズ(HV)では幻聴、妄想はだれにでもある体験だと考えます。

                 聞こえてくる声をこのように(HV)と呼び、声が聞こえる人をボイス・ヒアラ-と呼びます。

                 「幻聴の世界」(日本臨床心理学会編)2010 の調査では、「普通の人の6%が誰も

                  いないのに、声を聞いたと回答し、海外でも4~6%の人に同様の経験があるという

                  報告があるとのことです。HVでは、声を聞くことはだれでもあるので、その体験を

                  しっかり受け止めることが大切と考えています。そしてその体験を真摯に聞くことで

                  声に振り回されずに暮らしていける方法を一緒に考えていきます。

 

                  HVの例会は、声のことを誰にも遠慮しないで話し合える場です。声について話すことで

                  声を客観化でき、恐怖の対象として声をとらえるのではなく、声との関係をつくる

      ことで、 声に邪魔されずに生活していくことが徐々に可能になるとのこと。

                 「病状が悪化したために声が聞こえる」と思うのでなく、体調が悪い時に自分の弱い

       部分が 痛くなると同様に、体調が悪いから声が聞こえてくるのだと考えられるよう

       になるとのことです。(病気だから声が聞こえるから解放されて気が楽になる)

                   この例には、CBTの指導がされている感じがします。

                  体を動かしながら気分をほぐすことも効果を発揮できます。これをしているメンタルに

                   ハンディのある青年から聞いています。

                     2013年のメルボルンの「ヒアリング・ヴォイス国際会議のプログラムで、ある幻聴

                   体験者は、「一人でも声 とうまく話せるようになり、声との関係も変わりました。

                   今声のうしろに隠れている声の意味を理解することができるようになって、

       前向きに声と  一緒にいい関係をもてるように努力しています。」

 

                     声が聞こえる体験を統合失調症の症状の「幻聴」とは考えて治療の対象とした

       ときは、上記 のような「声との関係性」をつくることはできません。 

       声が聞こえるのは本人にとって  現実のことですから、その体験を否定せずに

       理解しようとする姿勢が大切と著者は 述べています。

                     例会では、その体験者が赤裸に語るとのこと。参加者はその体験を熱心に聞いて

                     「そりゃ大変だねぇ」 「よく我慢できるねぇ」 「楽しそうね」 「がまんしないで

        ここで 話せてよかったね」」と言った感想を率直に伝えるとのことです。

                      当人は、「声が聞こえるのが現実なのか、時々混乱してしまう」

                     「もしかすると現実ではないかも知れないと思う」と声と現実の違いを話せる

        ようになって いきます。 」

                    このような暖かい支援の中で立ち直っていく様子が生き生きと感じられます。      

4月8日 続 統合失調症の幻聴、妄想の対処法の事例

 

        4月8 日    続統合失調症の幻聴、妄想の対処法の事例 

                      統合失調症のひろば 2014 no3    

                      星野 弘 先生の「精神科医の技術とは」のインタビュ-記事より

                          ここでは、前半の「HV」のような事例とは異なっていて表題が示すように、

                    ベテラン医師が日頃の臨床現場で 、いざという時  身に着けている統合失調症

                     患者への対処法が焦点になっています 。

                        星野先生は、精神科医の「技術」として 表現しています。 しかし通読してみて

                   私は、単なるその場しのぎの対症療法でなく、、臨床現場から色んな辛酸をなめ

                   ながら築き上げた人間力を土台にした患者さんとの信頼関係の構築を志向した

                   対処法と思いました。

                   例えばインタビュ-の冒頭の言葉: 初発で入院する患者さんにとっては、初めての

                   精神科医との出会い、この出会い次第で後の経過が大きく変わると先生は考えられ、

                   ここでこじらせないようにすることが精神科医の『技術」と思っているとのことです。  

                   極力医者が権力で患者を抑え込むでなく、できるだけ信頼関係を築いていこうとする

                   意図を読み取れます。次の先生の初対面の患者さんの対応例 がそのことを感じ

                   させます。たとえ興奮状態と思しき患者さんでも『時間をかけて話し合いをして

       折り合いを つける」とのこと。その後で先生が 看護師の詰め所で患者さんを

       スタッフに 紹介し「この人は長いこといい睡眠をとっていなくてずいぶん疲れて

       いるはずだから、とにかく ゆっくり休ませてあげて下さい」と患者さんの前で

       申し送りをし、先生が患者さんの部屋 まで案内するとのことです。

       今まで自分の周りの人から冷たく扱われていた患者さんは

                   このような先生の言行に接したとき、どんな気持ちになるでしょうか?

                  まさに「しびれるような感動」を覚えると思います。

 

                  また、なかなか入院に応じない患者を連れてくる家族への対応例について

                  なぜそれまでの拒絶が治まるのか質問に対しての星野先生の回答

 

                  それは十分に話し合って「でも君、今疲れているだろう。それにずっと寝て

       いないでしょう。 寝ていないとどんな考えが浮かんできても不思議じゃないよ。

       周りのおしゃべりとか 視線が気になるよね。ひそひそ話は特にそうだ。なぜか、

       イライラしたり、怒りぽく なったりするよね。今のあなたは病気といえないかも

       知れないけれど、健康な状態 じゃないと思うよ。まずは、よく寝て休もうよ。

       たっぷり寝たら何かが変わってくると 思う。」という話から始める。

       そうすると比較的スム-スに入院できるのです。

                   『そんなバカなことあるわけないだろう。」 「気にすぎだよ」などといってしまうと

                   絶対に納得とは反対方向にいってしまうのです。」

                   ◎  患者の気持ちをよく理解した説得力のある言葉ですので入院に同意しやすく

                        なるかと思います。

 

                    ▲   幻聴をどうとらえるか    星野先生の見解

 

                      幻聴や妄想もなければないに越したことはない と軽々には言えません。

                      (ない方がもっとよりどころがない辛さがあります) ただ幻聴というのは、いっとき

                      本人を救っていることがあるのです。絶対の孤独-絶対零度の孤独を救っている。

                      声でもいいから対象があれば、一人でいるよりもいいわけですから。

                       幻聴の困るところは、やはりご本人への「脅かし」の要素があるところですね。

                        他者や社会や自分をとりまく世界がガラッと変わってしまうのですから、

        その不安や 恐怖、孤独を言葉で表現することは難しい。それが人の声を借りて、

        形を変えて出てくるのです。聞こえ続けていると、そのうち幻聴の意味ずけを

        始めるようになります。

                      (例 職場で自分だけが浮いたじ存在になってくると、仲間がヒソヒソ話していても

                       自分のことをうわさしていて、自分をのけものにしようと企んでいる)

                       これがサリヴァンのいう「妄想的色調」の状況になっていくのです。

        (追い込まれていく)

                       しかし、先生は、面接を重ねて患者さんたちは落ち着いてくると、意味づけを

                       少しずつ止めてしまったとのこと。(面接効果によって患者 さんの不安、恐れ

        などが 取り除かれ、幻聴が緩和されていった感じです。)

                       先生がA病院を辞める昭和63年まで、日本人はなぜこんなに妄想が少ないのだろう

                        と思っていたそうです。自分の担当患者さんで、幻聴、妄想があった患者さんも

                        退院するころには無くなっていました。確固とした妄想がある人は二人しか

         いなかった そうです。一人は先生が多分聞き出せなかった家庭内の問題で妄想を

         もっていた人。

                        他は、新宿のドヤ街で働いていて、アパ-トでゴミの山の中に暮らしていた 人で、

                         何かにつけて妄想的に解釈する傾向があったそうで、先生は、その妄想ことは、

                         真向から相手せずに、他のことに話題を向けるようにしていたとのことです。

                         しかし、退院してから患者さんたちは、この人も含めて妄想も、幻聴も

         残らなかった そうです。それは、幻聴や妄想の底にある苦しさや辛さをじっくり

         聞くことに時間をかけてから話題を転じて便通や睡眠、足の踵、爪白癬、

         体重の変動、気がかり なこと、病棟で困っていることなど身体や生活面に

         比重を置いていましたからとのことです。

 

                         ◎私の注目点 先生は、この人の「妄想」について 真向から相手にせず、

                           そのような「妄想、幻聴の背後にある本人の日常生活に関わる心身の悩み

                            辛さ、現況の闘病生活で困っていることに比重をかけていた対処法が

          患者さんとの 強い信頼関係を築き、敢えて医師が診断的質問をしなくても、

          患者さんから 治療に有効な自己開示が進み、本人の気持ちが楽になって次第に

          病状が癒されいった印象を持ちました。

2月25日 ロジャ-ス氏のカウンセリング記録の実例

    2月25日 ロジャース氏のカウンセリング記録の実例

        個人セラビ-の実際   加藤久子・東口千津子共訳 コスモライブラリ-出版

 

   この書はロジャ-スがMiss Munと1953~1955年頃面接した記録の中の17回目の面接を

   したときの記録です。

 

   このカウンセリングについてロジャ-ス氏は次のように説明しています。  

         彼女は、いくつかの理由で、援助を求めて私のところに来られました。

   来た当初は、緊張、疲労、抑うつ状態にあり、こうした身体的症状は、医師たちの見解では

   心理的要因に基づいていたものである、ということでした。

   彼女は、こうした症状を克服したいと思っていました。もっと心の平安と自己充足感を得たい

   と望んでいました。 

         この他にも、いくつか体験した恋愛がすべてうまくいかなくなったということでも、心を

   痛めていました。

 

   さらに、年老いた両親との関係も余りうまくいっていないと思っていました。両親に対しては

   常に彼らの要求を大事にする、非常に従順な娘だったのです。でも徐々に両親とのそんな

   関係に不満を感じるようになって来ていました。彼女がセラビ-を受けに来た主な理由は

   このようなものでした。

        ▲   私の追加

       上記の両親と本人との関係のことの他、子供の頃、父の実母である祖母と母とのことで、

        彼女が色々気苦労していたことも、カウンセリング記録から分かります。

   彼女は、母との関係は、良好でしたが、祖母は「姑」としては、最悪のタイプと

       述べています。

  「祖母は母の家に同居していたのに、とても支配的で、横暴で意地悪」

   そのせいか、彼女は、祖母が母に対してすることで腹を立てていました。

  そして、父が両者の間に割って入ってかんしゃくを爆発させることも時々あった

      とのことでした。

 

       < 私が注目したカウンセリング記録の箇所>

       ◎ 娘マンが両親に抱いていた相反する感情--愛しているのに嫌いな感情が湧いくるという

     アンビバレンスの心理状態

     * C----クライエントのマン    T-----カウンセラーのロジャ-ス氏

  C16    (前半略)    父について抱いていたこうした感情(祖母と母が喧嘩したときの父の介入)

      の中には、父とよい関係でいたいという気持ちがとてもあったんだと思います。-------

       父に、私を愛して欲しいと、とても思っていたことで、です。それでいて本当に望んで

   いたものは得られなかったようで。でも必至に求め続けて。多分今でも、ある面では

   求めているのだと思います。-------私が休暇旅行に行った時や何かによく---気がつくと

  父にプレゼントを買いたいなあと思っていたのです、まず、それを送りたいと。

       まるで---母なら分かってくれるでしょうが、とにかく父に何か特別なことをせずには

      いられなかった。(はい)しよう、しようと、し続けて----。

   T16    でも、あなたには、ずっと、そして今でもある程度------お父さんに

     とても---愛して欲しい気持ちがある。それが--あなたがする様々なことに影響

     及ぼしている。

 

   C17    はい、それでいて、ある意味、父は愛してくれているとも思います。というか、

   よくよくそう言ってくれていたんです。---それでも現実には、私には届いていない

   ように思えて。

    単に言葉だけ、口先だけのようで-----好きだといっても---すがりつけるようなものが

    ない、きちんとした心を預けられるものではなかった。私にとっては、とても恐ろしい

    ことなのです。

   T17   こういうことですか? あなたがおっしゃるのは-----お父さんはおそらく、愛して

   くれて いるが、少なくても届いていたのは、------好きだよという言葉と---あなたに

    対する 要求だけだった。(はい)(9秒沈黙)

   T18   お父さんの期待や要求に応えられないという絶望的な気持ちですね-----

 

          C19   だって、一つ期待に応えたと思ったら、また一つ々、そしたら全部応えられる

      のは、全く無理です。要求には際限がないみたいで。

          

   T19   丁度、今あなたが嫌いになっている状況と似ているみたいですね、そんな風に

      際限なく----飽くことなく要求され続けて、というのは。(30秒沈黙)

 

           ▲  以上の箇所についての私のコメント

 

    T17のロジャ-ス氏の要約(active listening)によるインパクトは、父の「好きだよ」と

    「父のあなたに対する要求だけ」の言葉にあると感じました。

    「父には、私に対する本当の愛はない」という意識をもって9秒の沈黙に続いている

     感じです。  

    そして  C18の彼女の「すっかり嫌いになって-----感情の明確化を引き出した感じです。

    T18の「絶望的気持ち」がまさにそのことを明示しています。

    さらにT19が「それに関しての更なるダメ押し」の感じです。

 

    以上のT17から19の対話の流れを一読しただけでも、これらの要約が

    active  listeningと称されているのが分かります。感情のどこに焦点を当てて

    明確化しているかが大事な要点と思いました。

 

      ▲  後半のカウンセリング記録C20~C26

          T19に続いて

   C20   父の母は、ああいうタイプの人でしたから、おそらく--ああ、父は、どの女性

   にも母親というものを求めようとしていたかも知れないなあ、と思います。(はい)

   父のやりかたは、---- 夫としての振る舞いは、母にものすごく色んなことを要求する

   ことだったんです。純粋に尽くすように求めるという意味でです。そのことでも、

   母をとても腹立たしく思うんです。母はそれに応えていたんです。 母が体を壊したん

   じゃないかと思うくらいまでです。  

   T20    それも、あなたが、女性に対して持つ感情というわけですね。ああやって------

            夫が尽くせとか助けよとか要求すると、それに服従するだけだった、と。(7秒沈黙)

          C21    そこでも、また思うんです。もし母がリミットを設けていたら、多分父も、

       それを受け入れていたのではないかと-----。でも母はそうしなかった。

    T21    お母さんが心の中で---「ここまでやっていいけれど、それ以上は無理」とでも

       いうことができたら、----そうしてうまくいっていたかもしれないと

                   感じるんですね。

    C22    父は母を尊敬していましたからね。母が実際に何らかのリミットを置いた時には、

    母を大事にしました。たまにはそんなこともあり、そうできたんです。-----

             私は、いつも何か母に似ているというような感じがしていたんです。母が従順で-----

              リミットを置かないでいるところにです。

 

    T22   だからある意味、こうしたこう感じるんですね。

      「私もこうなんだわ---お母さんがやったのと同じパタ-ンを繰り返している。」と。

    C23   それでいて、そのパタ-ンが嫌いで----母をとても愛していても、です。

                  利用されるままだったなあ。必要でないところでも、という感じです。(9秒沈黙)

            T23   「すべての要求に応じようとしているだけというやり方をする母を本当は

        尊敬していない」といっているような気がするんですが?(13秒沈黙)

 

            C24   そして、自分もそういう人には、本当になりたくないと思っているんです。

                        そういうのは、よいやり方ではないと思うんです。それなのに------

 

        私はそんな----  そうしなければいけないというようなやり方をやって

        いるんです。たくさん自分のことを考えてもらいたい、愛されたい-----

        そういった感情があるなら-----(はい)

             T24     本当に矛盾しているんですね。最初は「そうしたくない-----すべての要求に

        服従するような人になりたくない」と感じている。

      それなのに----それが愛される唯一のチャンスだとも感じている。(18秒沈黙)

 

              C25    でも、愛したいと思う人がいるでしょうか。

                     ------そんな気の抜けたような人を----。

               T25   誰が本当に愛するだろうか-----「ドアマット」(玄関先の泥落とし)

                         みたいな人を---ですね?                              (はい)

               C26    少なくとも、私はドアマットが好きだというような人に愛されたいとは

         思いませんけどね。

         (笑いながら) 27秒沈黙  そしておそらく母は、もっとうまく祖母と

         やれたと思うかも知れないんです。母は、求められたことを全部断る

         ことだってできたと思うんです。---

 

               ▲  後半のカウンセリングのコメント C20以後

    C 20   父の母に対する要求は多かった。それに従順な母に対して、彼女は腹立たしく

       思った。 そんなにまでもしなくてもとの思いを込めた感じです。

    T 20    マンの言ったことを要約して返しているが、7秒の沈黙の中で、彼女は

       「気づき」を得た。

     「母が父に対してリミット(限界)を設けていたら」と。それを受けてロジャ-ス氏が

      うまくリミットの意味を要約して彼女の気持ちの整理をし易いように語っています。

      まさにここでも、active listeningが機能している感じです。

    C 22        彼女は、ロジャースの要約に応答しながら彼女の心の核心に触れる

      「自分と母との類似、 つまり、自分も母のように従順で、リミットを置かない

       ことを開示しています。  それを受けて、ロジャ-ス氏の「母親と同じパタ-ンを

       繰り返している」との要約は彼女の心を深堀りしていきます。

 

           C 23 では、彼女のアンビバレンス(相反する感情)の開示へと進んでいます。母への

     愛と相反する  嫌いな感情。このような葛藤の中に彼女の自立を志向する心理状況が

     読み取れます 

 

            T23の要約「母を本当は尊敬していない」を受けてC 24で「母のように利用される

          ままの人に なりたくない」と述べています。

           しかし、その反面母のように従順なやり方をしている矛盾を開示し、「愛されたい」

    故に そうすると告白しています。

             T 24では、その矛盾を指摘し、「すべての要求に服従する人になりたくない」と

    いいながら、 服従するのは「それが愛される唯一のチャンス」とも感じていると

    彼女にとって辛辣とも  思える返しをして本人の真意に迫っている感じぐです。

            彼女は、自分の弱さ故に意志を貫くことができませんが、T24に反発して自分を抑え、

    相手に仕える一道具となった人を「気の抜けた人」(washy person)と表現しています。

    T 25では「マットのような人」(ドアマン)と皮肉っています。

             C 26では、「ドアマンを好きだ」という人はいないと反発しています。

     自分がたとえ父から愛されたいとしても、自分は、キチンとイエス、ノウの言える

     自由のある自立した人間なのだ、そして祖母と対立していた母もそうなのだ、

     そんな主張が彼女から伝わってくるのを痛感します。

   このMiss  Munkのように色んなハイディがあっても、心底に響くカウンセリング

   によって、「気づき」、「気力」を得て立ち直っていく事例に多大な感動を受けました。

   暖かい傾聴の根底となる人間力とは何か、自分自身もしっかり見直して行きたいと

   反省します。

   過日の若者支援の研修で意見発表したアスベルガ-の青年が自分は、色んなカウンセリング

   にも支援され、自分の未来に希望があるといった言葉を思い出しました。別れるとき

   彼は、次はエクセルをこなせるようにしたいと語ってくれたのが印象として残っています。 

2月19日 共感と治療的効果

 

   2月19 日 共感と治療的効果 現代における思春期臨床 青木省三先生執筆

         育ちの科学 2013 4月号より

 

          ▲    客観的な観察と主観的な体験の理解

           思春期の子供を診るとき、精神症状や障害特徴を見つけることに熱心になり、その子供の

           悩み、苦しみに目が向かなくなることがあるとのこと。

            ある女子高校生は、一年あまりうつ状態で、数か所の医療機関で治療を受けていたのだが

            いずれでも「気分が憂鬱ですか」などと症状については尋ねられたが、その高校生の

            悩みについては尋ねられず、薬だけが処方された。いつも親と医師が家での様子などを

            話し合うだけで、高校生は黙って座っているだけだった。

            「私の悩みを誰も尋ねてくれなかった。」と高校生は話したが、このようなことが

              起こりうるのである。------精神療法は、基本的に悩みや困っていることを理解しようと

             することから始まる。「大変だったね。」「苦労したね」などの言葉は、平凡なもので

              あるが、じっくりと話を聞き、主観的な体験を想像した上でねぎらう気持ちを伴って

               発せられる時、しばしば治療的になる。(タイミングのよい共感力の効果です)

               これらの労いの言葉は、夫婦、親子、兄弟が同じ屋根の下に生活していると、つい

               相互の自我の本音が出て、相互の欠点ばかり目に付きやすくてなかなか出ませんが

               このような言葉が出ると癒しの効果がでます。そのようなことを昨日会食した後述の青年

               に話すとうなづいていました。

 

     冒頭の子供を診るときの精神症状や障害の特徴をみつけるのに熱心になり、その子の

     悩み、苦しみに目が向かなくなるということに関して、青木先生は、発達障害の子供の

     例を挙げて、ここでも上記のような子供の内面の理解と共感について述べています。 

     アスベルガ-のような広汎性発達障害やADHD(注意欠如多動性障害)という診断名が

     ついたとき、医師は、「彼らがどのような気持ちで、何を考えて生きているか」

     ということに目が向かなくなる。つまり内面のことよりも、社会性、

     コミュニケ-ションなどの障害特徴とかADHDなら不注意、衝動性など行動特徴に

     注目がシフトするとのことです。

     医師も含めた大人の目が彼らの心の内を見ようとせず、客観的に行動を観察して障害

     特徴に当てはまるものを探すようになってしまうとのことです。

     子供は、このような視点や姿勢の変化を敏感に感じ取るとのこと。大人が子供の心を

     見ようとしないことは、大人の側からの関わりを止めてしまうことであり、

     子供は、どこかでそれを感じ取ってしまうということです。このような大人の

     眼差しの変化が若者の社会性の芽を摘んでしまうのではないかと先生は危惧して

     いるとのことです。 

 

     私は、つい最近のパ-ソナリティ障害と称する女性のカウンセリングや二年余り

     の付き合いの統合失調症の青年とのカウンセリングを含めた会食の交わりを通して、

     青木先生のご指摘の内容を痛感しました。前者の女性の場合では、家庭に深刻な

     問題があり、それが起因して本来平均的な人間ならもっているはずの思考、感情が

     欠如して、変わった子供から大人になった感じがしました。

     後者の青年も家庭に問題があって、ずっとニ-トを続け、30才を過ぎても母親が

     色んな指示命令して締め付けるため、両者の信頼関係が乏しく、困っときは親戚の

     同世代の人に相談するとのこと。以上の二人は、ともに人生の大切な時期に

     アッとホ-ムな居場所がなかったことがメンタルに大きなしこりを残し、

     並のカウンセリングでは、なかなか対処できないことを痛感します。とはいえ、

     前者の女性は、人生理念に関わる価値観に私と共通するものがあって

     成育歴のことを知りたいというと履歴書のようにきちんと用意し、アルバムまで持参して

     いただいたのに感服しました。彼女の色んなつらいことの多かったことについては、

     一切批判せずそのままを受容し共感したことで次第に気づきを得て今までの人生を

     見直そうとする意欲を感じ取れます。

     後者の青年については、家族療法を受けること、同じような家庭の問題を抱えた人達の

     親たちも参加した座談会がよろしいかなあと思い、本人に話すとうなづいていました。

     自分も参加して、親子の支援をしたいと思っています。 

2月15日 「新しい方針を浸透させる」粟津恭一郎氏執筆

 

           2月15日   新しい方針を浸透させる  粟津恭一郎氏執筆

                          コ-チAより配信された記事より

 

          色んな企業では、新年度を迎えて新しいを方針を打ち出し、社員にその趣旨等を説明し

          理解させ、実行を目指します。しかし、その過程で何が大切かを粟津氏は貴重な指摘を

          しています。「新しい方針と各社員の潜在的にもっている願望との関わりを引き出す

          ことがポイントになります

        カリフォルニア大学 のアロンソン教授は、次のような実験結果を紹介しているとのこと。

        10代の青少年を集め「何故10代の青少年には自動車の運転免許が許されるべきでないか」に

        ついて話した後、二つのグル-プに分け、一方のグル-プのみに事前に「何故許可されるべき

        でないか」について話をすると伝え、もう一つの方にには何も伝えなかったとのことです。

         その結果事前に聞かされていた方の説得は困難で、何も聞かされていなかった方は、全員

         説得できたとのことでした。教授は、 人は自分が誰かに説得されそうだということが

        わかると警戒心を強くするが、それは、人が「自分の自由の感覚を守ろうとする傾向を

        もっているから」と述べているとのことです。

 

        企業では「新しい方針を組織全体に浸透させたい」という話を聞くようになる。

        しかし、社員を集めて新しい方針を説明する方法では、社員を警戒させるかも知れない

        とのことです。

        それでは新しい方針を「浸透させる」のにどのような方法があるのでしょうか?

        まずは、「方針を浸透させる」とはどういうことかについて考えたいと粟津氏は述べ

   方針の浸透とは、その内容を理解させることや記憶させることでなく、各自に方針に

   基づいた「行動をとってもらうことを目的としているのではないか」と彼は提示しています。

   つまり、「伝え方」でなく、「行動の引き出し方」に焦点を当てなければならないと述べて

   います。私のこのことで感じたことは、各社員に潜在する願望を引き出すことを重視している

   ことです。このことに関して実例として大企業の副社長をしているAさんの体験を挙げて

   います。Aさんは課長時代、社長が全体会議で伝えた「中期ビジョン」にどうしても納得

   できず、職場で悶々としていた時代があったとのこと。そんな時にたまたま人事部から

   新入社員を対象にした研修の一こまを頼まれたことあったとのこと。

   相手は、新入社員とのことで軽く引き受けたAさんは、特別な準備をしないで当日を

   迎えたそうで、しかし、自分の仕事の話の後、質疑応答に入ったころ、「Aさんは新しい中期

   ビジョンをどう思いますか」質問を受け、まさに弱点を突かれ戸惑ったそうです。

   しどろもどろの回答のようでした。

   しかし、しばらくはなしていて「はっと」気づいたそうで、それは「自分が学生時代から

   やりたかったことが、この中期ビジョンの中にある」ということでした。

 

   「その日を堺に自分は変わった」とAさんは言ったそうで、その後彼は新しい事業を提案し

    後に大きな成功を遂げたとのことでした。

    つまり、聞いている側に単に理解させることでなく、新しい方針とのかかわりの中でA氏

    のように自分の潜在するwants(自分はどうしたいか、どうありたいか)気づきを与え

    それらを引き出し、当人がその方針に主体的に参加するモチベ-ションを高めることを

    粟津氏は力説していることが分かります。

    「方針と自分自身をつなげるには、コ-チングを活用することが最も有効と考えています」

    とかれは述べています。

    ◎ それは確かに有効な方法と思いますが、その後グル-ワも取り入れて、相互にさらなる

     「気づき」を得ることも大切なことと痛感しました。

1月28日 発達障害からみた今日の思春期・青年期発達

     1月28日 発達障害からみbた今日の思春期・青年期発達

     育ちの科学NO 20より   小林隆児先生執筆

 

  今回の記事も昨年12月26日から今年の1月17日にかけて掲載しました「自閉症スペクトラム」と

  関連しています。 

  小林先生の視点は、幼少期からの延長線上の問題として思春期、青年期を捉えていこうとすると

  共に、思春期、青年期に初めて浮上する対人関係上の問題を通して、両者に通低するものは

  何かを 考えてみることが大切とのことです。

     この見解の背後には、先生が日頃疑問として思っている一つとして、思春期、青年期に出現する

  精神病理現象に限って二次障害として取り上げることが多いとのことです。

  この時期の精神病理に社会的要因(学校内の人間関係など)が大きく関与しているからという訳

  であると指摘しますが、それだけでなく、乳幼児期以降の生育歴のことも影響しているでは

  ないか、そんな印象を受けます。

  それに対して一次障害は、乳幼児期に出現する病態で、脳障害との関連が高いとの仮説に

  基づくと先生は思っています。ですから、過日のブログで、母子関係の「アンビバレンス」

  (相反する感情)で述べていますように、よく実態を観察してエビデンス(実証)を大切にすることに

  なります。このような実証的な研究が進むと発達児の教育を適切に施すことで、思春期、青年期の

  人々の治療の効果が発揮できて、就労支援もかなり前進する可能性ありと感じました。

 

       ▲ 幼児期からの延長で思春期に浮上してくる問題

 

   (1)発達障害と言われる子供たちの行動の背景にあるもの

 

     母子関係の深刻な問題をすでに提示されましたが、それは、「アタッチメント(愛着)」形成を

     めぐる問題でした。先生はこの点に関しては、すべての事例に共通する中核的問題は

     「甘え」をみぐるアンビバレンスと考えたとのことです。甘えたくても甘えられないという

     葛藤です。

 

      (2) アンビバランスに基づく不安と緊張にどう対処するか

 

    先生の観察デ-タによれば、一歳台に於いては、母親と離れていると相手を求めるが、いざ関わり

    合おうとすると回避的反応をするというアンビバレンスが顕著に示されることか゛少なくないとの

    ことです。しかし、二歳台に入ると、がぜん彼等の行動は複雑な様相を呈するようになるとのこと。

    例えば一人で同じ遊びを繰り返すことで不安と緊張を和らげようとする。

    或いは、母親からの働きかけを回避するようにして常に一定の距離をとって動き回るとのこと。

    子供だけをみれば多動とみなされようが、関係からみれば母親からの接近に対する回避的

    反応であることが分かるとのことです。

    子供によっては心細いにもかかわらず、母親の前では楽しそうに振る舞い、不安な思いを極力

    表に出さないようにするなど、母子の組み合わせによって多様な反応を示すようになるとのこと。

     (何か痛々しい感じさえします)

             三歳台以降になると、相手の関心を引こうとする。「挑発的な行動の萌芽」とのこと。

    さらには、独語や自閉の世界へ没入といった精神病的反応といった深刻な精神病理現象を

     示すまでになるとのことがあるとのことです。

 

      (3)   関係の悪循環によって対処行動はより病理的な色彩を帯びる

 

     「アンビバレンス」に起因する母子関係の悪循環が進むと子供の行動がさらに複雑な

     様相になっていくとのこと。例えば、繰り返し行動が母親によって否定的に受け止め

     られると(2)の一層こうした行動にしがみつき、その結果強迫的色彩を帯びることになる

     こんなことにも上記の「病的」の意味が分かります。多動な子供は、葛藤が強まれば、乱暴で

     攻撃的な色彩を帯びる。小林先生は「発達障害にみられる深刻な行動障害の多くは

     関係障害とその悪循環の中で生成する」との指摘は、先ほど私が指摘しましたように、

     このようなタイブの子供に対する早期の療育の指導がとても大切と痛感します。

 

          ▲  学童期から思春期に入ることで浮上してくる問題

        (1)  母子間の心理的緊張の高まりからくる心理的混乱

 

   小学校高学年の前思春期に入ると、第二次成長を間近に控え、心理的に落ち着かない

   状態にはいります。(中略)こ のような不安は、子供たちの仲間の間で解消されることも

   多いのですが、発達障害の子供たちでは、交友関係をもちにくいこともあって、どしても

   母子関係に依存しがちになります。思春期を前にした子供たちの心身の変化は母親にも

      さらなる不安をもたらし、そのことが、上記の(3)の終わりにありますように、母子間で

      一層の心理的緊張を生みます。(中略)

           この時期までに母子関係が修復されていないときには、さらなる情緒的混乱をもたらす

      ことになり、その結果は深刻な行動障害になるとの先生の警告です。

 

                 <自己意識の高まりからくる心理的混乱>

      周囲の子供たちと比べることによって見えてくる自分という存在についての疑問が

             この時期たかまってくる。自分がなぜ発達障害と言われるのか、他の子供たちと自分が

       どのように違うのか、次々とうまれてくる疑問に対して容易に解決の道が探れない。

       このことから生じてくる混乱は、彼等にとって深刻なものになっていきます。

       小林先生が以前、注意欠陥多動性障害(ADHD)の残遺型と診断して治療された例が

        あります

          Y男 初診時15歳 中学3年 普通学級在籍   

   母親によれば、落ち着きがない。何事にも被害的に受け止め易く、時折呆然としていることが

   あるということが主たる問題であった。知的水は準に明確な遅れなかったはものの、学習能力

   に大きなアンバランスがあった。発達歴を聞いているうちに、歩き始めると落ち着きの無さが

      目立ち、学童期に入って多動性は改善されたものの、注意散漫がずっと残存していた。

      自分をはっきり主張することは、なく、祖父母と両親に囲まれていつも大人からああしろ

      こうしろとせかされ続けた。

     数回の面接でY男の苦しみは以下のようなものであることが分かってきた。

     最も深刻な悩みは、自分で自分をコントロ-ルできないというものであった。例えば

    友達から誘われるとつい同調してしまう。--自分の本心からやりたいと思って行動する

    ことはなく友達から誘われるとついやってしまうことが多いとのこと。

      彼の悩みの中心は、何事も自分から主体的に物事を遂行することができないというもの

      とのこと。かなり深刻な意識の問題である。

      さらに日頃からいつもびくびくしていて、何か行動しても、すぐにごめんなさいと言って

      しまう。謝らなくても良い場面でも、ついそのような言動をとる。

            そのようなことを語っていた彼に耳を傾けていた先生は、彼がせかせかした感じて゛

      早口に話しているのを感じ取り、そのことを彼に伝えたとのこと。

      彼はすぐうなづき、自分はいつもせかされている感じでいると言った。

      面接でそのことを指摘されたことで、彼はかえって安心したのか、帰りの車中で

      母親によくしゃべるようになった。

          次回の面接で彼は、自分の気持ちをどんどんしゃべりまくるようになった。

      そばで聞いていた母親は、これまでと同じ早いテンポで彼に応答しているのを

      先生は聞いて、母親のこのような話し方がおそらく彼にとって自分が非難されている

      ような侵入的な響きを感じさせるのではないかと思われた。

       そこで先生は、次のように助言されたとのこと。      

       「彼の話し相手をする時、意識的にゆっくりと応対するように」と。母親は先生の意図を

       察知してすぐ実行した。すると次第に二人のコミュニケ-ションが深まっていくのが

       分かったとのこと。その後母親もこれまでの養育体験を振り返る中で、次第に彼への

       対応にも暖かさとゆとりが感じられるようになっていった。すると、彼は面接場面で

       おどおとして母親の顔色をうかがうような態度が消え、先生の方を見据えて自信をもって

       話をすることができるようになった。

       このようにして彼は自分の意見をはっきり言うようになると、吃音(どもり)も

       うそのように消えた。

      ◎ 先生が親子の対話の様子をよく観察され、タイミングよく適切に介入をされたことが

       大きな転換期になったことがよく分かりとても参考になりました。 

1月20日 コ-チAからの配信メ-ル 「コ-チングの熟達者に学ぶ」栗本渉氏執筆

 

     1月20日 コ−チAからの配信メ-ル「コ-チングの達者に学ぶ」            栗本渉氏執筆

 

     先週届いた配信メ-ルで、栗本氏は、社内のコ-チングで、ベテランコ-チと初心者のコ-チの間

     では、コ-チングアプロ-チに特徴的な違いがあると指摘します。

     その違いは、クライアントが得る「気づき」の領域や深さに影響し、同一時間でも対話の効果に

     大きな差が生まれることの事例より指摘しています。

     両者の違いを分析しながら、コ-チとしてのスキルアップの視点、より効果的なコ-チングのヒント

     を探っていきたいとその狙いを語っています。

 

      ▲  初心者とベテランの質問の違い

 

      今日では、双方も「グロ-パルにビジネス展開する上で必要なリ-ダ-シップについて棚卸したい」

      という栗本氏のテ-マについて、全員にコ-チをしてもらっての結果について述べています。

      双方の質問の仕方により、どのような違いが出てくるかが焦点です。

      ここでの「必要なリ−ダ-シップについて棚卸したい」とは、効果的な質問によって

      相手が潜在的にもっている「思考力」それに伴う「気づき」を如何にして引き出すか

      ということが注目点です。

              A、Bのグル-プの確執の違いが次の両者の質問内容で歴然とします。

 

              くAグル-プ >

      ● グロ-パルビジネスのビジョンは何ですか?

            ● いつまで達成したいのですか?

            ● 目標に対する現状は、どのようなものですか?

              何がおこっていますか?

      ● その問題は何故起こるのですか? 

            ●  どのようにしたら解決できるのですか?

 

       < Bグル-プ > 

           ●  どうしてその話を話題にしようと思ったのですか?

              ●  今これを扱うことは、どんな価値があると考えたのですか?

              ●  何故マネジメントでなく、リ-ダ-シップという言葉を使ったのですか?

              ●  あなたは、自分のリ-ダ-シップをどのように表現できますか?

              ●  あなたは、この役割をどのように位置づけようとしていますか?

 

                ▲  私の印象

               Aは、初心者のコ-チ、Bはベテランのコ-チであることが明らかです。

        前者は、マニュアル的な感じがして、何か、マスコミの記者会見に似た単発的な

        質問で相手に回答を求め、これでは、「心の中を深堀していくこと」が不可能で

        相手は、どうしても「答えねばならない」という受け身になってしまいます。

 

        それに反してBの場合では、話題の動機から初めて、対話の核心に迫っていく質問で

        モチベ-ションを上げ「心の中を深堀する」手法は、さすがプロという感じです。

        さらにリ-ダ-シップについても、マネジメントと対比させて、その意味、その機能、役割

        さらにキャリア形成にまで視野を拡げて、相手の潜在的資質を発揮させていく

        手法は、人材の育成に大いに寄与できると思いました。

        これらの手法は、相手とその状況次第では、カウンセリングに応用が効くと痛感しました。

 12月24日 自閉症スペくトラムの青年とのカウンセリングの再開へ

 

 

       12月24日   自閉症スペくトラムの青年とのカウンセリングの再開へ

 

   上記の症状のH青年と数回カウンセリングをして良い感触をつかみ、さらなる前進を

   しようとしてしていた矢先、ある事情があって、自責にかられしたが、止む無く

   中止をしました。

   ところが、前回の17日のブログ就労困難な若者支援研修会に参加した際、彼と親しい

   Tさんに偶然会いました。このTさんともカウンセリングをしたことがあり、

   後日彼と会食した時、Hさんの件を話したところ、Hさんに打診してくれて、

   電話のカウンセリングならOKとのこと。しかし、発達障害、特にこの症状の人の

   電話での対話は困難と思い、止める気でしたが

   カウンセリングに拘泥せず、Hさんの気持ちに視点を当てて、まずは、身近な対話から

   本人の関心事を聞いてみたいと考え直しました。

 

   本人は、野球が好きで、苦手なコミュニケ-ションにつきましては、キャッチボ-ルを

   例にしては「投げる時は、どんなことに注意して投げるのか」 逆に「受ける時はどうか」

   そんなことについてコ-チング手法を交えて対話したのを覚えています。

   その時、彼は、「XXと和解したいとか」 、「自分は、相手のことも考えず一方的に話して

   いた」など反省の言葉が出たのを覚えています。

   T さんの話によるとNPOで設けた喫茶室接客の仕事をしているとのこと。心配して

   いましたが彼なりに努力している感じがしました。以前と若干異なって対人恐怖症が

   和らいできている印象も受けます。だからといってこちらも焦らず、彼に寄り添う

   対応でいきたいと思います。

 2013年 12月26日 乳幼児期の自閉症スペクトラムと甘えの世界 そだちの科学 本年10月号より

      2013年 12月26日 乳幼児期の自閉症スペクトラムと甘えの世界 そだちの科学 同年10月号より

              ▲  そだちの科学のこれまでとこれから

 

        ● 杉山登志郎先生の発言

 

     「この10年間、発達障害は、すごくインパクトを精神医学全体に与えたのではないかと思う

     のです。---私自身の驚きとしては、発達障害がどこまで広がるのかということです。---

          この5月にDSM-5が出ましたが、二ュ-ヨ-クのキャサリン=ロ-ド研究所の話など聞いていると

     DSM-4で広汎性発達障害の概念が広がリ過ぎて、それを整理しようとしたようです。

     *  ( ASD=自閉症スペくトラムに4つの発達障害が統合されていった)---------

          今まで精神医学というのは、発達障害を考えに入れず作られてきたわけです。ひょっとすると

     これからは、発達障害というものを基盤において精神医を少しガラガラポン(抜本的に整理)

         し直ねばならなければいけない時代になっているのではないかと思うのです。」

     * 従来の発達障害は、自閉症スペクトラム、アスペルガ-症候群、注意欠陥多動性障害

       学習障害の4つです。

  

                ●  小林隆児先生の発言

 

     「確かに発達発達障害とはなんだろうという問題意識を最近では、みんながもつように

     なってきましたね。----但し発達障害の問題提示がどういう方向に向かっているかという

     点で、私が非常に案じるのは、発達障害を脳障害のベ-スに考えるという発想が非常に

     強いが故に、子供であれ、大人であれ、どこかで脳障害にリンクさせるという短絡的

     発想になり易いことです。そこが非常に怖いところで、それは違うんじゃないのかと常に

     言い続けなければいけないと、私自身は思っています。

     発達障害というからには、赤ちゃんのときにどうだったのかというところから丁寧に

     追いかけていく発想がまずはなければいけない。発達それのみを丁寧にみていくことが

     ベ-スにあって、その上で障害、つまずきがどういう形で起こってきたのかをみる。-----

     残念ながら児童精神医学のひとたちは、意外に赤ちゃんの時から子供を診る機会が

     ない。そういう機会は非常に少なくて、ある時点から気になった子供たちをみて、気になる

     部分をとりあげて、ああだこうだと考えようとしているところが非常に強いと思うのです。

   ---育ちの中でどういうふうに変っていくのか、そういう縦断的なプロセスをみていくという

     視点が強く問われるし、それがなければ発達障害という概念がこれからの精神医学

     全体に、よい意味でインパクトを与え続けることはできないのではないか。

     そういう危惧をいま強くもっています。」

               (カウンセラ-もクライアントの生育過程を把握しながら今の本人の主訴を傾聴し

        観察することがとても大事なことと 痛感します。)

 

    ◎  小林先生の「乳幼児期の自閉症スペクトラム(ASD)を「甘え」の世界から読み解く」

       先生は、14年間(1994年4月~2008年3月)にわたって発達臨床で出会った

       母子関係に深刻な問題をもつ子供のASDに於ける対人関係の障碍の質的検討を

       手がけつい最近まとめ上げたとのことです。以下にその概要の注目点を抜粋

       しました。

          ▲ 対象となった子供たち

       治療的に関与した事例81で、その中で今回対象となったのは、母子様相を新奇場面法

               (ssp)と呼ばれる方法で観察した55例です。最年少1歳0カ月、最年長5歳9カ月です。

        このsspの観察法は、以下のとおりです。

               母子同室、そこに知らない女性が入室する、母が外出する、母と再会する等の場面を 

            設定して子供の反応を観察する方法です。

           ▲ 母子関係の着眼点

      先生は「甘え」の視点から母子関係の様相を捉えました。この視点から捉えることで

      子供の動きが手に取るように浮びかびあがってくるのが実感できたとのことです。

      また、この母子関係の様相は、年齢層によって大きな変化が起こることが

      明らかになったとのことです。

 

             ▲ 「アンビバ レンス」はどのように表に現れるか

     この用語の意味は、相反する感情を抱くことです。(両面価値感情)

     今回1歳台8例すべてを改めて詳細にVT録画デ-タをもとに検討してみた結果

     全例において以下のような関係の特徴を 抽出することが出来たとのことです。

     「母親が直接関わろうとすると子供は回避的になるが、いざ母親がいなくなると

     心細い反応を示す。しかし、母と再会する段になると再び回避的反応を示す」

      そのため、両者間でいつまでたっても好ましい関係の深まりが生まれず、逆に

      両者ともに強いフラストレ-ションを体験することによって、その関係は負の循環を

      生むことになります。そこで子供たちは、「甘えたくても甘えられない」状態を体験

       することになります。

 

      さらに重要なことは、一般には孤立によって心細くなれば、強い不安とともに悲しみや

      怒りが湧いてくるが「アンビバレンス」の強い子供たちはそれを直接母親に向ける

      ことができない。本来ならならば、そこで生まれた負の情動が「抱っこされる」ことに

      よって快の情動へと変化し、心地よい体験となっていくが、彼等にはそれが期待でき

      ない。将来的に深刻な情動調整をめぐる問題を生むことに繋がっていくことが危惧

       されるのです。

                        ◎ 私の印象  

         上記の両面価値感情は、出産後 色んな事情で母親が情緒不安定の時

         いらついていると、それを子供が敏感に受け止め、なつかなくなること

         起因します。その結果母親は、イライラがひどくなるという「悪循環」になって

         両者の信頼関係にが大きなギャップが生じることこともある、と感じましたが

        、その後「発達障害と感覚・知覚の世界」(日本評論社)の小林先生の執筆

         記事の「原初的知覚」についての自閉症児の認知の仕方の特性が母親との

         「ずれ」を生じることを教えて頂いて何か「目からうろこがとれた」ような印象を

         うけました。 近々ブログでそのことに言及します。

 

                         ▲  「アンビバレンス」による不安と緊張にどう対処するのか

 

       一歳台では子供たちの「甘えたくても甘えられない」ための反応において、不安と

       緊張が第三者の目にも比較的分かり易い形で表現されるが、二歳台の事例を通覧

       した時、強烈に印象づけられるのが「アンビバランス」の表現型が一気に多様化の

       様相を呈してくるとのことです。「アンビバランス」は子供の甘え体験に阻害的に

       作用するため、いつまでも心細さは解消されず、強い不安にさらされることになる。

       それは、子供にとって過酷な事態であるため、少しでもそれを軽減しようと

       色んなことを試みることになる。---二歳台の16例の中から具体的に先生は

       取上げています。

 

       (1) 対人回避的傾向から進展した対処行動-−−内向的反応

 

       自閉症という疾病概念が提唱されたのは、彼らに対人回避的態度が

       顕著であったからであるとのこと。「自閉」という用語にはそのような意味

       合いが込められている。

       しかし、その対人回避的態度ともみえる子供たちの内面に焦点を当てて

       みると、さほど単純なものでないとのことがわかるとのことです。

       彼らは、母親に対して「甘えたくても甘えられない」が故にことさら回避的態度を

       とっている ということです。それは、屈折した甘えとしての「拗ねる(すねる)」態度

       として表現することができるとのこと。

       先生が一歳台の子供たちの回避的行動をその気持ちの動きとともに捉え、

       「すねる」と描写することができたのは、母子関係の様相という視点から捉えること

       によって、子供の行動の持つ意味が文脈の中で浮かび上がって来たから

       とのことです。

       一般に彼らが「自閉的」と感じられるているのは、このように回避的構えがとても強い

       ことが大きな要因になっている。多くの場合、その背後に動いている「甘え」に気づく

       ことが難しいことによって、次第に彼らは自らの不安や緊張を緩和するため、孤独な

       中で多様な行動をとるようになる。それが二歳台になると顕著化してくることになる。

       (この時期は第一次反抗期で色々とダダをこねる時期。でも人格形成の難関を

       クリアしないと 禍根を残すことあり) 以下にその顕著化する例を先生は、4つ程

       述べています。

 

       第一に「相手から距離をとって直接的な関わりを回避する。しかし、母親の存在が気に

       なり、何かに集中できない。そのため母親の存在を気にしながら何とかサインめいた

       行動をとるが、一定の距離をとってそれ以上は近づかない。

       ADHDの子供がそれに該当する感じがします。

       第ニに、母親に対して直接的な関与を回避し、自己充足的な方法で対処しようとする

       行動である。 第一にもある不安、緊張を和らげようとするための行動である。

       「繰り返し行動」、「常同反復行動」がその例。

              この第二の箇所を検討していてふと想起したのは、フロイトの防衛機制の

       行動化です。二歳の子供が自分が置かれた状況の中で何とか対処しようとするのは

       、痛々しい感じがします。

        第三に、自分の周りの環境を極力変化のない状態に保とうとする対処行動である。

        不安が強く安心が得られない状態に置かれると周囲の世界を極力変化のない

        状態に保とうとする。---「同一性保持」などと言われ、自閉症に特徴的なものと

        されてきたものである。 そのまま青年期に達していった場合には、私と接した

        青年のようにまさに、自室に閉じこもって、時には家族さえも入れない閉鎖性が

        その例です。

        ですからかなり人と接する事に慣れて来ないと、医師が散歩を勧めても、外出は

        できないようです。

        第四に、常に他者との関わりを回避していくならば、他者に依存することは出来ず

          結果的に「過度に自立的に振る舞う」ようになるとのことです。

 

       以上の第一から四までは、先生ご指摘によると 「自閉的な対人行動」

       「常同反復行動」、「強迫的こだわり」はASD(自閉症スペクトラ ム)の

                DSMの診断基準の中核になっているとのことです。

       「 これらの行動特徴は、これまで一時的特徴として捉えられ、脳障害

       との関連が 強いものとして理解されているが、今回の研究によれば、

       母子関係のアンビバレンスによって必然的に生まれた反応行動であることが

       分かる。」

       今回のブログの前半に発達障害の専門家の座談会を掲載し、その中の

       小林先生の発言内容の「発達障害を脳障害ベ-スに考えるという発想が

        強いが故に子供、大人も どこかで脳障害にリンクさせるという短絡的な発想

        になり易い。」 そのことの根拠の「アンビバレンス」の研究実績は注目すべき

        成果と思いました。

12月31日 続乳幼児期の自閉症スペクトラムと甘えの世界

 

 

    12月31日 続乳幼児期の自閉症スペクトラムと甘えの世界

 

    (2)  相手との関係を求めるための対処行動-外向的反応

     ここでは、子供の方から直接的に母親に何らかの関わりを志向しながら対処しようとする

     試みです。前半の(1)が内向的反応に対してここでは、外向的反応ということが

     できるとのことです。 

           この種の対処行動は、母子関係をより一層複雑なものにしていくとのこと。

           なぜならそれによって母親にもれにより屈折した反応を誘発することになり易いから。

    それは以下のような形を示しています。

      何とか母親の関心を自分に引き寄せようとして、相手の嫌がることをやろうとする。

      「甘えたくても甘えられない」子供にある意味では自然の反応だということも

      できるが、それはこれまで「挑発行動」と言われてきたものに該当しよう、

      先生はそういわれます。

 

    このような行動に対して用いられてきた「挑発行動」という表現は、子供の立場から

    捉えたものでなく、大人の視点から捉えたものとのこと。子供たちは、決して我々を

    挑発して相手の怒りを引き出そうと企んでこのような行動をとっいるのではない。

    あくまでその動機は「甘えたくても甘えられない」ために、相手の関心を自分に

    引き寄せたいという甘えに端を発したものとのこと。

     つまり、甘えを背景に生まれた「関係」の問題として捉えることが大切とのことです。

    しかし、このような対処行動は、余り功を奏することはない。相手の嫌がることをやれば、

    相手の関心を引き出すことに成功しても、叱咤されることによって結果的に突き放される。

    すると子供は再び心細さから不安に襲われる。それがさらなる相手の関心を引き出すための

    「挑発行動」を誘発する。このようして母子関係の悪循環は進展していく。

    思春期以降に頻発する行動障碍の多くはこのような悪循環によってもたらされた

    ものである。将来的に悲惨な結果を生む対処行動と述べています。

 

     ついで先生は、先の「挑発行動」が直接相手に向けられた行動に対して、相手の関心を

    自分に引き寄せようとするでは同じ目的をもつが、行動としては、直接自分に

    向けられるものがあるとのこと。それがわざと壁に頭を打ち付けるなどの

    注意喚起行動としての「自己刺激行動である。

    「自己刺激行動」も「挑発行動」と同様、功を奏することはない。時には、相手から

    同情の念を示されることはあっても、甘えそのものが享受されることは期待できない

    とのこと。相手から制止され、禁止されることになる。すると子供は当初の意図が

    達成されず、突き放さることにより、一層心細さは強まっていく。

    その結果「自己刺激行動」はより一層激しいものになって

    いくとのことです。「自傷」と称されたものは、注意喚起行動としての

    「自己刺激行動」が発展したものとして捉えることが出来るのではないか。

    このような「自己刺激行動」は情動負荷を軽減する働きをも担っていることから

    習慣化しやすいとの指摘があります。

    *この[情動負荷の軽減」とは、うっ憤をはらすという意味と思います。

     思春期の青年のリストカットは、この[自傷」の意味合いと異なっていますが、

     中には、ここと似た場合もあるのではと感じました。

 

            (3) 相手の顔色を伺う行動から進展した対処行動

 

    「甘えたくても甘えられない」子供たち、いつまでたっても「甘え」を断念することが

     できず常に母親の顔色を伺うようになる。それを土居健郎先生は

     「変態的な依存関係」と称したがそのような状態にあって、子供たちは、何とか

     母親との関係を維持しようとして試みる対処行動は、その深刻さの度合いから

     いくつかに分類できると指摘されます。

 

     第一に、「甘えたくても甘えられない」子供がなおも母親との繋がりを求めようと

     する際に、最も穏便な解決方法は、相手の意向に従って行動することであるとのこと。

     相手の怒りを引き起こすことなく、相手も喜んで受け入れてくれるからである。

     その典型的な対処行動が「いい子になる」こと。相手の期待に沿うことによって

     自分の存在を認めてもらおうとする試みです。

     このことを先生に最も強く印象づけた男児(二歳8カ月)がいる。一人ぼっちになって

     心細いにもかかわらず、泣かずに我慢していたことを母親に認めて

     もらいたかったのが、子供の顔を拭くために母親が差し出したハンカチを自分で

     取り上げ、母親の鞄にしまい、自分から拍手して母親にもそれを要求している

     とのこと。余りにもいたいげな子供の振る舞いと、述べています。

     「こんなことをさせ続けていると、先になってメンタル障碍を引き起こすのに」と

      こちらも読んでいて悲痛の一言です。

                第二に、先の相手の意向に従うことと近縁の反応ですが、相手の意向が読み

      にくい場合、子供はたじろぎ、どう対処していいか困惑が強い。

      そこで相手の意向を常にうかがいながら

      相手に気に入られようと懸命に振る舞うようになる。「相手に取り入る」、

      「媚びる」などと表現できるような言動です。このような対処行動は、我々には

       演技的色彩を帯びて映り易いが、子供なりの母親との関係を維持しようとする

      懸命なもがきとして捉えることができると 説明されています。でも甘えが得られ

      ない時には、母親が見ている前で、他人に甘えてみせて、母親に

      当てつける、見せつけるようになるとのことです。(これも過剰すぎる演技です)

       第三に、「いい子になる」ことが自分なりの能動的な対処行動であるとする

      ならば、次に問題となるのは、自分の欲求や意思を全面的に押し殺し、

      相手の思いに「過度に従順に振る舞うとのこと。その結果相手の思いに

      翻弄されることになる。母親の価値観に引きずられるようにして母親の誘いに

      乗せられていけば、このような結果を生む危険性が高まる。

      それ程子供は無力な存在だということであると述べています。

      このような対処行動が如何に痛々しいものか誰でも想像できようが、我々が特に

      問題にしなければならないのは、それが後々深刻な自我障碍をもたらすから

      と述べています。* ここでいう障碍とは、自閉症、パ-ソナリティ障害等のこと。

 

      (4)  明確な対処法を見出すことができず周囲に圧倒された状態

 

       最後に、最も深刻なものは、自分なりの効果的な対処行動を見出すことが出来ず

       周囲に圧倒されてなす術をなくしている状態にある場合のこと。

       強い困惑が生まれ、「茫然自失」となっていく。そこでは周囲の刺激が

       子供たちにとって圧倒的な力をもって侵入的、侵襲的に映り、迫害的な不安に

       襲われていると想像できる状態とのこと。

       そのため彼らは自分でその場から逃げることも、誰かに助けを求めること

       もできない。

       まさに全身が氷ついたような状態を呈するようになる。それは、

       精神病理学的には「カタトニア」と称される病態と同質のものだと考えられる

       とのことです。                  * 

    * この用語は、元来統合失調症について使用されていたのが「うつ」、「自閉症」

     などても使用されるようになったとのことです。

     例 自閉症の青年の動作が遅くなり、さらにはそれが止まってしまって氷付きと

     呼ばれる意思発動がないことに注目して「指示待ち状態」と呼ばれることもあります。

 

  ◎ 以上の小林先生の説明された自閉症の起因に関する実証的な研究成果は、今後

   カウンセリングを展開していく上でも、クライアントの幼少期のどんな点に留意していくと

   よいかの貴重な参考例になり得ると思いました。 それと乳幼児を抱えている親の教育にも

   有益と直観しました。それから自閉症スペくトラム、境界性パ-ソナリテ障害の青年ともに

   新来者に対してつくり笑いすることの演技を聞いていますが、それは発病後

   つまり、トラウマの後と私は思い込んでいましたが、ひょっとして、もう幼児期からあった

   かも知れないとも感じました。

 2014年 1月 17日 乳幼児自閉症スペクトラムの対応

            2014年  1月1 7 日 乳幼児自閉症スペクトラムの対応

 

            昨年末の乳幼児自閉症スペクトラムの関連記事として「発達障害と感覚・知覚の世界」

      (日本評論社)より抜粋した記事です。

       すでに昨年12月26日と31日のプログで乳幼児期の自閉症スペクトラムについての

       「アンビバレンス」について小林隆児先生の記事について紹介し、若干私の感想も

       述べましたが、母子間の「アンビバランス」の問題についてさらなる補充が

       必要と感じ上記の著書より記事を追加します。 

                             

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         母子間の「アンビバレンス」について実証的研究をされた小林隆児先生は、人間の発達に

   ついて次のように定義しています。「生物学的存在としての"ヒト"から"心理社会的存在

   としての人"になっていくプロセス」。後半の「社会的存在とは、母子などの家庭内の

   人間関係、さらに園内や学校内の人間関係、そして職場内のそれへと拡大していき、

   様々な人々との関わりの中で「社会性」が育ちます。

   ところが、どうしても自閉症の子供は、どうしてその社会性が育ちにくいかについて、

   先生は、乳幼児期の母子の関係性の問題点を指摘されます。

 

       ▲  認知と認識の相違

     子供にとって最初の認知の段階が「原初的知覚」の状態で、自分周りの様々な対象物に興味を

  示しじっと見たり、触ったりした五感を使って知覚して、対象物と一体となります。

   母親も子供抱き支え一体となりますが、子供は、対象物の認識ができません。

 

   「認識」は自分の周りの物について「意味」と「約束」が分からないとできません。

   例えば机の上の「コップ」は、どんなことに使うのか、それを使う人は、どんな約束、

   ル-ルをわきまえて 使うのか、といったことです。

          これらの意味も約束もわからず、好奇心にかられて、コップをとって叩いて壊して

   しまったり、異物を詰め込んだりする子供もいます。自閉症の子供がその例です。

    普通の子供なら次第に「対象物の意味、使用時の約束」などを理解して集団生活に

   適応できますがこのような認識のレベルに到達するのが困難なのが彼らの生来の

   ハンディということが分かります。 

   このような「認知」と「認識」のずれは、まずは母子の間から生じます。

 

   小林先生は、このような例を4つ程あげて説明していますその中の一つを紹介します。

   一歳になりたての男の子が遊戯室の中央にある滑り台をみてその滑り台の下から

   一生懸命に這い上がろうとしたが足が滑ってうまく登れない。それでも登ろうとした時、

   それを見ていたお母さんが可哀そうに思ったのでしょう。抱えて上に乗せてやり、

   そこから滑らせたのです。

  すると楽しそうな表情を浮かべるどころか滑り終わった後ですぐに頭をごチンと台に打ち付けて

  ウェ-ン」と泣き叫んだとのこと。この子は一生懸命に這い上がることに夢中になっており、

  母は「こうやって滑ったら気持ちがいいよ」と思ったのでしょう。でも子供が楽しもうと

  思っていたのは、そんなことでなく、全身で感じとった知覚世界、まさに力動感といっても

  いいような「原初的知覚」に基づいていたのです。そのような知覚体験を楽しんでいた

  のにも係らず、つい母親はそのすべり台の遊び方を子供に教えたくて、そのようなことを

  したとのことでした。

  両者のずれは、子供の「認知」と母親の「認識」にあったのです。

 

  この子供の知覚には、興味をもつと志向性(対象に注意を向ける)があります。それがあって

  こそ行動を起すのです。滑り台もその例です。そのようなとき、どのような子供との

  関わり方をするとよいのでしょうか?

  先生は、「本人と一体になるような体験世界を志向」ことに言及します。その意味は、

  「子供の気持を肌で感じとる共感力」をもってハンディのある子供の

   受容して支援することだと直感しました。このことは、日頃気疲れして大変苦労している

   母親の実践課題でもあるのです。ですから「アンビバレント」の解消を目指して夫や第三者の

   理解、思いやり、適切な支援が不可欠と痛感します。

12月17日  就労困難な若者支援研修会

 

          12月17日 就労困難な若者支援研修会

 

    昨日と同様にリンクの支障のためこのブログも再生したものです。

    この研修会は、様々なハンディをもった就労困難な若者の心理を理解し、どんな支援を

    彼等が願望しているのかをテ-マにした集会で、昭和区の生涯学習センタ-で

    一般社団法人若者支援事業団が主催し、上記の若者、それに関わるスタッフが参加

    して若者の意見発表、スタッフとしての意見もありました。

    特にわたしが注目したことについて、以下に見解を述べていきます。

 

           < こんな支援はやめて欲しい>

 

            ●  理事やスタッフに対しての不満

   事業所のトップは気が短い人が多く、どなりつけることもある。

   スタッフは利用者の目線で見ず、上から指示、要求をする。

    (お前はどうかと反発したくなる)

           ●利用者は働かなければダメな奴と自分で決めつける反面、プライドの高さも

             あって支援スタッフに合わせていい子を演じる矛盾がある。こんな無理を

            しているとそれがたまって潰れてしまう。こんな気持もスタッフは理解せず

           「わかる。わかる。自分もそうだった。」などという、そんな安易に分かって欲しくない。

    ● 就労支援は、個々の実情に応じた支援であって欲しい。就労先についてスタッフが

      勝手に決め手利用者に押し付けないで欲しい。

                (こんな不満を現場で直に本人から聞いたことがあります) 

    ●  助けて欲しいけれど、助けて欲しくない葛藤、矛盾を抱えている(自尊心)

                    この気持を理解せず支援しても、逆効果になって不信感が募る、そんな

       印象を受けました。

     カウンセラ-とスタッフは、異なった視点からみているつもりですが、少し反省

     すべきことも感じました。

     たとえ、利用者が自分はこうしたいと言っていても、感情の制御が容易でなく、

     後から覆す人もいますので、彼等の心の中の整理に寄り添って支援すること

     必要性を感じます。(本人の話したことの矛盾を指摘して、気持ちの整理をする等)

     ● 職安に対して 職員は、若者のの気持を汲み取らず、「紹介する仕事に就け」

       と言っているだけで、自分たちの実績を上げることばかり考えている、との意見。

       こんな職安は解体せよ、と手厳しい。

       キャリアカウンセリングは外部に依頼して、自分たちは、専ら事務的な仕事を

       していればこんな怒りが出てくるのがうなづけます。                   

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                          <理想の支援についての意見> 

 

              ここでいう「理想」とは、その都度出てくる彼等の願望も含めた日頃の思いと

     感じました。

     ●  トップは、優しく冷静であって欲しい。(自分にきびしく、他者に優しい人を

                                                想定して言っている感じがしました)

 

      専門的知識、経験があるとよいとの意見も出ました。

      様々なメンタルのハンディの若者の病理、心理的特性など知らず、経験と勘に

      依存していては、利用者やスタッフの信頼は得られません。  

                 さらに、経営者としてのマネジメント能力も必要です。

      しかし、利用者の声は次のとおりです。

      現実には、指導する理事、スタッフ側と利用者の間では、力関係が決まって

                いてスタッフには言い返せないとのことです。

      トップが高圧的な態度をとっていれば、スタッフも利用者に対 してそうなってきます。

       人に教える立場の人は、逆に相手から学ぼうとする姿勢が欠けていると、指導効果は

      十分発揮できません。

 

         ◎ トップに対する私の見解

 

      地域の中に存立するNPOのトップとしての確固たる使命感を持って頂きたいと

      切望します。

      利用者に対しては、謙虚な気持ちをもって「私はあなた方のためにどんなお役に

      たつことができますか」 Can I help  you?  この精神が大切と考えています。 

      空虚なアドバルンをあげて「 困っている人は来て下さい」だけでは、説得力に欠け

      折角来てくれた利用者、スタッフを落胆させるだけです。

      すでに述べました利用者の不満を聞いてまとめていく中で、上記のことを痛感して

      います。 どんなニ-ズをもった人々をどんな方法で支援するのか、そのためには

      どうしたらよいのか? 特にトップの力量をどのようにして高めていくのか、

       スタッフの教育、指導をどうするのか?その他活動資金の調達など。

       行政筋のマニュアルに沿ってのみスタッフ、利用者を指導したり、行政側の顔色を

       伺って助成金の基準をクリアしようと奔走に追われるようでは、自立支援は形だけの

       中味がないものになってしまいます。ともかくトップが自分に欠如しているものに

       気づいてしっかり色んなことを学びスタッフを指導していかないとNPOの存続は

                    期待できません。「裸の王様」の自分に気づかないと、みんなから見捨てられます。

       現実に現場を見てきた私の一見解です。

 

          ▲   その他の利用者の願望

 

        ● もっと自分たちに役立つ情報、様々なノウハウなどを知りたい。

        ● スタッフは、資格の取得、何らかの仕事に就かせようとするが、

                          必ずしも仕事だけが目的ではない。('自分の今後の生き方の一部として

                         仕事を位置づけている感じです。)

                       ●  仕事を与えられるのでなく、若者の心を通わせ、各人の自発性を活かした

           支援であって欲しい。

        ●  就労支援事業所のカリキュラムについて

          カリキュラムの中に就労の時間を取り入れた計画があるとよい。

            (利用者のニ-ズを考えた計画の希望です)

                        ●  スタッフは利用者の心境を尊重してほしい。

         「なりたい自分に関わって欲しくない。自分心の空白の部分を見守ってくれる

          スタッフを求める。」

         どんなにメンタル不調で就労困難であっても、スタッフや職安の職員から

                          時には自分の心の中に、介入して欲しくないという大人としてのプライドの

                         ようなものを感じ、自分も反省させられる思いがしました。   

 12月16日 トラウマに効くEMRD(眼球運動)

 

             12月16日 トラウマに効くEMRD(眼球運動)

             *   本年2月12日の再生(リンクの不具合のため)

       メンタルにハンディのある人々のカウンセリングをしていますと、クライアントによっては、

       信頼する人から裏切られたり、いじめなどに起因するトラウマのことが本人から出てくる

       ことがあります。

  そのような時、今の私のには、もちろんその解消に効く手法はありません。

  でも時々メンタルの専門誌やネットではEMRDのことが目に止まります。具体的にそれが

  治療過程でどう応用されるかは、杉山登志郎先生の「発達障害のいま」の中にその記述が

  出ていて、とても興味をもちました。

 

   このEMRDは、アメリカの臨床心理士フランシス・シャピロが1989年発表した新しい

        心理療法で「眼球運動」による脱感作と再処理法」のことです。脱感作とは、行動療法の

        系統的脱感作で実証されていますように、ある強い刺戟に対して不安、恐怖などの過敏な

        反応を徐々に和らげやがてそのような症状を解消することを意味します。高所恐怖症の

        治療がその例です。

   再処理法につきましては、EMRD過程で用いられる眼球運動が、神経生理学的活動を刺戟する

   ことで外傷的な記憶の再処理を引き起こす際に苦痛な心的外傷を和らげるとのことです。

                             りんごの花

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       ▲  杉山登志郎先生のEMDRの実例 「発達障害のいま」より

     「筆者はこの技法のトレ-ニングを受けてから、直ちに様々なトラウマ例に用いてみた。

      友人に呼び出され、そのツッパリの男女にぼこぼこにされ、その後その外傷体験の

      ショックから通学できなくなり高校を退学してしまった女子高校生のケ-スである。

      わずか数回のセッションでフラッシュバック(過去の不快な事件の想起)から回復し、

      再び別の高校へ通うことができるようになった。」

      自分自身も虐待母である別の患者から「これって虐待でないの」と紹介された若い

      母親である。一歳になるかならないかの赤ちゃんが夜泣きするのに腹を立て、

      赤ちゃんを叩き、或いはベット゛に投げつけてしまうことを繰り返していた。

      初診時には、著しく抑うつ的で子供のみならず、夫にも当たり散らしていた。

      この母の治療を始めて間もなく、彼女が

      身内から過去に虐待を受けていたことが明らかになった。この患者にEMRDを用いた

      治療を行った。計6回のEMRDによって母としての自己イメ-ジは劇的な肯定的変化を

      遂げた。患者は、過去の自身への虐待をめぐって家族と対決し、その後は子供への

      虐待は見られなくなり、次の子供をもちたいと明るい笑顔で宣べるまでに短時間で

      変身した。

       ◎ 私のコメント

      実際この方法をクライアントに適用するとなると、使う側の技量と相手側の症状の判断の

      見極めがとても大事かと痛感しました。

      催眠療法は異質の手法ですが、、私自身若いときに、神経症で困っていて、これを

      依頼したところ、うまくいかず、えって症状が悪化した苦い経験があります。

      ですから、このEMRDも、相当臨床経験があり、この実績がないと、この方法の依頼は

      慎重にした方が宜しいかと思います。

12月13日 自分は発達障害ではないかと疑う人たちへ

 

    12月13日 自分は発達障害てないかと疑う人たちへ  精神科医 村上伸治先生

                            こころの科学 2013  9月号より  

      ▲ 自分で発達障害を疑っての受診

 

   発達障害を疑って受診する例は時々見られるものの、本人自ら発達障害を疑い、家族の意向

   でなく、主に本人自身の希望によって受診することは少ないとのこと。

   受診例の殆どは、周囲から発達障害ではないかと言われたことなどをきっかけに、

   家族としても、発達障害を疑うようになり、家族の勧めで本人も受諾に同意して来院すると

   いうパタ-ンである。----  「どんなところが発達障害て゛はないか思いますか」と尋ねると、

   はっきりと答えられる人は、多くないとのこと。---何が発達障害なのか、ピントと

   来ていないことが多いとのことです。

 

       ▲ 障害があるなしの境目

    発達障害のある人は、その障害ゆえの生活上の困難を抱えているが、ある分野につていは、

    普通の人よりも能力が優れていたり、細部に注目して微妙な違いを見出す能力があったり、

    周囲の状況に流されることなく、ブレズに物事を純粋に考えて原理原則を貫く能力が優れて

    いたりする。(エジソン、アインシュタインなどの科学者)  その能力を活かして技術者、職人

    として、いい仕事をしている人も少なくない。長嶋茂夫、黒柳徹子等有名人にもいる。

    従って「正常とか、健常者、そうでない人をxx障害者と呼ぶことに違和感を感じる

    専門家には普通の発達を「定型発達」と呼ぶことがが多いとのこと。

     この記事の執筆者は、発達障害と定型発達との間に、明確な境界線を引くこと自体が

    できないと考えているとのことです。

   「すべての人は、定型発達の特徴と発達障害の特徴の両方をもっている。どんなに障害の重い

   人の中にも定型発達の特徴がたくさん含まれているし、全くの普通発達と思っている人の

   中にも多少の発達障害の特徴が含まれている」 だからきれいに分けることはできない

   とのことです。

 

       ▲       診断の難しさ

 

    乳幼児期から発達障害の徴候が顕著なら、迷わず診断できる。

    しかし、子供の頃から発達障害の特徴がいくつか見られる程度人の場合は、診断はとても

    難しくなるとのことです。さらに診断にとって重要なことは、発達障害の特徴は、

    その人にかかるストレスの程度によって強く現れたり、見えにくくなったりする。

    人は、ストレスにさらされると、その人のもっているもともとの特性が強く現れる

    とのこと。

       つまり「人は本人を取り巻く環境の対人関係に於いて、心地よい影響、刺激を受けて

    生活しているか、それとも家庭、学校、職場などで不快な刺激がストレスになって

    生活しているかによって「メンタルに与える負荷」が変ります。

 

      村上先生の言われる症状の流動性故にその時々の診断が困難である所以がそこに

      あります。

      きつく叱責ばかりする上司もいれば、部下の気持を思いやって指導してくれる上司など

      メンタル不調になったり、いやされたりします。

      村上先生の指摘された例、初めて病院に来たとき「こんなに自閉症症状がはっきりある

      人が今まで発達障害に気づかれなかったなんて信じられない」と感じていたのに、

      落ち着いた頃になると「発達障害は確かにあるけど、こんな人は、時々いるし、

      この人は、職場に適応してちゃんと働いているのだから、発達障害と診断するほど

      でないよなあ」と思えたりする。

                 私自身もすでに今年の3月31日の「描画法の効用」で述べてましたように自閉症の

      青年と数回カウンセリングをしましたが、若干手ごたえと思われる感触がありました。

      しかし、彼は、対人恐怖症が強く、その後のことが気になっていましたが、

      今日会食した青年からあるNPOの喫茶室で接客の仕事をしいることを知りました。

      その時ふと思ったことは、誰かがアドバイスして「一味違ったコ-ヒ-、紅茶でも出して

      客に喜んでもらう」体験でもして、客と一寸した会話できれば自信になって対人恐怖も

      氷解していくのではと感じました。再度彼に会う機会があればそんな話もしてみたい

      と思いました。(この件では私なりの腹案がありますので)

 

                 ▲    灰色診断

   

     実際に最も多いのは、発達障害の徴候がそこそこにあるが、発達障害と診断していいのか

    どうか迷う「白で黒でもない灰色」に位置する人たちとのこと。--------

            「自分は発達障害ではないかと疑った」ということは、そして受診したということは、

     ある程度発達障害徴候があるからであろうし、その場合は多くが灰色の領域に位置する

     ことになる。

     灰色の領域は広いため、発達障害診断では意見の相違が起きやすい。

     ある病院では「発達障害」、別の病院では、「発達障害でない」と診断されることも

     ある。しかし、どちらかが正しく、他が間違っているということでもないとの

     ことです。 

     おそらくどちらも正しいのだ。どちらにも診断されるということ自体が灰色なのである。

     このように、慎重に診断することに言及しています。

 

     また、発達障害の診断においては、両親などの養育者から本人の生育歴について詳しく

     教えてもらうことが必須であるとし、その親の発達障害の知識の程度を考慮して

     これも慎重に受け取るべきことも強調しています。医師の質問に対して、そんなことは

     なかったといっていても、講演会でこの筋の話を聞いたり、本では知識を得たりすると、

     言ったことを覆すようなこともあるとか述べています。

      それから、本人が灰色の発達障害である場合、その親も発達障害であることも

     少なくなくその場合は、中立的で客観的な情報はさらに得にくく、注意が必要である

     と忠告しています。20年前のことを聞いても「よく覚えていません」と答えることが、

     その親も灰色であることを示している場合があるとのことです。

 

                   ◎ その他この記事に関連して私が想起したこと

     発達障害以外の他の病気を併発している場合、うつ、てんかんなどは分かり易いですが

     パ-ソナリティ障害とこの病気の併発、ないしは、前者でなく、本当は発達障害の

     こともあると

     聞いたこともあります。或る臨床心理士からこの二つの障害は、近い関係にあると

     聞きました。

     その例として、私の女子のクライアントに学生時代のことを聞いてみると、どうも

     ADHDの症状が出ていた感じでした。授業中、突然教室を出たり、怒ってロッカ-を

     強打するような破壊的行為もしたと言っていましたから。

12月5日 NHK クロ-ズアップ現代 「大転職時代の行方」

 

    12月5日 NHK クロ-ズアップ現代 「大転職時代」

 

       12月3日に放映された上記番組についての私の印象

  今の日本では、かっては花々しい成長をとげていたIT、電機業界は、激しい国際競争に敗れ、

  大規模なリストラを余儀なくされ、すでにブログで述べましたように大きな社会問題を

  起しています。

  また転職しようにも異業種へのそれはTVで紹介されたように、受け入れ先の門は極めて狭い

  のが現実です。

  このようなさ状況の中と、政府は来年度から転職支援会社を活用してリストラされた

  社員等の転職を実現させた企業への資金投入を増大させることで「失業なき労働移動を

  後押ししようとしていることが紹介されました。

  その番組を見ていて私は、まず転職を希望する人々を世話するキャリアカウンセラ-

       ないしは、同コンサルタントの力量と転職希望者の被雇用能力(エンプロイアビリティ)

  に大きな課題があると痛感しました。

  キャリアカウンセラ-につきましては、私自身養成講座の研修を受けて資格も

  とっていますが、上記のような転職希望者に対しては、世間並の通例の適性検査、

  心理検査、マニュアルに基づくカウンセリングでは中々対応が困難と想像します。

  本人からカウンセリングで自己の興味、特技 長所など引き出しても、言葉の奥に潜む

  本音の自己開示に至るには、そう簡単にはいきません。

  今まで自社中堅として存在感を発揮していたのに、リストラの対象とされて自尊心が傷つけば

  中々カウンセリングの対象にはなり得ない人も出て来ます。

  あるベテランのカウンセラ-は、かってリストラされた男性から「あんたのような

  ネイちゃんに俺の気持何か分かるもんか」怒鳴りつけられたそうです。

  どんなにキャリアカウンセリングの経験があっても、クライアント心の痛みを心底から

  共感できる人間力はなかなか発揮できません。

  国谷さんと対話していた専門家は、「キャリアカウンセラ-の教育」のことを言って

  いましたが、だれがそれをするのでしょうか? 世間の養成講座の講師だって中々

  そんな深いところまでは、自分に人間力がなけば指導不可能です。

  現場でつらい体験して這い上がった経験でもないとそれは出来ません。

 

  それから転職を目指す人々につきましては、異業種に転職するにあたっての求人側と

  休職者とのマッチングが問題になります。給与等の労働条件のこともありますが、

 「私は管理職として人を束ねる経験があります。」といっても必ずしもその経験が

  活かされるとは限りません。

  部下の仕事を熟知して仕事ができないと部下から信頼されませんから。

  それから、只仕事をすればよいのでなく、それに伴う本人の生きかた、考え方の

  発想の転換が出来ないと、うまく長続きしないのではないでしょうか?

  パラダイムシフトのことです。

  人間が心底好きになれないと障害者の就労支援とか、介護の仕事など継続は困難です。

 

   それから、今回政府の支援の対象になるのは、一部の大企業の関係者の感じがします。

   それに対して国民の血税を使うのは納得できません。

   ある政策を決定する過程では、国民の同意があって血税を使うのでなく、

        国民の知らないところで 話合われて突然一方的に公示されても不信感を抱かざるを

       えません。国民各層のの色んなの立場の人々の意見を傾聴して政策決定して

        頂きたいと切望します。

 

    支援を受ける企業の「モラルハザ-ド」について。 

  電機、ITなどの企業では、好況のときにはドンドン人員を増やしておきながら、不況になると

  リストラで切り抜けるのが通例ですが、企業の成長過程で「リスク」対応する自社責任が

     あるのに 不況になったら、国民の血税で援助してもらうのでは、「自助努力の責任」を

      一部にしろ回避していると考えられます。ましてや、政府の支援の恩恵をうけるのが

      一部の企業関係者であれば、真面目に働いているのに、いざ自社でもリストラが始まったが、

      このような恩恵の対象にならないとすると、「不公平感」が募る一方です。 

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