7月7~8 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その4
7月7~8 日 発達論的視点からみた自閉症スペクトラム その4
滝川 一廣先生執筆
▲ 自閉症スペクトラムに傾く場合
その3で 終わり当たりで生まれつき個体差でハンディのある
子であっても、養育者のバックアップで、多くの場合
平均的な発達圏内におさまるという記述がありますが、
先生の見解では、残念ながら、すべてがそのようにうまく
おさまるわけではないとのことです。その理由の一つには
双方向性によるバックアップではカバ-しきれないほど乳児側の力が弱いの
である。この場合、その力の弱さが、そのまま自閉症スペクトラムへ窓が開く
決定条件にもなり得るとのことです。
乳児にとって外界は未知なものばかりなので、当初は、すべての刺激にまんべんなく
探索の目が向けられる。 しかし、間もなく性愛的な希求に促されて「もの(事物)」に
対するものよりも養育者を中心とする「ひと(おとな)」に対して探索的な注意・関心が
より活発に、より能動的に向けられるようになる。おとなの方も乳児に対して性愛的
接近行動を惜しまない。両々あいまっておとなとの交流が深まっていき、それと共に
「もの」への探索行動が単独の探索ではなく、まわりのおとながどんなものにどう注意
関心を向けるかにも探索の目が向き、おとなと二人三脚で世界の探索をするように
なる。これが乳児期の後半から始まる「共同注意」と呼ばれる現象である。
このプロセスによって社会的な対人交流の土台が育まれると共に共同的な認識へと
開かれていくとのことです。ところが、性愛の力が過度に
弱い場合、このプロセスが進まない。そうした子どもでも
性愛的な希求がゼロなわけではなく、成長と共に遅くればせに伸びてくるけれども
その接近力は平均よりずっと弱くて能動性にも乏しい。この弱さは、乳児からおとな
への接近的関わりを乏しくするだけでなく、おとなから乳児への接近的関わりに
対して回避的な反応を引き出し易い。一般におとなからの性愛的な接近行動
(みつめる、声をかける、微笑みかける、近寄る、撫ぜる、抱き上げる等)は乳児に
性愛的な歓び、充足をもたらして交流性を深める関わりとなる。
ところが、性愛的な希求や能動性が弱いこの子供たちでは、通常の乳児に対する
ようなおとなの接近は受け止め切れない過剰接近や強すぎる刺激と感受されてしまう。
養育者からの性愛的接近が、乳児に充足感を与えたり、乳児側の接近力の不足を
カバ-したりできず、かえって関わりへの忌避を生むというパラドキシカル(逆説的)な
現象が生まれ、関係の形成と発達とが大きく阻害される結果がもたらされる。
本来は子供の安全感、安心感を強めるはずの養育者側からのアタッチメント行動が
逆に安全感を脅かし、不安を引き出すというパラドックスと言えようか。
(このことは、母親が子を抱っこしようとすると嫌がり、接近してくるが抱かれようと
しないで、母親の近くで何か遊んだりしている、アンビバレンスという不安行動です)
こうした子供にとっては、接近行動をしめさず、ただそのままそこにある「もの」の
方が不安なく観察ゃ接近が出来るため、「ひと」より「もの」の方へ強い関心と探索
行動が向かうようになるとのことです。 「接近」については、全く近寄らないでなく
母の近くに来ても、接触しようとせずに一人で何かしている。
小林隆児先生のアンビバレンスの記事にそんなことが出ていたのを覚えています。
滝川先生は、こうした子供について、次のように述べています。
接近行動を示さず只そのままそこにある「もの」の方が不安なく、観察や接近が
できるため、「ひと」よりも「もの」の方へ強い関心と探索行動が向かうようになる。
フロイトだったら、「ひと」に注がれるべきリビドー(メンタルなエネルギー)が
「もの」に向かって注がれると表現するだろうか。とりわけ性愛的な接近力は弱くても
知力は高くて探索力のある子どもは、この方向に進んでいく。
ただし、二人三脚によらない、もっぱら単独での探索行動に傾くため、そこで獲得される
認識は、必ずしも十分に共同的な内容にはならない(独自性をはらんだ内容になり
やすい。) これがアスベルガ-症候群と呼ばれるようなグル-プであろう。
◎ 人よりも、何か興味をもったものにこだわりが強く、親に対しては、何か怨念に似た
強い反感が対話の中でよく出ていた青年のことを想起しました。
親は、あいつは怠けていると言っていましたが、病状と戦いながら頑張っていたこの類
の好青年がいました。
▲ 自閉症スペクトラムへの負荷条件
自閉症スペクトラムの決定条件は必要条件としての性愛の弱さに何らかの負荷条件が
重なった場合である。
例えば、脳に何らかの生物学的異状があれば、どんな異状であれ負荷条件となって
認識や関係の発達が遅れる確率を多かれ少なかれ持ち上げる。
同じことは、環境についても言える。生育環境の不全は、負荷条件になり得る。
しかし、生物学的もしくは環境的な大きな負荷条件があったとしても、性愛的な
接近力が十分な子であれば、他の問題が起きる可能性があっても、自閉症スペクトラム
に傾かない。 他方必要条件を抱えて生まれながらも、負荷条件が重ならなかったため
自閉症スペクトラムへと傾く事もなく済み、双方向性に支えられながら(多少の対人交流
の不得手、不器用さがあっても)定型発達圏内まで関係を発達させる子も多くいる
だろうとのことです。
以上は、非特異的の負荷条件だが、乳児期の性愛的交流のチャンネルは撫ぜ
られたり、抱かれたりの身体接触であり、アタッチメントも-----暖かく柔らかな感触に
安心を求めるなど触覚が重要な役割を果たす。この特性から、特異な負荷条件が
生まれるとのことです。接触の過敏性である。
感触も生まれつき個体差のばらつきをもっている。それにおいて、平均よりずっと
感触がデリケ-トで鋭敏な乳児もある程度の割合で生まれてくる。その乳児にとって
通常なら心地よさ、充足感、安心感や親密感をもたらすはずの身体接触が、違和感や
苦痛として感受されやすくなる。養育者からすると、どこか抱きにくく、抱かれるのを
嫌がる赤ちゃんであったりする。
けれども、その乳児が性愛的な愛撫への希求を強くもっていれば、苦痛よりもその希求が
まさり、養育者が嫌がらない抱き方やあやし方むを手探りりしながら愛撫をするうちに
過敏だった触覚も次第に身体接触に馴染んで、ふつうに抱かれる赤ちゃんになっていく。
こうしたプロセスで次第に感覚の馴化が進み、持前の鋭敏さ、繊細さが完全に消える
わけでなくても、いわばかどがとれて極端な過敏さは和らいでいくのが通常である。
持って生まれた個体差が定型発達に向かって均されるとは、こういう現象を指す。
これを裏を返せば性愛的な希求性に弱い乳児が同時に触覚過敏性をもっていたならば
これは極めて深甚な負荷条件となることを意味する。対人接近への希求性が薄く、
そうでなくても接近の回避の方へ傾きやすい乳児に触覚過敏が加われば、性愛的な
交流やアタッチメントは大きく阻害されてしまうだろうとのことです。その結果自閉症
スペクトラムの方へ強く傾くことになる。
スキンシップと自閉症でとの関連の重要性のことが以上の先生の説明で理解
できます。今回の滝川先生の記事を通読していて、ふとNLPの研修で習った
聴覚、視覚、体感覚を各自どのように活かし、また苦手としているかもふと想起して
みました。メンタル障害者の中で発達障害の人と比較的交わりが私にはあります。
自閉症スペクトラム、アスベルガ-の人は、聴覚が不得手で電話の対話がうまく
いかない人のことを知っています。このことも乳児期のスキンシップと何か関係が
あるのではとも思いました。もちろん、想像力が弱い彼らにとって電話で理解する
のに困難を感じることは予則できますが。