3月26日~27日  続心の折れない作り方

 

           3月26日~27日  続心の折れない作り方

 

   前回に続いて水島先生の見解ら紹介します。

   うるさくアドバイスや注意をしてくる人は、「現状はよくない」ということを強く感じている

   のです。そういう意味でもやはり現状が思い通りになっていない、「困ってる人」と言う

   ことができるとのことです。

   こちらのことについてアドバイスをしてしてきているのだから、その人自身が

   困っているのとは違うのでは?と思うかもしりませんが、そんなことないとのことです。

   人にはそれぞれの事情があるです。相手の事情を考えて見ようともせず、勝手にずかずか

   踏み込みんできて変えようとする人は、かなりル-ル違反をしているのです。

   そして、何故そんなことをするのかと言うと、「現状が我慢できないから」 「相手が可哀想

   過ぎてとても見ていられない」 「進歩がなさ過ぎて耐えられない」という形で「困っている」

     ので 相手を変えようとして、本来立ち入ってはいけない相手の領域に踏み込んで、うるさく

     言ってしまっているのです。本当は、「このことでこんなに困っているから助けて下さい」と

   いってくれれば、ずっと話は簡単で平和なのです。

   (親とか上司などは、どうしても片意地張って見下しているので素直な気持ちにはなれない)

 

       次に私が注目した「心の原則」は、『自信をなくしたときは、"衝撃"を探そう」です。

        この原則について先生は次のように述べています。        

       人は 思わぬ時にショックを受けると同じような反応をします。(反応を繰り返す)

       例えば人前で話す時に緊張の余りしどろもどろの発表になってショックを受けた人の

       場合、「人前で話すことを怖いと思うようになると同時に、自分はダメな人間だと

       という感覚を強く抱くようになります。」(自信喪失)

                その結果今まで特に気にしていなかったような自分の色々な欠点が級に目につき

       ます。 このような反応は、もともと自分を守るために人間に備わった能力

       なのです、と指摘されます。 

       一度ショックを受けると、人は、体と心は"もう傷つかないようにしよう"というモ-ド

       に入ります。(自己防衛) その結果「人前で話す」という機会を避けるようになり

       どうしても話さなければならない時は、「怖い」と感じ、人の顔色が過剰に気になり

       ます。(トラウマに支配されている感じ)

                    また自分に落ち度があったため、ショックを受けたことで自分の「ダメなところ探しを

       始めます。自分を完璧にしておけば今後傷つくことはなくなると思うからです。

 

       しかし、無理に完璧になろうとしても、「ここも駄目」、「あれも駄目」と欠点

       ばかりをみつけることになってしまいます。つまり自信がないという気持ちを積み

       重ねてていってしまうことになり、今までの自分を後悔したり、将来の自分を考えて

       悲劇的になったりもします。

          でも、このような感じ方は、「衝撃」を受けた時には、誰にでも起こり得る

       もので、じっとしていると時が解決してくれる、ということを知っておけば

       自己嫌悪や絶望といった「深堀」をしないでもすみます。

       例えば、肘をどこかにぶちつければ、しばらくは痛い感じがしても、しばらく

       たつと何の痛みも感じなくなる。衝撃を受けた時に感じる「怖い」「自信がない」

       という気持ちもしばらく我慢していれば、いつかは去ってくれます。

       でも、そこを「今までの自分の全部が間違っていた」「こんなダメな自分はちゃんと

       生きていけるのだろうか」などと深堀りしてしまうと、どんどんこじらせてしまう

       ことになります。ですから「衝撃をうけたな」と思ったなら、ただじっとして

       いればいいのです。 できれば信頼できる相手にその衝撃のことを話して

       慰めてもらえば早く回復できるはずです。以上が先生の見解です。

 

       ◎ 私の感じたこと  

         上記の先生の衝撃を受けた時の本人の負の反応に対しての対処の仕方について

         一般論としては、賛同できます。時が解決して自然消滅の話です。

         しかし、引きこもりのような弱さを持っている人々の心には

         トラウマとして残り、対人恐怖症がもろにでます。自閉症スペクトラムとか

         境界性パ−ソナリティの人などでは、特に新しい人に対して「つくり笑いの

         演技」をすると言っています。そのような衝撃のこと、人への恐れのことなど

         主治医、臨床心理士に話しても癒されないと、過日の引っこもりの集会で

         ある青年は語り、このような対人恐怖がいやされたのは、自分と同じ症状の

         人々と話していて恐怖が癒されたと聞いてとても参考になりました。

         家庭環境がよくて療育が良好の場合も癒し効果がかなり発揮されるのではと

         思っています。だから家族カウンセリングも大事です。 

 2月23 日 痴漢常習者の人生の再出発 向井弁護士のセミナーより

 

     2月23 日 痴漢常習者の人生の再出発  向井弁護士のセミナ-で考えたこと

 

     先週の金曜日に判例に照らして就業規則、雇用契約について、向井先生より、それらの

         実社会 に於いてどのように効力をもつか、もたないのかを学びました。

     例えば、レジメのある個所に注目  ▲ 就業規則に対する裁判所の本音

      〇 実際に裁判所が見ているのは、会社の姿勢。定額残業代などはその傾向が顕著。

     〇 自分が第三者の裁判官なら、どのような就業規則、どのような会社の姿勢、運用が望ま

              しいと考えるか。

        従業員に厳しい就業規則を制定して、すぐ重い懲戒処分を課す会社が望ましいと

       考えるのか?

           ル-ルは定めつつも、チャンスは与え、最後まで再起の機会を与える会社が

       望ましいと考えるか?

 

       次の箇所にも注目しました。

      ▲ 訴訟で通用する就業規則、通用しない就業規則

       〇 裁判所は意外と就業規則の懲戒事由をあまり重視しない。

       〇 過去の懲戒事例とのバランス、 非違行為の内容、結果発生の重大性、

          非違行為を行った者が反省しているかなどで決める。

       〇 懲戒規定を充実させることは進めるべきであるが、それだけでは足りない。

                         具体的事例に 即して適切な懲戒処分を行わないと無効になる。

                       これらの中の二番目と三番目の項目内容は、過失、触法行為などがあった場合

         該当する社員に対してどのような、指導、教育がなされるのかという問題に

         関わっていくと思います。今回の判例については、そのへんのことには

         向井先生は言及されませんでしたが、痴漢行為を繰り返した本人と接見されたと

         言ってみえましたので、直接質問したかったです。

 

         ▲ 小田急電鉄事件(東京高裁 平成15年12月11日)

                          この判決は、直近の痴漢行為をした後の懲戒解雇の際の退職金の支払いを

         めぐる訴訟についての決定です。 

         度重なる痴漢行為の結果、事件を重く受け止めた会社は、懲戒解雇にして

         退職金は不支給としましたが、本人が控訴し、裁判所の次のような見解により

         30%支給する決定がなされました。その決定の趣旨は以下のとおりです。

         ◎ 退職金は賃金の後払い的性格を有し、従業員の退職後の生活保障の意味合いを

         有するもの。本件のように給与及び勤続年数を基準として支給条件が明確に

         規定されている場合には、その退職金は賃金の後払い的な意味合いが強い。

         また、従業員はそれを前提に住宅の取得等の生活設計を立てている場合が多いと

         考えられる。それは、必ずしも不合理な期待とは言えないから、そのような期待を

         はく奪するには相当の合理的理由が必要とされる。そのような事情がない限り

         懲戒解雇の場合であっても本件の条項(懲戒解雇の退職金不支給)は全面的に適用

         されないというべきである。--------不支給の場合についての見解

         退職金全額不支給とする場合については、労働者の長年の勤続の功を抹消してしま

         う程の重大な不信行為があることが必要である。(他社内の痴漢行為は該当しないと

         の見解と思われる)

                  上記の不信行為と退職金支給に関しての判断では、当該労働者の過去の功、その勤務

         態度や服務実績等を考慮されるべきは言うまでもない。

          **本人に接見された向井先生によりますと、"勤務態度はまじめで、旅客ガイドの

          主任資格を取っていたとのことです。また、痴漢行為を するようになったのは

          過去に女性とのことで何かあったようなことを先生は語っていました。

          もっと早く会社として、それ相応のカウンセラ-に依頼していたら事態が変わって

          いたのではと考えました。

           以上のような見解により退職金は30%支給するという決定が下されました。

          ◎私の感じたこと

          何回も痴漢行為を繰り返す前に早い時期に会社がキチンとカウンセリングしたり

          日報を書かせるなど指導したりすればこんな手遅れにならずに済んだかも

          知れないと感じました。とは言えこの人のカウンセリングは相当困難なことと

          想像しますが、出来ることはすべきでしょうに。

          たとえ過ちを犯しても、人生の再出発の支援をするのも会社の社会的責任の

          一つと考えます。

          すでに他界していますkさんは、窃盗の常習犯でしたが、私の尊敬する先生が

          色々と本人を指導され、それから足を洗って完全に方向転換しました。 

 2月19 日 名古屋市内のメンタルにハンディのある青年の集会に参加して

 

      2月19 日   名古屋市内のメンタルにハンディのある青年の集会に参加して

 

   先週、私の知人が主催する集会に参加したとき、私が産業カウンセラ-と知って、自己の

   職場の悩みを話し、適応障害のことを質問しました。本人は、仕事はできても、同僚との

   交わりができないと言っていました。当日かなりの人数でしたので、あえて詳細にわたる

   質問は避けました。感じとしては、適応障害というよりも社交不安障害の感じを受けました。

       適応障害の例は、男女各自については、すでにブログで実例をあげています。

    一人は有名商社の子会社で働いていた女性、もう一人は、1月に将来の自分の職業のことで

    かなり長い時間面談しています。

    両人とも、職場の仕事を通しての人間関係のストレスに起因しています。

    ここの例の人は、対人恐怖症、もう少し焦点を合わせていくと゛社交不安障害ないしは

    社会不安障害の感じでした。

    適応障害とは色んな職場でうまく適応できず、内心では、仕事、人間関係に不満を抱いて

    いても面と向かってはい出せないストレス状態にある場合です。

    それに対して、社交(社会)不安障害は以下の場合です。

    他人に悪い評価を受けることや、注目を浴びる行動への不安があって緊張症状になっている場合

    のことです。従ってこのような状態では、社会恐怖のため回避行動をとり、職場の交わりには

    加われません。仲間の何らかの言行で心的外傷のような痛手を負った場合がそうです。

    心の傷について初対面の人に聴くわけにもいかず、適応障害との違いについては、

    追及するのは避けましたが、今後 の交わりの進行次第では機会あれば話題にしたいと思います。

    それから、彼らのメンタルのハンディの問題は、親たちもそうではないかの指摘があり

    皆さんと共にわたしも大いに関心を持ちました。豊田の引きこもり、不登校の母親との集会に

    参加する際に、青年たちの主張に親たちが個々の問題にどんな反応を示すのか、とても興味が

    あります。

      とかく、ニ-ト、自閉症、引きこもりなどと聞くと、世間では何かどうにもならない

      人々のような暗いイメ-ジを持ってしまいます。しかし、彼らと打ち解けて話し合ってみますと、

      決してあきらめていません。

      結構メンタルに関する本も読んで何とか現状から抜け出そうとするもがき、意気込み

      すら感じます。

      むしろ親たちが諦めているのではと時々感じます。それとクリニックの医師、臨床心理士の

      対応ぶりも彼らと話していてよく気になります。

      リストカットをしたときの心境(主訴)主治医にはなしても只聞いているだけ、とか

      ある臨床心理士はそのような話をし出すと、カウンセリングやめるようなことをいうとのこと。

      そんな話を聞くと、怒れてくるいうよりか、何か悲しくなります。

      患者さんは、ただ医師らのいうことを聞いて薬づけにしておけばよいのでしょうか?

           平井孝男先生の言われるように「患者が治療の主体になる」よう医師らが指導することを

      切望して止みません。

2 月1~2日 自己認識力を高めるには 市毛智雄先生執筆

 

          2月1~2日   自己認識力を高めるには     市毛智雄先生執筆 

                         コ-チAより配信 

           今回の記事は、組織の中での要であるエグゼクティブ(執行役員)の自己認識力に焦点を

           当てて、このテ-マに沿って、その当事者のコ-チングをした体験に基づいて問題点の核心に

           触れています。日頃部下に対して、指示命令したり、時には厳しい叱責などする

           エグゼクティブに 対して、逆に部下から厳しいフィ-ドバックを受けたら

            どう対処するのかその時、コ-チの先生は どのように関わりサポ-トして

            エグゼクティブに気づきを与えるかがポイントになります。

 

           エグゼクティブサ-チ、コ-ン・フェリ-社のアナリストであるDavid Zes氏と

           Dana Landis氏は

           リ-ダ-の「自己認識力」と「組織の業績」の関連性についてリサ-チしています。

           彼らは、上場企業486社の社員6977名を対象にその自己評価と他者評価の一致度について

           調査するとともに、対象者の属する企業の「株価パフォーマンスを2年にわたって

           追跡したとのこと。

           そうした中から、「業績の悪い会社の社員」は、収益率の良い会社 の社員よりも

        「自己認識率の低い率」が79%も高い。そして収益率が良い上場企業は、自己認識力が

         より高い プロフェッショナルを雇用しているというう結論に至ったそうです。

           20 世紀最高の経営者と言われるジャック・ウェルチは、「ウェルチさん、貴方は何故、

          20世紀 最高の経営者と言われるよになったのですか」というメディアからの質問に

          対して、たった一言 「自己認識力」の高さと答えています。

           こうしてみると、自己認識力の高さは、リ−ダ-が何となく身に着けているものでなく、

          リ-ダ-にとって「なくてならない能力」、つまりコンピテンシ-のように 思えてくると

          市毛先生は、述べて います。    

           このコンピテンシ-とは、成果を上げれる望ましい行動特性のことで、たとえ部下たちが

         上司に 対して批判的なことを言ったとしても、 自己防衛せず、その時の部下の気持ちを

         冷静に受け止め 反省すべきことは謙虚に受け止め、部下の主張に偏りがあれば、

         きちんと説明していくなどの適切な対応力が不可欠です。  

         では、如何にしたら、私たち「自己認識力」を高めていけるのでしょうか?と先生は問い

         かけて、 それに関した次の実例をあげています。

 

         コ-チング研究所が、85名のエグゼクティブに実施したコ-チングの成果に関する調査

   によると 93%の方が、 「他人からのフィ-ドバックを事実として受け取るようになった」

   と答え、それと同時に 86%の方が「自分を客観的にみて、自分の状況を確認できる

   ようになった」と答え、「自己認識力の  向上をあげているとのことです。

          この結果から第三者からのフィ-ドバックを効果的に受け取れる

   * 「フィ-ドバックリテラシ-の高さ」が   自己認識力を高める要因の一つなっている

        と考えられると先生は指摘しています。

          *なお、ここのリテラシ-とは、与えられた材料から必要な情報を引き出して活用する

        能力のことで、 この場合では、部下からきつい指摘を受けても、感情を制御して、

        情報の価値を判断せず まずは、部下の認識の内容を冷静に見て、他者の認識、評価の

        例として自己認識に活用する ことを意味しています。

           続いて先生は、「しかしながら、そのフィ-ドバックが耳の痛いものであればあるほど、

          それを うまく活用できないことも場合もあることも事実です」と述べています。

           例えば、自身では、「何事であれ、自分は、誠実な対応をしている」と固く信ずる

         エグゼクティブに対して 周囲から、「誠実さは感じられない」というフィ-ドバックが

         なされた時、そのエグゼクティブの反応は大きく  2つのパタ-ンに分かれるとこと。

           「そんなことはない。周囲の人は何を見ているんだ。

           「誰が(この結果を)言ったんだ。」というケ-スと

           「どうせ、私のことを知らない連中が言ったことだ」    「結果自体に関心がない」

           「周りの人からのフィ-ドバックに意味があるとは思えない」という以上の二つのパタ-ン。

             多少誇張していますが、「他者からのネガティブ評価」に対して起こるストレス

            反応には、「戦うか? 「逃げるか?」の二通りの感情的な反応パタ-ンがある、

            ということです。

           この反応パタ-ンに陥ることで、エグゼクティブ 自身は、

           自分の内側にある「 好ましい自己イメ-ジ」を自分の中で保つことはできますが、

         「自己評価」と 「他者評価」のギャップを埋めることはできません。

           以下のは、先生がコ-チングしていたエグゼクティブの話の例とのことです。

           事前に周囲から得たそのエグゼクティブへのフィ-ドバックは

           「 人の話を全く聞かない」 、「一方的で押しつけがましい」  、

        「話をもっと聞いて欲しい」など  コミュニケーションの「聞く」に関する項目については、

         驚くほどネガティブに評価されていたとのこと。

          恐らく、この周辺からのフィ-ドバックを本人にそのまま返しても、前述の「戦うか」 、                「逃げるか」の反応に陥るだけに終わってしまう可能性ありと、先生は思っていた

          とのことでした。

           そこで、市毛先生は、フィ-ドバックする際に、いくつかのステップを踏んでみること

           にしたとのこと。

           例えば、「部下は、どんな思いをもってこのフィ-ドバックを伝えていらっしゃると

           思いますか?」

           「これまでに、他者からフィ-ドバックを受けてまくいった体験は何てすか」

           「そもそも、他者からフィ-ドバックを受けることに対してどんなイメ-ジをもって

           いますか?」など  フィ-ドバックに対する、本人の認識や理解を、いくつかの視点から

           言語化していただく時間を とったとのこと。

            すると、そのエグゼクティブは、耳が痛いフィ-ドバックには、自分が身構えたり、

           無視してしまい  がちになりやすい、ということがわかってきたそうです。

             しかし、フィ-ドバックというものに問いかけられ、言葉にする過程で、徐々に

           フィ-ドバックへの 理解が深まり、「自分と組織を成長させる価値ある情報」と

           再定義するようになってきたとのこと。

             耳痛いフィ-ドバックであったとしても、過剰なアレルギー反応を起こさずに、

             「一度じっくり  向き合ってみよう」という気に変わっていったのです。

             ◎  ここのエグゼクティブの気づきを促したのは、市毛先生の上記の3つのような

             質問が効果を 発揮しているのが理解できます。「フィ-ドバックに対する本人の

             認識や理解をいくつかの視点から言語化して頂く」ここがまさにコ-チングの妙と

             感じました。

             心の中の感情や思いを言語化して吐き出してもらう、ことで本人の心が浄化(カタルシス)

             され、冷静に自己の内面を観察できた(CBTでいう外在化)ことで貴重な「気づき」が

              生まれたのです。流石プロのエグゼクティブコ-チです。

                厳しい内容のフィ-ドバックに対して、このようなワンクッションおいた対処で、

              自己認識力が 高まる手法は、カウンセリングでもとても参考になります。

1月25日 上司の基準、部下の基準 桜井一紀先生執筆

 

         1月25 日  上司の基準、部下の基準    桜井一紀先生執筆

                                                       コ-チA配信メ-ルより

       今回の記事は、部下を育成していく場合、上司の目線を基準にしていく場合と、部下の目線を

       基準にしていく場合の二つの事例を対比して、コ-チングの手法の長所について言及しています。

       以下事例は、ある企業の営業部の25店舗の店長に対する多面評価の実施した際のことです。

       その中の設問の一つに、部下が上司のコミュニケーションを評価する質問あったとのこと。

       「店長は、私を育成する意志をもっている」

       この設問に対する部下の平均点が、10点満点の店舗が二つありました。

       店舗Aでは、毎年複数人の離職者が出ています。

       その一方店舗Bでは、社員の定着率が高く、ここ数年一人も離職者も出ていません。

       A、Bのそれぞれのスタッフに桜井先生が、店長の日々の関わりに関するインタビュ-をしたとのこと。

       すると次のような回答がありました。

       「ミスをすると徹底的に追及される」   「あまり褒めてくれない。やって当たり前という雰囲気」

       「言い方がきつい」など、どちらの店長も基本的に部下に対して、とても厳しい。

       双方の店長にもインタビュ-すると、共通した回答が出てきたとのことです。

        「その程度のことは言われなくてもわかると思うし、自分で気づいて対応できないと困る」

        「何回も言っているのに何でできないの?といょっ中 思うし、実際そう伝えている」

         二人とも、部下育成にたいする 意識が非常に高く、回答にも、部下に対する厳しさがにじみ出ている

         とのことです。   ところがなぜそうしているのか、その厳しさの理由を聞いたところ、二人の答えには、

         大きな違いがあったとのことでした。

         A店長  

         『自分がやれることは、他の人もやれると思っています。自分は劣等生でしたが、努力してここまで

          きました。今の部下は当時の僕からみたら全員優秀。だからできないわけがない。

          できないのは、やろうとする意志がないからだと思うんですよ。だからこそ、部下の成長のために

          そのつど、厳しく指導しているんです」

          自分の経験、価値観で部下をティチングしている典型的な例です。

          このA店では、部下との双方向の対話が欠け、従って上司と部下の相互理解、信頼感関係を

          築くことに支障が生じることが出てきます。

           B店長

          「 僕は人それぞれだと思っていますので、一人ひとりの部下がその人なりに最高に輝いている

           能力を発揮しているところをイメ-ジして、それに近づけたいと思ってるんです。

          ですから、僕がその部下に対してどうなって欲しいかということを話しますし、その部下がどうなり

          たいか、ということもよく聞くことにしています。その人がなりたいと思っているゴ-ルを握ることが

          できて、愛情があれば、少しきついことをいっても大丈夫だと思っています。」

          こちらの手法は、まさにコ-チングで、本人の自発性を尊重した育成法です。

          確かに両者の信頼関係があれば、少しきついことを言われても、「愛のむち」として部下は受け止め

          かえって励みになることが伝わってきます。

          次にそれぞれの店のスタッフは、店長の指導をどのように答えているか述べています。

           ○  店舗Aのスタッフ

              ネガティブなことを言うと怒られるので、相談できない。

              駄目なことは、自分て゛もわかっているのでだから、何回も言わないで欲しい。

              もぐらたたきのように、細かいことまで怒られる

 

            ○  店舗 Bのスタッフ 

                自分のためにきついことまで言ってくれる。

                いつでも相談にのってくれる

                きびしいことを言われるが、店長は自分を成長させてくれる。

               ◎ こちらのB店舗では、上司との信頼関係があり、きびしいことを言われても

                   店長の育成の意図を理解してプラス志向で把握しているのが分かります。

 

               ◎       桜井先生のコメント

               同じ厳しい指導を受けたとしても、それが自分のゴ-ルに向かっての支援だと感じられる

               こともある。

               逆に上司の基準を自分のゴ-ルとして認識できないがために、厳しい指導に対して

              「もぐらたたき」のように感じてしまうこともある。

               自分の基準に、部下を引き上げようとするA店長。

               相手の基準に相手を到達させようとするB店長。

 

               上司の基準と部下の基準。

               その差は、「誰」の基準を扱っているのかにあるかも知れません。

              要は、指示命令してやらせる場合と部下の自発性を尊重し、彼らの潜在的にもっている

              能力を、上司との対話(コ-チング) を通して引き出して成果を上げていく場合の比較例です。

              どうして後者の方がモチベーションが上がっていくか、ここが大事なポイントになるかと

              思います。労務管理論 X論、Y論を想起します。  

                 私がブログで紹介していますマグレガ-のY論は、B店舗長の考え方に符合します。

2015 1月13日~14日 認知症当事者を抜きにしてことを始めるなかれ こころの科学 1月号

 

      2015 1月13日~14日    認知症当事者を抜きにしてことを始めるなかれ  こころの科学 1月号   

                                          千葉大文学部行動科学科  出口泰靖先生執筆

        愛知鉄道事故とその判決について語られたこと

        この事故とは、2007年12月愛知県大府市のJR東海共和駅の線路内に91才の男性が立ち入り

        列車にはねられ死亡した事故のことです。男性は、当時要介護認定の「要介護四」

        「認知症日常生活自立度Ⅳ」とされていた。この事故で家族らが「見守りを怠った過失」がある

        として、JR東海が列車の遅延などの損害賠償を求めた訴訟の二審判決(名古屋高等裁判)が

    昨年4月に出た二審では、介護していたその男性の妻(当時85才)と長男に約720万円の支払い

    を命じた一審判決を変更し、妻の監督責任を認め、約359万円に減額して支払いを命じた。

    長男には見守る義務なしとしてJR東海の請求を棄却した。

         なお、筆者によると本人の妻と長男の妻とで本人の身の回りの世話をし、本人が勝手に外に

          出ようとしても、ブザ-が鳴る装置が備えてあり、戸外に本人が出るときには、長男の妻が同行

     していた。しかし、事件の直前は、本人が居眠りしていたので、長男の妻が本人の身の回りの

     ものを かたずけていた時、本人の妻もうとうとし出した後本人かいなくなったことを気づいた。

          ブザ-も切れていたとのこと。このような状態を裁判官はどう判断したのかとわたしも疑問に

           感じました。ネットでは、「アホ裁判」と非難する記事もあります。  

           私自身もこの判決を下した長門栄吉裁判長の認知に疑問を感じました。

                 さらに筆者は、この事故や判決から出た目立った反応としては、今回の判決は、

      「できるだけ住み慣れた地域で」認知症の人と家族を見守ろうという今日の時代の流れに

      逆行するものだ、 というものがあった、とコメントしています。  

            その他、筆者の認知症についての本人の周りの人々に注意を喚起する指摘として

      次の二点に 注目しました。  

            (1) 認知症当事者の助けを求めることへの羞恥心に気づけているのか

             「家がわからなくなった。」 「道に迷ってしまった。」 「散歩しているうちに帰る道が

       わからなくなった。」

              これらの言葉は、行方がわからなくなった認知症の人が発見された時、その本人が

             発したものである。これらの声は、「釧路地域SOSネットワ-ク」によって行われた調査の

       一端である。

            ----このSOSネットワ-クは、行方不明になった認知症の人たちを支援しようと全国で

             初めて立ち上げられた。この組織ができたきっかけは、一人の認知症の女性

       (当時79才)が亡くなった ことにあった。1990年4月の朝ごみ出しに出たところ、

       そのまま家に帰って来なかった。

           四日後自宅から三キロ離れた市街地のはずれで遺体となって発見された。                                                                                                                                                       

              本人の足跡をたどると、行方不明になった二日目の早朝、自宅から二キロ離れた

        自動車部品 会社の横でうずくまっている姿を目撃されていた。

              彼女は、そこの事務所のトイレを借りたという。その後一キロ離れたバス停に

              座り込む姿が目撃された。四日目、湿原のはずれの資材置き場の陰で、段ボールを

              敷き、履いていたサンダルをそろえ、段ボールをわが身にかけて横になったまま亡く

       なっていた。 釧路地域SOSネットワ-クを立ち上げた岩淵は、「トイレを借りに寄ったり

      、段ボールで寒さをしのぐ という生活の知恵がありながら、他人に助けを求めないで

       いたこの女性の姿に衝撃を 受けたという。

             永田は、自分の家に戻れなくなった認知症の人の中には、「大人としてして自分の家へ

             帰る道を人に尋ねるには、恥を忍んで、相当の勇気がいることが推察される」と

             述べる。また永田は、認知症の「行方不明者に対して「わけもわからず、

       ふらふら歩いている人」、

             「何も考えられずに、自分では何もできない人」等の誤解が今でも地域や社会に根強いと

             論じる。行方不明になったとしても、わけもわからず、ふらふら歩いているわけでもない。

              「本人なりに戸外に出る目的があり、何とか家に 帰りつこうと懸命に自分なりに

       努力をし、人に  尋ねようと相手を探している人たち」なのだ。たかが道を人に尋ねる

       ことではないか、と私たちは思うかも知れない。

              されど、ささいな救いを求めることに、しのばねばならないほどの羞恥心を

               胸に秘めている。私たちは、徘徊をする彼らの姿を見失わないようにすることばかり

       に気をとられ、

           本人の胸に去来する情感に気づけていないでいるのではないだろうか。

              ◎ 最後の二行は大切な指摘です。認知症といえども、完全な無能者でなく、幾分

       健常性を持ち、その人の人格に関わる「羞恥心」をもっていることにも注目しました。

             (この羞恥心には認知能力衰えたりといえども、彼らのプライドが潜在するのに

        心打たれます)

 

               (2) 当事者の言動を一括りに「徘徊」と決めつけていいのか?   

                 筆者は以下のことも留意しています。

                 それは、認知症の人が家や施設の外に出て歩くことを一括りに「徘徊」とみなしてしまい、

                  徘徊を過去から起きる言動と決めつけてしまうことによって、何かが見落とされてしまう

                  こともあるのではないかということである。、

                  そう思うきっかけになった出来事があった。それは、ある民家を使ってデイサ-ビスを

                   しているケアの場で、フィ-ルドワ-クをしていたときのことであった。    

                  Sさんという男性がいた。昼下がりになるときまって「様子が気になるから現場をみてくる

                  といって玄関にいって靴を履き、外へ出ていってしまう人だった。

                  彼は歩いてそ5、6分ほどの最寄駅まで行く。そしてしばらくの間、その駅の周りをぐるくる

                  歩きまわり続ける。

                  彼に付き添っていた筆者は、彼が以前建設業の仕事をしていたことを聞いていた。

                  だから、「建設現場をみてくる」 と言って外に出るのだとその人の過去から解釈していた。

                  私は、建設現場があると足を止め、彼とその場をながめながら「この現場はどんな

                  感じですか」と問いかけた。しかし、彼の歩みに付き添っていた何回目か、ふと彼が

                  こうもらした。「あそこの(デイサ-ビス)にいくと(周囲の女性スタッフや女性の利用者が)

                  あれ食え、これ食えってうるさいんだ。あそこは女ばかりで、いやなんだ。」

                  ここにSさんの本音が出ています。まさに筆者の問題提示の"  当事者の言動を一括りに

                 「徘徊」と決めつけていいのか?"の回答が出ています。

 

               この例からすると、認知症のカウンセリングも相手次第では可能の場合があると言えます。

               ちなみにネットで「認知症のカウンセリングの可能性」と入力してみますと参考になる

               認知症の権威者の岩田誠先生(東京都メディカルクリニック柿木坂院長)の治療に関する

               信条が出ています。この先生の信条は以下の通りです。

               「患者の治療から家族、介護者に対するケアの指導まで、個人を大切にし、じっくり

        対話する医療が信条。認知症患者といえども、理由なく徘徊したり、理由なく怒ったり

       、理由なく 暴力を振るうということはありません。」その実例が出ています。

 

 

        夕方5時になるとある老人ホ-ムの介護職員がある男性入居者が外へ出ようとする。

             「部屋に入りましょうね』というと暴力を振るうのでこまるとのこと。岩田先生が

       「入居者が 自宅にいたころ、その時刻に何をしていたか調べるように指導した」と。 

              その結果、本人は以前大きな家に住んでいて5時頃になるといくつかの戸を閉める

        習慣がありそのため、

        その時刻になると外へ出たがることがわかったそうで、そこで先生は、

               その時刻になったら本人に、各利用者のポストに伝達用印刷物など配布する

         よう指示し 本人がそれを実行したところ、徘徊が止まったそうです。

                ◎  この記事を読んでいても認知症の場合でも、本人、家族次第では

        、カウンセリングが機能 する場合があると痛感しました。

                  さらにその際本人の気持ちを刺激するような、行動療法も機能する

         ことも考えられるようにも感じました。本人の特性に合わせて音楽を 聴いたり、

         花など色彩感覚を刺激したり時には本人の好きな飲食物をともに味わうことで

         対話を進めていくことなど。 本人のこだわりへの刺激のこと、

         どこかで聞いたこともあります。

12月28日 引きこもり低空飛行の集会

 

       12月28日   引きこもり低空飛行の集会

        この集会はすでにネットで紹介され、その人数はすでに20名を越えているとか。

        場所は名古屋駅近くの中村区役所から近くにあります。

        私が最初に訪問した時、確か11月でも途中で夕刻退出した時でも、20名足らずの参加者が部屋

        一杯にいました。司会者のYさんとは、私のクライアントのTさんの支援依頼を受けて知り合いに

        なった間柄です。引きこもりと聞くと何か暗い感じがしますが、すでに私は、北区のNPOで

        色んなハンディのある人々と接していましたので、全く違和感なく仲間に加わった感じです。

        彼らが自己の主訴を話しても、大抵理解できますし、アドバイスもできます。

        若者の集会といった雰囲気の中、女性も一人二人ときています。

        初対面でも、気軽に話ができるアットホ-ムの居場所です。ある女性は自分の一身上の交際相手の

         ことも話したり、認知行動療法のテキストを見せてくれたのには驚きました。  参加者の色んな

         発言を聞いていて、特に関心を持ったのは、ある青年が「自分の症状は、医師では治らなかった。

         だが、こういう集会で自由に話せると対人恐怖症などがいやされた」と語った時でした。

         私としては、さらに彼らの家庭環境のことも知りたいです。

         すでに豊田の青少年センタ-で不登校、引きこもりのお母さんと少し交わり、家庭の療育に関する

          本もお借りしたこともあり、その集会にも近いうちに参加してそこからも学びをしたいと考えて

          います。低空飛行の次の集会には、もちでなく、自前のケ-キでも作って皆さんと試食してみようと

          計画していますが、これもYさんと相談して実行するつもりです。

 

          それからある産業カウンセラーから紹介されたTFT(思考場療法)のことも習得して

          メンタルにハンディのある人々のセラピーに役立つ ことを願望しています。

           この療法は、東洋医学の鍼(はり) の療法にヒントを得て米国で開発された心理療法です。

           体のツボに当たる箇所を指でタッピングする手法です。

10月7日 社会的引きこもり(斎藤環先生著)より その1

 

         10月7日  社会的引きこもり(斎藤環先生著)より  その1

 

         つい数日前朝日新聞の投書欄に発達障害の子に幸せな未来をと題したある主婦の記事が

         掲載されていました。発達障害のある5才の男の子が、散歩中の犬を軽く蹴ってしまい、

     飼い主の男性に怒鳴られたとのこと。しかし、子供さんは言葉を正しく理解できないため

     笑ってしまいその男性から殴られそうになったとのことでした。見た目は普通なので

     誤解され、ひどい言葉を 浴びせられることが少なくないとのこと。時には身の危険も伴う

     こともあるとか心配しています。母としては「発達障害についての理解を広めるためには、

     義務教育の中で、その特性などについて教えてほしい」と述べています。

         この例に類似したメンタルにハンディのある人々と接している私としては、基本的人権に

     関わる 問題として注目しました。明日出かけます豊田の青少年センタ-の引きこもりの

     集会にも、 同類のハンディのある青年も参加しています。

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                               秋の花   彼岸花

        就労支援のNPOでも、引きこもり体験者とカウンセリングをしていますが、この若者支援

    事業団の方が、より多くの理事を始め色んな方々との交わりができて感謝です。近くYさん

    主宰の名駅近くの「低空飛行」と称する集会にも出席するつもりです。20名程の参加者。

        Yさんは、その集会を通しての参加者のメンタルの癒しにも留意しているとのことで

   、要請により、 カウンセリング等の支援、メンタルヘルスの学習会もしてみたい願っています。

        この「社会的ひきこもり」の言葉自体は、斎藤先生が最初に命名されましたが、著書の

    冒頭で 東京の会社員が中学生の息子をバットで殴り殺すという痛ましい事件を紹介して

    います。 事件の一年程前から学校を休みがちになり、家族に暴力を振るうようになった

    とのこと。そのため母親は別居し、父と二人暮らしの生活になっても父への 暴力を絶え間

    なく続け、 ついに父親が上記の行動に出たとのことです。 

         先生の説明では、この種の犯罪の背景には、明らかに一種の無知があるとのこと。

         この種の無知は単なる個人的なものに限定されず、構造的無知、この社会全体の無関心

         によって 生まれた無知とことです。

          ここで言わんとすることは、後述の家庭内の適切なコミュニケーション(受容、共感を活かす)

          専門家による治療、外部の支援機関の援助の必要性のことと思います。

         でも、先生の指摘される「無知」に対する反論として「思春期の心への関心がこれほど高まって

     いる時期はなかったではないか」の意見もあるかも知れないが、「それは一面で真実」。

     残念ながら、そこで関心を持たれているのは「社会現象としての思春期」とのこと。

     「事件としての思春期」、「病理としての思春期」等。

     その一方で「 " ひきこもる思春期"  はずっと黙殺されたままになっているのです」と指摘

         されます。 この言葉を聞くと、すでに私のブログで述べました自分の30才台の時、私が

     倫社の授業を担当していた頃のことを思い出します。

     よく欠席しがちながら、私の授業には出席していて課題のレポ-トをきちんと書いて

     提出してくれましたが、その少し後その高2の女子生徒は自殺しました。

     「人を信じてはいけない。その時はやさしそうにみえても、かえって悲しい思いがする」

     これだけの内容を発信していたのに、、当時の自分には何もできず、まさに「黙殺した」

     のにです。悲痛とともに悔しさの残った事件でした。

     ところで、社会的引きこもりとはどんな事態をさすでしょうか?ここでいう社会とはほぼ

     対人関係全般をさすと理解して差支えないとのこと。家族以外のあらゆる対人関係をさけ、

     そこから撤退してしまうこと。それが「社会的ひきこもり」と先生は説明しています。

     その「社会的ひきこもり」の定義については、次のように述べています。

     「20才後半までに問題化し、6カ月以上自宅に引きこもって社会参加しない状態が持続

     しており、 ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」

       この定義ですと、上記の女子生徒の事件は、この定義からはずれますが、ひきこもりの

     兆候を 示していた事件でした。

          少しより道しましたが、先生の「社会的ひきこもり」の中で、私の注目した箇所をいくつかに

     区分して 各々の要点をまとめながら、随時私の見解も述べていきますのでよろしく

     お願いします。

 

        1   「 ひきこもり」は心因性の障害

                その障害からの回復に至る過程で大切なことは何でしょうか?

               ひきこもりの心因として様々な挫折体験があります。対人関係や入試の失敗など。

               ひきこもりは 対人関係によって補われるはずの治療の機会が奪われしまいます。

               外傷、ストレスは他人から受けるものですが、同時に他人からの援助なしには

        外傷からの回復もあり得ないとのことです。

               「ひきこもり」の自然治癒がむつかしいのも、他人との有意義な接点がないことが

        ひきこもりの 原因の一つと考えられるとの先生のご指摘のとおりです。

                このことに関連して先生は、「ひきこもりの最終目標は、"友達をつくる"」と

        提言されています。

                この提言につきましては、私は以下のように考えました。

                つまり、友達を得たことで、何でも打ちとけて安心して自由に話せることで

        対人恐怖症が癒され、他人との信頼関係を築くことで社会復帰の道が開け

        ていくと。 この対人関係につきましては、後述で「大人としての成熟の記事」

        では、精神分析で実績を 残した米国のエリクソンの説を念頭においている

        のを痛感しました。

10月19日 社会的ひきこもり その2

 

            10月19日   社会的ひきこもり  その2

 

            ▲   社会的ひきこもりのジレンマの苦悩

              ●    ひきこもりは無気力ではない

             斎藤先生は、ひきこもりの状態は、必ずしも無気力を意味しないとのことです。

             彼らは「無為」にみえるかも知れませんが、必ずしも無気力でない、この点だけは断定しても

              よいだろうと思いますと述べています。

              この点については、私自身も豊田市の最初の「ひきこもりの集会」でこのことについて

              参加者の方々に打診したところ、先生のご指摘のように、「こうしよう、ああしよう」という

              あせりがあるけど動けない心境が確認できました。

               『無気力」のメカニズムについても。そうなる事例はおおまかに言って二通りあるとのこと。

               一つは、病気が慢性化した結果無気力になってしまうもの。うつなどが長期に及んだ結果

              全く自発性がみられなくなることがしばしばみられるとされているとのことです。

               しかし、先生の診られた患者さんの例では殆どその例はないそうです。

               もう一つの無気力状態には、『学習された無気力」があるとのこと。これは、精神病でも

               脳に障害があるのでもなく、心理的な原因から生じた無気力状態のことです。

                実験心理学の例として、ケ-ジの中に犬を入れて、何の予告もなく電気ショックを繰り返し

        与えると 最初は、吠えたり、もがいたりの反応をみせるが、次第に無気力となり 

        反応を示さなくなる とのこと。つまり不快な刺激がくりかえされているにもかかわらず

、       自分でそれをコントロールできなくなることが学習された時、無気力化が起きるとのこと。

        同様の実験で人間にも起きることが

               確認されているとのことです。しかし、こうした無気力状態から 、果たして社会的ひきこもり

                のメカニズムを説明できるのでしょうか? 実際にそのような視点から説明されている

        本もあるとか。しかし、先生は様々な『無気力」のごとく一部しか説明てきないとのこと。

                「ひきこもりは、動いたほうがよいに決まっている。」からこそ身動きがとれない

        のですとのこと。 このような状態を単に『無気力」と表現するのに賛成できないとの先生の

        ご見解です。 

                こうした 彼らの心境を家族や治療者等が理解し共感できてこそ回復の道が開けます。

 

                 ▲   ひきこもりは単なる個人の病理としては捉えきれない

                 ひきこもりは、学生が学業に関心も意欲もなくして無気力になる、いわゆるスチュ-デント

                 アパシ-に対してなされた精神分析の手法も、その状態の理解のためには、部分的に

                  可能とのこと。但し、(注意すべきは)精神分析によってひきこもりの状態の治療をなしうる

                   という意味ではないとのかしいことです。つまり、社会的ひきこもりも、学生のアパシ-も、 

                  個人的な問題領域をこえた社会的な対人関係の問題ではこの精神分析の手法には

                  限界ありと先生は思われていると解釈します。

                  その限界についての先生の以下の説明でそのことが理解できます。

                  「治療意欲の不安定な社会的ひきこもり事例に対して、精神分析を行うことは困難

                   であるからです。また社会的ひきこもりの問題は、個人の病理を分析する立場からは、

                   その全体像を理解することが難しい。そこには、家族 や社会の病理が深く巻き込まれて

                   おり、基本的に個人を対象とする精神分析がこのような病理を扱い切れないのは

                   当然のことです。ひきこもり問題の特異性を個人の病理として捉えようとする限り、その理解

                   と対策は、ごく表面的なものにおわってしまうでしょう。---ひきこもりの問題はたとえその

                   はじまりが個人病理むにあったとしても、経過とともに必ず家族を巻き込んでいきます。

                   これによって事態は、一層こじれ、病理性が深まります。---そこにはわが国の社会的

                   病理性が反映されることになります。----このひきこもり事例は、我が国だけにみられる

                   ものではありません。----しかし、我が国のその事例は、きわめて独特の経過をたどります。

                   この経過の特殊性において、我が国の我が国の文化的、社会的な状況が反映されて

                    いるのです。従って「社会的ひきこもり」の問題は、患者個人の病理という問題をこえて

                  社会精神医学や公衆衛生学といったといった領域においても重視されなければなりません。」

                  そこでは、個人の精神療法のみならず、様々なケ-スワ-クや家族を介しての治療的介入などが

                 大きな意味をもつことになるとのことです。

                 ここでは、先生は、マクロの視点から「個人の治療」よりも「いかに有効に治療介入を行うか」

                という点に比重ががかかっていることを力説してみえる意気込みを感じます。

 

               ▲   対人関係における悪循環

                 ひきこりの事例では、一般の体の病気と異なって、その期間が長い程、その程度が

                 重い程一層ひきこもりが強化されているという悪循環が起こり得るとのこと。

                 一般の体の病気なら様々な自然治癒により、うまくいけば病気は快方に向かいますが、

                 ひきこもりの場合では、一層その状態を強化し、安定化してしまうように作用するとのこと。

                 (長期化の道に進む)  その理由の一つには、社会的ひきこもりの原因が複数あることに

                 起因するとのこと。

                 神戸大の中井久夫先生によると経過が長くこじれがちな疾患は、原因もひとつだけの

                 ことは余りなく、様々な要因が総合的に絡み合って治療努力を妨げていることが

                多いとのことです。 

                 「いじめ被害の外傷体験」がその例です。社会的ひき こもりの問題は、つきつめれば

                 対人関係の問題とみることができるという斎藤先生の見解です。

 

                  複数原因を先生は、個人、家族、社会の三つの領域に分け、すべての領域で何らかの

                  悪循環が生じているため長期化してしまうのではないかと考えているとのことです。

                  こうした悪循環は多かれ少なかれ殆どの精神障害で起こりうるものです。

                  ひきこもりの状態で際立っているのは、3つの個人、家族、社会の領域が互いに等しく

                  閉鎖的なものとなりがちであるとのことです。これと異なって他の精神障害では、個人

                  レベルで悪循環が生じていても、家族の協力でそれを解消できたり、また家族との関係が

                  悪くても、本人が社会に出て問題の解決したりできる場合があるとのこと。

                  入院治療がその例です。

                  また、水島弘子先生の対人関係療法でよく出てくる「本人にとっての重要な他者」が

                 家族外であることも、私と長くつき合いのあるFさんとのカウンセリングでじかに聞いた

                 こともあります。

                 しかし、ひきこもりの場合、折角入院治療ができても、家族との関係が悪いと、すぐもとに

                 もどるが多いとのこと。

                 先生によると,ひきこもりの事例では,「個人と家族」 、「個人と社会」などの回路が

                 完全に塞がれてしまっている例が多いとのこと。従って家族との関係、協力が

                  キイポイントなのですが、殆どの場合、家族との間にも悪循環があって事態は一層

                  こじれてしまうとのことです。

                  困ったことには、こうした悪循環は、まるで一つの独立したシステムのように、こじれれば

                  こじれるほど安定するとのこと。(硬直化してしまって)こうなると少しばかりの治療努力では

                  こうした悪循環を止めるのが困難になるとのことです。

                  先生は、この悪循環を「ひきこもりシステム」と 仮に名づけ、このシステムを如何に解消

                  するのか、それを治療上の基本方針としているとのことです。

10月27日 社会的ひきこもり その3

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            10月27日   社会的ひきこり   その3                        

            ▲    個人・家族・社会の三つのシステム                    

               ●   健常なシステムとひきこもりシステム

               a  健常なシステム 

                                                                                     赤いコスモスの花言葉は愛情です

               斎藤先生の説明によれば、このシステムは接点をもって働いているとのこと。

                ここでいう接点は、相互のコミュニケーションのことで

                個人は家族と日常の中でコミュ二ケ-トし、互いに影響を与え合いながら生活しています。

                また個人は、学校や会社などの場で社会とコミュ二ケ-トし、影響を受けます。

                家族と同じく諸々の生活や地域の活動などで社会とのコミュニケーションの回路をもち

                相互に影響し合いバランスを保っています。      しかし、ひきこもりのシステムでは、

                このような接点が互いに乖離し、機能をしなくなります。

                つまり、家族でも、社会でも人とのコミュニケーションがうまくとれない ということです。

                先生が言うには、ここでいうコミュニケーションとは、「相互性」が不可欠であり、本人が

                家族からの言葉に耳をかさず、自分の悩みばかりを訴え続けるような状態では、そこに

                十分なコミュニケーションがあるとはとても言えないとこと。この点が意外と見落とされて

                いるとのこと。「単なる会話」とは 別物であると注意を喚起しています。

 

                b 「 個人のひきこもりシステム」 について

                     他人の介入を受け入れられない    

                  社会的ひきこもりの状態にある人は、強い葛藤を感じていることが多いとのこと。

                  こうした葛藤は様々な精神状態につながりやすいと先生は指摘されます。

                 まず、こうした症状から悪循環が生じます。対人恐怖症対人恐怖症や脅迫症状、*被害念慮

                  (被害を受けているという気持ちに追いやられる)

                  などは一層、社会参加の壁を厚くするとのことです。しかも皮肉にも、こうした症状の殆どは

                 社会参加ないしは治療によってでなければ改善しないとのことです。次第に悪化する症状を

                 抱えながら、一層深くひきこまざるを得ないところに、ひきこもり事例の最初の不幸があるとの

                  話です。   また、自分がひきこもり状態にあるという事実は、それだけで心の傷になり、身体

                  的にも 昼夜逆転などで不眠がちとなり、このことが一層逆転 に拍車をかけます。

                  この点でひきこもり状態は、嗜癖と似ているとのこと。嗜癖においてもまた、様々な悪循環が

                 一つのシステマティック作動として、病理を悪化させてしまうからとのこと。

                 *嗜癖(しへき)---酒、賭け事などにこだわりのあるくせのこと。

                   例えば アルコ-ル依存症の患者は、飲酒について罪悪感が極めて強い。それが強いが

                   故に飲酒の泥沼化が起こってしまうとのことです。

                   頭で分かっていても、心の制御ができず焦れば焦る程そのジレンマに落ちていきます。

                   ひきこもりもこの点で共通しています。

                   斎藤先生は「ひきこもりという負の行動が一層自己嫌悪を深め、それがさらに深い

                   ひきこもり状態につながっていくような悪循環」と説明しています。続けて

                  「 こうした悪循環をとどめるのが、通常であれば家族や他人との関わりなのです 」と指摘

                  されます。アル中のような嗜癖患者の治療には、家族の指導と自助グル-プへの参加という

                  組合わせがもっとも一般的コ-スになりつつあるとのこと。つまり家族と他人の関わりです。  

                  但し、日頃の家族対話の質が問われます。後でこのことが出てきますが、親御さんとの

                  信頼関係が築けないことを過日の豊田のひきこもり集会の体験談で私自身強く印象

                  づけられました。

                  それから、「自助グル-プ」の効果に関して先生は言及してみえますが、豊田の集会も

                  その例なのです。過日この会を取り仕切る理事と二次会で話し合うことができました。

                 彼もかっては、ひきこもっていた体験があり、相当心の痛むつらい体験もしたそうで、

                  でも弟さんとの旅行が転機になって、バイトしたり、このような集いに参加したとのこと。

                  しかし、ただ単純にふらっと参加しても効果がないとのこと。集会の感触を確かめて

                  自分にとって有意義と思える集会を選んで参加したとのことです。(選択的適応です)

                  似たような話をこの人と同じような体験を経て経済的にも自立の道を進んでいる

                  青年から聞いたことがあります。

                  これらの人々が苦難を克服して人生の再出発に励んでいる姿に感動を覚え

                  こちらも励まされます。

                  上記の悪循環について、先生は、その源が自分自身にあるなら、他人の介入を受け入れ

                   つつ、治療を進めることがどうしても必要とのことです。-------彼らがひきこもりの状態を

                   抜け出せないのは、まず第一にこうした「他人からの介入を何よりも嫌うためでもある 

                   とのこと。逆に、他人との関わりを受け入れる決意を固めた事例は、ほぼ例外なく社会

                   復帰が可能になると明言されています。

                   しかし、過去にいじめのような体験でトラウマに苦しんでいる人にとっては、「他人の介入」を

                   受け入れるハ-ドルが高いことを本人から聞き、専門家に委ねるべきことは、自己の分限を

                   わきまえるべきことの例として肝に銘じておくべきことと痛感しました。

 

                    ▲   コミュニケーションの欠如---「家族システム」について

 

                     引きこもり事例を抱えた家族もまた一種の悪循環の中に取り込まれているとのこと。 

                     ひきこもりが長期化すると、家族の中に不安や焦燥が高まります。不安を抱えた家族は

                     本人に対して様々な刺激を与えて何とか動かそうとします。それは、お説教とか

                     叱咤激励だったりします。しかしこうした刺激(働きかけ)は、本にとって プレッシャーや 

                     ストレスを与えるだけで、活動を始める(ひきこもりから抜け出す)きっかけにはなり

                     ません。むしろ刺激や圧力が加われば加わる程一層ひきこもり゛深まってしまうとのこと。

                     その結果家族は、さらなる不安と焦りにかられ、なかば不毛(効果なし)と知りつつも

                     刺激を繰り返すことになるとのことです。

                           この悪循環を成立させているのも「コミュニケ-ションの欠如」なのです。

                     家族からの一方的刺激は、それが一方的であるが故に(対話 がなく)

                     コミュニケーションとして成立しない訳です。家族の言葉は全く本人に届かず

                    ただ家族の不安や不満、焦燥感だけが本人を窮地へと追いつめていくのです。 

                    引きこもりという行動にも、何らかのメッセージがこめられており、早い段階で、その

                    メッセージをしっかり受け取ることができれば、それだけで改善に向かうこともあり得る

                    とのことです。また、長期化した場合でも、本人の気持ちを共感とともに理解することが

                    できれば、こうした悪循環は防げたとのこと。

                    本人からのメッセージを受け取ること、共感とともに理解すること、これらのことは、

                     家族間に深いコミュニケーションがあって初めて可能になるとのことです。

                     そして、こうした深い コミュニケーションだけが、家族間の悪循環をとどめる力を

                     持っているとのことです。

                     この内容は一般のメンタル障害者の支援現場にいると家庭環境の対話の不毛な

                     実態がわかります。カウンセリングしていると父母への不満、怒りが噴出し、なかには

                     支援施設の壁を殴打するとか、物を利用者仲間に投げつれたりすることもあります。

                     しかし、私は、彼らの現象面をみて責めるのでなく、、その背後の親との関わり方に

                    注目しています。「こころ の科学」などの専門誌で家庭内の療育のことが時々掲載

                     されています。誰か偉い人が講話してそれを聞く事もよいかもしれませんが、

                     私は、それよりも専門家の方の助言を受けて、ひきこもりの親子の対話集会を望んで

                     います。

 

                               ▲  家族システムと社会システムの乖離

                     すでに筆者か述べたように、「ひきこもり」の問題については、本人と家族、本人と社会

                     との接点はありませんし、また、「家族システム」と「社会システム」も乖離している

                     とのこと。表面的には、家族は、仕事や色んな活動を通して社会との接点はありますが

                     家族の中に引きこもり者が出ると、本人を抱え込んで外部に対しては、世間体に

                     配慮して閉鎖的になります。例えばひきこもりではありませんが、私が就労支援

                     事業所でお世話した青年の場合、母親から自分がメンタル障害者手帳をもっている

                     ことを人前で隠せときつく言われていると言っていました。斎藤先生が指摘される

                     とおり、世間からのプレッシャーに対して家族が一層孤立化し、治療や相談、

                     就労支援についても、近隣の人に察知されないように身構え、家族も 社会から

                     ひきこもっている感じです。このような苦悩を抱えた親御さんの各地の集会がうまく

                      機能することを願い、可能ならばこのような会にも参加したいと願っています。

11月4 日 ~9日 社会的引きこもり その4

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              11月4 日~9日   社会的ひきこもり  その4               

       ここでは、「家族のコミュニケーション」と

       大人としての成熟」に焦点を当てて締めくくって                 いきたいと思います。                                 

                                                                                         <正論・お説教・議論の克服>

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     ラベンダ-畑                                

                        ▲   そこにあることを認める                                                                                                         

         斎藤先生が言われるのに、「ひきこもりの状態にある人ときちんと向き会うのは困難です 。  

        何故なら 私たちには、基本的に "働かざるもの食うべからず"という価値観が骨がらみに

        染みついて いるからです。 このため私たちがとってしまいがちな態度は、

   社会的ひきこもりを         否認する態度です。

         つまり、まさにそこにいるにもかかわらず、何もないふりをすることです。

   その結果の一つが 彼らに対する叱咤激励ということになります。」

         ここでは、ひきこもりの目線でなく、世間体にとらわれて、家族が「何もないふりをして」

         (分かっているのに本人によそよそしい態度で)じれったい気持ちでしった激励する

   ということ  なのです。  これでは、本人との意思の疎通はできません。

           さらに、先生も、もう十年以上も彼らと付き合ってきた自分ですら、しばしば

   「お説教」や「議論」の 誘惑に負けてしまいそうになるとのことです。それどころか

    時には[甘えている」

         「怠けている」 「権利を主張しつつ責任を回避している」 「両親に責任転嫁している」

    などと いったどこかで 聞いたような紋切り型がふと頭をよぎることすらあるとのこと。

         「ひきこもり事例と向き合うためには、こうした社会通念、言い換えれば"ひきこもりを

    否認したい衝動"と戦わなければなりません 。」

         (これは、当事者の家族にとって辛辣な先生のアドバイスですが克服すべきハ-ドルです)

          続いて「そのために重要なことは、社会的ひきこもりという状態が、ともかく

    そこにあるという 事態を認めることです。いい換えるなら、彼らが"人間として間違った

    あり方をしている"と いう 見方をしてはならないのです。そうではなくて、

    彼らが何らかの形で援助や保護を必要としている という視点を受け入れることです。

         この言葉の重みは、メンタルにハンディのある人々と直に接するようになって分かって

        きました。  実際、何もせず朝遅くまで寝ている実態をみていると、親として「あいつは

      だらしない、怠け者」とつい言いたくなります。しかし、彼らは精一杯生きているのだと

   日頃  私は思っています。  ここのギャップを埋めるのにカウンセラ-も関わっています。

 

                       ▲   努力と激励の限界

         引きこもり状態が数年以上続いて慢性化したものは、家族による十分な保護と専門家による

         治療なしでは立ち直ること不可能と先生の言。---「私は何よりも、家族がひきこもり

   持続例を抱え込もうとする態度を警戒しています。抱えこませないために、あえて挑発的に

       "慢性化したひきこもりは、 本人一人の努力や家族の叱咤激励だけでは、決して治らない"

         ということを強調しているのです。

          長期化したひきこもり状態にとっては、このような個人システムないしは家族システム内部

         だけの 努力では、どうしても限界があるからです。」

 

                          ▲ 一方的な受容の弊害

         (本人の)努力と激励が無効であると宣言されると、何でも受容していけばよいのかという

         ことになる のですが、これも極論とのことです。

         「受容を基本姿勢にしなければ治療にならないのは当然ですがしばしば忘れられて

    いるのは受容するためには、枠組みが必要であるという常識です。」

          相手を所有したがっているのでなければ、自らの万能に酔っているだけです。

          治療の場面でも、どのように受容の限界を設定するかは、大変重要なテ-マです.」

           この指摘は、治療に関わるカウンセリングでも肝に銘じておくべきと感じます。

          実際 メンタルにハンディのある人々とカウンセリングしていますと、この受容の留意点

          について思いあたることがあります。受容し続けていると相手は依存性が強くなり

           自己中心的な甘えが出やすく、他罰的になって時 としてやけくそになって器物を壊したり

           親に暴力を振るった例があります。ですから時として事前に感情を制御する対策として

            行動療法を少しアドバイスすることもあります。そして家族に対して、批判的になって

            暴言を吐くなどしないよう対話のル-ルを守るこことも必要です。

            「一方的な受容は一方的なお説教と同様に有害と考えます。そこに十分な

            コミュニケーションが  成立していないからです。相手が不可解な行動をとり、

           そのために 周囲が困惑する。 そのような状況が起こった時、その相手との対話を通じて

           理解と共感を 試みるでしょう。----」

            自分の子が社会をさけてひきこもり始めたら、次のことをすべしと先生はアドバイス

           します。 その理由を尋ずねる、そして一度はじっくりと説得をしてほしいとのこと。

           そしてそのような  試みを通して本人がどんなに悩んでいたか初めて明らかにされる

            こともあるとのことです。

            「対等に近い立場でお互いの意見を述べ合うことは、たとえ反発を買うにしても、

             よいコミュニケーションのきっかけになりうるでしょう。」

              ◎ このアドバイスはそれなりによいのですが、日ごろの親の接し方が気になります。

              日頃親がこのような接し方をしていたなら、「ひきこもる」前に親と相談するのではと

              私は感じました。事が起きてから対等に近い立場で話し合うことを呼びかけても

             「泥棒を見て縄をなう」のと同じような印象を受けます。

                要は日頃の親子の対話のあり方なのです。

 

                            <引きこもりの家族や他者との関係>]

 

                    1   家族との関係の改善を目指して  

           斎藤先生が言うには、「 一般のひきこもっている青年達は傷つけられることを非常に

            恐れます。たった一言で゛自らの存在自体が否定されてしまいかねないことをよく知って

            いる からです。」もちろん、彼らのこうした恐れは、十分尊重されるべきです。 しかし、

            ひきこもりを 続けている限り、精神的成長が起こらないこともまた一つの現実なのです。--

             他者との出会いもなく、リアルな外傷もそこからの回復も一切ありえないからです。」

              以上のことを前提にして上記のテ-マ(家族と他者との関係)を考察していきます。

                ▲ 家族と本人との 関係について

             先生によれば、「ひきこもり事例に於いては、もはや家族は他者ではありません。

     彼らにとり、家族は、あたかも自分の身体の一部のように扱うからです。」 本人に

     家族が気を遣って 恐る恐る対処していると、次第に増長して尊大な態度になり、

     特に母親に対して支配的と なり、気に食わないと暴力、器物破損など目に余る

     行動に出ます。

                先生の言「私がコミュニケーションの回復をしきりに強調するのは、まさに家族の

      他者性の回復のためです。---(自分の主張を一方的に話す)家族とのやりとりは、

      コミュニケーションからほど遠い。」そして次の留意すべき箇所  

               「たとえ肉親であろうと、自律的な判断と行動の権利をもつ個人であるという認識が

      あって 初めてコミュニケーションの可能性が開かれるのです。

               (つまり相互に主体性のある人格として認め合うこと、これが家族間の他者性の回復

      にとって不可欠と感じます)

               上記の先生の忠告を実践することで本人に家族の気持ちが伝わり、本人の

                 回復への意欲に影響するものと思います。

                 斎藤先生は親も本人も「対等に近い立場で話し合うことを提唱していますが、

                この手法は、コンファメ-ション(公約)と言われます。親子、上司と部下のような

      上下関係 のある間で、話し合いの中で「相互相手の主張にしっかり傾聴して、批判

      否定などしない という約束をして話し合うのです。アサ-ションと似ています

 

               2  対人関係を通してのひきこもりの成熟

                斎藤先生は、よく「ひきこもり」の治療を成熟の問題と結びつけるとのことです。

                しかし、この成熟は極めて難しい問題であり、とりわけ精神分析の分野

      (フロイト、エリクソン等)で 一大テ-マです。先生なりの「成熟」のイメ-ジは、

      社会的な存在 としての自分の位置づけについて の安定したイメ-ジを獲得し

      他者との出会いによって過度に傷つけられない人」。

                ここでいう「過度に傷つけられない人」とは、時には色々な外傷をおいながらも、

      痛手を乗り越えて次第に傷に耐えられる免疫力を得る人で後述で出てきます。

                おおむね先生は、患者さんが最終的にこうあってほしいという理想像を持ちつつ

      治療に当たって おられるとのことです。

               上記の成熟のイメ-ジは、米国の有名な心理学者エリクソンE・H氏を想起します。

               自己の位置づけについての安定したイメ-ジとは 自我同一性(ego identity) 

        なのです。自己とは何か、自分の人生の目的は何か、といった社会の中に位置

        づける問いかけに対する  答えが 一言で言えばこの自己同一性なのです。

              次に成熟していく過程の中で先生が注目するのが「外傷への免疫への獲得」です。

 

                       ▲  外傷への免疫の獲得

 

             ここでは、対人関係に於ける外傷の免疫力(人を恐れなくなる)を得て、なんでも

    話せる親友をつくり、ひっこもりの最終目標に到達していく過程について先生は

    述べています。

            外傷の免疫を得ることは、感染にかかって回復することと似ているとのこと。

            人は、ある程度雑菌にさらされたり、時には軽い感染などを経験しなれば細菌に

    対する免疫 機能は発達しないとのこと。「ここで重要なことは、何らかの形で感染を

    経験すること、そしてその 感染から確実に回復させること」と先生は明言しています。

            免疫と外傷が似ているのは、それが他者との出会いによって生ずるという点です。

           「本当の意味で重要な他者との出会いは、どこか必然的に外傷性を帯ひ゛てしまう

    ではないで  しょうか?」という先生の問いかけです。ここで注目したのは、

    「重要な他者」というキイワ-ドです。それは、究極的には「ひっこもりの最終目標」に

     かかわる「親友」のことです。

               この重要な他者との出会いは、「暴力的な他者かも知れない。死や喪失といった

     抽象的 他者かも知れない。或いは人を魅了してから見捨てるような他者かも

     知れません。 そのように予測を越え、コントロールできない他者をどう受け入れて

     乗り越えていくのか」、

               上記の例とは異なりますが、行政当局が推進している障害者の法定雇用率の

     義務化についてNPO小セミナ-で私が説明すると、あるメンタルにハンディの

                ある女性は、就職しても、対人関係で、また新しいトラウマをつくってしまう

      のではと懸念の気持ちを率直に表明しました。

                形だけの障害者救済では、本人の言う通りです。一、二回の企業内の研修では、

      このような障害者の受け皿にはなり得ません。こんなことなら、雇用しないで、

      そのペナルティ金で間に合わせる企業も出てきます。

                24年11月23日のタケダ製薬の子会社エルアイ を紹介しましたブログに、障害者の

                 リ-ダ-が仲間の障害者の面倒をみることで成功した例を掲載しました。

                  これも一つの良き参考例です。

                  「 人は成熟に際して、否応なしに外傷をを体験します。但し それだけでは

       足りません。もう一つ重要なことは外傷を体験した人は、外傷から回復する機会

       十分に与えられる  権利があるということです。成熟の過程で欠かせないのは、

       この外傷体験と回復という セットなのです。このセットを可能にするのが

       まさに他者との出会いに他なりません。」

                 ただ傷つけられるの一方では、他者の外傷的な恐ろしいイメ-ジしか残りません。

                  しかし、他者の支持によって癒される体験をすると、

      「ただ恐ろしいだけのものでない」という

                  より正確な他者イメ-ジが獲得れるとのこと。その意味で「外傷への免疫の

       獲得」とは 「有効な他者イメ-ジ」を学習する過程でもあるとのことです。

                   以上のことからして「免疫力」は自力で獲得することもありますが、

       他者の支持による癒しの体験の学習効果は、自分だけのものでなく、

       苦しむ仲間への波及効果も大きいと感じました。

                   最後にエリクソン氏が大人になっていく過程の成熟条件としての人間関係の

       親密性について述べます。

                  ▲   成熟条件としての親密性

                    真の親友とは、相互に心をオ-プンにして、思っていることを自由に話し合える

                     間柄です。しかし、親しくなったからと言って相手に依存することなく、

                     独立した人格と人格の交わりです。

                     同性同士でこのような交わりができてこそ、異性との交わりが可能になり

                     家庭を築く道も開けます。    

                    中国の思想家荘子の名言 「君子の交わりは淡き事水のごとし。」

                    (小人の交わりは甘酒のようにべたついいる)

                    人としての分別のある人は、水のようにさらっとして相手にべたつく

       ことはないから  長く交わりが続く、分別の欠けた人は、相手に依存して相手

       との交わりは長く続かない。

8月28 日 コ-チAからの配信メ-ル 「フィ-ドバックとエンゲ-ジメント」桜井一紀先生執筆

 

        8月28 日 コ-チAからの配信メ-ル   「 フィ-ドバックとエンゲ-ジメント」   桜井一紀先生執筆

 

          フィ- ドバック は相手の言ったことについて、感じたこと、思ったことを返すことで

          いろいろなコメントをします。 

          それに対してエンゲ-ジメントは、「約束」、「婚約」、その他の訳としては、「きずな」 「つながり」

           「かかわり」があります。

           しかし、ここで使われているのは、社員の会社に対する『愛着心」のことです。

           「きずな」に近い感じがします。 

           なお、この「engagement」は、経営用語としては社員の会社に対する『愛着心」を意味し、

           人事や組織開発の分野で用いられています。

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                           サルビア ブル-です。これはラベンダ-の仲間で秋になると勢いを取り戻します。

 

           桜井先生は、今回のテ-マについて次のように述べています。

           部下のエンゲ-ジメントを高めること、これはり-ダ-にとって、とても重要です。

            リ-ダ-は様々な目標をもっています。

            プロジェクトの成功、業績のアップ、コストダウン-------。部下のエンゲ-ジメントの向上は

            そうした目標を達成するためのべ-スと言えるでしょう。 

            つぎの外国の統計例は、自身概略は把握できても、内容の核心には若干理解し難いものを

            感じます。でも最後の桜井先生の社員への10の質問とそれのフィ-ドバック(FD)と対話

             箇所から、自社の社員のきずな、関わり、愛着の原点が社員の日頃の心の問題にある

            ことを強く思い起こさせられることが当然のことながら大事であると痛感しました。

            「職場のメンタルヘルス』の本田氏の【部下の力を引き出す」でもモチベ-ションアッフと報酬の

            記事がありますが、こちらの記事では、単なる今の職場の満足でなく、マズロ-【自己実現」

            感じさせる深いものを感じました。エンゲ-ジメントは、各自と職場の関わりに関する

             キイワ-ドです。

 

             行動統計学のJoseph Folkman氏は、フォ-ブスのコラムに興味深いデ-タを紹介している

             とのことです。「部下に率直にフィ-ドバックする能力が下位10%内に入るリ-ダ-の部下の

             エンゲ-ジメントスコアは平均して下位25%に入っている。

              一方が率直なフィ-ドバックの能力が上位10%内に入るリ-ダ-の部下のエンゲ-ジメントは

              スコアランキングで上位23%にはいっている。

              これは、22719名のリ-ダ-を対象とした最近実施されたリサ-チによるとのことです。

             *なおこのフィ-ドバックをFDと記しますのでよろしく願います。

               この結果から、リ-ダ-の適切なFDは、部下のエンゲ-ジメントを高めることが示されている

               とのことです。(つまり部下への適切なコメントをすることで部下はそのチ-ムへの

              愛着心を高めるということです)

              また、51896名のリ- ダ-を対象に行われた別のリサ-チによれば「自らFDを求める能力が下位

              10%内のリ-ダ-は、総合的なリ-ダ゛-シップの能力において、下位15%以内にランクされて

              いるとのことです。(自分にコメントしてくれと部下に求めている謙遜なリ-ダ-の例)

              一人ひとりが目標を達成するための軌道修正に他者によるPDは必要不可欠です。

             「誰しもFDは大切だと思っている」はず。

                  ところが現実はどうでしょうか?と桜井先生は、感情に左右される人々の気持ちを察して

             揺さぶりの質問を投げかける、FDを試みられています。

              多くの人々がFDを受けることをするのも、怖がっています。矯正、攻撃、否定などのネガティブ

              イメ-ジとして誤解しがちなのですとの指摘です。

               だからこそ、リ-ダ-には高いFD能力が求められるのです。

                    高いFD(フィ-ドバック)能力とは、部下 のFDに対する誤解を解きつつ部下の成長に

              つながる建設的FDを行い、そして自らもFDを求めていくことですと先生は述べています。 

              このことにつきましては、先生が、今回の記事の終わり に例示された社員の現況に対する

              10の質問の箇所で私の見解について述べたいと思います。

 

               続いて先生は、ただFDを行えばよいのではないのではないと述べ、、一方通行的な形では

              うまくいかないとことがあるとのこと。その例として社員の人事考課の例として一般的多面

              評価360度FDは結果を本人に渡して自分で考えさせることが専らとのことです。

              *この方法は、一社員に対して上の上司から、逆に部下から評価され、横の関係では

                日常の仕事で関連する隣接部署や取引先からも評価されます。

               時にはネガティブな内容を見て単に嫌な気持ちだけになってしまうこともあります。

               それでは、せっかくのFDを活かすことはできません。その効果を高めるには、評価

               内容をもとに対話することが大切です。(カウンセリング、コ-チング等と関わります)

               FDによって目標に向かって正しい 方向に動いているのか、自分に何が足りていて

               何が足りないのか、自分は次にどのような行動をとるべきか、

               FDと対話が繰り返えされることで、着実に人は成長し、目標達成に近づくのです。

 

              「リ-ダ-との関係の中で自分自身の成長を実践すること」が「部下のエンゲ-ジメントを高める

              こと」の本質と思うと先生は述べています。

             ではどのようなFDと対話から始めればよいのでしょうか?

              リ-ダ-として部下のエンゲ-ジメントを高めるための第一歩は、部下の現在の

              エンゲ-ジメント(例 チ-ム内の仕事を通しての人々との関わりとか、そのきずな、愛着の度合い)

              の実態からです。その助けとなるのが次の10の質問です。これらの答えをもとにFD と対話を

              起こす。それができれば部下のエンゲ-ジメント向上に向けて大きな価値を生み出すはずとの

              ことです。

                  ▲  社員の「エンゲ-ジメントを測るための効果的な10の質問

              1  毎朝会社に来る時のあなたの気持ちは?

              2 あなたの上司はあなたを刺激していますか?(望ましい方向づけに関わる)

              3 あなたが会社に行きたい日は行きたくない日を上回っていますか?

              4  会社に来る時のあなたの気持ちを一文で表してください。

              5 自分がどこで働いているかを人にいうことを誇りに思いますか?

              6 あなたを効果的に仕事を成し遂げる可能にするツ-ルはありますか?

              7 あなたにも影響のある決定に寄与するチャンスはありますか?  

              8 あなたの役割が会社の成果達成に向けてどのように貢献しているのか理解できますか

              9  自分のところにくる情報をあなたは信頼していすか?

             10  自分の仕事は評価されていると感じますか?

 

             ▲  以上の質問についての私のコメント

             1、3、4は本人の「会社で働く」ことについての意欲、働きがいに関わる質問です。

               2の質問は「刺激」の意味が一寸漠然としている感じですが、多分本人のやる気を引き出す

               incentive*  つまり、やる気を起こさせるための報酬とか、企業目標達成のための

              刺激になる同じく給与、昇進、昇格に関わる処遇などてす。

              しかし、上司が部下のモチベーションを高めるような朝礼でのスピ-チとか、個別のカウンセリング

              コ-チング等も刺激になりえます。 

               5  自己の誇りはまさに「アイデンティティ」自己同一性、本人の存在価値に関わります。

                6、7、8、!0も 自己が 会社に必要とされているかということに関わる質問であり、5と共に

                存在価値に関わってきます。

                また9は、職場の信頼度のバロメ-タ-です。

 

                       ◎ 上記の10の質問に関する私の集約

                 桜井先生の提示された「エンゲ-ジメント」と各質問とはどんな関連があるかを考えて

                 みますと、単に労働者は、生活の糧として報酬(給与、地位等)を得て満足するのでなく

                 もっと大切なものを求めています。

                 マズロ-の五段階説、物質的欲求の充足の上に、社会的承認の充足の上に

                 さらに「自己実現」の充足を求めるとあります。

                 「エンゲ-ジメント」(愛着、きずな等)もこのマズロ-のいうような上昇志向があっての

                  次元の問題提示と直感しました。

                  今の日本の現状とは乖離していて「雲をつかむ」感じさえします。

                  しかし、物質的なGDPにこだわる考え方を克服することも一考すべき時期でもあります。

                  Y論のマグレガ-は「最大の報酬は自己実現」と述べています。

                   この自己実現もただ自分のやりたいことをやればよいのでなく、会社の人々からの承認

                  の上の自己実現を通しての社会的貢献を意味し、本人のやりがい、働きがい

                   さらには、使命感すら想起されます。

                   そうはいっても、質問の1、3、に関係する人に対しては、上司の心のケアとしての

                   FD(フィ-ドバック)、傾聴等で部下のモチベーションを上げることで自己の居場所

                   存在感の実現へと社会的承認へと進めます。こういうプロセスを踏んでいく中で

                  人間の絆、愛着は生まれます。

                  「星の王子様」のサンテグジュペリがいういう「人間の大地」の「同じ方向を向く」とは

                  このような努力により  近づけると思います。

8月21日 豊田青少年センタ- 引きこもりの集会

 

              8月21日     豊田 青少年センタ-   引きこもりの集会

 

              先週 豊田での二回目の集会がありました。お盆 に入っていたせいか、予想した程でなく

              10名程でした。引くきこもりの新人はいなく、皆さんは、この経験のある人のようでした。

              この集会で特に私が注目したのは、リ-ダ-のSさんの体験談でした。

              彼は、高校進学の時に希望校に行けなくて、これがきっかけで6年間引き込まってしまったと

              言っていました。その間親との対立もあって、怒り、焦りなどどうすることもできない苦悩に

              追い詰められ、爆発して調度品を壊して鬱憤を晴らすこともしたそうです。

              それでも、幸い祖母に可愛がられ、弟さんとは心 が通じていたとのことでした。

               専門家の指導、治療については言及していませんでしたが、それはなかったようでした。

               著名な斎藤環先生によると、専門家の治療が不可欠と明言されていますが、彼の場合

               弟さんと一緒に旅行に出できるたことが契機になって、引っこもりから、抜け出せて

               アルバイトができるようになったそうです。そして今では両者が力を合わせて

                若者就労支援事業の中心になって推進しています。

                私は、このSさんの引きこもり体験談を読んだ時、彼は6年の引きこもった期間について

                意味があると述べていることに感動しました。人によっては、こんな苦しい状態が

                続くなら死んだ方がましだと思うかも知れません。

                でも、彼は、その体験を通して貴重なことを学んだからと思います。

                 彼なりの使命感とも言えるものを。

                 この使命感から湧き出る情熱、これがり-ダ-として不可欠です。   

                 私自身微力ながら支援団体の運営等について可能な限りサポ-トしたいと願っています。 

7月22日 公立小中学校の認知行動療法導入実践研究会

 

            7月22日     公立小中校の認知行動療法導入実践研究会

 

            滋賀県のCBT研究会筋から名古屋で開催する研究会の参加を呼びかけるメ-ルが届き

             いま自分が取り組んでいる対象者、取り巻く環境も異なっていますが、このCBTの手法を

             どのように現場で活用しているのか若干関心がありましたので、昨日参加してみました。

             小学校の教職関係者が多かったし、すでに自分が知っているCBTの基礎知識の説明後

             それに関する具体例を挙げて、グル-プワ-クをしました。

 

             私の割り当てられたグル-プでは、中二の生徒が家庭でよくある例として、パソコンゲ-ムに

             熱中していたが、そろそろやめて宿題に取り掛かろうとした矢先、突然母がドアを開けて

             入って来るや否や「早く宿題をすませて寝なさいと叱り、その結果彼は、机を蹴飛ばし

             宿題もせず寝てびしまった。

              こ のようなとき、彼の「気持ち」  「自動思考」(瞬間に飛とび出すホットな思い)

              それらに伴う行動、体の状況はどうなのか。

              怒りは平素に比して何%?

              しかし、カウンセリングで少し視点を変えて考えもらうと、自動思考も変わり、それに伴い

              気持ち、行動等も変化します。

              例えば、母も気づかってそうしたこと、ノックして入っていたらどうなっていたかなど。

              子供扱いされたことへの怒りの緩和を考えることで気持ち、行動を変え、怒りを鎮める

               ことになる。

               自動思考等を変えることで「マイナスの気分、行動等を変える「選択的適応」の訓練

               でした。

                今回の研修では、視点を変えた方法に終始した研修会の印象がしました。

                 講師は、CBTのみが解決法でなく、他の方法例えばアサ-ションでもよいと教えていました。

                 このような思春期の母子の対立では、このassertionもいいと私は、直観しました。

                  叱った母にも言い分があるように、息子にそれがあるから、相手の立場を尊重した

                  I  messageが有効です。 

                  この両者のmessageが相互に受容されると和解し信頼関係が生まれます。

                 この情動の変化の激しい若者たちにとって大事な発達課題の一つが「責任と自律 」

                 と考えます。この観点から家庭でここの問題に対して、大人たちが、ある時には叱責

                  しても、彼らの不安定な歩みを支え励まし責任を全うできるよう支援することが不可欠と

                  思います。子供の発達課題を親も共有し、まずは子供の気持ちの受容し、ときには

                      叱責しつつ助言したり、励ましたりして支援する中で、子供は、親への愛情と信頼を

                     強めると思います。もちろん両者のずれ、反目は出てくることは 当然あります。

                      そのような試練を克服してこそ両者の絆が固くなります。

                       このような道をたどるためには、親も子供からいろんなことを学びつつ、メンタルの

                      成長をしないと真の支援者になれないと思います。

                      日本メンタルヘルス協会の衛藤信之先生が言われたように、時として、上司や教師

                      親ガ謙遜な態度でもって、部下や子供の前で自分の非を認めることも信頼の絆に

                      とり必要かと考えます。     「清水の舞台から飛び降りる」勇気が

                      必要ではないでしょうか。 

 

                        それから、この認知行動療法も カウンセリングの一つですので、自動思考

                      その時の気分、行動などをただマニュアルに沿って聞くのでは、なかなか

                      『本人の気づき」は困難です。傾聴するときの共感力、相手の怒りの高ぶりを

                      どう沈めていくのか、ここのアドバイスも貴重なポイントかと考えます。

                     聴くときの間のとり方、リラックセ-ション、フォ-カシング、描画法などの併用した

                     工夫、さらにはロ-ルプレイも期待できます。息子が母親になってプレイすると

                     案外「気づき」が得られるかも知れません。

                  とはいえ、親は必ずしも対人関係療法の水島弘子先生がよく強調される『あなたに

                  とっての重要な他者とは誰ですか」の質問に対して、必ずしも『父母」ではありません。

                  自閉症の青年が描いたのを見ている私の心に強く訴えた描画のキャラクタ-を通した

                  心境の描写は親の前ではしません。ですから親も子供の成長に寄り添って自分も

                 成長しながら「親子関係の再構築」を目指すことが肝要かと考えます。

7月 11日 若者の引きこもり集会 社団法人若者支援事業団主催

 

       7月 11日   若者の引きこもり集会      社団法人若者支援事業団主催

 

      この集会は一昨日豊田市の愛知環状線梅坪駅の近くの豊田市青少年センタ-で、第1回の

   会合が開かれました。私は、北区のNPOでお世話していたTさんを通して集会の推進者のYさんの

   依頼を受けて参加しました。Yさんのみでは、司会していく時不安なので、カウンセラ-として

   若者のグル-プワ-クの支援をしてほしいとのことでした。Tさんの話しでは、あるメンタルの

    ハンディのある人と聞いていましたが、集会での対話での対処や今後の集会の進め方について

   メ−ルでの 私とのやりとりでは、健常者と変わらない感じがしました。

   とは言え、理解力はよくても、メンタル面での何が不安かが分かりました。

      なお、今回は この法人の理事、スタップの到着が事情 があって遅れたようで、今回では、

       この集会へのPRの仕方について参加者から提案を募ったことで終始した感じでした。

        例を紹介しますと、以下のような単なる思い付きから出たような感じがしましたが、

        「引きこもり」の人々が参加しやすいことを重視していることがわかりました。

        低空飛行 ネッ ト トヨタ   クリ-プ現象  低速ギア   のんびりくるまの会

        自助グル-プホウセンカ    働かなくても、働いていてもいける会

        働くだけが人生でない      あせらずこんな私の再発見   スロ-ライフ

         のんびり生きよう      若者のガレ-ジ   タイムラグの会

 

         ◎  私も提案しました。 「 こんな私の再出発 」  がそうです。

          でも、これは「彼らの気づきを促す」意図があって、「引きこもり」の視点に立って

      いないことに気づきましたので

         、司会のYさんに伝えるとすぐに了解して頂けました。

          また、これらの「呼びかけの言葉」を提案した人々の気持ちとして、表面は「のんびり」とか

          『働かなくても」など言っていても、それらと裏腹に「働かなくては---」といった「あせり」を

          感じると私の印象を後にYさんに伝えると、彼は「あせっている」とのこと。

           「でも過去に痛い失敗ガあったらしく、責任を感じていても行動が起こせない」とメ-ルで

           回答して頂きました。こんなやり取りで相互理解が進んでいます。

 

          また、次回で決めておいた方がよいことを私から提案しました。その一つが「話し合いの

           ル-ル」です。彼は他人の意見を否定しないと言っています。

          「こんな言い方されると不愉快になる」 逆に「こんな聞き方されると気分がいい」

          「自分がしてほしくないことを人にするな」は孔子の言葉。

          「自分が人にしてほしいことを人にせよ」は聖書の言葉です。

          この「 人にしてほしいこと」の例は、相手を受け入れる「受容的聞き方」です。

          相手の感情に共感することです。

          怒り、悲しみ、寂しさ、戸惑 いなどの感情に共感し分かってくれると気持ちがなごみます。

          相手をけなしたり、否定しますと不快な気持ちになります。

          逆に、「その発言いいね。」「その言行のこんな点に感動した。」というような言い方は

          自分が承認されたことでうれしくなります。

          キャッチボ-ルで互いに受けやすい投げ方をすれば、自他ともに気分がよいものです。

          こんなことなど確認しあっておくと、新しい人も定着しやすいかと思います。

          「上からこうすべし」と指示命令していては、反発されます。

          あれもこれもと欲張っておねだりしていては、反感をもたれます。

          Yさんの言うように、少しずつでも前進するならそれでよいと思います。

          「なんでも気兼ねなく自由に 言える話し合いの場」になることを切望します。

 

         なお、次の集会日は8月13日水曜日 の午後、時間は8月の第2週ごろには決定していると

         思います。会場の青少年センタ-の電話番号 0565-32-6296会場の住所は

                                                         東梅坪町  8丁目3番地1です。

         この青年の集会と同時に別室で親御さんの集会もあります。

6月18日 子供の発達障害の受け止め方   その1  養育者として

 

       6月18日 子供の発達障害の受け止め方   その1    養育者として

                       奈良女子大準教授 山根隆宏執筆

      臨床心理学81 第14巻こ第3号 金剛出版より

 

      今回の子供の発達障害のテ-マにつきましては、前半は、山根先生の学術的記事

      後半は、「あいこ16才」の堀田あけみ氏の記事 その2

              当事者家族として臨床心理専門職にわかってほしいことについて述べます。

 

             ◎ 私がこの「子供の発達障害」について興味を抱いた動機は次の三つです。

       a  名古屋のNPOでアスベルガ-、自閉症スペクトラム、ADHD等の青年との

         カウンセリング

       b  日進市のあるNPOの発達障害の教育現場で、子供さんと接し、その責任者と時々

         話する機会があること。

             c   来月上旬に豊田市の青少年センタ-で「ひっこもり」の青年の集会の支援を

          上記のハンディのある青年から依頼されていることなど。

 

        1   はじめに

         子供に発達障害があることで、養育者は養育の難しさや障害特有の問題に直面し

         やすく具体的・実際的な支援が必要になる。また、養育者の精神的健康が損な

         われる場合もある。何よりも、養育者自身の生涯発達という視点でみると、

         発達障害の子供をもつことは、それまでの人生を揺るがし大きな変化を迫るような

         出来事といえる。

         そのため、養育者は、時に 子供の障害を受け入れがたい思いに葛藤したり、乗り

         越えうともがくこともある。子供を支援しようという意味でも、このような養育者

         の葛藤を支えることも重要であろう。以上のように筆者は述べています。

         ここに筆者の「障害の認識と意味つ゛け」の着眼点があると思われます。

 

        Ⅱ  養育者の障害受容という問題

         養育者が子供の障害をどう受け止めるかについては、これまで障害受容という

       テ-マで扱われてきた。多くの障害受容論では、障害のある子供の誕生による養育者の

       情緒的な危機を一種の喪失とみなし、喪の作業を経て悲嘆から脱していく心理的過程を

       段階的に捉えようとしていた。有名なDroter et al(1975)の段階説では、ショック、

       否認 悲しみ怒り---といった段階を経て最終的に受容に至ることが仮定されている。

       但し、これらの段階説は、子供の出生と共に障害がわかると場合が想定されており、

       発達障害の場合、親は段階説に沿った経験をしないことが多い。例えば自閉症の場合

       では、障害受容の段階は、ショックや否認でなく、不安から始まる。

       また、障害受容論では、これまでの子供の障害をどう認識するかという問題と

       障害のある子供をもつことを自分の人生にどう位置付けるかという二つのテ-マが

       区分されず論じられていた。

         この両者の区分は子供の障害の悩みで心がそれに奪われていたのが、それを

        冷静に観察するゆとりをもつことで後者の「 養育者の人生の位置づけ」に進むと

        思われます。 苦しい時にメンタルの専門家がどんな関わり方の支援をするのか

        によって展開が変わると思います。後半の堀田あけみ氏の記事もそのような気持ち

        を述べた箇所がありました。 

               上記二つのテ-マの後者に関して、子供の成長発達段階で発達障害という予測しない

        事実が次第に明らかになることで、養育者は、それまでの基本的な前提や価値観が

        揺らぐことになり、対処を迫られる。最近の喪失や逆境に関するモデルでも、個人が

        人生を揺るがす出来事から「個人的意味を見出すことが心理学的に重要である」と

        考えれている。

        そこで筆者は、「障害認識と障害の意味づけ」にわけて論じていきたいとの

        ことです。

 

        Ⅲ 子供の障害をどう認識するか

 

         1  診断の告知に至るまで

      筆者によると発達障害は一般には早期診断が困難なため、診断告知に至るまでに

      すでに養育者は子供に発達上の不安を抱えていることが多く、高機能の自閉症

      スペクトラム(ASD)の子供をもつ養育者を対象とした本人の調査では、養育者が

      不安を感じ始めるのはおよそ3才、実際に相談機関にかかったのは、おおよそ5才、

      診断の確定はおよそ8才であった。これらの診断までのタイムラグが生じることで

      養育者は自分の養育を責めたり、子供の状態の原因が分からないことによる不安を

      長く経験することになる。

      ◎ 小学校に入学してから診断の確定する感じです。聞くところによると保育園などで

      発達障害と思しき子供さんは、入園を拒否されていると聞いています。

      なるべく早期に診断が的確になされ、sstなどの有効な訓練がなされていくのを切望

      します。入学してから、子供さんの障害が判明してふいに特別支援学級行きを強い

      られるでは親子ともつらい思いにさらされます。

          2   診断告知に対する養育者の反応

             筆者は、診断告知された時の感情についても調べています。告知を受けた際の感情は

       ① 情緒的混乱をあまり経験しない群 ② 不安やショックを強く経験した群

       ③ 安堵感と共に自責感を強く経験した群 ④ 両価的な感情を体験した群

        *この両価的感情とは例---「安心」と「不安」を同時に感じたことと思われます。

 

       また、診断告知に対する感情は、告知のタイミングや告知のされた方への満足度

       などよっても変わり得る。告知者の説明にあいまいさや説明不足を感じた

       養育者はショックや不安を経験しやすく、逆に育児の助言や支持的な態度に満足

       した養育者は安堵感を経験する傾向にあった。

       また、診断の時期が遅いほど安堵感を経験しやすく(長く親が観察しているので

       うすうす分かっていることを告知されてもショックにならず、かえって踏ん切りがつく

       ような印象を受けました) 逆に子供の発達に不安を感じて間もない養育者は

       ショックや不安を経験しやすかったとのことでした。

       一般に・告知は養育者に強い衝撃を与える。しかし、どういったタイミングで、

      どのように告知されるかによって体験のされ方も変わり得ると筆者は述べて

      います。「養育者の気持ちに配慮した医師の愛のさじ加減」と表現して

      いいでしょうか。

             3 子供の 障害を認識する過程

       筆者は障害認識の過程を次のように図式化しています。

           ①不安の芽生え

           ② 子供に対する不安の繰り返し

           ③ 原因特定への気持ちの高まり

           ④ 障害特性への理解の高まり

           ⑤ 障害認識の揺れ  

             ↑        ↓

            ⑥ 障害認識の安定

          ⑤と⑥とは行きつ戻りつする不安定な関係です。

               診断告知の後は、どのように 子供の障害を認識していくのか。発達障害の場合

        障害の否定と肯定が共存し、悲哀感の沈静と再燃を繰り返すとされる。

        また、障害特性が外見からは見えにくいため、養育者は子供の障害を将来に

        及ぶものとして認識しがたい。子供の特徴が状況によっては個性とも障害とも

        見なせるため、子供や障害に対して両価的な感情を抱きやすくもある。

 

        子供の年齢や告知の時期によって特徴的な固有の体験も見られるが、

        共通点として以下のことがある。

       ① 診断告知前から子供の障害を疑う不安とその打消しを繰り返していること。

       ② 障害事実を知らされた後も障害の受け入れと受け止め切れなさを繰り返しいる。

       ③ 一度障害を受け入れても、子供の失敗や問題の再燃を契機に再び受け入れと

       受け止め切れなさを繰り返すことなどが示唆されたとのことです。

       以上の養育者の人知れないつらい葛藤にさらされていると本人自身も発病しかねない

       心境に陥りそうな感じです。

   

            Ⅳ 障害のある子供をもつことへの意味づけ

      養育者が「なぜわが子に障害があるのか」等容易に答えの出せない自問自答し

      続けるケ-スに出会うとのと。一方で「「運命」と達観されていると思える人に会うこと

      もあるとか。また「子供に育てられて強くなった」など子育てによる恩恵を感じている

      人に出会うこともある。このような養育者の心理は、体験を意味づけることで人生を

      揺るがす出来事を乗り越えようとする心理的試みとみなせるとのこと。筆者は、特に

      体験の意味を理解しようとする試みをsense making  体験から得られた恩恵を

      見だすことをbenefit  fiding と命名する人もいると指摘しています。(この恩恵とは

      神からの恩恵というような意味と想像します。)

              筆者の山根先生は発達障害児の母親を対象に子供の障害に関する意味づけの

      観点から調査されたとのこと。その結果殆どの親が子育てのなかで得られたものが

      あると回答し共感の高まりや人間関係の広がり、視点や価値観の変化といった

      内容を挙げていた。

      またsense makingに関しては7割の母親が子供の存在や生を運命的、宗教的な

      理由によるものと意味づけていたり、自分の人生において肯定的な変化や成長を

      もたらす経験と位置づけていた。

      この文言を読んでいて、ふとこのような母親の成長の背後には医師、臨床心理士等の

      方々の暖かい指導、支援があってこそ、苦境を克服して現実を受け入れて成長された

      と痛感しました。

      このような親の成長があってこそ障害児の教育も成果を発揮し、後の就労支援に

      於いても良い影響を与えていくと思いました。

      別の調査研究では、benefit  fidingが 高い母親ほど心理的ストレス反応が低く、

      育児ストレッサ-が高くてもこのbfが高いと心理的ストレスが緩和されることが示されて

       いるとのことてす。

       さらに別の研究ではsense  makingが高い親ほど、育児ストレスに対して

       より適応的なコ-ピング方略(ストレス対処法のこと)を取り得ることが示されたと

       筆者は述べています。このように養育者が自分なりの体験の意味づけ(それが

       肯定的か否定的か関係なく)見出すことが良好な心理的適応をもたらしうるとの

       筆者の見解です。この箇所の否定的であっても良好な心理的適応をもたらし得る

       ことに注目します。たとえ当人にとって好ましくない状況になっても、自分が悩みの

       主体になって、どう対処したらよいか考え、専門家に相談にいくこともあり得る

       からです。 「問題意識をもつ」ことが次の行動につながります。

       一方で、3割の母親は障害のある子供をもつことについて「意味を見出せない」

       「意味を模索している」と回答し、このような母親は心理的ストレス反応が高い

        ことも示唆されたとのことです。

6月23日  続 子供の発達障害の受け止め方 その2 堀田あけみ氏の記事

 

            6月23 日 続子供の発達障害の受け止め止め方 その2 堀田あけみ氏の記事

                          堀田あけみ氏 作家(あいこ16才等)

                                       椙山女学園大 国際コミュニケ-ション学部準教授 

              当事者家族として臨床心理専門職にわかってほしいこと

 

          1  はじめに   

              障害のある子の親であることは難しい。困難だから迷い、結果として様々な

      パタ-ンの[障害者の親」の像ができあがる。支援する側から見て、何と厄介な

       こともあるだろう。親同士でも軋轢は生じる。ここでは、特に診断前後、幼少期に

      必要とされるであろういくつかの点に触れていく。

       (障害のある次男の養育体験から述べてみえます)

 

     Ⅱ 家族にとって障害は未知のものである

            障害に関わることを生業としていると、時として多くの人はまだ発達障害を理解して

    いない、という考え方を忘れることがある。これだけの教育現場で認識され、メディア

    でも取り上げられているのだから、誰もが知っているはずだと考えることは不自然では

    ない。また、子供の発達に不安を感じたら、すぐネットでいくらでも情報を手に入れる

    ことのできる時代である。

     しかし、現実には、専門家でない限り、何となく知っているだけであったり、場合に

    よっては誤った解釈をしていることもある。分かっているだろうと思っている人と、

    分かっているつもりだが実は分かっていない人との間で、誤った解釈が増幅されていく

    こともある。診断を受けたら、まずは「障害に関する基礎知識」といった内容の冊子等を

    渡されることが多いが、専門家によって監修されたら難解だということもある。

    家族が本当にわかっているのか。誤った情報(例えば、食事を変えればれば完治する。

    愛情不足が原因であるというような)を正しいど思っていないかを確認し、理解が

           不十分であれば、より詳しく教えてほしい。それでも理解できないこともあるが、

           まず教えてほしいのである。

           Ⅲ 診断の肯定的な受け止め方を教える

     ありのままのわが子と向き合う。 これからどうしたらよいかを前向きに考える。

     これらは診断が出た後、家庭に課せられるミッションである。

     しかし、障害があるという事実は、家族にとって現在のトラブルが将来的にも続く

             ということである。子育てが困難だと感じている親に対して、周囲は往々にして

            「小さい子はそういうものだ。」「そのうちよくなる」と反応する。

     「そのうちよくなるわけでない」と言われては、簡単に前向きになれない。

       しかし、表現一つで、家族の考え方は前向きに出来るものでもある。

     周囲の人々が本当に発達障害の養育の困難さに共感して言ってくれるのでなく

    そのうち何とかなるでしょうというような気休めみたいのことをいわれると

     かえって好意があだになって、心の傷が痛む感じがします。

   家族、特に母親にとって、それまでのわが子は「躾のできない悪い子」であり、自分は

   「子供をうまく育てられない悪い親」であった。障害が明らかになるということを、

   家族に対する「あなたは悪い親ではない。ましてやその子は悪い子ではない」という

   メッセ-ジだとして正しく受け止めさせることが第一歩である。

   そして、今まで「何をしても駄目だった」のは世間的な「常識の範囲」を自分が

   出ていなかったせいであり、投薬を含む専門的な裏付けをもつ対応によって、改善の

   可能性が格段に広がることへの理解も必要となるだろう。

   ここの自責の念から解放されれて母親の認知の偏りなどが支援者によって

   修正され、肯定的に生きることが前半の山根先生の記事に出ていますので

   後で紹介します。

     どうしても、診断名がつくことは「レッテル貼り」に見えてしまいがちである。--------

         診断名が明らかになっていれば、「彼、もしくは彼女なりに努力はしているのだろう」と

   肯定的に受け止めてもらうことも多い。具体的な可能性を示すことによって家族は

   やっと前を向けるようになるのである。親が自分の子育ての苦労の意味に気づいて

   ポジティブになれば、障害児も同様な態度変容の相乗効果を期待できます。

   また、今回の山根先生、堀田氏の記事を通読していて痛感したのは、たとえ

   青年期以降の障害者であっても、彼らだけを対象とした支援のみでなく、

   背後の親御さんとの対話と支援も不可欠ということです。

   時として親子の座談会を開くことを大変有意義なことと考えています。

 

          Ⅳ  心の揺れを受け止める

   発達障害は、ある程度の発達を見てからでなければわからない。そのため親は

        診断を境に「普通の親」であることを辞し、「障害児の親」という新しい自分を

         構築し直す必要がある。だからこそ、よくわかる説明と、具体的な思考や行動の

          例が必要だとされてきたが、それでも家族の心は揺れる。 平静でいられない。

          その揺れが他者への否定的な態度して表出することもある。例えば、担任の先生

          に報告した際、「普通に接しますから(=偏見等はもちませんから)という先生の

           言葉に、真意はわかっていながら「普通じゃ困るから、お話ししているんでしょう」と

           反論したり夫から「ありのままのこの子を大切にしよう」と言われて、

         「ありのままじゃ  困るでしょ、何か手をうつために受診したんでしょう」と食って

           かかるなど。

    (冷静になって相手の立場出考えるゆとりがなく、自分の視点しか見えなくてイラ つく)       

           受け止めてくれるのが支援者だけという人もいる。

    この私の気持ちをわかってよ」の声が伝わってきます。

 

            Ⅴ  他者の無理解のクッションになる

           障害児をもつ家庭は、発達障害に関する知識が多いとは言えない人々の中で、 圧倒的に

    長い時間を過ごす。その理解のなさが様々な形で家族を圧迫することがある。------

            対処に困るのは、第三者からの「厄介な善意」である。宗教や治療法を勧める。

    子供を預かってあげると無責任に請け負う。「障害のある子ほど心は純粋」と不必要に

    持ち上げるといった行動は、家族にとって大きな負担となるのだが、善意から生じて

    いるだけに、否定の仕方に気を遣う。また、教育者が熱心さの余り、その子に今は

    必要でない能力をつけようと躍起になったり、不用意な発言をすることもある。

    「障害があるとは思えないくらいいい子ですね。」といった例である。

    (障害のある子供さんを褒めているようでも、障害児に偏見があることを感じさせる

    嫌味のある発言で、その子の親として不快な気分になる)

              上記の例に関して筆者は、次のように述べています。

    このような事象は、家族を精神的に疲弊させるが、「他者の善意を曲解する人」

    という評判を立てられかねないため、周囲への相談はむつかしいとのこと。    

    相談にくる家族は、子供のために苦しんでいるからくる。そこで本当につらいは

    当の子供なのだと気づかされて、子供を受け入れるのだが、やはり家族もつらい 

    のだと感じるようになる。無意識のプレッシャ-から家族が少しでも楽になるように

    手を貸すのも支援者の役割であろうと結んでいます。

              上記の母親のイラつきに対してどんな支援の仕方があるのか考えてみると

     すぐ想起したのは、アサ-ションです。

    「担任教師が普通の子として接する」言ったことについて

    あなたは、XXだと決めつけるのでなく、相手の気持ちを受容しながら

    教師の視点に立って考えることを促す。

    「私は、あなたの子供さんが障害児なので、それにどう対処し欲しいかの気持ちが

    あるのは理解できる。でも、担任の教師は、すべての生徒と分け隔てなく接して

    いく中で個々の生徒の問題に対処する責任があるのです」

 

              ▲ 臨床心理専門家の支援

 

     堀田氏が記事のテ-マに掲げた問題提示に対して、前半の山根先生は

     その道の専門家として、臨床実践への示唆として語ってみえる中で

     特に私が注目したのは、「障害や体験の意味づけの視点」の箇所です。

     「障害児をもったことへの養育者の自責の念」について。

     「なぜこうなったのか」 「防ぐことは出来なかったのか」と自問自答し続ける間に

     その答えがみつからないと養育者は膠着して立ち往生してしまう。このようなときに

     支援者は正しい知識に基づいた説明を丁寧に行い話し合う必要があるとのことです。

     出来事の原因や理由を自分なりに把握して、養育者は慢性的な反芻から抜け出し

     (葛藤の繰り返しからの解放)人生の目的や出来事の意味を理解しようとする熟考する

     段階へ移行していく。そのような熟考は認知スキ-マやナラティブの適応的な変容を

     もたらす。*「認知スキ-マ」とは、その人の考え方のもとになる「くせ」、

     「かたより」「ナラティブ」---対話して良い関係をつくっていく 

     これら二つの改善は、人間関係をよくすることにつながります。

     さらに、続けて養育者が体験や出来事を意識的に熟考し、加えてその時の生じる

     感情を表に出せるように援助していくことが重要であろうと述べいます。 

     これは「感情の明確化」ということで態度、意思の決定に関わってきます。

グラジオラスP1010118 ゆり .jpg

                              これはスカッシュゆりとグラジオラス、バラを組み合わせています。

            対人関係の「和」(山根先生の説く認知スキ-マなどの適応的変容の結果が

            人との和につながるという思いを込めてこんな生け花にしました) 

                        もう少し拡大する実物の感じに近づくと思いますが、鈍くささは否めません。

 

                  ◎以上の山根先生の「障害や体験の意味づけ」に関する記事の内容の実践

          により、障害児をもつ養育者の自立の達成のためには、只専門家の指導を

          受けるのみでなく、その人達の心に寄り添った傾聴、カウンセリングを

           通して自立を支援していくことが不可欠と痛感しました。

 6月6日 うつ病は治るか こころの科学146より 「うつ病の治療を考える」

 

   6月6日 うつ病は治るか  こころの科学146より 「うつ病の治療を考える」

        薬物療法を行わなかった例を通して

                    

        川崎医科大 精神科学教室 青木省三先生

 

   青木先生はこれまで基本的には、抗うつ薬を主体とした薬物療法に、精神療法を併用

   しながらうつ病の治療を行って来たとのこと。しかし、現代のようにうつ病の受診が

   増え、うつ病概念が拡大し拡散した状態で診療を行っていると、うつ病=抗うつ薬とは

   考えなくなった。

   特に先生の勤務するような総合病院精神科には、うつ病という病気なのか、

   人生の様々な負荷による疲労なのか、鑑別が困難な人々が受診してこられるとのこと。

 

   -----その人達が苦しんでいるのには変わりなく、何らかの援助が出来ればと思い

      日々の臨床を行っていて、薬を勧めた方がよいかどうか、迷う場合も

       少なくないとのこと。

      以下事例でそのことが紹介されています。

             ▲ 迷い始め  薬を利用するか、薬に縛られるか

   20年以上前のこと、そう状態とうつ状態を繰り返す躁鬱病の中年男性がいた

   地元には知り合いが多く受診できないと、遠方の先生の病院にやってきた。

   受診時はうつ状態で、自分はダメな人間である、家族や会社に迷惑をかけていると自分を

   責め、自分なんかいなくなった方がよいと自殺まで考えているようだった。これは

   精神力や根性がないというような問題でなく、うつ病という病気であると説明し、抗うつ

   薬を処方し休養を始めた。うつ状態は、療養によりすみやかに改善したが、やがて

   気分が高揚し、夜飲みに出かけて何軒も店をはしごし、カ-ドで高額なものを次々と

   買い物するようになった。そう状態になったのであった。

   そう状態とうつ状態を繰り返す場合、気分の波を安定させる気分安定剤(炭酸リチウムなど)

         が必須であるので、それを処方した。それから暫く経った時であった。その男性が「先生、

   この薬はやめたい。抑えつけられるような感じがする。アイディアやひらめきが出ない」

   と述べ、さらに、「抗うつ薬だけにしてほしい。私にそう状態がなくなったら仕事が

   できません。」と付け加えた。

   ワンマン社長をしていて、そう状態の時に、思い切った計画を立て、資金を借りて

   事業に投資した。逆にうつ状態の時には、社員には「ハワイの別荘で過ごしている」と

   いうことになっていたが実は家にこもって「会社が倒産する」といってそう状態の

   ときの言動を後悔し寝込んでいた。

   しかし、そう状態の計画は、すくなくともその時点までは効を奏し、会社は順調に成長し、

   中堅企業までに発展していった。業界では「やり手で強気の経営者と言われていた。

   その男に気分安定剤を出した時に上記のようにその薬はやめたいと言われた。

   先生は迷った。精神科医として、そううつ病を治療するなら気分安定剤は不可欠なように

   思えてとのこと。しかし、男の人生からそう状態が消えてしまったら、仕事ができ

   なくなるというのも理解できた。迷ったあげく、そう状態になりそうになった時には、

   気分安定剤を飲むということにしたが、気分が上向きになるとその約束は反故となり、

   なかなか守られなかった。

   男性のそう状態は次第にまとまりがなくなくなる傾向が認められ、会社経営にも

   支障をきたすようになったので「つらいかもしれないが、会社の運営は信頼できる

   後輩に任せて、病気の治療をして"平和な毎日を過ごせるようになる"ことを目標に

   しませんか」と提案したとのこと。

   先生はそう状態に処方しないと言おうとしているのではない。

   病気であれば自動的に薬を処方するという安易な発想に陥らないことを言いたいだけ

   とのこと」

   臨床場面で薬を処方するか、しないか迷うことは少なくなく、実は迷い考えることこそが

   大切であると思うと本音を明かしておられます。

  「薬は症状を軽減させ、少しでも良い人生を送るために、患者さんが主体的に利用するもの

   であって、患者さんが薬に縛られ、びくびくした不自由な人生を送ってはならないと思う。」

  「薬を飲むために生きているのではなく、少しでもよく生きるために薬を飲むのである。」

   これが薬を処方する際の常識的な感覚というものであろう。

   巷のクリニックの医師の方々に聞いて頂きたいメッセージです。

   医療ビジネスとしの営利第一の、患者を金儲けのの対象物として考えるのでなく

   患者さんの目先の幸わせでなく、主体的に薬を選択して人生を大事にするよう助言できる

   治療者であって欲しいと強く切望します。

 

     ▲  警告信号としての側面を活かした診療

 

   ある40代の男性は、2月に本社に転勤し、デスクワ-クが主となり、社員同士の対話も

   少なりなり上司とも合わずストレスを感じていた。6月、頭痛、肩こりが出現したため、

   先生の病院の脳外科を受診。10月には、寝つきはよいが、午前3時位に目が覚めるように

   なった。日中、眠気はないが、倦怠感があり、飲みに行くのも億劫で、最近は誘いを

   断っている。

   食欲も減退し、体重2月より4kg減少した。以前を100点とすると、今は50点という状態。

        しかし、休日は外出しており、家族と過ごす時間は精神的に充実しているということ

   であった。

   初診時に「転勤して、ストレスのはけ口がない。以前はグル-プで行う仕事であったが、

   今は一人でやる仕事。話すのは上司だけだが、その上司とも話しにくい。うつでは

   ないかと思ってやってきた」と述べた。

   それに対して先生は、「今は、うつになりかけの黄色信号が出ている状態。赤にならない

   ように気をつけましょう。今の職場で話のできる人、理解してくれる人をみつける

   ことが大切。

   それから、今は新しいことに手を出さないように。

    (ストレスを増やさないことの忠告として)

           家では仕事のことを忘れてのんびり休養を。今よりしんどくなったりしたら、

   次回は家族と来院を」と助言したとのこと。男性は疲れてはいたが、気分はそれほど

   抑うつ的ではなく、また何とか仕事もこなせていた。新しい職場にうまく馴じめず

   孤立しているのが一番の心理的負担ではないかと考えた。助言のみで処方は行わず、

   それ以来男性の受診はないとのこと。

     ◎ 私の感じたこと

      一般のクリニック精神科医と異なって本人の主訴に関わるポイントをじっくりと

      青木先生は傾聴され、適切なアドバスをされているのがよくわかります。

      何がストレス原因で、それに関わる対人関係でのストレスの緩和策のアドバイスは

      実に当を得ていると痛感しました。

      通例ですとクリニックでは、このような状況では処方しますが、そうせずに

      先生のアドバイスを参考にして本人の自力による解決を促している精神科医としての

      意図も理解できます。

5月27日 「病いをどう生きるか」 うつ病、がんを体験した精神科医の提言

 

    5月27日 「病いをどう生きるか」 うつ病、がんを体験した精神科医の提言

 

    日本評論社のメンタル専門誌  特集「治るってどういうこと?」2013・秋 no2

         メンタルクリニックなごみ 蟻塚亮ニ先生の記事より抜粋

 先生は二回のうつ病と三回のガンを体験され、30歳代に最初のうつ病を体験され、50歳代

 後半にうつを再発され、強烈な不眠、肩こり、抑うつ気分に苦しんだとのこと。薬を飲んで

 寝ても、夜中の2時半とか、1時に目が覚めて朝まで眠れなかったそうで、朝は理屈なしに

 気持ちがつらい。たまたまコンビニで買い物をしていて、おつりをもらうとき、わけもなく

 涙をボロボロ流したとのこと。

  しかし、このようなうつ体験は、精神科医としては、貴重な、得難い体験であったそうです。

 また、大腸がんの再発、前立腺ガンにも罹られ、肺がんにも疑いがかかったとのこと。

 そのころ、経済的にも苦しく、真夜中に強烈な不安に襲われ目覚めたこともあったとか。

  のような体験は、うつの場合と共に精神科医としてとても貴重な体験だったそうです。

          ▲ 「治る」ことは、病気になる前の自分にもどることではない

  ガンやうつ病を含め、病気をするということは、どこかに無理があったから病気になったのだ。

  だから、「治る」とは病気する前の自分に戻ることではない。病気になる前の自分と、

  労働条件生活スタイル、ものの考え方、食生活等についてかわらなければまた病気になる。

  つまり、病気から回復するということは、生活スタイルを惑星の軌道にたとえるならば、

  「生きる軌道を少し変える」ことである。

   私は、この病気という試練を通して何を学習し、行動に移したかということが大切かと

   思います。

 

       続けて著者は、うつ病の人について言うと、うつ状態がゼロになることが治ることでない。

   仮にうつ状態がゼロになったからといって、前と同じ生き方をしていると、心に

   無理がかかり、またうつ病になるのではないか。

    ところで、日本のうつ病心療や精神科医療について言うと「治る」とか回復目標について

   精神科医同志でも、患者さんにとっても、合意なく、誤解が多いとのことです。

   うつ状態をゼロにするとか、幻聴が聞こえなくなることが「治る」と考えている医師は、

   薬ばりに頼り勝ちになるとのこと。薬屋か゛「この薬の効能は---」としばしば病院に来て

   「薬でうつ病や幻聴が治る」かのようなでたらめを吹き込んでいくからでもあるでもある

   との指摘。

   また、精神科医が患者さんを「社会生活をしている生活者」と見ないで、症状ばかりに目が

   奪われるからでもあるとのこと。こういう医者にかかると薬ばかりが多くなるとのことも、

   よく理解できます。患者さんの職場、学校、家庭等の、ストレス 悩みの実態を抜きに

   して投薬をしていても、その効果に限りのあることをちょっと考えただけでも

   了解できます   ------

 

          だから、著者は、あえて「治る」に代えて「回復」という言葉にこだわるとのこと、

   回復するためには 病気になる前の自分とどこか変わらなければいけない。そもそも、

   うつ病治療の目標とは、うつ病を

   完治させたり、再発を撲滅せることではない。生きている限り、人はいつどこでまた

   うつ病になるかわからない。そうでなく、著者は次のように力説しています。

   「ストレスや困難の上手なかわし方を身に着けるとか、親離れするとか、困難に対して

    他人に相談する力(SOSの能力)を高めるとか、土壇場で生き抜く自信を身につける

    とかの自分自身のパワ-アップこそが回復するための目標である。親の評価や他人の評価

    よりも自分の判断を大事にでき、私と診察室で目と目をしっかり合わせてにっこり

    笑える人は"ああこの人は良くなる"と予感できる」と述べています。

    以上の著者の見解を読んでいて、ふと想起したのは、平井孝男先生の「悩む能力」

    「自分が治療の主体になる」という言葉です。苦しみのプレッシャ-にさらされると

    人は、つい自暴自棄的、やけくそになって衝動的になりがちです。

    でも、若干なりとも冷静さを取り戻してわが身を顧みれると「治療の主体」に近づく

    ことができます。上記の「他人に相談する力」もそれに関係してきます。 

    「自律性」が回復過程で大切な要素になると私も考えます。

    自己中心的で周辺の人々を批判ばかりしていた人が、認知の視点を変えることで

         気持ちや行動が変化すること、それによりストレス緩和になることなどがその例です。 

5月28日 続「病いをどう生きるか」

 

           5月28日  続「病をどう生きるか」  精神科医 蟻塚亮二先生

 

       ▲ 回復するために必要な勇気

  統合失調症を長く患い、グル-プホ-ムで生活する患者さんが、他の利用者との

  トラブルで悲劇的となり、「風呂も入れない。掃除もできない。だから入院したい」と二日続けて

  パトカーをよんだことがあったとか。そのホ-ムの世話人と一緒に診察室に来たとのこと。

  もしも彼女の主張どおり入院すれば、そのホ-ムを退所して住所を失い、次にいつ退院

  できるのかわからない。ホ-ムの世話人も先生も崖っぷちに立たされていた感じでした。

  普段の先生なら、他の利用者を交えて「誰とどんなトラブルがあって」 「だから、

  どういうふうに解決しようか」と相談をするのだが、当時先生は忙しく、緊急なのに出かけ

  ていく時間がとれなかった。

  おまけに、「入院すればすべてが解決する」かのような彼女の考え方は            

  安易だ」と先生は思った。その安易さは、彼女が長期入院をしてきた精神病院の

  管理的な体質これまての治療者の古臭い考え方によるものとは想像しながらも、ここで彼女の

  言い分を通すことは禍根を残すと先生は思った。

  そこで先生は、少しきつく言ったとのこと。

  「そんなふうにいつも"困ったら入院"を繰り返していたら、いつあなたは病気から脱出

  できるのさ。でも調子が悪いのはあなたが一生懸命生きている証拠なんだ。

  だから少しこらえて何とか入院を思いとどまってみようよ」といって先生は励ました。

  そして精神安定剤入りの点滴(彼女にとって初めての体験)をすすめ、

  「私も応援するから、あなたも回復するために 少しだけ勇気をもって欲しい」と伝えた。

    ◎ この箇所の先生の言葉に感動します。

    このような我儘と思える患者に対して叱責するのでなく、「調子が悪いのは

    あなたが一生懸命生きている証拠なのだ。」本人の苦しい心境を受容している

    この先生の暖かさがよく出ています。

    最後の回復のために少しだけ勇気をもって欲しいの言葉も 、とても響きのある

    人間力を痛感します。カウンセラ-もただ一般的なカウンセリングの仕方でなく

    状況に応じてこんな対処の仕方もできると相手の心が癒されると思いますし、

     この例のように、襟を正して必死になって自己の病気の回復に取り組む

     きっかけになるかと思います。

       先生の次の言葉 「そうなのだ。回復するために不可欠な条件の一つは、

       患者さんの勇気である。」  自己修正する力と言い換えてもいい。

       どんな薬を処方しようが、どんな素敵なグル-プホ-ムを作ろうが、当の患者さんに

       清水の舞台から飛び降りる勇気がないと治らないのだ。「清水の舞台」は例で

       しかないが、それ位「変わることは恐ろしいこと」でありつつ「変わるための

       勇気」が欲しいのだ。  

         先生はしばしば各地で講演を頼まれるとのこと。ある時、「うちの息子はなかなか

     薬を飲まなくて、医者にも行きたがらなくて困っています。」との質問があった。

     先生曰く「そのように困っていることをお母さんでなく、本人か質問してくるようになら    

     ならないと治らないでしょうね。」と答えたそうで。母親の話では、病院の予約も

    、医師との連絡も毎日の食事つくりも、すべて 母がやっていて、

     「息子のうつ病が治らないと」母が悩んでいる。つまり本人が悩んでいるのではない。

           また、長年うつ病を患っていて先生の顔なじみの人から「どうしたらうつ病が

      治りますか」と聞かれることがあるとのこと。先生自身ああだ、こうだと答えるとのこと。

      しかしどうも命がけで実行されないふしがあるとのことです。    

      なお、ちなみに前述のグル-プホ-ムの女性は先生との面接で目の色を変え

      「わかりました」とやったこともない点滴に3日間通ったとのこと。その結果すっかり

      元気になって入院しなくても済んだとのことでした。

                       

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                                  芍薬の特性が活かせない不作で失礼します

     「 他人の評価よりも自分の判断を大切にしよう」 「給料泥棒と言われてもいいから

      仕事にしがみつこう」などと言ってもすぐめげてしまう。命がけでないのだ。

      他人にぼろくそに言われて、涙ぼろほろになる位の勇気なくて、どうしてうつ病が

      治るものか。自分のプライドがずたずたにされて涙して悔しがるくらいの勇気なくして

      どうして治るものか。世間の評判の方を私の助言よりも大切にして、どうして治るか。

        治るには、泣きながら雨の中を走るような勇気が必要なのだ。

        ◎  この6行の先生の厳しいうつ病者に対する忠告記事は、前日の27日のブログの

    「土壇場で生き抜く自信を身につけるとか、自分自身のパワ-アップこそが回復する

    ための目標である」との箇所の内容と一致します。

    うつ病者への叱責と共に、そのような就労支援に従事する人々にとっても十分

    傾聴しなければならないことと痛感しました。彼らの障害に関わる年金受給とか

    就職の支援とか目先の実績を上げることに心が奪われいて、この先生が指摘される

    ような様々な苦難に対処できる教育が不足していることを現場にいて日頃感じて

    いました。官民連携してこの先生のような視点をもって対処すべき重要性を

     再確認しました。

      しかし、この先生の場合は、ご自身の厳しい試練の中から出てきたご見解ですので

      私のような者が口を挟むのは憚りますが、カウンセラ-等が自分の病気等の体験から

      「このクライアントの状況からしてXXなのでこうすべきだ。」ときめつるのが時々

      見られます。自分が強みと思い込んでいることこそ一人よがりに陥り易い「ワナ」に

      はまる危険性 があるのではと恐れます。かって小人数でカウンセリングと

      コ-チングについて特別指導を受けた時、「クライアントに対して

      複眼的に観察する」ことを教えて頂きました。

      つまり今自分がどんな関わり方をしているのか、そのことを第三者の目から観察する

      ゆとりがあるのか、ということです。とくにメンタルにハンディのある人に対しては、

      こんな ゆとり、慎重さが不可欠かと思います。

 

     かって「涙と共に蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」の箇所をブログで

     引用しました。これは、バビロンの捕囚の後、帰還を許されたイスラエルの民の

     破壊された神殿再建の苦境の時代ことを述べています。

     現状に甘んじることなく、つらい決断をして悲願の目的を達成したイスラエルの民に

     相通じるものをメンタルにハンディのある人々にも感じます。

     色んなハンディをもった方々にとって、中々居場所がなく四面楚歌の孤立の中で

      一度ならず壊れた自分の再建のためには、他人の支援を甘受するだけでなく

     先生が力説されるように、ここぞというときに勇気ある決断をして頂きたいと思います。

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